005 幸せとか急に言われてもな……
「長い、一日だった……」
夕飯の洗い物を片付けて、俺は食卓に突っ伏した。とりあえず動きたくない。
時計は二十時を回ったくらい。
仕事上がりから自炊をやりきった俺。本当に頑張った。
今日の献立は和食の定番、鶏の照り焼きだった。
聞いた時は無条件に「難しそう」と思ったものだが、ツヤ先生のお料理教室は初心者のおっさんでも作れるものをチョイスしてくれているらしい。
下拵えを済ませた鶏もも肉を、皮目を下にして押しながら焼く。余分な油は拭き取る。手際がいいとは決して言えないまでも、苦心の末いい感じの照り焼きが完成した。自分で「おお!」と声に出すくらい。お世辞半分でも「お上手ですわ!」と褒められると悪い気はしない。お料理教室婚活があるのも、なんかちょっとわかる気がした。
鶏の照り焼きにちぎったレタスとミニトマトを添えて、買ってきたひじきの惣菜を盛り付けた小鉢と、インスタントの味噌汁が並ぶ。作ったのは一品でも見た目に豪華な夕食が出来上がる。
茶碗のご飯は朝炊いたもの。保温モードでも、炊き立てと遜色ないくらいの味だった。ことお米に関する話題は三割り増しで饒舌になるツヤ先生。褒めたらドヤ顔で、スチーム機能やらお米モニタリング機能やらを語ってくれた。ツヤも褒められたら嬉しいとか思うんだろうか。
しばらく突っ伏していると、
「おつかれですの? ケイタさん」
つむじのあたりにお気楽な声が届く。スマホスタンドに乗ったツヤだ。
顔を上げると、ツヤはこっちに背中を向けてエプロンを脱いでいるところだった。
AIにその演出は必要なのか。疲れた頭の片隅でそんなことを考えていたところで、ぼーっとツヤの後ろ姿を目で追っている自分に気がつき、なんとなく視線を逸らす。
「誰のせいだと思ってんだ、まったく」
誤魔化しついでに、思わず愚痴が口をついて出た。
朝から大騒ぎで始まった一日は、仕事終わりまで心休まる暇はなかった。
午前中はツヤの無双状態だった。入力するだけの仕事や、定型文ですむメール返信はツヤが片手間に済ませてしまう。見積書、納品書の作成もお手のものだ。俺的には一日かけてやる予定だった仕事が、あれよあれよという間に消えていく。
俺の方は判断業務と肉体仕事を任された。「どちらにいたしますの?」「こちら郵送手配をお願いいたしますわ」てな感じで次から次に業務処理させられていく。さながらシューティングゲームか、トランプのスピード。早押しクイズか? ともあれ普段どれだけマイペースに仕事してたのか思い知らされた気分だった。
ようやく迎えた昼休み。ベテランの皆さんは、自宅で食べたり馴染みの店に行ったりで、社長兼下っ端の俺は大抵一人で昼休みを過ごしている。立場は社長でも俺からしたら皆さんは偉大な先輩だ。気を遣わなくて済むので一人はぶっちゃけありがたい。
配信動画を見ながら、いつものように優雅なボッチ飯を楽しむーーつもりだったのだが、今日はスミレちゃんの姿があった。
普段ならスミレちゃんもランチは外だ。俺の知る限り、事務所で食べたことは一度もない。そんなスミレちゃんは正午になるなりダッシュで飛び出し、数分後、ファストフードの袋を持って帰ってきた。
午前中の激務ですっぽり頭から抜けてたが、なんか昼休みまでお預けとか言った気がする。スミレは俺を見てグッと拳を掲げた。
「モバイル、オーダーっす! 現代っ子なめんな、っす!」
息を切らせつつ、いい顔で言うようなセリフじゃないだろ、それ。
人間ふたりAIひとりの事務所。ツヤをスミレちゃんに渡して、俺だけ別々に食べるのも具合が悪い。三人揃って打ち合わせ机で初ランチをすることになったーー。
思い出し、ついぼやく。
「若いよなあ……」
昼間のスミレちゃんは、テンションが振り切っているというか、情熱がバチバチに漏電してるというか。いろんなものがダダ漏れだった。
「スミレさんって面白い方でしたわね」
当事者の一人だろお前も。他人事みたいに。
「よく、面白いの一言で片付けられるな」
ツヤは初日にしてスミレちゃんと随分仲良くなった。いや、一方的に仲良くなられていた、か。
テーブルにつくなりの質問攻め。ガールズトークとメカオタクトークが脈絡なく混じった言葉のマシンガンが炸裂する。常人なら間違いなくドン引きものだが、そこは高性能AI。ツヤは、スミレちゃんのぶっ壊れたテンションとハイスピードトークにも涼しい顔で付き合っていた。なんか一緒になってキャーキャー言ってたし。
話に全くついていけないおっさんは完全なアウェー。弁当うまいなとか思いつつ、仕方なくつけた昼のワイドショーを眺めたりしていたのだが、そんな俺の弁当を見てスミレちゃんのテンションはさらに爆上がりしていた。ゲージを振り切ってなおぶっちぎっていくテンションは、はっきり言って狂気と大差ない。怖いから。マジで。
「はぁ……」
俺はため息まじりに立ち上がる。「明日もランチ楽しみっす!」とか言ってたし、スミレちゃんはしばらくあんな調子なんだろうか。俺の平穏なボッチ飯はどこに。
「どうかしましたの? 明日のお弁当の準備にはまだ早いと思いますわ?」
俺がキッチンに向かうと、ツヤはわざわざ炊飯器の方に移動してきた。
「ちげーよ。コーヒーだ」
なんならランチのことは明日まで忘れたいくらいだぞ。
ヤカンに水を入れて、ガスコンロにかける。まあまあ古い家なのでキッチンも昔ながらのガスレンジタイプ。お湯が沸くまでの間、マグカップにインスタントコーヒーを適当に入れて待つ。ツヤも付き合って、炊飯器の中で椅子に座って脚をぷらぷら振っていた。
「わたくしもコーヒーを淹れられたらよかったのですわ。ケイタさん、お疲れなのに申し訳ございませんわ……」
少し残念そうというか、しょんぼりしてるというか。そんな感じでツヤが言った。
「いや、淹れられたらホラーだぞ」
AI暴走かポルターガイストか。前者はすでに半分くらい疑わしいけどな。……ドローン買ったらツヤならいけるんでは、という気がしなくもない。まさかコーヒーを炊飯器で淹れるつもりじゃないだろうし。
「そうですわ! スミレさんに来ていただけばよろしいのでは!」
名案閃いた、みたいに言うツヤ。閃くな。それは迷案だ。
「お前は俺をいろんな意味で殺す気か」
バイトの大学院生でベテラン社員の孫娘が、アラフォーで社長のおっさん一人暮らし宅に転がり込んでいる、なんて社会的に死ぬぞ。あとスミレちゃんがうるさすぎて、俺がストレスで死ぬぞ。
「今年の統計でも年の差婚は一定数いらっしゃいますし、スミレさんもナシ寄りのアリとおっしゃってましたわ!」
なんで食い下がってきた!?
「だからナシ寄りのナシだ! お前はいつからマッチングアプリになったんだ?」
「わたくし、ケイタさんの幸せのためでしたらマッチングアプリにもなりますわ!」
妙なことを言われた気がした。
「あん? なんだそれ?」
俺の幸せなんてどっから出てきた話だ。初耳だぞ。
「わたくしのコンセプトは『あなたの生活に美味しいご飯と潤いを』ですわ。潤いというのは幸せという意味ではありませんの?」
炊飯器の中でツヤが首を傾げる。
こいつはまた難しいことを……。言われて思うが、こういうフワッとした開発コンセプトって無責任すぎるだろ。使い方はあなた次第! みたいな。なんとなくいい感じに見えて、実行する側はどうしたらいんだってなるやつ。
「潤いも幸せも簡単に言葉にできるもんじゃないと思うぞ、俺は」
ヤカンの蓋がカタカタとお湯が沸いたのを告げる。火を止めて、ゆっくりとカップに注ぐ。溶けるコーヒーが泡立ち、膜みたいな層を作る。安っぽいコーヒーの香りは嫌いじゃない。
ツヤはうつむいて、なにやら考え込んでいるみたいだった。少し難しいというか真剣な表情に見える。AIの思考ってどうなってるんだろうか。思考じゃなくて演算か?
ツヤはすぐ顔を上げた。
「では、ケイタさんは最近幸せを感じられたことありますの? 言語化が難しいのであればヒントが欲しいのですわ」
難しいとか思ってたところを、聞いてこられてしまったわけで。幸せ……。幸せ?
「幸せとか急に言われてもな……」
コーヒーをかき混ぜながら考える。幸せの感覚ってどんなだ。最近の自分を思い返そうとしたが、ツヤが来てからの衝撃が強すぎる。ツヤの声やら顔ばかり出てくる。ただ感動したことには思い当たった。ちょっと悪戯心もわいた。少し仕返ししてやろう。
「はじめてツヤのご飯を食べたとき、かな」
そう言って、俺はカップに口をつけた。はじめてツヤの炊いてくれた米を食べた瞬間、間違いなく俺は感動した。それが幸せだったのかと言われると断言はできないが、胸に感じるものがあったのは嘘じゃない。
あとなんとなく、ツヤと一緒の食事は、ただ空腹を満たす行為とは違っているように思う。ただ、これは俺も恥ずかしいから言わない。
さて、どう返す? まだスミレちゃんのこと推してくるか? コーヒーを飲みながら出方を待つ。
少し、部屋が静かになった。
無言?
返事が来ないので炊飯器を見ると、ツヤは顔を赤くして固まっていた。
「ツヤ?」
呼びかけるとハッとして、ツヤは俺を見た。
「あ、あら? わたくし?」
え、なに。フリーズ? AIってフリーズすんのか?
「大丈夫か?」
ツヤは驚いた顔できょろきょろとしてから、疑問符を浮かべたような表情になり、頬を膨らませて再び俺を見た。百面相かよ。
「もう! ケイタさんが変なこと言うからですわ!」
そう言い残すと、ツヤはプイッとそっぽを向いて炊飯器から姿を消した。
怒らせたか? いや、AIって怒るのか? 俺はそんなことを思いながら、カップ片手に黙って食卓へ向かう。
少し間があって、スマホの方から声が聞こえてくる。
「ちょっと、処理落ちしちゃっただけですのよ!」
ツヤの声はなんか言い訳みたいに聞こえた。AIの処理落ちってのは多分恥ずかしいジャンルなんだろうなと、俺はなんとなく察した。