オタサーの姫と晩御飯を食べよう
我が映画研究同好会は大学設立当時からある伝統あるサークルなのだが、近年はアニメや漫画が好きで映画自体にそこまで興味があるわけではないが他のオタサーには馴染めないというはぐれもの達が集まる掃き溜めのような場所になってしまった。かくいう私もそういった塵芥の1人であり、映画よりグルメ漫画が好きである。
しかしサークル棟の1階一番奥という立地も、古今東西の映画のパンフレットに溢れた本棚も、基本的に私にあまり干渉してこないサークルメンバーも居心地が良いのでやめたり別のサークルに入る気など毛頭なかった。
本日もいつも通り部室で課題をしながら、作業用BGMとして40年前に公開されたレストランが舞台の映画を流していると、がらりと部室の扉が開かれた。
「おっ…つかれ……万丈さん…」
「ああ、はい。お疲れ様です」
メンバーが6人しかいない我がサークルの男女比は3:1。私は一応紅二点のうちの1人のはずなのだが、男性陣からはあまり良い顔を向けてもらえない。恐らく灰色に染めた髪とピアスだらけの耳と派手なTシャツと腕のタトゥーと愛想のなさと…まあ色々原因はあると思う。3年の先輩ですらこの態度、きっと私のことをヤンキーかなんかだと思っているのだろう。最近はオタクでもこのくらいの格好するもんだと思うが、田舎のおばか大学にはまるで平成からタイムスリップしたような典型的なオタクと典型的なリア充しかいないので、しかたないだろう。
先輩は居心地悪そうにパイプ椅子を引いて座る。何も話すことなくいじいじとスマートフォンを出したり引っ込めたりタップしたり。こういう気まずい時は私から話しかけるのが礼儀なのかもしれない、と思って「外暑かったですか」と聞いてみるも蚊の鳴くような「そうでもないかな」だけ帰ってきた。うん、私に話しかけられることを望んではいないようだ。お望み通り課題に集中しよう。そう思ってパソコンに向き直した時だった。
「おっつかれ〜!」
やってきた来訪者が、先輩の暗い暗い雰囲気をがらりと変える。
「あっ、姫乃ちゃん!」
ぱあっと顔を輝かせた先輩は重そうな体を動かして、サークルのもう1人の女性メンバーである梶谷姫乃のもとに寄って行った。梶谷の後ろには他のサークルメンバー達もついてきている。まさに名前の通り、騎士達に守られる姫といった感じだ。
「楠田先輩探したよぉ〜、どこにもいないんだもん!」
「ごっ、ごめんごめん、部室で待ってたら姫乃ちゃん来るかなって」
「ふふ、まあ許してあげます♡」
梶谷は同級生で、私と同じタイミングでサークルに入ってきた。しかし扱いはこの差である。まあ、理由はわかっているのだ。梶谷はとてもオタク受けする外見をしていた。
少しふっくらした体に黒髪ロングストレート、ロリータに片足突っ込んだ服装と垢抜けない銀縁の眼鏡。実際アニメ声で「男の人とか苦手なんですけど、先輩達といると落ち着きます〜」と言い放った梶谷は最初の歓迎会の時点でこのオタサーの姫に成り上がった。
「ねっ、楠田先輩!ゲームセンターにかわいいポカチュウのぬいぐるみがあったの〜♡でも全然とれないの〜!」
「あっ、任せて!俺上手いから!」
「やったぁ!」
梶谷はちらりと私に目を向けた。
「万丈さんも来るぅ?」
梶谷以外のサークルメンバーが皆顔をこわばらせる。梶谷の目も「断れ」と言っているような気がした。
「んにゃ、私はいい。レポートあるし」
ひらひらと手を振ると、「そっかぁ、残念♪」と思ってもないことをいいながら、梶谷は騎士達を引き連れて出て行った。
梶谷の来訪のせいで一番好きな食事シーンを見逃してしまった。巻き戻して、主人公が食事にがっつくのを眺めながら今日の夕飯に思いを馳せる。確かスライスチーズが中途半端に余ってた。キャベツもあったな。麺類食べたいかも。パスタ…いやうどんかな。
そんなことを考えていると、スマホに一件の通知が来た。うーん、予想通りである。
待望の初孫、待望の一人娘ということで親も祖父母も私にとても甘い。そんなわけで地元を離れて一人暮らしをすると言った時にはめちゃくちゃ心配されたけども、なんとか説得して納得してもらえて…普通より多い額の仕送りをもらうことにも成功した。うーん、恵まれている。
恵まれているのでノルウェー産サーモンにも手を出せる。チリ産の方が安いけども、やっぱ脂がのっててとろっとしてるのはこっち。タンパク源がこれだけなのはさすがに嫌なのでもっとガッツリしたおかずも作ろう。豚こまは安いし美味いし偉い。玉ねぎ…は好きなんだけど、今日はヤツが来るっていうし玉ねぎ出すと文句言うからもやしで代用するか。
色々考えながら献立を組み立てて、買い物を済ませる。家に帰ると、まだヤツは来ていなかった。
「今のうちに作っちゃうか」
部室から拝借してきた映画のDVDを流しながら、一番最初にサーモンをブロック状に切った。あとで包丁もまな板も洗わなきゃいけないから嫌なんだけど、野菜切ってる間にサーモン漬けときたいから仕方ないな。刺身醤油にごま油とわさびぶち込んで、サーモンをこれまたぶち込んだ。スプーンで和えていけばふんわりとごま油の匂いがしてくる。正直もう食べれるけど、我慢である。なぜなら少ししたらこれにアボカドを入れるから。
アボカドを切る前に包丁とまな板を洗って、余ったキャベツで野菜炒めを作ろう。バター醤油でくったくたに炒めたキャベツ好きなんだよな。
スライスチーズとバジルソースが中途半端に残ってるからこれも使おう。トマトがあるからカプレーゼにする。トマトとチーズを順番においてソースかけるだけで食える上にめちゃくちゃ上手いんだからカプレーゼはすごい。
アボカドも角切りにして、サーモンが漬け込まれたタレの中に投入する。これで完成…じゃないな。豚こま買ってきてたの忘れてた。
豚こまは生姜焼きにする。玉ねぎの代わりにもやしを入れることになるが…。醤油と砂糖でタレらしきものを作って、豚こまともやしをじゃーっと炒めてしょうがと一緒に投入。
なんかこってりしたおかずばっかりになったな…。作り置きのピクルス出しとくか。
ここまで終わらせると、ピンポンもお邪魔しますもなしで玄関の鍵が開けられる音がした。こういう無礼なことをしてくる知り合いは1人しかいない。
「梶谷、勝手にうちの合鍵作ってんの?」
「いいじゃない、どーせ私以外誰もこないでしょ?」
梶谷は底が重そうな黒い靴を脱ぎ捨てたまま揃えずにずかずかと家に上がり込んできた。
「ってかお腹空いたんだけど。これ食べていい?」
「待てを覚えてくれ頼むから。暇してるんなら運んでください」
「はいはい」
梶谷がしょっちゅう来るので折りたたみ式のテーブルを最近追加した。梶谷が床が硬い冷たいとうるさいので座布団も。梶谷用のコップとか箸はさすがに梶谷が買ってきた。
「なになに?今日は生姜焼き?やった、ご飯大盛りにしちゃお!」
「人の家の米をさぁ…」
「何よ、実家から送られてくるんでしょ?」
「まあそれはそうですね」
人の家の米を遠慮なく山にした茶碗を持って梶谷は席に着く。そして、ぱんっと手を合わせた。
「いただきまーす」
「いただきます!!」
梶谷は茶碗を片手にあっちこっちに箸をつけていく。
「生姜焼きおいしーい!でもこれもやしいらなかったんじゃないの」
「玉ねぎ入れらんないから食感がさあ」
「サーモンも良くできてるわ〜!アボカドと合う〜!」
「聞けよ」
ばくばくと吸い込むように食べていく梶谷の顔は本当にあのオタサーの姫君と同一人物なのか疑われそうなもんだった。それくらい遠慮も容赦もなく、私の作ったご飯を平らげていく。
「遅かったけど、何も食べなかったの?」
「食べたわよ、でも先輩の奢りでシャイゼリアだったからほんのちょっとしか食べてないの!ドリア半分で『おなかいっぱ〜い☆』とか言って先輩に渡しちゃったのよ」
「なんで大食らいなのに無理するかね…」
「だって少食って思われてた方が色々都合がいいの!」
梶谷とはサークルではほぼ話さないが、ひょんなことから2人でこうやってご飯を食べる仲になってしまった。人前では少食ぶってるが本当はめちゃくちゃ食べる貧乏学生の梶谷と、食べることは超好きだが多くは入らないで実家からの贈り物を腐らせることも多い私とで利害が一致しているから続いている関係だ。
「ってかシャイゼリアいいなあ…レモンのアイス美味いよね…」
「ちょっと万丈、ご飯食べてる時にアイスの話しないでよ!食べたくなるじゃない!」
「梶谷は食い過ぎじゃない?」
それなりに手間暇かけた料理がどんどんなくなっていく様はある種爽快ですらある。
「あっ、出た。アホのカプレーゼ。モッツァレラチーズとか買いなさいよね」
「いや〜これはこれでチープで美味いんだよね。バジルソース余ってたしさあ」
「バジルソース?何に使ったの?」
「パスタ」
「は?食べてないんだけど!」
「来てない日に作ったからねえ」
「そういう時は呼びなさいよね!?」
「図々しいわあほんと…」
ため息をつく私に目もくれずに梶谷は完食してしまった。大食いだし早食い。不健康この上ないが汚い食べ方なわけではないので許容出来ている。
「あ〜〜〜今年もゴールデンウィークが来ちゃう〜〜ゴールデンウィークのサークル合宿なくなんないかしらアレ。めっちゃめんどくさい」
「私は欠席なんで分かんないですわ〜お土産だけよろしく」
「万丈はいいわよね〜、私なんか三日三晩あの連中に振り回されるわけよ」
「好きでやってんだからいいじゃん、私なんか先輩からも避けられてますわ」
サークルの人は誰も私と梶谷がこんな関係と知らない。
梶谷が大食らいなことも、食う時は結構目つきが鋭くなることも、食後に腹を叩く癖があることも、何も知らないで姫乃ちゃん姫乃ちゃんと周りをうろついている。
「……何?私、なんかついてる?」
「うん、顎に醤油ついてる」
そんなことを考えると、不思議と優越感があるのだった。
読了感謝いたします。修行として書いたのでありました。