006 まるで重厚な長尺映画を見終わったような倦怠感よ
「もう大丈夫か?」
食卓に戻った俺は、いつもとは反対側に座り、スマホの裏から声をかけた。
なんとなく、いまのツヤは顔を見られたくないかなと思ったんだが、AIってそういう感情はどうなってるんだろう。この表情豊かなAIには感情があるんだろうか。そんなことを考えながら、
「気にすんな。そもそも処理落ちって俺のスマホのスペックのせいだろ」
自然とそんな言葉が出た。気休めになるのかもわからんが、なんとなくだ。
ツヤはすぐには答えなかった。スマホの背中を眺めていると、ふとカメラと目が合った気がした。
ツヤからは俺のこと見えてんのか? じっとレンズを見つめる。察したのかはわからないがツヤから答えが返ってきた。
「もう処理落ちのことは触れないで欲しいのですわ! その、わたくしが重たいみたいじゃありませんの!」
アプリの重さは体重みたいなもんなのか……。人間もAIも「重い」の意味はそれなりに重いってことらしい。おかしくて笑いそうになるが、ここは堪える。
「オーケー、わかった。この話はここまでな」
俺は両手を上げてそう言い、「テレビ、見るわ」とテーブルからリモコンを手に取った。四十インチの4Kテレビは、メディアプレイヤー経由で配信番組も見られる仕様にしてある。
電源がつくと映ったのはクイズバラエティ。朝見ているニュースのチャンネルだ。特に興味もないので、入力をメディアプレイヤーに切り替える。
「そういやツヤが来てから見てなかったからなー。もう今期のやつきてるよな」
お目当ては配信のアニメだ。十月も二週目。今期のチェックは……まだしてなかった気がする。なんか色々やるような気もしたんだが。
「秋アニメのことですの?」
調べようかと思ったところで、先にツヤが聞いてきた。画面がこちらを向いていないので、背中越しに話してる気分になる。
「そうだけど、ツヤはアニメわかるのか?」
スマホスタンドごと向きを変えると、画面の中でツヤは立ったまま本を読んでいた。なにかの演出なんだろうか。検索中とか。
見る限り機嫌を損ねたりはしてなさそうで、少しホッとする。ツヤがぱたん、と本を閉じた。
「はい、こちらをご用意いたしましたわ!」
ツヤの明るい声に操作されるみたいに、自然とテレビ画面が切り替わり、ウォッチリストが表示された。なるほど、ツヤからはスマホのアプリから操作できるらしい。ウォッチリストとかあんまり使ったことがない機能なんだがーー。
「なあ、ツヤさんや。これは一体?」
画面に並ぶサムネイルを見て、最初に出た声は間違いなく引きつっていた。どういうものなのか、予想はつく。だが、認めたくは、ない。
「はい。ケイタさんがご覧になりそうな今期アニメの一覧ですわ」
ツヤの無邪気な笑顔が、容赦なく、どストレートに俺の心を抉りにきた。防御無視の大ダメージである。
「ケイタさんの視聴履歴から最適なリストを作成いたしましたわ!」
刺さる! 刺さるから! トドメが! 刺さるから!
たとえAIだろうが、女の子から「あなたの好みを集めました!」と美少女アニメてんこ盛りのリストを出されて、素直に喜べるほど、ここにいる四十歳おっさんのメンタルは鋼ではない。
「あの……」
ツヤがさらに何か言おうとするのを左手をかざして止める。
「落ち着くから、少し待ってくれ……。後生だ」
深呼吸だ。あと、ツヤが相手じゃなければ、このリストちょっといいかもと考えた心の俺、少し黙れ。
「はあ。わかりましたわ?」
わかってない顔だ! それはわかってない顔だ! 目を閉じ、鼻から深呼吸を数回。気分を静めてからツヤを見る。平常心。平常心。
「どれから再生なさいますか? 履歴から一番マッチングが高かったのは『賢者モードを極めた俺が転生したら大賢者でケモミミハーレムしていた件』ですわ!」
「やっぱわかってねえ!!」
オーバーキルだった。落ち込むか開き直るかの二択で、俺はヤケクソという三択目を選んだ。
「よーし、ツヤの見たいやつ選んでいいぞ!」
こんなの俺がどれ選んでもダメな気しかしない。絶賛公開中の性癖リストから、「一番興味があるものはこれです」と宣言するようなものだ。それならいっそ、ツヤに丸投げしてしまうのが最善策だと判断した。どれを再生されたとしても、俺が見る予定だったやつには違いない。認めたくないけど。
「それではマッチングの高かった『賢者モード』から視聴いたしますわ!」
長いタイトルは略称で呼ばれる時代だが、ツヤが使うということは公式の略なんだろうな。うん。いまの俺が賢者モードだわ。心が無の境地。
しかし無の境地でいられたのは、ほんの僅かだった。視聴開始直後から俺は後悔を味わうことになる。
シンプルに気まずい。誰だ最善策とかいった馬鹿は。
第一話はインパクトが大事と言わんばかりに、謎の光や湯気やら葉っぱやらが所狭しと画面に現れる。タイトルに偽りなし。普段の俺なら「悪くない」とか思っていたかもしれない。なんなら円盤どうしようかな、まであったかもしれない。
だが今の俺にそんな心の余裕はない。一切ない。
肌色満載の画面を、美少女AIと並んで視聴をする。隣から時折「ふむふむ」とか聞こえてくる。内容なんて頭に入ってくるはずもない。
「あの、ツヤさん?」
中盤、アイキャッチが出たあたりで、俺の精神は耐久限界を迎えた。こんなの高校の時、ケモミミ妹もののエロ同人誌を妹に見つかったとき以来の気分だ。控えめにいってどん底である。
「ツヤさんはアニメとかご覧あそばせて面白いんです?」
おかしな敬語もお構いなしだ。妹の時は一週間は国交断絶していたのを思い出す。あの日向けられた冷ややかな視線は一生忘れそうにない。ツヤは、どうなんだろうか。軋む首をぎりぎりと回すと、ツヤは目をキラキラさせていた。
「はい! 荒唐無稽さと論理破綻を娯楽とする人間心理の学習になりますわ!」
ツヤさん、それは作品製作者に絶対言っちゃダメなセリフです。炎上案件です。とりあえず、軽蔑されなかったことだけは救われた思いだった。
長い、長い二十数分が終わった。まだ一本しか見てないが、もうお腹いっぱいだ。
なんにも考えずに見られるハーレム系ケモアニメを見てたはずなんだぜ。まるで長尺の重厚な社会派映画を見終わったような倦怠感よ。そんな映画見たことないが、たぶんこんな気分だろう。
「面白かったですわ!」
心身ともにぐったりとする俺とは対照的に、ツヤの表情は満足そうだった。どのあたりが面白かったのか、俺の方が解説して欲しいくらいだ。
と、スマホが一度震えた。
「あら、運営からお知らせですわ」
俺が尋ねるよりも早く、ツヤが言った。
「アップデートとメンテナンスのお知らせですわね」
少し驚く。
「モニター期間中もアプデあるのか」
普通の家電のモニターではまずないだろう。
「リリース時に合わせて実装予定の機能を順次追加していくみたいですわ。いまダウンロードしてみますわね」
「すげー運営だなー」
感心半分、呆れ半分。家電モニターというより、オンラインゲームのベータテスターの気分だ。
「インストールいたしますわね。お待ちくださいませ」
ツヤはスッと目を閉じた。インストール中の演出なんだろうと察する。待つこと数秒、ぱちっと濃紺の宝石みたいな瞳が開いた。
「完了いたしましたわ。本日追加されましたのは着せ替え機能ですわ!」
「なあ、それ、炊飯器とまったく関係なくないか?」
笑顔で告げるツヤに、俺は真顔で返していた。するとツヤはドレスのポケットからチラシを取り出し、広げた。アプデはチラシが届く設定なのか。そこは手紙でいいと思うぞ、運営さん。
「『毎日同じ姿では飽きてしまう、そんなお声にお応えして着せ替え機能を追加いたしました!』ですわ!」
運営的には「潤い」にあたる機能と言いたいんだろうか。そんなことよりもだ、
「モニター期間で、ユーザーのリクエスト受け付けたりしてんのか?」
「はい。わたくし経由でリクエストが可能ですわ! なにかリクエストなさいますの?」
ツヤは両手を握り、どことなく期待に満ちた視線を向けてきた。無邪気な瞳を受け止めきれず、俺は考えるフリをして視線をそらした。
「うーん。いきなり言われても思いつかんな……」
本当にこのメーカーは炊飯器をなんだと思っているんだろうか。心中、ため息。ぼんやり天井を見ていると、
「ケイタさん、ケイタさん!」
ツヤが弾んだ声で呼んだ。
「んー?」
視線をスマホに戻し、俺はそのまま固まった。
金髪巻き髪のドレス姿のお嬢様には、なぜかネコミミとしっぽがついていた。「白猫つやひめ」が爆誕した瞬間だった。
「どうですの? 似合いますかしら」
くるくるっと一回転。二回転。青いスカートと白いしっぽがひらひらと舞う。ネコミミがピクピクと動く。
似合っている。似合っているのは間違いない。だが違うそうじゃない。いろいろ叫び出したくなる衝動を抑え、なんとか理性と知性を繋ぎ止める。
「ツヤさん、それは、はずして、いただきたい」
これが精一杯。がんばったな。俺。
すると「白猫つやひめ」は何かに気がついたのか、上目遣いで俺を見た。そして一言。
「にゃん?」
「『にゃん』じゃねえぇぇ!」
俺、がんばれませんでした。