中:毒沼家と大樹の使命
「ありがとうございます、若旦那様。着いて早々にお風呂を貸していただき・・・しかも、衣服まで」
「いや、申し訳ない。女性が来ると聞いていたので、女物の衣服しか用意していなくて。急遽、俺の服を用意したが・・・大きすぎたな」
肩幅も合わず、袖も持て余してしまうほどの長さ。落葉が年の割に体つきが小さいためか、大樹が他の男の比べ大柄だからか、はたまた両方か。ともかく、合わないのは仕方ない。それより初対面の下働きにここまでしてくれることが、ただただ嬉しいのだ。
「僕は、緑原落葉と申します。本来なら緑原華が参上する予定でしたが・・・その、倒れてしまいまして。急遽親族である僕が伺った所存です。準備していただいたのに、申し訳ございません。旦那様」
勿論、父からそう言えと指示されている。初対面でいきなり嘘をつき、隠し事を強要されることが、ここまで心苦しいのか。落葉は気付かれないよう、気を落としていた。
「君も大変だな、わざわざここまで来てくれてありがとう。ウチは見たとおり他の名家と比べて、都から離れてる山の中だから。色々不便をかけるかもしれないが、宜しく頼む。あと“若旦那”よりも“大樹”と呼んでほしい。名前で呼んでくれた方が、俺が嬉しいから」
「しょ、承知しました。大樹様」
そう言うと、彼は満足げに微笑む。後で服を用意しようという言葉にも、彼の優しさが垣間見える。寛大だとは聞いていたが、優しそうな人で良かったと、落葉はホッと胸をなで下ろしていた。
○
それから、落葉の毒沼家での日々が始まる。家事も無理のない量で、むやみやたらに仕事を増えないのがありがたかった。大樹は毒沼家として、この荒影山を管理するのが仕事らしい。その際の雑草抜きやら土地整備やらを手伝うのも、落葉の立派な仕事だ。
そんな仕事の傍ら、大樹は面白いからと、落葉に山の植物や動物を教えてくれる。今日も作業の途中で、とある花を見つけたようだ。
「見てみろ落葉、イチリンソウがあるぞ。ニリンソウも一緒に群衆してるな」
「わぁ!真っ白な花びらで綺麗ですね」
「そうだな。まぁ正確には、その白いのは花びら(=花弁)じゃないんだよな」
「えっ、違うのですか!?」
「あぁ、萼っていう部分なんだ。他の植物の萼は、花びらを支える緑色っぽい葉っぱ。でもこの植物は真っ白で、あたかも花びらのようにあるんだって。まぁこれらも全部、父が教えてくれた情報だけど」
こんな感じで、大樹の話を聞くのが、落葉にはとりわけ楽しかった。仕事をしているはずなのに、あたかも一緒に楽しく過ごしているような、そんな感覚になる。山のことを色々知っている彼は、本当に山神ではないか?とも思ってしまうほどだ。
それにしても驚いたのは、それなりに大きな屋敷だというのに、毒沼家には今まで使用人がいなかった。大樹曰く「ずっと自分たちで管理していた」とのこと。彼は育ての父と2人暮らしだったそうだが、父が長いこと屋敷を離れることになった。そうして1人で屋敷を管理することが難しくなったことから、下働きを募集したらしい。
「父は土地や農地開拓の専門家でね。この荒影山を綺麗に整備したように、国中の荒廃地を再生しようと、長い旅に出たんだ」
「荒影山を整備?」
「あぁ。そのお陰で、俺は今を生きられていると言っても良い。そもそもあの人がいなかったら、俺は死んでたはずさ」
かつての荒影山は酷く荒れていた。作物は全く育たず、水にはあたかも毒でも入っているのではというほどの異臭。周辺住民は「毒の沼があるんだ」と噂して、誰1人近寄ろうとしなかった程だ。
そんなおぞましい場所は、捨て子をするにはうってつけ。大樹は赤子の頃、この山に捨てられた。そんな彼を救ったのが、山を再生すべく足を踏み入れた、育ての父だ。
彼は大樹を育てつつ、必死に荒影山を再生していった。悪い噂に紛れて捨てられた汚物が悪臭の原因であると突き止め、まずはその処理から始める。他にも増えすぎた木をある程度伐採し、植物や動物が循環できる山を目指す。遂には山中でも農作が出来るほど改善したのだ。
やがて彼は大成して、この山を土地に持ち、土地に関する技術を備えた名家になった。その際、彼は全ての始まりを忘れぬよう、自らを「毒沼」と名乗るようになったという。
「毒の沼なんて、当然無かった。でも人々が広めていくほど、次第に真実として広まって・・・父はそれを恐怖した。人の先入観ほど、悲劇を生むものは無いからな。
その考えも是正しつつ、最終的には多くの人と自然が幸福に生きられるように、この使命に従事していきたいんだと。だから随分年なのに、この屋敷をおいてあちこちに飛び回ってるんだ」
素晴らしい人じゃないか。彼らを変人や罪人と言ったあの女たちに、この話を聞かせてやりたい。
「俺もあんな父を持ったからには、この荒影山をしっかり守っていきたい。まぁでも屋敷を守れないんじゃ、山も守れないだろうし・・・1人じゃ何も出来ないし」
アハハ、と笑う大樹につられて微笑む落葉。一方で彼の語った言葉よりも、その笑顔にずっとドキドキしていた。
●
その夜、落葉は縁側でボーッと夜空を眺めていた。大樹を知れば知るほど、彼に惹かれる自分に気付き、どこか戸惑っていたのだ。
(あんなに素敵な人がいるなんて、初めて知った。ここに来て、本当に良かった。ずっとここにいたいくらいだ)
まだ会って数ヶ月程だが、それでも好きになってしまったのだ。まるで乙女のような感情に戸惑い、そしてこんな感情を抱えて良いのか悩む。
緑原家のために生きるのが、自分の生きる意味。それを仕方なく受け入れていた、あの日々。この瞬間も自分は、彼らに利用されているに過ぎない。きっと適当なタイミングで、またあの家に戻される。そう思うと、とても虚しい。こんなに素晴らしい人と出逢えたのに、そんなのは嫌だ。
どうにかしたい、でもどうすれば?どうにもならないのでは・・・そう悩んでいると、後ろから誰かが近づいてきた。振り向かずとも分かる、彼だ。
「どうした落葉?疲れたような顔だが」
「あっ、いえ。別に大したことではありません」
そう言う時ほど色々抱えている状態であることを、大樹は薄々勘づいている。とはいえ踏み込みすぎると落葉を怖がらせると、すっと隣に腰掛けた。
しばらく互いに無言が続く。季節はすっかり夏、虫の鳴き声が2人の間に響くばかり。チラリと大樹の横顔に目をやれば、ふと彼と目が合う。それだけでも、ドキッと胸が高鳴った。
「・・・大樹様。僕はちゃんと、貴方に貢献できていますか?」
踏み込みすぎるのが怖いから。せめて必要である存在だと分かればいい。そんな思いで、落葉は随分濁らせて聞いてしまう。
「貢献?それって・・・下働きとして?」
「はい・・・今まで見てくださっていれば分かるように、僕は本当にひ弱です。貴方の望むとおりに動くことくらいしか、僕には出来ません。それに女ではないので、望んだ婚約も難しいかと。ですのでともかく、迷惑をかけていないかだけ知りたくて」
「俺は本当に充分すぎるくらい、感謝してるよ。下働き以上に大切だよ、落葉がいないと寂しく感じるくらいだ」
「えっ!?」
思わず声が出てしまった。そんなことを言われるとは、思ってもみなかったからだ。堂々と言って微笑む大樹に対し、言われた落葉は顔を真っ赤にしてしまう。
「何というか、その・・・君のことは何故か、放っておけなかったんだ。俺はずっと1人だったからか、誰かと懸命に接したくてね。それがここに来てくれた君のお陰で、叶えられているんだ。
ありがとう、落葉。これからも頼むな」
そう言われながら頭を優しく撫でられ、思わず目頭が熱くなる。「はい」と、涙ぐんだ声で懸命に返事をするしかなかった。
その後、目を赤くしてスヤスヤ眠る落葉を布団で寝かせ、隣でそっとあぐらをかく大樹。
「・・・大丈夫、お前だけが悩んでるんじゃないさ。俺はずっと狭い世界で育ってたからか、上手い距離感なんて分からないし。このやり方で良いのか、どこまで踏み込むべきか、どこまで明かすべきか、ずっとずっと悩んでる。失敗したら捨てられそうで怖い、お前を知った以上、1人になるのが怖いんだ。
俺は絶対に、お前を守る。幸せにしてみせるから。2人の速度で、これからも・・・一緒に、いてくれよ」
大樹の独白は、夜の闇に溶けていく。これを直接言えるときは来るのだろうか。それでも、この時間を幸せ。彼の寝顔を見つめ、愛おしげに髪をすくのだった。
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「下」は明日夜に投稿する予定です。