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アリスへの手紙  作者: まめ童子
2章
12/30

3話


 ヴィルヘルムがヴィオラと出会ったのは、一年ほど前のことだった。


 魔王が眠りにつき、ヴィルヘルムの激動の日々は唐突に終わりを告げる。


 はじめこそどうしていいかわからず静まっていた人々がやがて平和に少しずつ馴染(なじ)んでいく一方で、彼だけは訪れた静寂(せいじゃく)に一人、戸惑い立ち竦んだ。


 ――アリスがいなくなってしまった世界は、とても静かだった。


 眠っている彼女を置いて故郷に帰れるわけもなく、虚空を彷徨うような心地で日々を過ごしていたヴィルヘルムに唯一できたのは、アリスに宛てて手紙を書くことのみ。


 それだけが、この途方もない寂しさを埋めてくれた。


 けれど、それでも彼の心は徐々に(ふさ)いでいき、一年が()つ頃には食事を()ることもままならず、外にも出られない状態にまで(おちい)ってしまった。


 このまま死んでしまうのもいいかもしれない。けれど、そうなってはアリスとの約束は果たせない。


 そんなことを考えているだけで一日一日が(むな)しく過ぎていった。


 運命にアリスを奪われた怒りと、アリスがここにいない寂しさと、それにかまわず回っていく世の中への憎しみと、何よりままならない自分へのもどかしさで頭の中が()き乱され、精神は日に日に限界へと近づいていった。


 そんなとき、彼女は現れた。


 ヴィルヘルム自身、最早自分が眠っているのか死んでしまったのかもわからないほど精神が混濁(こんだく)していたある日のこと。


 長く来訪者もない彼の住まいは、荒れ果て、(ほこり)が積もり、空気も(よど)んでいた。


 衰弱(すいじゃく)した身体を寝台に横たえ、ヴィルヘルムは身動きもできず過ぎていく時を数える。


 朽ちていく空間に朽ちていく自身。


 いよいよ終わりを悟った瞬間、突如、視界に一筋の光が差した。


 誰か入ってきたのか、物音がする。それは段々と寝台の傍へと近づいてきた。


 朦朧(もうろう)とした意識の中、ぼんやりと見えた人影は姿形もよくわからない。


 けれど、どうしてか泣いていることだけはわかった。


 その様子が、()りし日の親友と重なって、ヴィルヘルムはどうにかこの人に泣き止んでほしくて、必死に手を伸ばす。


 すると人影は、弱々しく痩せ細ったその手を取った。


 長らく感じることのなかった人の温もりが(てのひら)から伝わり、ヴィルヘルムの胸がどくんと脈打つ。


 動揺する男の様子を察したのか、人影はさらにしっかりと手を握ると、「もう大丈夫」と確かにそう言った。


 優しく鼓膜(こまく)を震わせるその言葉がやけに心地よくて、そして何故だかわからないが、とても報われた心地がして、ヴィルヘルムは安堵と共に訪れた微睡みの中に、ゆっくりと落ちていった。


 あのとき、彼の手を取った者こそ、他でもないヴィオラである。


 これは後からわかったことだが、とある事情――それが何かは内緒らしい――でヴィオラは救世の賢者の行方を追っていたようだ。


 彼女はようやく彼が居を構えている地域を探し当てたのだが、近隣の者たちから、近頃、賢者を見かけなくなったという噂を聞き、何故だか胸騒ぎがして必死でこの家を探し当て、瀕死(ひんし)のヴィルヘルムを見つけるに至ったということらしい。


 今でこそ、その気性の荒さを全面に出しているヴィオラだが、出会った当初は実に淑女(しゅくじょ)らしい振る舞いで、献身(けんしん)的にヴィルヘルムの身の回りの世話をしてくれていた。


 必然的に共に過ごす時間が長くなり、はじめは話すこともままならなかった男が徐々に生気を取り戻してくると、次第に両者の間に会話が生まれてくる。


 他愛ない日常のことから、互いの考えていることについてまで、二人は様々、語り合った。


 ヴィルヘルムが話すことに、ヴィオラはその知的な水宝玉(アクアマリン)の瞳を輝かせて聞き入っていた。


 その様子に、しばらく忘れていた人の温もりを思い出し、男はようやっと己の命について、久々に実感したのであった。


 (僕は、生かされている)


 勇者アリスが眠っている今、魔王討伐(とうばつ)を預かる身として、この世界を見て、記憶できるのは賢者たる自分しかいない。一度は命を落としかけたが、何の因果かこうして生きている。自分は勇者によって選ばれた存在であって、神の思惑(おもわく)は関係ないと思っていたが、その実、この選定はこうなることを予見していた神の采配(さいはい)なのかもしれないとさえ思える。――ヴィルヘルムはそんなことを考えていた。


 彼が物思いに(ふけ)っていると、ごと、と音をたてて馬車が止まった。どうやら目的地に着いたらしい。


 「寝損ねちゃったな」


 「気絶せずに済んだということは案外、馬車も快適だったということかしら?」


 気怠(けだる)げな顔で不満を垂れているヴィルヘルムに悪戯(いたずら)っぽく笑いかけると、あろうことか誰より早く馬車を降りたヴィオラは、凛々(りり)しく男に手を伸ばす。


 「さあ参りましょう、ヴィルヘルム様」


 「――逆なんだよね、立場が」


 淑女はエスコートされる方なんじゃないの?と、そう苦笑いして賢者ヴィルヘルムは、命の恩人の、その頼もしい手を取った。


閲覧ありがとうございます!

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