表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/7

序章 出張編

※この話はフィクションです。

 ――2006年2月初旬――

 

 「どうもはじめまして!嘉福物産の王です」

 紹介してもらった社長は中国人訛りがあるが、それでも大変流暢な日本語で挨拶をした。ちょっと怪しい雰囲気があるものの、悪い人ではなさそうだ。社長の自宅兼事務所で挨拶兼面接が始まり、これまた中国人の奥方も参加した。

 今回会う前に予めパスポートを作らされていたので、実際のところは会う前から採用が決定されていたようだ。そしてそのまま簡単な会社の説明を受ける。

 中国から天津甘栗や筑前煮等の食品を輸入する会社ということだが、いきなり2週間後に中国の天津甘栗の加工メーカーへ出張に行くこととなった。

 ちょ〜(笑)いくらなんでも展開が速すぎてついていけない!というか怖い……。

 まず私中国語は全く話せないですし、海外に行ったことすらないですし無理だって!

 ただ、横浜生まれ横浜育ちなので、中国、韓国、ロシア、コロンビアといった海外のプロの方々達と身体の交流をした事があるのは内緒だ。


あらゆる国より舟こそ通え♪

されば港の数多かれど♪

この横浜にまさるあらめや♪



「行かなきゃダメ!ハイ!もうチケット予約したネ!」

 社長の声が響き、出張が決まった。


 とりあえず中国語対応の電子辞書と初心者向けの中国語の学習本の様なものを購入し、専心して勉強してみる。

 本当に初心者向けの本なので例文が超基礎的だ。


 Lesson1 

 〈你去吗〉 あなたは行きますか?

 〈我不去〉 私は行きません

 〈他去〉  彼が行きます

 

 成程、これは勉強になる。〈去〉が行くという意味の動詞か。見るとか食べるとか動詞を置き換えれば応用も効くだろう。

 

 Lesson2

 〈你是老师吗〉   あなたは先生ですか?

 〈不,我不是老师〉いいえ、私は先生ではありません

 〈她是老师〉 彼女が先生です

 なんかテレタ〇ーズの様な会話だ。こんな付け焼刃では今回の出張には間に合わないな。発音も難しく多分通じないと思う。とりあえず単語を覚えていたが、1つ面白い言葉を見つけた。

 〈小宝宝(シアオバオバオ)〉と読み〈赤ちゃん〉の意だ。

 まあ、今回使う機会はないだろう。いけるのか?おい!


 瞬く間に時が過ぎ、今私は機上の人となっている。成田から北京へ、そしてそこから「遵化(ぞんか)」という都市に向かうのだ。相手方の甘栗製造メーカーとは長年の取引があり、大変仲が良いそうで、今日も経営者の一家が北京空港にまで迎えに来てくれるそうな。元来、飛行機のフライト予定では昼過ぎに出発して夕方に到着するはずだった。しかし北京が激しい霧に覆われた為中々離陸できず、結局夕方出発22時到着と変わってしまい、相手方を長時間待たせていることだろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 中国人のスチュワーデスもとい、キャビンアテンダントが機内サービスの提供を始めた。

「ジュロット?ウィロット?」

 中国語だが当然何を言ってるか解らない。

「BVDEF or HYIWSNYU?」

 英語だが残念、解らないのだよ。

「にく!?さかな!?」

 あ、はい。魚料理の機内食を希望します……。


 夜更けに到着した北京はマイナス5度と寒かった。迎えてくれたのは総経理という会社のトップとその息子、私と同い年らしい。彼等が「剣崎」と書かれた紙切れを持っていて空港出口で待ち構えていた。親子ともに太っている。更にそのフィアンセも同行していたが、すごく可愛かった。なんというか大変純朴なのだ。2006年、日本では男女共に細眉毛が流行っているが、この子の眉毛は大変太い。でも本当に可愛い。

 彼らは誰も日本語が話せないが、簡単な英語でなんとか交流することができた。息子の方は大学で経営学を専門的に学んだらしい。ごく近い将来、父親から甘栗の会社を継ぐことになると聞いた。

 目的地である遵化市までは遠かった。車に乗り高速道路を走り続け空港から3時間も掛かった。道を照らす明かりが全部オレンジ色なのに気付いた。恐らく霧等が原因の視界不良の対策の為だろうか。初めての海外で右も左も分からないということもあり、中々趣ある感想が出ない。

 

 遵化市。中華人民共和国河北省にある人口70万人程の小都市だ。小都市といっても面積は15000キロ平方メートルと岩手県と同じ位で、広さは十分。首都の北京から直線距離で200㎞程離れているので、東京から猪苗代湖、岡山から琵琶湖まで位ある。ちと微妙な例えだがとりあえず遠い。

 

 遵化市に到着後、すぐにホテルにチェックインした。建物の見た目は立派だったが部屋は薄ら寒い。シャワーは中々お湯が出てこない。ベッドは大きいが硬くてシーツも冷たい。凍えそうなので靴下を穿いて就寝。

 翌朝遅めに総経理が迎えに来て一緒に朝食を食べる。(あわ)のお粥と油条という揚げパンを食す。温めた豆乳を始めて飲んだがエグみがあり美味しい。

 そしてそのまま甘栗の加工工場を見学した。総経理の奥方である李太太(リータイタイ)と昨日のフィアンセが付きっきりで大変親切に説明・解説をしてくれる。日本のスーパーで売られている甘栗の製造の様子を知ることができ、非常に興味深い。初日は加工の流れを勉強し一日を終え、そのまま夜は歓待を受ける。生の食材が並べられており、自分で選んで調理してもらうシステムらしい。ウシガエルがいたのでカエル好きとして触っていたら、後ほど炒められてテーブルに置かれた。ゴメンよカエルさん……。

 他にも様々な料理が並べられたがメインは鯉を煮込んだ料理で、大地の味というか土の味がする。これは慣れないとキツそうだ。

 

 その日の夜、事件は起きた。


 ホテルまで送ってもらい部屋で寛いでいると、誰かがドアをノックした。のぞき穴から廊下を見るとガウンを着た女が立っている。

 誰だ!?部屋を間違えたのかな?そう考えてドアを開けたところ、女はそのまま部屋に入ってきて、笑顔でガウンを脱いだ。ガウンの下はスケスケの下着で、上下の中身が全て透け見える。

 ヤバイ!絶対にロクなもんじゃない!!怖いので部屋から追い出そうとしたが中々出ていかない。最後は力ずくで無理やり押し出した。

 あ~びっくりした。とりあえず一安心していたがしばらく後、またドアをノックする音。のぞき穴から廊下を見ると今度は男がいて、神妙な表情をしている。

「きっとさっきの女性の連れで、先程の事を誤りに来たのかな」と思いドアを開ける。当然のように胸ぐらを捕まれ2万円奪われた。

 この日私は思い知った。どう考えてもろくなヤツである訳がないのに、初海外ということで何も知らない、分からないので騙された。そしてそれは罪であると。


 翌日、私の心は曇っていた。天気もどんより曇っている。モヤモヤと心に引っ掛かる感じがする。というかムカつく。なんだあれ⁉まあいい、昨晩のことは早く忘れよう。これからは気をつけよう!ただ私は失敗を何時までも引きずる性格なので、忘れるには時間が掛かりそうだ。20年経ってもムカついてそう。

 

 今日は栗の収穫地を見せてもらえる事となった。どんどん郊外に行くが、この遵化という都市、メインの大通りですら舗装がされてなく土の道だ。郊外の道はガタガタで少し車の心配をした。きっと雨が降ればグッチョグチョになるんだろうな。

 収穫地の栗山に着いた。感想は……生まれて初めて禿山を見た。初春という事もあるのだろうが、全く緑のない栄養の無さそうな赤土の山(山といっても高さは精々20~50m程)に栗の木が延々と植えられている。永田農法でもしているのか?余りにも荒涼としていて今にも大きなカラスのモンスターが現れそう。

 〈→戦う・逃げる〉逃げられない!みたいな雰囲気がした。

 その禿山が連なっているのだが、峰に高さ3m程の、古い煉瓦造りの柵というか壁というか砦の様な建物がそれこそ遠く見えなくなるまで延々と続いている。

那是什么(あれは何ですか)?」

 総経理に聞いてみる。付け焼刃の中国語も少しは役に立ったようだ。質問の答えは万里の長城であった。よくテレビで見る北京の観光地ではなくリアル万里の長城を見ることができ大満足だ。

 

 そして清東陵という場所に到着。なんでも清王朝時代の皇族の陵墓だそうだ。日本でいうと前方後円墳とか日光東照宮に近いのか。ただこちらは宮殿みたいになっており、数も沢山だ。後で調べたら2000年に世界遺産となっており、由緒ある場所だった。

 陵に入り高貴な方々のお墓を見学する。お墓といっても龍が彫られているデカい石板が敷かれている。龍は指の本数でランク分けされ、5本指の龍は皇帝しか使えないと聞いたことがあるが、石板の龍はしっかり5本指だった。その石板の上に遺髪が掛けられていて、下に玉体が眠っている。しかし皇帝も皇后もみな髪の毛が長い。150cmはありそうだ。その中の1つに「西太后」の名を見つけた。

 西太后……高校の夏休み、世界史の宿題で海外の歴史物の映画を観てその感想文を書くというのがあり、「西太后」の映画のビデオをレンタルし観たが、心から恐怖した。他のお后の手足を切断して達磨にしたりと悪行を重ねたとの伝説もあり、戦争の最初の原因を作った中国三大悪女の一人と呼ばれている。思わず遺髪に触れようとしたら大変縁起が悪いと周りに止められた。

 

 夕刻、帰りがけに収穫した栗を保管する倉庫に寄ったところ、3人のオッサンが寝そべり、煙草を吸いながらトランプに興じていた。総経理、烈火の如く怒り吠えまくる。

 「くぁwせdrftgyふじこlp‼‼小宝宝!」

 ひたすら説教されていたが、赤ちゃんという単語だけは聞き取れた!きっとこんな事も出来ないとはお前等赤ん坊か?とか言ってるんだろう。そしてこの「小宝宝」という単語は脳に刻まれ、一生忘れることも無いだろう。


 その日の夜、再び誰かがドアをノックしたが狸寝入りを決め込んだ。私は貝になりました。

 

 翌日は李太太に北京まで送ってもらい、天安門から紫禁城を観光し、お土産に「剣南春」という白酒(アルコール度数42度とか56度の地獄のような酒)を頂き帰国した。

 李太太には本当に良くしてもらい、最後空港で別れ際に感謝の気持ちで胸一杯になり、思わず泣いてしまった。きっと初めての訪中ということもあり、特に気にかけてくれたのだと思う。また会いたいな、取引先だしまた会う機会もあるだろう。そう願ったが、それ以来会うことは無い。


 こうして初海外、初出張の旅を終えた。


 

 およそ2ヶ月後の4月中旬、私は上海に降り立った。

 2度目の出張、今回は筑前煮等の水煮加工品メーカーへ視察だ。こちらの会社とは最近取引を始めたばかりで、これから本格的に輸入しようとする段階だ。元々は中国人社長が視察する予定であった。

「日本人ガ行った方が一目置かれるからネ」

 と言われ、私にバトンが継がれたのだ。どうやら向こうにとっても、日本向けに輸出する食品は日本人がしっかりと製造工程や品質等を見て、その後日本で小売店の購買担当者等にしっかり説明した方が採用されやすい、との打算があるみたいだ。


「天津甘栗の会社は長年取引して友人の様なものダケドね、今回の会社はこれからノ関係だから。要は気を抜かないように。」

 社長より釘を差されたが問題あるまい。前回のホテルでの一件があるので警戒心マックスでいこう!仕事とは関係ないところで変に気を張るのであった。


 今回のフライトは順調で、昼前に上海空港へ着いた。到着ロビーに出ると、沢山の迎えの人々の中がいる。「熱烈歓迎 剣崎様」と印刷された紙を掲げる男を見つけて一安心。(てい)さんという通訳兼営業担当の人が迎えに来てくれていた。日本語が大変流暢で、聞けば日本語を勉強する職業学校で、一年間住み込みで頑張ったそうだ。每日朝八時半から夜十一時までひたすら勉強をし、空いている時間は日本のドラマやアニメを観まくったと苦笑している。すごいバイタリティ、参考になる。ちなみに鄭さんは今年27歳。

 途中、簡単に食事を済ませながら車を2時間半走らせると、杭州という都市に着いた。

 

 杭州市。浙江省の中心都市で面積は17000キロ平方メートルと、岩手県よりやや大きい人口700万人弱の大都市だ。

 大都市と言っても目的地は辺鄙な田舎で、辺り一面湖に囲まれている。湖というのは少し大げさかな。池というか沼とでも呼ぶのか、それほど深さのない田圃(たんぼ)の様な感じだ。そこに胴長を着たオッサンが2人いた。聞くとここは蓮根(れんこん)の栽培池らしい。会社に着く前、道の途中にあるので先に寄ったとの事。つい最近収穫を終えた為、僅かしか残ってないそうだが成程、確かにちょこちょこっと蓮のような物が池から生えていて、胴長おじさんが抜くと根っこは蓮根だった。蓮の根と書いて蓮根、本当に名は体を表している。

 出発がてら胴長おじさんは、鄭さんにスッポン2匹を渡してお金を受け取っていた。この池には色々な生き物がいて、スッポンを捕まえたので売ったと理解した。そもそも中国語解らないし、こちらの人達普段は現地の方言で話すので何一つ聞き取れないから所詮は男の勘だけど……。


 会社はすぐ近くだった。春なのもあり周りは草木が茂り、花々が咲いている。すごく長閑(のどか)だ。少し違和感を感じるが大変心地が良い。

 総経理や製造責任者が待っていてくれて挨拶を交わす。前回も思ったのだが、こちらの人は名刺交換のマナーは無いらしく、ピッとほぼ投げるみたいに渡してくる。まるで某平成の仮面ライ◯ー達の変身みたいだ。名刺を投げてもオッサンはオッサンのままだが……。

 そのまま工場見学だ。ここでは先程の場所で穫れた蓮根も使用して筑前煮の加工をする。大変沢山の工程があり、日本向けの食品ということもあるのか衛生には大変気をつけていたように思う。ただ消毒や漂白の為なのか大量の次亜塩素酸水で漬けたり、沢山の添加物を加えていたのには少し驚いた。

 

 その後ホテルに荷物を預け、夜に歓待を受けた。杭州の名物料理が出てきたと思うがあまり憶えていない。飲みすぎて記憶が曖昧なのだ。例のアルコール度数42度とか56度とかの白酒、あの地獄の様な酒を沢山飲まされたとは思うのだが……。

 翌日完全に二日酔いだった。気持ち悪くは無いが頭が痛い。今回ホテルはシャワーのお湯がすぐ出て大変喜ばしく思ったが、昨晩なにか粗相はしてないだろうか?私ね、まだ23歳だけど幾度かお酒で失敗してるんだよね。なのですごく怖い……。

 

 ホテルの朝食はお粥を無心で食べた。お粥といっても沢山の種類があり、まさに五花八門だ。粟のお粥、トウモロコシのお粥、あとピータン(アヒルの腐れ卵)と豚肉の入ったお粥、これが美味い。ラーメンの味変を参考に少し黒酢を垂らすと尚更美味。他にもゆで卵や包子(肉まん)等があったが二日酔いの胃は大層荒れていると思うのでそれらは無視。お粥だけをパートナーとすることにした。誇張抜きで8杯位食べたというか飲んだ。こんなに腹が減っているという事は昨晩吐いたのか?ちなみに中国語ではお粥は「食べる」ではなく「飲む」んだと、この後迎えに来てくれた鄭さんから教えてもらった。

 

 午前中は会社で具体的な打合わせを行い、可能出荷量や納期、価格等を詰める。皆に訊いたが、どうやら昨晩何も失敗してなさそうで安心した。昼食の時間になったが、会社の敷地内に一面花が咲いているお洒落なテラスがあり、そこで食べることになった。少し違和感を感じるがやはり長閑だ……。

 なんとメイン料理は昨日のスッポン。大きい工場なので従業員用の食堂もあり、当然厨師と呼ばれる料理人もいる。彼がスッポンを締めるのだが見ていて痛々しい。噛みつこうとするスッポンの首を掴み、思い切り引き伸ばす。そしてそのまま包丁で刎ねる。その時のスッポンの表情が本当に痛がっているのだ。目を瞑って口を開けて、頭が切り落とされると口をパクパクしてそのうち動かなくなった。我が家では長年亀を飼っているが、怒っている時位しか表情を見分けられない。我が家の亀も断末魔にはあんな苦悶の表情をするのだろうか?唐突にそんな事を考えていた。

 その後厨師は、頭を失った首から滴り落ちる血をコップに溜めた。総経理はそれを受け取ると、ワインと混ぜ飲み干した。カーッと熱いものが込み上げてきたのが傍から見ていても分かる。勧められたが二日酔いを口実に断った。そしてスッポンはアレという間に甲羅を剥がされ、中身を切り分けられ鍋の材料となった。ここ迄来ると美味しそうに見える。だが昨日から感じる違和感に気付いてしまった。この辺り、すんごく臭いのだ。具体的に表現すれば、ぼっとん便所つまり肥溜の臭いだ。

 よくよく見渡すと、裏手に便所がある。外にあるし多分ぼっとん便所だろう。流石に水洗トイレならここまで臭わない。確かに臭すぎるが、皆気にしてないので我慢する。これが大陸感覚か……。

 実際スッポン鍋は本当に美味しかった。スッポンの命に感謝感謝。

 

 今日は金曜日なのだが、今回は日曜日に帰国する予定なので、午後にはここを離れ、鄭さんの実家がある街まで連れて行ってもらった。鄭さんは普段会社の寮に住んでいるそうだ。

 夜は実家に用事があるそうなので、旅館にチェックアウトした後、一人で街の探索をする。車も人も交通ルールが無い様なもので非常に危ない。スーパーに入りビスケットとペットボトルの紅茶を買う。レジで会計したら値段が表示されたので支払う。これが中国での初買い物だ。

 紅茶はあり得ないほど甘ったるくて、しかも大嫌いな薄荷の味もして不味すぎた。こんなの每日飲んでたら糖尿病まっしぐらだろうな。

 

 寝る前に民宿の受付へ。

我要剃须刀(カミソリが欲しい)。」

 と話したら通じた。これがリアル中国現地人との初会話だ。きっと今日のことはずっと忘れないんだろうな。


 翌日土曜日、鄭さんは女性を連れてきた。眼鏡を掛けたチャーミングな子だ。鄭さんの彼女で、最近日本語を勉強し始めたらしい。勿論彼女の日本語レベルは私の中国語レベルを軽く凌駕していた。ただね。

「強姦とレイプ、一般的使ウノはドチラですか?」

 こんな事を聞かれたのには閉口した。何故それを訊く?日本語勉強し始めでしょ?一体どんな勉強をしているのだろう?

 でもこの日は楽しかった。香港映画でよく見るような現地の料理屋で、地元の人が食べる杭州名物の焼きそばを食べ、後は街を観光。鄭さんが彼女の為に沢山服を買ってあげていた。翌日2人は上海へ遊びに行くので私も上海まで連れて行ってもらい、空港近くのホテルまで送ってくれた。ここは片言だが日本語が通じるので、明日のチェックアウトも問題なさそうだ。

 別れ際、鄭さんよりお願いがあった。

「彼女の日本語の勉強の手伝いをして欲しいし、私達もビジネス関係なく友人になりたい。」

 勿論オーケーした。メールアドレスとスカイプを交換して別れた。

 

 翌日は特に問題なくチェックアウトし、ホテルが用意してくれたタクシーで空港まで行き、飛行機に乗り帰国。もう機内食も鶏肉か魚かは聞き取れるもんね!

 鄭さんとは、その後もメール等でちょくちょくやり取りがあったが、1年後に彼女が日本へ留学に行き、2人はすぐに別れてしまった。そして数年後彼も会社を辞め、怪しいマルチみたいな仕事を紹介されたので、関係は自然消滅した。今では連絡先も知らない。


 こうして2回目の中国出張も無事終えることができた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ