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序章 ホームスティ前半編

※この話はフィクションです。

 2度目の中国出張を終え、日本での仕事に戻っている。まだそんなに仕事の量は多くない。小売店を訪問し、商品サンプルを紹介して見積もりを出す位の事しかしていない。その他空いている時間はずっと件の学習本で中国語を勉強しているが、早くも壁に当たった気がする。

 最初はテレタ◯ーズの会話みたいだと鼻で笑っていた例文も、Lessonが進むに連れ、出てくる単語の数も増え内容が複雑になってきた。

 

 少し例を挙げると、「持つ」は「(ナー)」、「歩く」は「(ゾウ)」なのだが(因みに「走る」は「(パオ)」なのだ)、それらの動詞の後ろに出来、出去、上去、下去、过去、过来、起来等がくっ付くと意味が全く変わってしまう。

 例えば「拿下来(ナーシアライ)拿上去(ナーシャンチュイ)」なら「物を下ろす、持ち上げる」、「走过来(ゾウグオライ)走过去(ゾウグオチュイ)」なら「歩いて来る、歩いて行く」という意味になるが、複雑過ぎて理解できない。しかもついさっき「歩く」は「走」と説明したばかりだが、「走过来、走过去」の場合「走り来る、走り去る」の意味もありワケワカメ状態になってしまう。

 これは相当学習が進み、上級学習者にでもなった暁には、頭で勝手に組合せて自由に話せる様になるのかもしれないが、今の私は初級の中の初級学習者、一つ一つの意味を丸覚えするしかなくチンプンカンプン。ここで早速、中国語の勉強を諦めようと思った。諦めの良いのが僕の良い所なんだ。

 

 しかし社長は認めてくれない。

「貴方、ホントに中国語勉強しなきゃダメ!」

 痛い処を突いてくる。すると社長夫人が助け舟を出してくれた。何でも夫人の故郷は吉林省長春市という場所で、その地域の中国語は普通語という中国内の標準語が話されているから、ひと月ほど夫人の実家にホームスティしてみたらどうだ?と提案された。1ヶ月中国語にどっぷり浸かれば、少しは中国語上手くなるんじゃないか?と言われると何だかその気になってくる。

 近日ザーサイを製造しているメーカーに出張する予定だったが取りやめ、ホームスティする事にした。社長達は私に対し大変親切にしてくれる。以前働いていたカー用品店は罵声と暴力が飛び交っていたので、それと比べると全然違うな。


 社長夫人から1つ頼まれ事をされる。

 「私の母は75歳と高齢だが、日本の新巻鮭が大好物なので用意して渡して欲しい」

 ここまで親切にしてもらった社長夫人にそう言われたら断る訳にはいかない。どこで買えるのか検討もつかなかったが、私の父が小売関係の仕事をしていたのでお願いして仕入れてもらった。それと同時にビザの手続きもした。Lビザと呼ばれる観光ビザには、滞在可能日数30日・60日・90日の種類がある。どれを選んでも申請費用あまり変わらないという事で、今回は90日を選び、無事に取れた。

 

 こうして2006年5月25日よりホームスティ生活が始まる。今回は長期間の海外滞在という事なので、でっかいキャリーケースを準備したが箱に入った新巻鮭は異常に大きく、キャリーケース内の5分の2を占拠した。ケースの中にデカイ魚、まるでゾンビが大量発生した街から生き延びた元警官で、その後攫われた大統領の娘を探すため謎の村へ赴いた米国のエージェントが身に付けているアタッシュケースの中身みたいだ。


 今回の旅程はこうだ。先ず飛行機で遼寧省の大連市に行く。社長夫人の姉が迎えに来てくれるので、そのまま夜行列車で一晩かけ長春市に向かうのだ。「走过去」だね。


 昼頃、大連空港に到着。夫人のお姉さんが迎えに来てくれていた。親切そうなおばさんだった。タクシーに乗り空港から大連駅に行く。大連駅は上野駅にそっくりだった。後に調べたら上野駅が建てられたのは1932年、大連駅が1937年。上野駅を参考に大連駅が誕生したそうだ。つまりここは満洲国があった場所だったんだなと、ロマンを感じた。

 それにしても大連、モダンな街だな。遵化も杭州も埃っぽかったけど、空気が爽やかだ。古い路面電車も走ってる。きっと満洲国時代の物だろう。

 夫人のお姉さんから自分の事を〈阿姨(アーイー)〉と呼ぶように言われた。阿姨はおばさんという意味だ。合点承知だ!それからずっと阿姨(アーイー)と呼んでいたので、結果本名がイマイチ分からなくなってしまった。

 

 大連駅に着いたら「售票处」という場所へ行く。字面から何となく察したがやはり切符売り場だった。ガラス張りの受付が沢山あり、切符を求めて並ぶ人もすごく多い。パスポートを提示し、今晩発の長春行きの寝台車の切符を購入できた。切符はトランプ位の大きさで、ピンクっぽいオレンジ色をしている。

 大連駅のすぐ近くに「勝利広場」という名の地下街があり、ここに阿姨の親戚の子がお店を構えているので会いに行く。しかしこの地下街、恐ろしく大きい。階段を下るとそこはさながらダンジョンだ。中は個人店がひしめき合い乱雑で、何層にも分かれており、当然阿姨は道に迷う。何とか何とかしてお店を見つけた。

 

 ブティックと呼んでいいのかは分からないが、服を売っている店だった。広さは30平米程か。壁一面に服が掛けられている。阿姨がオーナーの親戚の子との関係を紙に書いてくれた。従姉妹の孫なので⋯従姪孫(じゅうてっそん)?異国の地で人生初めてこの言葉を使った。従姉妹はこの歳で孫がいるという事は、高齢なのか若くして子を産んだのだろうか。若しくは私の聞き間違い?何かおかしいがもういい、とにかくこの子は従姪孫でいく!

 他にも色々家系図を書いてくれたが、中国は遠い親戚関係まで全て呼称が有ることに驚嘆した。断言してもいい!こんなの絶対に憶えられない。

 喧々囂々と会話をしていると、女の子二人組がやって来た。お客さんが来たのだ。服を選んで試着するみたいだが、ここには試着室は無いけどどこで着替えるのだろう?そう思っていると従姪孫は壁際から幕を引き出しそれで彼女らを覆った。なんてアバウトな、まるで熱湯風呂のお着替えタイムの様だ。

 どうやら服を買うのを決めたらしい。すると従姪孫は紙切れを持ってお客さん達を連れ、店の外のサービスカウンターの様な所へ向かう。ああ、支払いはそこでなのね。何か効率が悪い気もするが、きっと理由があるのだろう。強盗対策とかかな?


 夕刻お店を閉め阿姨、従姪孫、その彼氏と友人の女の子、ついでに剣崎で食事をする。ずっと中国語のシャワーを浴びていた為、少し疲れが出てきたが無視。お盆いっぱいに大連名物の蝦蛄(しゃこ)が出てくる。茹でてあったが海老と違い、身と殻を剥がすのに難儀する。周りをみるとみな器用に剥がして食べていたのがちょっと悔しかった。


 こうして夜になり、出発の時間がやって来た。

 先ず駅構内に入るのにも一苦労だ。入口で全ての荷物をX線検査機で確認し、無事通過するとだだっ広い空間が拡がっている。ここが出発ロビーか。沢山の改札口があり、各々の上にある電光掲示板の行先と出発時間が表示されている。よく見るとロビーの中央上にも巨大な電光掲示板があり色々表示されているが、知らない地名ばかりでよく分からない。でも上海とか北京行きは確認できた。

 この出発ロビーにも人でごった返している。椅子があるにはあるが圧倒的に数が足りず、ほとんどの人が地べたに座り込んでいた。行商人だろうか、大きな風呂敷を担いでいる者も多数見受けられる。

 早めに来たので一時間程待機していたら改札口に鉄道員(ぽっぽや)が立ち、それと同時に皆一斉に並ぶ。いや並んでるとはいえない。皆バラバラに改札口に向かっているので列とは言えずグチャグチャ、後ろからは押されまくりで大混乱だ。何とか切符確認してもらい階段を下りホームに着くと、列車は既に停まっていた。緑の車輌が長く連なり、各車輌に鉄道員が付きっ切っている。機関車なので汽車だ。車輌をみると固そうなシートに人が座っている。一晩座りっぱはキツそうだ。今回私達が乗るのは寝台車という事なのでまぁ、そんなにキツくはないだろう。

 

 寝台車に乗り込むと3段ベッドだった。狭い廊下側に細い梯子が取り付けられていて、そこから上がり下りするのか。下は大きなベッドだが上段の乗客もソファー代わり座って休んでいる。なんか嫌だな。ちなみに廊下側にも収納式の腰掛けがあり、若者はそこに座っていたので私もそこに座った。やはり人様のベッドの上へ勝手に座るのは抵抗がある。

 切符をみると阿姨のは「下铺」、私のは「中铺」と印刷されている。阿姨は下の段、私は真ん中の段だろうから、きっと上の段は「上铺」だな。こんなすぐに理解するなんて、なーんてお利口なんでしょう僕。


 ガコッとショックと同時に汽車が動き始めた。しばらくして洗面台に行き歯を磨いた。トイレは穴があるだけで線路に垂れ流しだ。就寝時間が来たのか、鉄道員がカーテンを閉めに来て、消灯する。

 初めての寝台車だが揺れが心地良い。キャリーケース内の新巻鮭は冷凍品だが、もう完全に溶けているだろうな。大丈夫だろうか……。

 そんな事を考えているうちに、私は眠りに着いた。

 途中幾つかの駅に停まったらしく鉄道員が途中下車の人を起こしに来るし、発車の度に車輌がガコッと揺れるため何度も起きるはめになったが……。


 翌朝長春駅に着く。到着20分前から『チャ〜ラ♪チャラララーラ〜♫』と愉快な音楽が流れ、乗客は慌ただしく下車準備に勤しむ。垂れ流しのトイレは鍵が掛けられ使用中止だ。駅の近くイコール街の中、そんな所でブリブリされたらたまったもんじゃないだろうな。そういえば夜中も何度かガチャリと鍵を掛ける音を聞いた。多分だが駅に停まる毎、鍵の開け閉めをしていたのだろう。鉄道員様、ご苦労さまです。

 駅を出る際の手続きは無く、出口にいる鉄道員へ切符を渡せば終了だ。人によっては切符の回収の際、取られまいと手を引張り抵抗する。すると鉄道員が切符を少しちぎり返してあげていた。

 駅の外も迎えの人々でごった返していた。一組の男女が阿姨を見つけ手を降る。娘とその旦那だ。娘は少し豊満で妊娠している為お腹が大きい。旦那、本名は最後まで知らず姐夫(ジエフ)と呼ぶが、彼は痩せぎすで、超初期時代のサザ◯さんのマス◯さんに似ている。これから一ヶ月お世話になるのだ、まぁよろしく頼むよ。ウソウソ、宜しくお願い致します。

 

 元々は駅から家までタクシーに乗る手筈だったが、人頭が多いのと、大荷物で乗り切れない為、バスを利用する事になった。阿姨が姐夫に説教をしている。何を言ってるかさっぱり解らないが、恐らく何故2人で来たのか詰問しているのだろう。

 駅前でバスに乗り出発。乗車賃は1元だから15円程か。乗客無視の加速がエグい。乗客無視の減速も酷い。曲がるときも急ハンドルなので窓に頭を打つ。要は下手なのだ。ただちょっとマニアックな話をすると、このバスはシンクロ機構が無いのかシフトダウン時には器用にダブルクラッチをしている。実は上手いのか?


 40分程揺られまくりバスを降りると目の前に平屋の大きな建物があり、食品市場だった。阿姨は買い物をするみたいで一緒に中へ入る。肉屋、魚屋、八百屋、酒屋といった個人商店が沢山並んでいる。どのジャンルの店も何軒か隣り合っているのでつまり、隣にライバル店がいる事になる。魚は氷の上に乗ってはいるが生臭く、淡水魚だけ。海の幸なんぞ手に入らないのだろうな。だから新巻鮭か!と着いて早々納得した。

 阿姨は豚肉を選んでいる。肉の塊が丸ごとテーブルに置かれており、部位と購入量を伝えると、店員がよく切れそうな小刀で肉を切り分けて渡すシステムだ。後ろには枝肉が釣られていて、そこかしこで蝿が飛び交う。天井から謎の機械が幾つかぶら下がり、長い紐が取り付けられているが、この機械が回転して紐もクルクルと動き、蝿が肉に取り付くのを防いでいた。

 市場の裏手はもう阿姨達の家だった。4階建ての古い団地の様な建物でエレベーターは無い。後で知ったが昔は国営企業で働くと、こういった集合住宅が貰えたらしい。3階に阿姨の家があり、家の中は歴史を感じられるが大変整っていて綺麗だ。因みにお向かいの部屋が娘夫婦の家。

 すっかりお婆ちゃんな阿姨と社長夫人のお母さんに挨拶をして、頷下之珠(とっておき)の新巻鮭を渡すと大層喜んでくれた。もう完全に自然解凍されて常温になってしまっていたが、塩漬けしてあるのでまぁ問題なかろう。こっちの人達お腹強そうだから気にしない気にしない。

 こうして一ヶ月程のホームスティが始まった。


 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 

 ホームスティが始まり2週間経ちました。

 昼間は中国語の勉強をしています。日本から持ち込んだ学習本は生活3日目で全てのLesson学び終わりました。なので本屋で新たに中国語の教科書を買って勉強しています。テレビも日本のアニメを沢山流していて、吹き替えですが全てに字幕が付いてる為、言い回しの勉強に役立っています。今日は聖闘士〇矢の放送が多く、クソガキの事を臭小子と言うのを覚えました。

 やはり外国語は現地で勉強するに限ります。中国の空気を吸うだけで中国語が上達している気がします。

 阿姨やその家族は僕にとても良くしてくれています。每日美味しい家庭料理を食べているおかげで、早くも太って来た気がします。でも矛盾するかもしれませんが、每日下痢です。1日8回は大でトイレに籠もります。やっぱりこっちの料理脂っこいからかな?それともあの肉屋みたいに衛生がなってなくて、ばばっちいからかなぁ〜?僕の胃腸には奮闘してもらいたいものです。太ってきたけど(笑)

 阿姨の旦那さんにも会いました。こちらに来てから1週間、全く存在が感じられなかったので、離別でもしたのかと気を効かせて触れなかったんですが、仕事で出張に行ってただけでした。

 旦那さん、軍事関係の仕事に就いていて、エンジニアでした。彼方此方(あちこち)の軍事工場へ指導に行くため、月の半分以上は家にいないそうです。背が高くて威圧感がありますがダンディなおじ様でした。英語もペラペラです。

 阿姨には何人か子供がいますが、一緒にいるのは末っ子の娘で、他の子供はカナダやアメリカへ移住して大学の先生やコンピュータの開発をしてます。実は超エリートだったと吃驚しました。因みに阿姨も英語教師で、長年高校で教鞭を執っていたそうです。ホントにすごい一族です。

 

 旦那さんが近所の軍事工場に連れてってくれました。外国人の僕が入れる訳ないと思いましたが、旦那さん顔パスでした。やっぱりすごい人です。工場では鉄材が積まれており、みんな煙草を吸って本を読んだりトランプに興じてました。ここでは戦車の照準器を作っていると教えてくれましたが、あるのは鉄材ばかり。実際ここで何を作っているかは解りません。

 旦那さん僕が日本人だと説明すると、工場の人達みんな笑顔です。

「ソウデスネェ、ミシミシ」と挨拶をしてくれます。

「そうですね」は分かりますが「みしみし」とはどういう意味なんでしょう?謎です。


 上の階に住んでいる小学生の女の子がよく来ます。阿姨の部屋にパソコンがあるので、これを使って英語を勉強してます。阿姨も英語を教えてあげてますが、かなりのスパルタみたいで一度ギャン泣きしてるのを見ました。その子がペ・ヨ◯ジュンのファンで、ヨ◯様写真集を見せてくれました。

「日本人じゃなくて韓国人が良かった」

 と直に言われたので少し凹みます。


 それとですね、素敵な出会いがありました。阿姨の知り合いの娘さんがここの大学で日本語を勉強していて、紹介してもらいました。その子はわざわざ家に来てくれて、〈薛 甲子(シュエ ジアズ)〉という名前で痩せていて綺麗な女の子です。

「先月端午節(ドァンウゥジエ)という中国の伝統的な日があったカラ、これをあげまㇲ」

 と赤いミサンガみたいな紐を手首に巻いてもらいました。可愛いし、日本語も大変上手です。

 彼女は長林大学という中国内でもトップクラスの大学に在籍し、日本語を専門的に勉強しています。この街に実家があるにも関わらず、普段は大学の学生寮に住んでいるそうです。日本語学科に所属し、そこの学生は卒業までに日本語検定1級に絶対合格しなきゃならないそうだから大変そうですね。

 彼女から長林大学には沢山の外国人留学生がいて、日本人留学生もいっぱい居ると聞きました。知り合いがいるので数日後に紹介して貰います。今から楽しみです。

 

 あとそうだ!ここ長春は昔、満洲国の首都だったので最終皇帝(ラストエンペラー)溥儀がいた場所でした。

「だが朕も(おとこ)である 死すならば闘いの中で死にたい」の名言を遺したあの溥儀です。当時住んでいた宮殿や、満州時代の建物が沢山残っているみたいなので機会があれば行ってみたいと思います。

 こんな感じで楽しんでたらあっという間に2週間経ちました。ホームスティ生活も後半戦ですが、続けて努力したいと思います!


 これがあの時、もし嘉福物産に就職して中国に行くことを選択した僕の現状です。行かなかった場合どんな人生を送っているんでしょうか?全く想像できませんが、僕は今こんな感じで頑張っています。それでは!

 

 ――――― 2006年6月11日、20年後の自分へ届ける妄想便り 剣崎 祐一 ――――― 

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