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interlude:ひとつ花

 お前は女とばかり遊んでる泣き虫だから。

 そんな幼稚な言葉の刃が胸に刺さって抜けなかった。幼さというのは残酷で、気まぐれに相手に消えない傷を付けることができてしまう。

「りょう君どうしたの?泣いているの?」

 公園の隅にしゃがみ込んで溢れ出しそうになる感情を必死に抑え付けていた僕を、君の声が優しく撫でた。

「あっちいけ」

「どうして?」

「……女と遊んでる奴は男の仲間じゃないから」

 僕は泣き虫で、弱くて、どうしようもなく愚かだった。

 だから自分に刺さった刃を引っこ抜いて、ただ自分の痛みをわからせるためだけに君に刺した。そんなことをしても自分の傷は消えないのをわかっていながら。

 黙ったまま去っていく君の背中を見ながら僕はようやく自分の愚かさに気づく。

 ただ一緒に遊びたかっただけなのに僕を仲間外れにした近所の子供たち。僕はあいつらと同じだ。

 隅っこにいる僕を見つけてくれて、声をかけてくれて本当は嬉しかったくせに、僕は君をわざと傷つけた。

 土と公園の外壁が交わる線に茂る雑草の上に、一滴二滴と雫が落ちる。それが涙だと気づいた瞬間に視界は滲み抑えつけていた感情が嗚咽と共に溢れ出す。

 悔しい。なんで皆あんなイジワルをするのだろう。どうして僕はあんなこと言ってしまったんだろう。ああまた笑われる。弱いって。泣き虫だって。みんなに馬鹿にされるんだ。

「これあげる」

 頭の上に響いたその声に驚いて顔を上げると、小さな手に小さな白い花を握りしめて優しく微笑む君がいた。

「……なんで花?」

 ぐしぐしと涙を不器用に拭いながら僕は枯れそうな声で聞いた。

「りょう君、泣いてたから。だから綺麗なお花あげる。はいどーぞ」

「男は……女みたいに花なんて……」

 幼稚で馬鹿みたいなプライドでそこまで絞り出した言葉。けれど最後まで言えなかった。突き放すには心が温かくなり過ぎてしまっていた。

「私はお花が大好き。だから私の大好きをりょう君にあげるの」

 太陽に照らされた君がニッと笑う。

 僕は全然笑えなかった。けれど壊れてしまいそうなほどか弱いその花が何よりも心強くて、ただ握りしめて泣き続けた。

 そんな僕を守るように君は僕の隣にしゃがみこむ。

 僕の涙は君の影が、僕の泣き声は蝉が隠してくれた公園の隅っこ。

 恋と呼ぶにはきっと幼なすぎる。小さな二つの膝小僧が隣り合って揺れた遠い夏の日の記憶。


 ◆


 かつての九月はこれほど暑かっただろうか。俺の認識では九月は秋のはずだったのに現実はただの夏だ。

 痛いほどの日差しに腕を焼かれ、諦めの悪い蝉の鳴き声に耳を貫かれ、なんかもうそういう類の地獄にいるような気持ちで自転車のベルを鳴らすと、数秒の後に勢いよく二階の窓が開いた。

「涼介もうきたの!?早くない?月曜だから気合い入ってる?」

「いつも通りだよ!遅刻するぞ!」

「オッケー!すぐ降りるから待って!三十分くらい!」

「なげえよ!」

 最後の言葉も聞き終わらないうちに窓がピシャッと閉じ、俺はため息をつく。

 数分後、「行ってきまーす!」と大きな声を出しながら玄関から飛び出してきた一花が俺を見てニッと笑う。その顔はずっと昔に見た気のする笑顔とそっくりで、それがなんか腹立つ。

「待たせたな!」

「いや、本当に待ったよ」

「ごめんって」

 へへへ、と特に反省する様子もない幼馴染と歩調を合わせて学校へ向かう。

 空は透明な青の色に澄んでいて、蝉が相変わらずめちゃくちゃうるさいいつもの道といつもの朝。

 なのに、カラカラと車輪の鳴る自転車越しに見たその見慣れた横顔にまた違和感を覚える。

「なあ一花、お前最近髪切った?」

「へ?別に、切ってないけど」

「なんか変わった気がするんだけど……他の奴にも言われないか?」

「別に言われないけどなあ。なんだろ」

 実は一花を見てそう感じるのは今に始まったことでもなかった。二学期の頭からか、夏休みからか、いや、もっと前からかもしれない。日を追うごとに大きくなっていくこの違和感の正体がどうしても掴めない。

 立ち止まってじっとその後ろ姿を見つめてみても、何が変わったのか俺にはわからない。本人も否定してるし周りの人間にも指摘されないなら勘違いなのだろうか……。

「ほらーいつまでもそんなところで止まってたら遅刻しちゃうよ!」

 一花が振り返って叫ぶ。その後ろからは登り始めた太陽が彼女を照らしている。

「あーうん。すまん」

 言葉とは裏腹に俺はどうしてもその場から動けないでいた。目の前にいる一花から目が離せない。

「ちょっとなんなのもー。なに涼介私に見惚れちゃってんの?」

 悪戯っぽい笑顔でそう言ってくるりと回った一花の制服のスカートに風が入りふわり揺れる。

 その一瞬、時計の針が遅くなったのか、俺の瞼のシャッタースピードが上がったのか、彼女の笑顔が朝日を受けて咲く花みたいにゆっくりと輝いて見えてしまった。

「んなわけねえだろ。アホ」

 幼稚で馬鹿みたいなプライドで絞り出した言葉。それは一花に向けられたものなのか、俺自身への言い訳なのか自分でもわからなかった。けれど今回はなんとか最後まで言えてよかった。

 心が早鐘を打つのがわかる。

 頭の中に溢れるれるもしかしてが、血流を早くしていく。

 もしかして、そんなことまずあり得ないんだけどもしかして。

 変わってしまったのはあいつを見つめる俺の方なのだろうか。

 あの日、君から貰った小さな花。僕の心を救ってくれたその花に、ありがとうも言わせてくれないまま君は僕の見えないところに行ってしまった。

 だからせめて二人だけの淡い記憶と想いだけは、心の奥の誰にも見えない場所に隠してずっと守っていこう。そう思っていた。

 それなのに、今一瞬だけ僕の世界に新しい花が咲いてしまった。

 それは、明るくて、そそっかしくて、すぐに人の尻を蹴ってくるくらい暴力的で、けれど本当は繊細で、眩しくて、君によく似ているはずなのに、君とは違う。そんな僕にしか見えない一輪の花。

 触れられそうなほど近くに咲くその花を、今度こそ、見失わないように。

 泣き虫だった頃より随分と大きくなったこの体を彼女の方へと強く一歩踏み出して、

「なあ、一花……」

「ちょっとなあに?本当に惚れちゃった?」

 手を伸ばす。

「…………うわっ、お前肩に蝉ついてんぞ」

「っっギヤァアアアアアア!!!!!」

 勇気は俺にはまだないみたいだ。

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