003 俺、仕事ほとんどなくなるんじゃないか、これ
さて、俺には通勤時間という概念がほぼない。わが丹羽電気商会は自宅の一階が事務所。階段を降りるだけで出勤完了だ。ラクなのは間違いない。
ただ、たまにはのんびり通勤したい。そんな風に思う日もある。
今日はまさにそんな気分だった。
「ケイタさんの職場楽しみですわ!」
そう、ツヤはついてくる気満々なのだ。
さかのぼること一時間半。ツヤがきて初めての月曜の朝だ。
「お米が炊けましたわー!」
そんな斬新な目覚ましをかけた覚えはない。眠い。
「いま、なんじ?」
寝ながら尋ねる。眠い。
「七時くらいですわ!」
普段より一時間早いぞ。眠い。
「ツヤ、スリープモードでよろしく」
「そんな機能はありませんわよ?」
そこは察してほしいぞ。
「……朝ごはんはいいから、寝かせろ」
「仕方ないですわね。でしたら、ご飯ほぐしてから寝直してくださいましね」
「……」
一〇分後、顔を洗い、ヒゲを剃り、朝の準備を整えている自分がいた。この目覚ましはご飯をほぐすまで起こし続けるに違いない。なんという高性能目覚ましだろうか。製造元にクレーム入れてやりたい。
「おはようございますわ、ケイタさん」
ダイニングに戻ると、食卓のスタンドに置いたスマホから、ツヤがうやうやしくお辞儀をした。
同居三日目にして、すでに俺の首の下か、食卓の上がツヤの定位置になっている。
「おう……」
まだ慣れない。起き抜けに女の子と「おはよう」なんて挨拶を交わしたことなど、いままでの人生において一度もない。寝ぼけてるときならともかく、改まると会話に戸惑う。AIだとわかってるつもりでも、普通に会話できてしまうとどうにも認識がバグる。
朝の少し冷えた空気にのって、炊けた米の香りが鼻に届いた。甘い匂いに五感も目を覚まし始めた。
「とりあえず米ほぐすわ」
「お米をほぐしたら次はお弁当ですわ!」
「マジで作るのか……」
ツヤが食材と一緒にポチりまくった中に弁当箱があった。蓋が透明な、四角いシンプルなヤツだ。
「昼飯はコンビニで済ますから」という意見は聞き入れられず、朝を迎えたわけだが、
「マジで弁当とかはじめてなんだが」
「ご安心くださいな。誰だってはじめてはありますわ! それに、わたくしもお弁当ははじめてですわ!」
「調理知識プロ並みのはじめて」と「ど素人のはじめて」を同列に語るなよ。
なんだかんだ、土曜の夕飯から数えて都合三回、ツヤに言われるまま自炊をしている。
といっても、作るのはメイン一品だけ。「いきなりたくさん教えても覚えられませんもの」というのはツヤの優しさなんだろうか。動画を見るだけと違って、丁寧に手順を説明してくれたり、聞いたら答えてくれるのでなんとか形にはなった。
「こんなもんか?」
それから二〇分。ツヤ先生指導のもと、自作とは思えないものが完成した。メインは昨晩つくった豚肉のしぎ焼き、あとは冷凍食品のおかずを詰めた。ツヤが弁当箱と一緒にポチっていたやつだ。最近の冷凍食品はなんでもあるんだなあと感心する。卵焼きにきんぴら、ブロッコリーと彩り豊か。ご飯の上にはおかかと海苔。海苔は朝ごはんを食べてから、ご飯が冷めてから載せる予定だ。
なお、「おかかでハートとか作るのもオススメですわ!」というのは却下した。なにが悲しくて自分でおかかでハートの弁当をつくらにゃならんのか。
弁当ができたらそのまま流れで朝ごはん。今朝の献立は納豆、インスタントの味噌汁、漬物という日本の朝。メインはもちろん炊き立てご飯だ。レンチンとお湯入れただけで今朝は特に調理してないな。意外と自炊生活って料理しなくてもいいのか?
まだ慣れない、ツヤと向かい合っての食事。もくもくと食べているとツヤが話しかけてきた。
「ケイタさんは九時出勤予定でしたわよね?」
昨日の晩も寝る前にツヤからスケジュールを聞かれていた。パーソナルアシスタント機能はスケジュール管理も仕事なんだとか。予定管理は正直ありがたくもあるので一通り伝えたと思う。
「ん。そのつもりだけど。あ、仕事あがりなら多分六時くらいだと思うぞ」
「いえいえ、わたくしもご一緒いたしますから、お帰りの時間はお気になさらず、ですわ」
リアルにお茶吹きそうになった。
「いやいや、炊飯器の方で待ってろよ!?」
「わたくし、ケイタさんのパーソナルアシスタントですのよ?」
マジか……。本気だこいつ。
と、こんな具合で今にいたる。
残念ながらツヤを合理的に説得するだけのスペックは持ち合わせていなかった。
八時半を過ぎると階下で扉が開く音が続いた。みんなの出勤タイムだ。
今日はたしか、ヤマさんは現場直行だから、コモさんとバラさん、バイトのスミレちゃんがいる予定だ。
さて、みんなにどう紹介したものか。朝のワイドショーをつけたままちゃぶ台の前で腕組みしていると、ツヤがのんきな声で言う。
「ケイタさん、そろそろお仕事いきませんの?」
「なんか、気楽だな、お前は……」
「?」
首をかしげるツヤと弁当をつかんで、階下へ。なんとかなるだろ、多分。ぶっちゃけ、覚悟は決まってない。
通勤時間〇分。
降りてすぐの事務所の扉を開ける。三六平米の室内には作業服を着た初老のおっさんがふたり。親父の代から働いてくれているベテラン社員のコモさんとバラさんだ。
「おはようございますー」
俺から挨拶。年少者だからな。
「おはようございます、社長」
痩せ型長身のコモさんこと小森さん。五十九歳。仕入れと在庫管理担当。のんびりしている割に少し神経質で甘党。
「おはよう、ケイタくん」
バラさんとこ市原さん。設計担当。最近メタボに悩む六〇歳。俺が子どもの頃からお世話になっている。ウチには定年制度はないので、本人曰く生涯現役だそうだ。
「今日もよろしくお願いします」
三人見合って丁寧に頭を下げる。礼儀は大事。我が社の社訓である。バイトのスミレちゃんは不在。彼女の勤務時間は一〇時からだ。
さて。いまさら迷っても仕方ない。首の下でツヤが黙ってくれているのは、きっと出番を待ってのことだろう。
「お二人に、そのお話が」
二人を打ち合わせ用のテーブルに促すと、黙って座ってくれた。
「どうした? 経営マズいとかか?」
「バラさん、ぶっちゃけすぎですよ。給料でてるうちはまだいけますって」
二人のおっさんの笑えないやりとりも、今日は少しありがたい。場が和む。
「あの、二人にご紹介したい……子がいまして」
人じゃないなと言葉を探してしまった。かえって誤解を招いたと気がついたのは、二人の態度ですぐにわかった。二人は身を乗り出さん勢いで口を開いた。
「おいおい、ついにケイタくんにも春がきたのか! もう秋だけど! どこの店の子だ!?」
「社長という肩書きで釣り上げたのなら、今からでも正直にお話しした方がいいですよ。詐欺で訴えられますよ」
「よーし、おっさん。少し黙ろうかー!」
俺はテーブルにスマホを置いた。迷ってるのがバカバカしくなってきた。
「ツヤ、自己紹介たのむ」
あとはツヤに任せる! 知らん!
ツヤがちらっと俺を見て、少し残念そうな顔をした。俺から紹介して欲しかったんだろうか。
「小森さん、市原さん。はじめまして。わたくしケイタさんのパーソナルアシスタントでつやひめともうしますの。よろしくお願いいたしますわ」
ツヤがうやうやしく頭を下げる。社員情報は事前にレクチャー済み。コモさんとバラさんはスマホをまじまじと見てから、
「ケイタくん、ゲームは仕事終わってからにしよーや」
「社長、二次元嫁は嫁ではないですよ」
「よーし、おっさん。少し話しようかー!」
事の経緯も何もないんだが「組合長から新型炊飯器のモニターを頼まれて、この子がその炊飯器に搭載されてるAIだ」って話を時系列で話してみる。うまく話せているのか自信はない。ただ存外ちゃんと伝わったらしい。
「つーことは、この子は炊飯器ってことか」
「ツヤさんはスマホアプリということですね」
「まー、だいたいあってます」
二人合わせてちょうど正解な気分だ。ツヤ本人もそこらへんはおおらかなのか、特に修正もない。電気店勤務だけあって、AIで理解してくれるあたりが助かる。おっさんと侮ってはならない二人だ。
と、俺のスマホが鳴った。着信だ。
取ろうと手を伸ばしたところで、
「はい、丹羽電気商会でございますわ。はい。いつもお世話になっております。はい。丹羽でございますね。本日の午後でしたわお伺いできるかと思いますわ。はい。ありがとうございました。失礼いたしますわ」
通話は切れたようだった。
「あの、ツヤさん?」
「はい。御徒町、吉水の店舗運営部の方からお電話でしたわ。内装のご相談ということで本日14:30にアポイントですわ」
いや、待て。
「ツヤちゃんすげえな。社長よりしっかりしてるんじゃあないのか?」
「専属秘書なんて雇えないと思ってましたが、よもやこんな奇跡があろうとは」
おい、待てや。
「パソコンに繋いでいただけたら、帳票作成、メール処理、なんでもいたしますわ! あ、お茶汲みはご容赦くださいましね」
ツヤの冗談におっさん二人も笑い、そのまま自分の仕事に戻っていった。俺は一人打ち合わせテーブルでツヤと向かい合う。
「マジですか? ツヤさん」
「マジですわよ? ケイタさん」
このAI、高性能すぎるだろ。俺、仕事ほとんどなくなるんじゃないか、これ。