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我とはあれど、なきものにしかならず。

作者: 迦羅迦羅

人間とは、「信仰」にありと言葉を言われた。

非常に拙く虚しいものである。


仏を憂い、キリストに罪を重ねる。

生き方とは常に固まった何かに依存するということらしい。


無信教にある僕には果てしなく無益に聞こえるのだ。。

自宅を決めることに、指示を仰ぎ、我をなにか星たるもので、分類する。


それによって安念を得て、心を静めるらしい。

安静を得ても、それによって得られる人生に面白みはあるのだろうか。


上文決して全てを否定していることと、勘違いはして欲しくない。

先人の生き方は後世に学ぶことであろう。


仏は己を磨くことで、心の育て方を磨いたのだろう。

残念ながら仏の知識について私が果てしなく疎いことは後述ながら記載しておこう。


その経験をまとめたものを学ぶことでより人生の選択を豊かにすることはとても有意義だ。

ただ、それには「理由」があると僕は思うのだ。


例えば初詣にはなぜ行くのだろう。?

「神様に感謝する。」という果てしなく空虚な「理由」をもとに行動する人間は馬鹿だ。

(この意見が、敵を作ることは分かっている。。ただ僕の「信仰」とはこういう形であることを理解してほしい。)


初詣に行く理由を、一年を改め、今年の目標を設定するため。と考える。

こうした瞬間、僕にも納得の高いものとなる。


でもどうだろう?これは仏を深く信じ、愛するものからしても同じように感じるのではないだろうか。

「理由」のない「信仰」はおそろしい。。。


だからこそ「信仰」と「理由」を結びつけながら、学んでいきたいものだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] さきほどのものですが、書き忘れましたが、タイトルかっこいいです。好きです。
[一言] なんとなく、無宗教といいながら、けっこう宗教観高い人かなと思いました。昔の信仰は、けっこう、仏の徳や、神の徳を口にしながら、形のない形式を神仏の徳でごまかしていたところがあったように思うので…
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