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アリスへの手紙  作者: まめ童子
2章
20/30

11話


 夏の馬車は暑い。今まで以上の苦行を強いられているヴィルヘルムは、この世の終わりのような顔で虚空を見つめている。


 一方、隣に腰掛けるヴィオラは、夏を迎えすっかり薄着になった上に白いシャツの襟元をときどき緩めるような動きを見せる男の謎の色香にすっかり当てられ、くらくらしていた。しかし淑女たる彼女の矜持(きょうじ)をもって、なんとか素面(しらふ)を貫いている。


 いつもならヴィオラからの誘いで出掛けることだ多いのだが、今日は珍しく、ヴィルヘルムの方から彼女を誘った。

 

 というのも、ここからいくらか離れたミグラスという名の市街――文明崩壊後もこの地域は辛うじて市街として保持されていた――で行われる夏祭りに出展する市に、魔王出現以前の文明時代の書物が出回るというので、それを求めてのことだった。


 千年を渡る方法の考案に行き詰まっていたヴィルヘルムは、とにかく情報を欲していた。


 魔術に関わる情報であればそれが一番いいが、あいにく文明時代には魔術が存在しない。なので直接利用できるわけではないが、少しでも参考にできそうな情報は多い方がいいということで、文明期の書物をこの機会に手に取ってみようと思ったのである。


 祝福の村にて巫女(みこ)が神託を受け、神々によって魔術が人々にもたらされて五十年程度しか経っていない。だがそれ以前にも神々への信仰はあり、彼らは確かに存在するとされていた。

 伝承の中には神々の起こした不思議な奇跡を(つづ)ったものもあるという。ヴィルヘルムはその「奇跡」に一縷(いちる)の望みを賭けてみようと、そう考えたのであった。


 だが、ヴィルヘルムは市街の地理に明るくない。しかも祭りという(にぎ)やかな場所に顔を出すのも久しぶりすぎるほどに久しぶりである。ほぼ引きこもり状態の人間が人混みに単身放り出されてはどうなってしまうかわからない。

 とても一人では行かれないということで、ヴィオラに泣きついた結果、今日の外出の予定が組まれたというわけだ。


 うだる暑さと閉塞感に朦朧(もうろう)としながら、ヴィルヘルムは横の淑女を見やった。疲弊(ひへい)する男とは裏腹に、彼女は涼しい顔で窓の外を眺めている。


 「――暑くないの?」


 (あっっっっっっついに決まっているでしょう!!)


 無自覚に自分を誘惑するかのような――否、暑さに思考が混濁(こんだく)しつつあるヴィオラにはそう思えるというだけのことである――男の仕草に淑女の意地で耐えていたヴィオラは今にもそう叫び出しそうであったが、無表情に彼を振り返ると、ふん、と鼻をならしてみせた。


 「心頭滅却ですわ」


 「暑いんじゃないか」


 それにしても今日は異様なまでに気温が高い。――このままこの密閉空間にいたら今朝方ふざけて擬態(ぎたい)していた焼売に、本当になってしまいそうだ。そう思ったヴィルヘルムは不意に身を起こして、馭者(ぎょしゃ)に声をかけた。


 「ごめん、先に行くね」


 突然何を言い出すのかとヴィオラが目を見開いた瞬間、彼女の腰元に男の腕が回り、ぐっと引き寄せられる。女が、あ、と小さく悲鳴を上げる間に、賢者は軽く指を鳴らした。

 すると、たちまちヴィオラの視界が歪み、身体を何かが()うような不気味な感覚に襲われる。不快感にきつく目を(つむ)った次の瞬間、すとん、と地面に足をつく感触が伝わってきた。


 「うん、やっぱり転移魔術は便利だね。気持ち悪いけど」


 ヴィルヘルムの言葉を耳にして瞬時に事態を把握したヴィオラは、自身にぴったりと密着した想い人の気配にとうとう気が狂いそうだった。焦って彼を見ても、こちらの気も知らないでにこにこしている。離してくれ、と言おうにも、あまりの状況に声が出せない。


 顔を真っ赤にして金魚のように口をぱくぱくさせている淑女の様子を目にすると、ヴィルヘルムは何を思ったか、その凶器のような美貌を彼女の顔に近づけて、茹で蛸のように色づいた額に手を当てた。


 「わ、ヴィオラ大丈夫? 熱気に当てられた? それとも酔っちゃった?」


 (貴方にね――!!)


 錯乱のあまりヴィオラは心の中でそう叫ぶと、もはや精神がもたず、気を失った。


閲覧ありがとうございます!

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