三十一話 溝は深くて
名を呼んだヨシュアに言葉を返したいのか。
拘束されながらも、もがもがと必死に何かをこちらに訴え掛けていたが、ここは流石の〝ウンディーネ〟直伝の拘束系の〝精霊術〟。
まともに話す事すら許さない完璧具合だった。
だから、私はクゼドさんの下まで歩み寄り、私の手で会話が出来るように口元の拘束だけ解いた。
「……メルト?」
聞こえてきたヨシュアの声は強張っていた。
そんな奴の言葉に耳を貸す必要はない。
口元だけとはいえ、どうして拘束を解く必要がある。
それらの意思が言葉の中に含まれていた。
「一方的に言うだけ言ってスッキリ出来る人間じゃないから、拘束を解いただけ」
言葉はなかったけど、恐らく私に向けられたであろう疑問に対して答える。
理由は簡単だ。
私の拭えぬ性分にあった。
「なんで、こんな事をしたの?」
口の拘束は解いた。
だから、答えられないなんて事はない。
私は既に、王族の籍から離れた人間だ。
けど、元は王女という立場だった。
故に尋ねずにはいられなかった。
どうして、国を売るような真似をしたのか。どうして、家族を殺すような真似をしたのかを、どうしても。
「ヨシュアが貴方に、一体何をした?」
ここで、ヨシュアは貴方の弟だろうがと、一切の重みのない言葉を吐き捨てても良かった。
家族との関係が、最底辺を彷徨う私が吐くべき台詞でないと知った上で、告げても良かった。
ただ、ヨシュアと彼らの関係や過去を一切、己の目と耳で見聞きしていない私が告げるべき言葉ではないとすんでのところで留まった。
「─────何をした、だと?」
見るも悍ましいほどの憎悪の感情が、瞳の奥に湛えられ、そして鎌首をもたげる。
事もあろうに、お前がそれを言うのかと。
怒りを通り越したのか。唇の隙間から、くつくつと喉を鳴らす音までもが入り交じる。
「こいつは、俺達の人生を滅茶苦茶にした張本人だ。こいつがいなければ。こいつさえいなければ、俺達がこんな立場に追いやられる事はなかった……!!」
それは慟哭のような叫びだった。
「だから、殺そうとしたの? 今日だけじゃない。いつかの時も」
「そうだ!! 当然だろう……!! こいつは俺から全てを奪い、踏み躙った張本人だ……!! だから、殺されて当然の人間────」
なのだと。口にしようとしたクゼドの言葉が言い放たれるより先に、私は言葉を被せる事で遮った。
「殺されて当然の人間なんて、どこにもいないッ!!!!」
割れんばかりの怒号を私は放った。
肺にため込んでいた息と共に言葉を吐き捨てたその様子に、周囲の人間は驚いていた。
でも、私の口は止まらない。
「全てを奪った……? 踏み躙った……? それ、本気で言ってる?」
八年前に、ヨシュアと接して、あの頃の性格を知っている私だからこそ、クゼドさんに本当は返す言葉もなかった。
だから、どうにか言葉を喉から絞り出すけど、その声は自分で分かるほどに震えていた。
そして私は、ぎり、と下唇を強く噛み締める。本当は墓場まで持っていくつもりだった私とヨシュアの秘め事。
だけど、ヨシュアには申し訳ないけど、ここで言わずにはいられなかった。
「そんな事、あり得るか……!! あり得るもんか……!!」
天井知らずに膨れ上がる怒りの感情に身を任せて、私はクゼドさんに向けて言葉を重ねる。
「っ、ヨシュアは本当は!! 貴方達と仲良くしたいって言ってたんだよ……? 八年前に、それを私は聞いてる! 私もそうだったから、ヨシュアは私にだけ話してくれた!!」
私達が自分達の家族からよく思われていない事は知ってる。
誰に指摘されるまでもなく、自分自身の事だからよく分かってる。
でも、それでも血の繋がりのある人間だ。
だから、今の仲を改善出来るならばしたかった。それが私達の本音だった。
だけど、難しそうだよねって話をして、私達はいない方がいいのかなって寂しい話もして。
でも、折角の人生なんだから笑って過ごしたいよねって話になって、二人で旅なんてどうだろうなんて未来の話もして。
そんな過去の記憶が、一瞬にして私の脳裏に沸き立った。だから余計に、腹が立った。
最早それは衝動に近く、いつもの私だったらつぐむ口が言葉をひたすらにまくし立てる。
「……なのに、その存在自体が認められないって発言はさ。あんまりじゃないかな……」
目元を隠すように私は、くしゃりと前髪を掻きあげた。
「少なくとも貴方がアルフェリアの人間なら、魔法に対する努力くらいは認めてあげて欲しかった」
クゼドは、ヨシュアを全否定している。
その存在も、何もかも。
だから私の口からそんな言葉が出てきていた。
天性の才能がある。
天稟に恵まれ、天賦の素質がある。
だとしても、「才能」一つで国一番の魔法師になる事なんて土台無理な話である筈だ。
そこには間違いなく、「努力」がある。
それは、私もそうだったからこそ、断じる事が出来た。
「……私も、〝精霊術〟に関しては、姉達よりもずっと上手く扱える。多分、この世界にいる誰よりも」
自己評価が些か高過ぎるかもしれない。
だけど、少なくとも今まで会ってきた〝精霊術〟を扱う人達よりは私の方がずっと扱いは上手いと思う。
「でもそれは、天性の才能による部分も大きかったけれど、ひたすらソレに触れ続けてきたからだ」
私であれば、〝精霊術〟。
ヨシュアであれば、魔法。
私達の努力を、「才能」の一言で片付けられるほど虚しいものはない。
「そもそも、魔法師の一族としてのアルフェリアの人間で在る為に、貴方がした努力ってなに? 魔法を愚直に学ぶのではなく、当主という地位を脅かす可能性を持った人間の排除しかしてなかったんじゃないの?」
そんな人間が、よくもまあ、全てを奪い、踏み躙ったなどと言葉を吐き捨てられるものだ。
それ以前の話じゃないか。
お前に、ヨシュアを責める権利なんてものは、どこにもないよ。
「……貴様に、俺の何が分かる」
目を逸らし、呟くようにクゼドさんは言葉を零す。絞り出しような声音だった。
でも、そんなのは知らない。
構うものか。
「何も分からないし、私は分かりたくもない。自分の都合なだけなのに、それを勝手に正当化して、人の存在そのものを否定して、何もしていない人間を殺そうとする人の気持ちなんて、理解したくもない」
彼の境遇に、同情すべき点はあるのだろう。
けれど、だからといって人を殺していい訳がない。クゼドさんの今とかつての行為が正当化されていい訳がない。
だから私は、正面からひたすらに否定する。
「貴方のその自己保身の為に、ヨシュアがどれだけ苦しんでたかも一切知ろうとすらしなかった人間の考えなんて」
私が柄にもなく、本気で怒ってる理由はここに帰結する。
もっと、どうしようもない理由があったならば、私の怒りはもう少し穏やかなものだったのかもしれない。納得は出来なかっただろうけど、それでもと。
だけど、クゼドさんの口から出てくる言葉、その全てが最悪とも言えるものだった。
カビでも群生していそうな、古臭い典型的な悪い貴族の他責思考だ。
ただ、私がそこまで言ったところで何を思ってか。下品にクゼドさんが口端を歪めた。
その反応が、ヨシュアが苦しんでいたという部分に対するものに思えて、また腹立った。
直後、クゼドさんの視線が私から外れる。
「……成る程な。貴様がこの人間に執着していた理由が漸くわかったぞ」
クゼドさんは言葉をヨシュアに投げ掛ける。
「随分と上手く、その澄ました容姿で手篭めにしたらしい。ここまで都合よく同情してくれる人間であるならば、さぞ、手放したく────」
言葉が言い終わるより先に、静観を貫いていた筈のヨシュアが、クゼドさんの下へと歩み寄っていて。
程なく、乱暴に胸ぐらを掴み上げた。
「俺を悪く言うのは、構わない。そんなものは今更だ。幾らだって聞き流してやる。だが、こいつを悪く言う事は俺が許さん……!!」
ヨシュアの右手はとっくに握り拳になっていて。今にも殴りかかりそうなヨシュアであったけれど、
「待って、ヨシュア!!」
私が名を呼んだ事によって、すんでのところで踏みとどまってくれた。
「……同情のつもりか?」
「違います。私はただ、貴方のような碌でなしは殴る価値もないと思ったから。だから、止めただけです」
私だって、怒りの感情に身を任せて、そのムカつく顔をブン殴ってやろうと一度は思った。
だけど、それはしなかった。
そうする価値すらないと思ったから。
「俺に、価値がないだと?」
発言の一部分。
けれど、クゼドさんはそこに異様なまでの執着に似た反応をみせ、突っかかってくる。
「ふざけ、るな。ふざけるなよ……ッ! こいつさえいなければ、何も問題は無かったんだ。これまで通りの、アルフェリアの当主は俺であった筈なんだ。ヨシュアが苦しんだ? 当然だろう!! こいつのせいで、俺がどれだけ苦しんだと思ってる!! こいつが苦しむのは至極当然の事だ!!」
これ以上なく感情が込められた言葉がクゼドさんの口から垂れ流される。
「挙句、仲良くしたかった、なんて言っていたな? は、ははは!!! 笑えるな。俺とこいつが仲良く手と手と取り合う日なぞ、来るわけがなかったというのに。あるとすれば、こいつがくたばった時くらいじゃないか?」
二人の間に存在する溝はあまりに深い。
修復する余地というものが見つからない程に致命的だ。いや、そもそも修復する以前の問題だったのかもしれない。
初めから壊れているものは、どうしようも無いように。
「だからこそ、今回の件だってそうだ。貴様を追い詰められると話を持ちかけられた俺は、二つ返事で飛びついたさ!」
己の失態が原因とはいえ、アルフェリアという地位を失ったクゼドさんの生きる理由は、ヨシュアに復讐する。
その一点のみであったと告げられる。
「……愚かだね」
侮蔑の眼差しと共に、クラウスさんが言葉を吐き捨てる。
「お前のような人間には、俺の気持ちなぞ分からないだろうよ、クラウス・ノーズレッド」
「僕もメルトさんと同じだ。分かりたくもない。お前のような人間の気持ちなぞ、分かってたまるか」
相互理解は不可能。
それは最早、誰もの共通認識だった。
これ以上、言葉を重ねたところで結果は何も変わらない。ただの時間の浪費。
そう判断をした────瞬間だった。
にぃ、とクゼドさんの口元が下品に歪んだ。
「ああ。そうだろうな。だからこそ、ここまで俺がすると予想が出来ない」
クゼドさんの足下が発光し、何かが浮かび上がる。
魔法陣だった。
それも、私が見た事もないような、正体不明の魔法陣。
口元を除いて、クゼドさんは完全に拘束をされている。だから、魔法を使う事は不可能。
そう断じていた私達の考えを裏切る現実を前に、思わず目を剥いた。
「────爆発系、かッ」
魔法陣に浮かび上がった紋様の特徴から、瞬時にどのような魔法かを判断したクラウスさんの叫び声が聞こえた。
その声を受け止めて、私は慌てて逃げようと試みる。
でも、私の行動を嘲笑うように「もう遅い」とクゼドさんの口が言葉を形にする最中、目の前にあった筈の彼の姿が視界から消え失せる。
代わりに映り込んだのは、白と黒が入り混じった何か。それは、ヨシュアが着ていた服だった。まるで庇うように、ヨシュアが私に覆い被さった。
逃げるのは無理。ならば、と一瞬で導き出した行動だったのだろう。
だけど、その行動に対して何か反応を残す前に、部屋全体を巻き込む程の発光。そして続け様に爆発が────起きなかった。
「『……窓から入ってきて正解だった、ってわけだ。流石に、おいらもヒヤリとしたね』」
予想していた光景がやって来なかった。
それ故に、耳が痛い程の静寂が場に降りるも、その静けさを〝シルフ〟の言葉が破った。
「『ただ、窓から入ってきた分の〝結界術〟だから、完全に防げた訳じゃなかったみたいだけど』」
────〝結界術〟。
大半の魔法を中和させ、その効力を掻き消すソレの存在を〝シルフ〟に指摘されて思い出す。
窓からは、雪のような光の塊が僅かに部屋へと入り込んでいた。
恐らく、それが先の不意打ちで展開された魔法を掻き消してくれたのだろう。
だけど、窓から入り込んだ分だけの〝結界術〟故に、効果を全ては防げなかった。
だから先の効果を発揮する予兆のようなものまで防ぐ事が出来なかったのか。
「……流石に、もう止めてくれるなよミネルバ卿」
しゃらん、と音を立てて、クラウスさんが剣を抜く。
どうして魔法が発動しなかったのか。
そのタネが分からないクゼドさんは目を丸くして右往左往していた。
そんな彼を叩っ斬ろうとクラウスさんが歩み寄り、しかし側にいたミネルバさんが声を張り上げる。
「ま、待ってくだされ!! 先の魔法!! あれは恐らく、何らかの手法で貸与されたもの!! 今回、我が国に害をなそうとした原因を突き止めるまたとない機会ですぞ!!」
先の魔法は、使用者であるクゼドさん自身すらも巻き込む魔法だった。
いわば、自爆魔法。
だけど、偶然、〝結界術〟が展開されていた為に、自爆が叶わなかった。
クゼドさんの内心を知った上で、最終的に自爆の魔法に手を出すとたかを括り、死人に口なしと警戒を薄めていたならば、彼の存在は今回の一件を引き起こした原因を突き止める為には必要不可欠だ。
ミネルバさんがああして慌てて引き止める理由もよく分かる。
どちらも正しい。
ただ、〝結界術〟の効力がこの部屋の中ででも発揮されるのであれば、今すぐにクゼドさんをどうにかすべきという危険性に基づいた行動の優先度は下がる。
今後のことを考えれば、ミネルバさんの判断を私は支持したい。だから。
だから、ヨシュアも私と一緒にクラウスさんを止めようって言おうと思った。
「よ、ヨシュア。私はその、大丈夫だから。だから、その、えっと、ち、近い」
実際に言えなかった理由は、覆い被さるように庇ってくれたから至極当然ではあったのだけど、顔を上げると、ヨシュアの顔が目の前にあったから。
これまで幾度となく見てきた顔だし、すっごい整ってるなあ、程度の感想しか抱いて来なかった私だけど、物凄い至近距離で見るともなると話は別だ。
しかも、体勢が体勢なだけに抜け出せない。
ヨシュアが退いてくれないと、私はどうしようもなかった。
「それ、と、クラウスさん止めなきゃ。クゼドさんを殺しちゃうと、折角の手掛かりが」
流石に、ヨシュアのお兄さんだからとは先程までのやり取りがあったから、口が裂けても言えなかった。
だから、滅茶苦茶アレな言い方になっちゃったけど、ヨシュアは不快に思ってなさそうだし、問題は……なしって事にしとこう。うん。
「……そう、だな。早いところ、殺すか」
肯定してくれた筈なのに、出てきた言葉はクラウスさんと全く同じものだった。
しかも真顔だった。これ多分、冗談じゃないやつだよね……?
「い、いやいや!! クラウスさんを止めるの!! 怪我とかしたわけでもないし!!」
割と結構ひやりとしたけど、結果的にみんな無事だ。これから何か起こる可能性も限りなく低いんだし、殺す理由はどこにもない。
これからの為にも情報を引き出すべきだ。
「……冗談だ。メルトが怪我を負ってたら本気だっただろうが、あいつは殴る価値もない奴だからな」
それだけ告げて、ヨシュアはゆっくりと立ち上がりながら短く一言。
「クラウス」と、クラウスさんの名を呼んだ。
「殺すな。そいつを今殺すより、今回の一件を解決する方が俺にとって重要なんだ。だから、殺さなくていい」
その後に、声にはされなかったけど、クラウスさんの方へ振り向いていたヨシュアの口が、「ありがとな」と、動かされたように見えた。
クラウスさんがヨシュアや私の為にと動いていたからこその行為と分かっていたから、そんな反応を返したのかもしれない。
ヨシュアはちっともクラウスさんを親友として認めてなかったけど、本心は違うのかもしれない。なんて私は思った。
当人であるヨシュアが良いと言った。
ならば、これ以上、己が首を突っ込むべきではないと考えてか。だけど、少しだけ納得がいがなさそうな様子で「分かった」といって、クゼドさんの首の皮がどうにか繋がった。








