三話 クラウス・ノーズレッド
†
「————良かったのかい。もっとちゃんと話さなくて」
メルトがメイドに連れて行かれた事で、部屋に降りる静寂。
そこに、ヨシュアではないもう一人の声が響き渡る。
声の主は、隣の部屋で聞き耳を立てていたのか。
メルトがいなくなったタイミングを見計らって入ってきていた。
亜麻色髪の男だった。
名を、
「余計なお世話だ。クラウス」
クラウス・ノーズレッド。
ノーズレッド王国が第一王子、その人であった。
「他国とのごたごたをどうにかするのに二年は必要だからさ。まぁ僕は、最低限二年。君と彼女が仮面だろうが表向き、関係を維持してくれるのなら、何も言う気はないよ」
今回のウェルグ王国と、ノーズレッド王国との和平を推し進めた張本人。
そして、祖先を辿れば、臣籍降下をした御家故に、王家の血筋を一応引いているヨシュアを引っ張り出した人間こそがクラウスだった。
ただ、公開されているそれは、真実とは少しだけ異なっており、引っ張り出させるようにヨシュアがクラウスに取引を持ち掛けていたのだが、その内情を知る人間はこの場にいる二人のみ。
だから、クラウスはあえてその言葉を口にしていたのだろう。
「昔馴染みを助けたい。その為なら、自分を政略結婚の道具に使って構わない。とまで言ってた癖に、その事は口にしないんだね」
意外だったよ。
そう告げてくるクラウスの言葉に、ヨシュアはため息を漏らす。
「……恩着せがましいのは嫌いなんだ。偶々白羽の矢が立って。偶々、メルトがその候補にいて。だから、メルトとなら。そう思って————そして、そうなった。それでいいだろうが。それで、いいんだ。それが、いいんだ」
————それが俺の恩返しだから。
そう言って言葉が締め括られる。
冗談めいた様子もなく、ただただ真摯に言葉が紡がれていたからだろう。
それ以上は流石に野暮であると悟ってか、クラウスは一度会話を打ち切った。
「恩返し、ねえ」
誰かを娶る気は更々ない。
家督相続の際に色々と面倒事に見舞われた事。それまでの己の立場。
それらが綯い交ぜとなって、かつてクラウスの前でそう告げていた冷酷公爵がどうして、真っ先に己を政略結婚の道具にして構わないとまで言ったのか。
恩返しにしてはあまりに、献身的過ぎないだろうか。そんな事を思うクラウスの鼓膜を、ふとヨシュアの声が掠める。
「救われたんだ。ずっと昔に、俺はあいつに救われたんだ」
心の中を、吐露する。
それでもメルトは、その事について気にもしてないだろうけど。
そんな言葉を胸の中で付け足しながら、ヨシュアは懐かしむように呟いていた。
「人一倍お人好しで、意地っ張りで、負けず嫌いで、優しくて。誰かに頼るくらいなら、自分一人で抱え込んでしまうような奴で。そんな奴に、恩着せがましくするのはやっぱり違うだろ」
つい、恩返しという言葉を使ってしまったが、あの程度なら何とか誤魔化せる範疇。
言い訳をしながら、ヨシュアは冷酷公爵という呼び名にはあまりに似つかわしくない優しげな笑みを浮かべていた。
クラウスとヨシュアもそれなりの付き合い。
でも、長いようで短い付き合いの中でも、見たことのない笑みを浮かべられては、クラウスも掛ける言葉を探しあぐねてしまって。
「クラウスは知ってるだろうが、昔は俺の居場所なんてものはどこにも無かった。側室の子にもかかわらず、アルフェリアの血を濃く受け継いでいた俺は、周りから特に敵視されてた」
ヨシュアの言葉が続けられた。
アルフェリア公爵家の人間なのだから、本来、アルフェリアの血が色濃く現れる事は悪い事ではない。
だが、その事を面白く思わない人物がいた。
本妻と、その子供————ヨシュアの兄にあたる人物であった。
そして、ヨシュアの生母はヨシュアを産んで間も無く逝去してしまっていた。
当主であり、父でもある公爵は、あまり己の子供に興味はなく、そのせいで差別こそしないが、特別扱いもしない。
結果、アルフェリア公爵家の中でヨシュアだけが孤立する事になった。
周囲の貴族も、側室の子供風情がと侮蔑する人間に溢れており、ヨシュア自身も自分がアルフェリア公爵家の血を濃く受け継いでいなかったら。そう考えた回数は両手で収まり切らないほど。
ただ、そんなヨシュアを救った人間がいた。
それが、メルト・ウェルグだった。
『————ひっどい話だよね。私達、何も悪い事をしてないのに、なんでこんなに悪意を向けられなきゃいけないんだろ』
本当に、境遇が似ていた。
生まれた場所が、公爵家か、王家か。
たったそれだけの違いとさえ言えた。
アルフェリア公爵家の血を濃く受け継いだヨシュアと、王家の血を濃く受け継ぎ、誰よりも達者に精霊術が使える事も相まって、姉達から敵視されていたメルト。
本当に似たもの同士で、周囲の人間から逃げてひと気のないとこに避難してきたのも同じ。
他に違いがあったとすれば、メルトの方がヨシュアよりも思考が大人びていた、という事だろうか。
「そんな中、ウェルグ王国の王城にひと月くらいか。滞在していた事があったんだ。メルトとは、その時出会って、『友達』になった。あの時俺がメルトに出会ってなかったら、間違いなく今の俺はいなかっただろうな」
そう言って、ヨシュアは笑った。
「見ての通り、冷酷公爵と呼ばれる事を許容して、都合よく利用する程度には俺自身、他の人間を信用してない。そんな俺の、数少ない信用出来る人間だ。手を差し伸べられるようになった。だったら、何を差し置いてでも俺は手を差し伸べる。それだけだ、クラウス」
何もおかしな事はないだろう?
「……難儀だね、君も」
恩着せがましくすれば、政略結婚とはいえ、夫婦という関係で落ち着けるだろうに。
でも、そうしない事でメルトに逃げ道を与えている。
好意よりも、恩返しの方が前面にあるせいで、そうしないという選択肢がそもそもヨシュアの中に存在していない。
だから、難儀であると。
「何のことだろうな」
言葉が意図する指摘を分かった上で、ヨシュアは嘯いた。
余計なお世話だ。
そんな感情を舌に乗せて言葉を発していた事を理解してか。
クラウスは、「仕方のない奴め」と言わんばかりに、小さく笑っていた。
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