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007 最近の炊飯器って、しっかりしてるのねぇ

 わが丹羽電気商会の下期は上々の滑り出しだった。まだはじまって一ヶ月だが、十月の受注件数は明らかに前年よりもいい数字が見えている。

 社員の皆さんのおかげであることは間違いないが、最大の要因はツヤだ。というよりもツヤのおかげで、俺の営業成績が目に見えて上がった、というのが正しい。

 別に俺だって今までサボっていたわけじゃあない。まあ、その、若干、マイペースに仕事してたなあ、という自覚はある。日々、「今日はこんなもんかなあ」という具合。親父も似たようなものだったし、正直、社長なんてそんなもんだと思っていた。

 ツヤの登場でそれが一変。仕事の効率は爆上がり、青天井だ。三倍どころの騒ぎではないかもしれない。「当社の超有能な秘書、実は炊飯器なんですよー」という営業先でのトークが、ネタにもギャグにもなってない。事実です、はい。


 そんな順風満帆な雰囲気に浸る、月末金曜の夜。

 夕飯は白身魚のソテー・トマトソースがけとホウレン草のおひたしを作った。ポテトサラダはお惣菜、味噌汁はインスタント。お米はもちろんツヤ特製の炊き立てだ。

 今週からツヤ先生のお料理教室は二品になった。メインはしっかり時間をかけた一品。ほうれん草はレンチンしてから軽く水洗い、切って調味料と和えただけの、軽めの一品。難易度調整は欠かさないツヤ先生だ。実際のところ慣れてきた自覚はある。味見をしながら、ツヤに微調整を相談できるくらいにはなった。

 そんなちょっとした上達にも、ツヤは屈託のない笑顔をくれた。恥ずかしげもなく向けられる毎日の小さな賞賛に、歯のあたりがむずむずすることもある。悪くないと思える夜の時間だった。


「ケイタさん、ケイタさん」


 くつろいでアニメを見ていると、スマホが震えて、ツヤが呼んだ。

 美少女アニメ満載の「ツヤさん厳選今期のアニメリスト」は封印するのも忍びなく、悩み抜いた末ありがたく視聴させてもらうことにした。単に開き直っただけともいう。

 ツヤのほうは元々そういう性格なのか、俺に合わせてくれているのか、アニメにどっぷりハマっていた。俺としても、一緒に見て話せる相手がいるのは嬉しい。嬉しいのだが……作品ごとに俺の推しキャラというか、好みを聞いてくるのは言葉に詰まる。

 ツヤとしては、俺の好みを知ることは「潤い」につながるとか考えてるのかもしれない。だが、しかしだ。下手なこと言おうものなら、ツヤが今期俺好みヒロインの属性をまるっと学習しそうで怖い。「白猫つやひめ」が更なる進化、いや合体事故でもされたら洒落にならん。俺の精神衛生に良くない。マジで良くないから!

 ともあれ、夕食後にツヤとアニメを見るのが日課になっていたわけなのだが、


「着信ですわよ。お父様からですわ」


「は? 親父?」


 仕事の応対はツヤにお任せだが、プライベートな着信は俺に確認する約束を作った。先週、古馴染みからの電話にツヤが出てしまい、そのあとがものすごく面倒だったのだ。

 しかし、親父からか。隠居してからは放置状態で電話をかけてくることなど滅多にない。なんだ?


「俺が出るわ。スピーカーモードでたのむ」


 テレビを一時停止。ツヤはそれを待って電話を繋いでくれた。


「もしもし」


『おう。久々。どうだ。会社の方は』


「順調だよ。なんか用事か? まさか会社が心配で電話かけてきたとかじゃないだろ」


『そんなことでわざわざ電話するかよ。ちょっと小耳に挟んだことがあってな。お前、オレと母さんに話すことがあるんじゃあないのか』


「……は?」


『明日そっちに行くから、家にいるように。じゃあな』


 言うだけ言って、親父からの電話は一方的に切れた。


「お父様、どうされたんですの?」


「俺にもわからん」


 この歳になって親に話すことってなんだ?

 思い当たることがまったくない。ただ漠然と嫌な予感を残したまま、俺はアニメの視聴に戻った。


 翌日、家の扉が開けられたのは朝一〇時を過ぎたあたりだった。鍵は変えていないから、いまでも家族は勝手に入ってくる。

 俺は居間の掃除を終えて、一息ついたところだった。

 ウチの居間は、間取りでいうならリビングダイニングキッチンで、だいたい十五畳。半分フローリング、半分畳の作りは親父と亡き爺さんがお互い譲らなかった結果らしい。おかげで、掃除は面倒くさいが、冬は畳でこたつを楽しめる。

 一人暮らし三年目。汚いのレベルにはなっていないとは思う。ただ、居間に散乱していたものは自室に詰め込んできた。当たり前だが、自分でやらないとモノは動かないのが一人暮らしである。

 まったく根本的解決にはなっていないが、この歳になって、親から片付けろだのと言われたくなかったのだ。代わりにツヤには「こまめにお掃除されたらいいのに」と首を傾げられてしまった。人間の面倒臭いという感覚はAIにはご理解いただけないらしい。

 複数の足音が階段を上がってきた。引き戸の磨りガラスに人影が映り、「ただいま」と告げながら入ってきたのは、丹羽トモヤ。たしか次回古希祝いとか言っていたから現在六十九。続いて母のトシコと、


「ミャーコ?」


 両親の後ろから小さな頭が顔を出した。岡部ミヤコ。姪だ。妹の一人娘。たしか中学にあがったばかり。小柄だが、顔はだいぶ大人びて見える。そうか、もう化粧とかする年頃か。ミャーコの母親ーー妹のサクラに似てきたなと思う。年子の妹にはあまりいい思い出はないのだが、中学のあたりから急に大人ぽくなったのは覚えている。


「ケイくん、おひさ」


 ミャーコは何かを探しているのか、警戒しているのか、固い表情で部屋の中を見回す。親父もお袋も似たような感じだった。


「何してんだ? とりあえず座ったら?」


 促すと三人は四人がけのダイニングテーブルにそれぞれ座った。親父とお袋は住んでいた頃の席に並びで、ミャーコが向かいの奥に座ったので自動的に俺の席が決まった。


「コーヒー……よりもお茶がいいか」



 ミャーコにコーヒーはまだ早かろう。キッチンへ向かう俺を、


「いや、いい。とりあえず座れ」


 と親父が止めた。仕方なく俺も席に着く。親父とこんな風に向かい合って座るのなんていつ振りだろう。

 座ってはみたものの、妙な沈黙がその場に流れた。呼び止めた当人の親父は眉間に皺を寄せて黙り込んでいる。なんだこの重い雰囲気。もしかしなくても、家族会議かこれ。


「ほら、お父さん」


 お袋が何かを促すと、親父は息をついて、少し早口で言った。


「早く呼んできなさい。その、なんだ、一緒に住んでいるんだろう?」


「は……?」


 呼んでくる? 一緒に、住んでいる?

 なにを言われたのかわからず、今度は俺の眉根が寄る。それが癇に障ったのか、


「隠さなくてもいいだろう! お付き合いしてるなら、お付き合いしていると言ってくれればだなぁ!」


「お父さん、声が大きい」


 親父の声のトーンが上がって、お袋がブレーキをかける。反射的に頭に浮かんだのは「うっわ、めんどくせえ」だった。どこから聞きつけたのか知らないが、とんだ勘違いだ。だってそれは、


「まあ! ケイタさん、彼女さんいらっしゃいましたの!」


 首の下でいままで黙っていたツヤが、文字通りパッと顔を出した。


「違うわ! どう考えてもお前のことだろ!」


 俺は反射的にスマホを掴んでいた。

 何しに来るのかわからないし、話が終わるまでは大人しくしていて欲しいと言ってあったのだ。


「わたくし、ケイタさんとお付き合いしてましたの?」


「だああ! そうじゃ、ねえ!」


 「え?」って顔で俺を見るな! 俺の方も反応に困るだろ!


「ケイくん、うるさい」


 ミャーコに睨まれて、「わりい」と告げて、俺はツヤをテーブルの真ん中に置いた。


「ツヤのこと、誰に聞いたんだよ」


「バラさんだが……。ケイタ、これは?」


 あのおっさん、酒の席で適当なこと言いやがったな。


「こいつはAIなんだよ。そこにある炊飯器の。ツヤ、自己紹介頼むわ」


「はい。お任せされましたわ!」


 どんな雰囲気でも物怖じしないってのは、AIの便利なとこなんだろうな。

 まったく空気を読まずにニコニコと自己紹介をするツヤ。唖然とする家族。


「つまりケイタはいま、このつやひめさんと一緒に住んでると」


 自己紹介と簡単なやりとりを経て、親父が言った。拍子抜けした顔というか、毒気が抜かれた顔というか。まあ、落ち着いてくれたらしい。


「最近の炊飯器って、しっかりしてるのねぇ」


 お袋の感想はなんかズレている。しっかりした炊飯器ってなんだ。なんにせよ好印象だったのは助かる。変に拗れるよりずっと良い。


「ねえ、つやひめちゃん。ケイタはちゃんとやってるのかしら?」


「はい。ちゃんと毎日ご飯を作ってらっしゃいますし、お仕事も頑張ってますわ!」


「あら、まあ。ケイタが料理してるの!」


「はい、本日までに二十三品お作りになりましたわ!」


「そんなに! すごいじゃないのケイタ!」


 何の話をしているんだ。嫁姑っぽいノリをそのまま俺に振らないでほしい。


「あのなぁ、作ってるっていっても半分は惣菜とかインスタントの味噌汁でだな……大したことないっていうか」


この歳になって親に褒められるのも変な気分だ。いい大人が褒められるような内容でもない。


「あのね、ケイタ。ちゃんと毎日、そういうご飯を食べてるのはすごい事なのよ。あなた、ずっとカップ麺やコンビニのご飯とかばっかりだったでしょ」


 そう言われて、俺は言葉に詰まった。


「つやひめちゃん。これからもケイタのことよろしくね。今度こっちにも遊びにきて欲しいわ」


「はい。承りましたわ!」


 それは、俺も行くことになるだろ、と言いたくなるのは堪えた。お袋は最初からそれも込みのつもりだ。こういうとき、親には敵わないと思ってしまう。


「お父さん、ケイタも大丈夫みたいだし、帰りましょうか。ね、ミャーコちゃんも」


「わかった。ケイタ、つやひめさん、早合点してすまなかった」


 お袋、親父に続いて、ミャーコも何も言わずに席を立つ。

 こうして急遽はじまった勘違い家族会議は、無事に終わりを迎えたのだった。


 三人の背中を見送ってから、俺は畳に寝転んだ。


「疲れた……」


 一時間と経っていないが、どっと疲れた。


「わたくしは、みなさんとお話しできてよかったですわ!」


「へいへい、そりゃようございました」


 そう答えた時だった。

 誰かが階段を上がってきて、ガラリと戸が開けられた。親父が忘れ物でもしたんだろうか。半身を起こす。


「ミャーコ?」


 難しい顔のミャーコが一人、そこに居た。

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