004 ナシ寄りのナシだ、阿呆!
仕事開始から30分。予感は早くも的中し始めていた。
俺は営業以外に総務と経理を担当している。一人で何役もこなすといえば聞こえはいいが、ただの零細企業あるあるだ。親父の営業業務とお袋の事務仕事を両方引き継いだのが俺だったと言うだけの話。他の仕事は経験値と専門性が物を言う分野で、こういっちゃなんだが俺では代行もできない。
もちろん総務・経理だって専門知識は必要だ。そこらへんの難しい仕事は付き合いの長い税理士や社労士の事務所へお願いしている。そんなわけで俺がやっているのは、素人がパソコン標準搭載の表計算ソフトでこなせる程度のもの。シートに数字を打ち込んだり、帳票をつくったりとか。
わが丹羽電気商会は身の丈経営の方針でやっていて、常客だけでも現状維持はできる。社長の肩書きはあるものの経営者っぽいことはあまりやっていない。とはいえ別に暇というわけでもなく、なんだかんだとこなしていれば一日仕事……だったのだが。
「フォルダの整理とファイルの名前変更作業終わりましたわ。あと本日までのメールの仕分け作業もできていますので、確認お願いいたしますわ、ケイタさん!」
ツヤの申告に、俺は伝票整理の手を止めた。
ツヤはパソコンに接続するなり、さっそく仕事をはじめた。単にスマホを有線接続しただけなのだが、それだけでいいらしい。
ツヤは口頭で仕事の内容、ファイルの種類、利用ソフトとか、俺にあれやこれやと聞いてから「まずはお掃除からやっちゃいますわね!」と告げた。どこからか箒を取り出し、ふりふりのドレスと巻いた金髪を揺らしながら、ごきげんな鼻歌混じりに掃除を始める。掃除はメイドに任せるのがお嬢様なんじゃないのかと思いつつ、とりあえず任せてみることにした。パソコンが使えない俺は紙の伝票整理。今日は急ぎの仕事はないし、手戻りがあっても問題ない、くらいに思っていたのだが。
それからまだ一〇分くらいしか経っていない。
「え、マジですか?」
「はいっ、マジですわ!」
既視感のあるやり取りをしながら、俺はパソコンを確認。事務作業用のパソコンは俺以外使わない。結果デスクトップにはアイコンが増殖し、本人以外はわからない地図のようになっていたはずだ。フォルダ構成だって、お世辞にも整理されているとは言い難い状況だったわけだが……。
「わが社はルート営業が中心のようでしたので、顧客別フォルダを軸に、年代別、案件内容別に階層化してありますわ。年代別、案件内容別については表計算ソフトで別にインデックスを作成いたしましたのでそちらから参照もいただけますわ」
なんということでしょう。カオスなゴミ捨て場のようだった仕事部屋が、匠によって仕事のできるプロのオフィスに生まれ変わったのです。ウソだろおい。
ツヤの高性能ぶりは、二日間暮らしただけで十分過ぎるほど理解しているつもりだったが、そんなレベルじゃないぞ。これは。
「あの、ケイタさん。不手際などございましたかしら?」
スマホスタンドの上から、ツヤが不安そうな目を俺に向けている。仕事ぶりが完璧すぎて眩暈がするレベル。文句などつけようもない。何を不安がることが……あ、俺が何にも言わないからか。
「いや、すごすぎてビビっていたというか、なんというか。お前、炊飯器だよな?」
まさか事務仕事はいつのまにか炊飯というジャンルの一部になったんだろうか。これからの炊飯器は事務仕事機能標準搭載になっていたりとか。
「今朝もごはん炊いたばかりですわよ?」
「うん?」とツヤは首を傾げて答えた。話が絶妙に噛み合っていない。どう伝えたものか。言葉を探していると、事務所に明るい声が飛び込んできた。
「おっはようございまーっす!」
現れたのはバイトのスミレちゃんこと、山本スミレ。二十二歳。機械工学専攻の大学院生だ。やや丸顔で小動物のような無邪気な瞳は、高校生かと思うくらいには童顔。丸メガネがさらに幼く見せている。ところどころ黒が混じった茶髪をポニーテールにまとめ、デニムジャケットにスカート、下に柄物のティシャツとラフな姿。小柄だが、胸はそこそこ大きい。
スミレちゃんは、バラさんコモさんと挨拶を交わし、俺のデスクまでやってきて元気に頭を下げる。
「社長! おはようございまーす!」
「おう。おはよう」
「おはようございますわ!」
挨拶はひとつ、返答はふたつ。スミレちゃんがビクッとしてキョロキョロと左右に首を振る。スマホスタンドは俺のほうを向いているから、スミレちゃんからツヤの姿は見えない。
「なんすか!? いまの可愛い声は!」
食いつきいいな、おい。俺はケーブルを繋げたまま、スマホスタンドをスミレちゃんに向けた。
「ツヤ、自己紹介」
丸投げを決め込む。そこらへんは阿吽の呼吸。ツヤのほうも想定内だ。
「はじめまして、わたくしケイタさんのパーソナルアシスタントAI、つやひめですわ!」
俺からは見えないが、上品におじきをしてみせた、と思う。スミレちゃんはスマホを無言で見下ろすばかり。反応はない。固まってる?
「あの、スミレちゃん?」
俺の声にハッとして、スミレちゃんはしゃがみ込んでツヤと目線を合わせた。
「なんすか! なんなんすか! どちゃくそ可愛いんですけど! つやひめちゃんてAIなんすか!? なんかのゲームすか!? 課金兵すか!?」
食いつき怖いな! おい!
「はい。わたくしAIですわ! ゲームではなく炊飯器のAIで、レアリティはSSRをやっておりますわ。ベータ版なので課金は未実装ですの」
SSRってやるものなのか。職業的な感じなのか……?
ギラギラした目にも怯まず、明朗に答えるツヤ。スミレちゃんはバッと立ち上がると、デスク越しにずずいっと迫ってきた。近い。
「社長!」
近い!
「わーった、説明するから、そっち座れ!」
再び打ち合わせテーブルに。ツヤをテーブルに置き、本日二度目の経緯説明は、自分でも慣れたのかスラスラと言葉が出た。
スミレは説明中も視線はツヤに釘付けだった。
「すごいっすね。ウチの研究室も設計サポート用のAI入れてますけど、こんな自然な感じでコミュニケーションなんてできないっす。アバター配信者も真っ青っすよ、こんなの」
スミレちゃんは真剣な顔でツヤを観察している。ツヤはなぜか画面の中で椅子に座って紅茶を飲んでいた。無駄演出……。
「開発コンセプトは『あなたの生活に美味しいご飯と潤いを』ですわ!」
ドヤ顔でVサイン。このAIノリノリである。
「わかりみが深いっす! 社長! つやひめちゃんどこで買えますか!」
「売ってねえよ。発売前モニター中だって言ったろうが」
話聞いてねえし。テンション上がりすぎだろ。
「ぐぬぬ……。推したいくらい可愛いのに……」
年頃の娘がギリギリするな。炊飯器のAIですら推すのか、最近の大学生は。
「はっ! 社長のスマホを貰ったらいいんすね?!」
スミレちゃんが天啓でも得たかのように、テーブルを両手で叩いて叫ぶ。
「やらねーよ。人のスマホ強奪すんな」
冷静にツッコむと、スミレちゃんは真剣な顔で俺を見る。
「そしたら、社長の家で暮らすしかなくないっすか? 私的にはナシ寄りのアリっすけど」
「ナシ寄りのナシだ、阿呆!」
スミレちゃんは、いま現場に出ているヤマさんの孫で、俺も子どものころから知っている。感覚は親戚の子に近い。小さい頃から機械大好きっ子で、いまではオリジナル内装機械も制作してしまうスーパーアルバイトだ。いつの間にか頭のネジが数本外れてしまったか、数本増えてしまったか。どうしてこうなったのやら。
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「とりあえず仕事だ仕事。昼休みまでガマンしとけ」
波乱の仕事初日はまだまだはじまったばかりだった。