二十六話 メルトとシルフ
「『でも、大丈夫。ちゃんと、おいらの方でも手は打ってるから────』」
だから、最悪の事態に陥る事はないのだと〝シルフ〟は言う。
そして。
「『ただ、一つだけ二人に手伝って欲しい事があるんだ』」
────これは、二人にしか出来ない事だから。
†
「『……まったくもう、幾らなんでも働き者過ぎるでしょう、〝シルフ〟の奴ってば』」
編んだ碧い髪を尻尾のように揺らしながら、妙齢の女性が呆れ混じりに呟いた。
ノーズレッド王国王城より少し離れた水辺。
花の香りに満ちたその場所に、一風変わった人影が幾つか存在していた。
彼ら彼女らの身体は薄緑色の膜で覆われており、それはまるで〝シルフ〟と呼ばれていた精霊のような。
否、彼ら彼女は実際に精霊であった。
「『……〝シルフ〟の奴にとっては、それだけ特別なんだろうぜ。いやまぁ、それはこうして手を貸してやってるオレらもか』」
逆立った炎髪のツンツン頭がトレードマークの男が答える。
感傷に浸りながら告げられたその一言に滲む感情は、濃い親愛だった。
「『まァ。ああいうぶっ飛んだクソガキには、世話を焼き過ぎるくらいが丁度良いだろうよ』」
ぞんざいな口調。
けれども、そこに見え隠れする親愛の情ゆえに、居合わせた精霊達は「素直じゃない奴」と微笑ましそうに見詰めていた。
人間と精霊の間には、溝がある。
それはかつて、人間が精霊を道具として扱った過去のせいで決定的なものとなり、それ故に精霊は人間の前から姿を消した。
ただ唯一、精霊の為にと奔走していたウェルグの当時の王女に義理立てをした精霊が、王家にのみ力を貸すと約束をして。
それがかれこれ数百年近く前の話。
気が遠くなるほど昔の話だ。
でも、気が遠くなるほどの時を生きる精霊達は誰一人としてその約束を忘れた事はなかった。その記憶を手放す事は無かった。
何故なら、彼ら彼女らと、かつてのウェルグの王女は種族の垣根を越えた家族のような存在だったから。
「『そりゃあ、〝シルフ〟は懐くよなあ。あいつが一番、引き摺ってたから。あいつが一番、懐いてたから』」
────かつてのウェルグの王女であり、オレらの家族に、誰よりも〝シルフ〟が懐いてたから。
だからこそ、己らを家族として扱ったかつての王女と、その子孫との温度差に誰よりも絶望したのが〝シルフ〟だった。
そして、殻に籠るようになって。
いつしか、大好きだった筈の人間を見向きもしなくなった。
そんな時だった。
──私の友達になってよ、〝シルフ〟。
相好を崩し、花咲いたような笑顔を浮かべてそんな事を当たり前のように告げてきた一人の人間と出会ったのは。
──一人ぼっちは寂しくて。だから、友達になって欲しいんだ。
他にも精霊はいた。
なのに、あえて一番辛く当たっていた〝シルフ〟に彼女は──メルトは声を掛けた。
メルトの境遇が境遇なだけに、優位に立ち回る為に己らを利用するつもりなのだと。
そう思っていた。
けれど、例外なく精霊達が持つ精霊眼────真偽を見抜くその眼が、メルトの言葉が何一つ含みのないものだと告げていた。
本当に、ただ友達になりたいから。
その想い一つで紡がれたものなのだと教えていた。
「『だから余計に、放って置けないんでしょうね。あたしから見ても、メルトは彼女とどうしようもなく重なるから』」
境遇。口調。態度に、性格。
まるで、生まれ変わりではないのかと疑ってしまう程に良く似ていた。
そして、あの怠惰で、気分屋で、人の言う事なんてとてもじゃないが聞くような精霊でない〝シルフ〟が率先して世話を焼く理由はそれであると、碧髪の女性────〝ウンディーネ〟は締め括る。
「『とはいえ、〝シルフ〟程ではないにせよ、あたし達だって、あの子にだけは世話を焼くと決めてる』」
だから、多くの精霊達がメルトに加護を与え、こうして気に掛けているのだから。
だから、こうして────。
「『そう言うわけだ。つぅわけで、ここでおめおめ、見逃してやる訳にはいかねえんだわ』」
────メルトに害を成そうとする人間は、何があっても、見逃さねえ。もっとも、あの姉達のようにメルトが直接「いい」といった場合はその限りじゃねえが。
数時間前、クゼド・アルフェリアに〝闇瘴石〟を渡した男を含む、怪しげな男達数名は地面に転がりながら苦しそうに呻いていた。
その状況を作り出した者達こそが、事もなげに言葉を交わしていた精霊達であった。
「『おっと。抵抗はやめた方がいいぜ。〝ノーム〟の地縛から逃れるのは相当な腕利きの魔法師でさえ、手を焼くだろうからよ』」
炎髪のツンツン頭の男は、目隠れする程に前髪を伸ばした少年とも少女とも付かない小柄の精霊に視線を向けながら得意げに答える。
彼の名を、〝ノーム〟。
大地を司る高位精霊だ。
よくよく見れば、転がる彼らの足首にはまるで枷のように土が絡みつき、行動を阻害していた。
「『あぁ、それと言い忘れたが、てめえらが仕込んでた自爆の魔法陣。あれァ、もうオレが焼いといたぞ。だから、幾ら魔力を込めても使えねえぜ。つか、魔法ごときで精霊を出し抜こうと考えてる時点でどうかしてる』」
「……な、ッ」
炎を司る高位精霊────〝サラマンダー〟。
彼の炎に焼けないものはなく、それこそ、用意されていた魔法陣でさえも彼の炎は粉々に焼き焦す。
逃げ出す事が叶わないのであれば、いっそ。
そんな考えから、魔力を込めて予め用意していた自爆の魔法の使用を試みた男は、〝サラマンダー〟の言う通り、本当に使えないという現実に絶句した。
「『しっかし、こんな骨董品をよくもまあ掘り返したものよね』」
黒々と不穏に蠢く鉱石、〝闇瘴石〟を宙に放っては掴み、放っては掴みとぞんざいな扱いをしていた〝ウンディーネ〟が告げた。
「『とはいえ、欠陥部分はやっぱり改良出来なかったみたいだけれども』」
元々想定していた効果は、魔物に限らず生命体に対して自我を奪い、操り人形とするもの。
だが、想定の効果とは異なり、完成された〝闇瘴石〟は魔物にのみ効力を発揮し、他の生命体には〝呪い〟を付与する程度の効果しか見られなかった。
そして、使用者本人も〝呪い〟に蝕まれる事になるというデメリット付き。
とてもじゃないが、実用的とは言い難い。
加えて、〝闇瘴石〟を作成するにあたっての労力だって途方もなかった筈。
だからこそ、〝闇瘴石〟は廃れたのだから。
「『でも、流石のオレもてめえらには同情するぜ』」
口を真一文字に引き結び、何一つとして言葉を発する気のない男達に向けて〝サラマンダー〟が同情の念を向ける。
そして何故、と言葉なく問い掛ける男達に、〝サラマンダー〟が答えた。
「『風を司る高位精霊の〝シルフ〟の場合、やろうと思えばそれこそ、国一つくらいの範囲なら会話なんて丸聞こえだからよ』」
だから、てめえらの企みも丸聞こえだったって訳だ。驚愕の色を表情に貼り付ける彼らの様子に満悦しながら、〝サラマンダー〟は喉の奥をくつくつと鳴らす。
「……そんな馬鹿な話が、」
「『あるから、オレらがてめえらの居場所が分かった。あるからこうして、〝闇瘴石〟を使う前にこうして拘束が終わった』」
それが本当だと仮定すりゃあ、全て辻褄が合うんじゃねえか?
〝サラマンダー〟の言葉には、説得力しかなかった。
でなければ、こんなひと気のない場所でピンポイントに待ち伏せなど出来る筈もないから。
しかし、この窮状にあって尚、クゼド・アルフェリアから呪術師と呼ばれていた男は、地に伏せりながらも口角を不気味につり上げる。
〝サラマンダー〟の物言いから察するに、これで終わったと確信している。
クゼドの件も含めてもう一つ、特大の爆弾が既に仕込まれているというのに。
だから、身体中が痛みに悲鳴をあげていたが、それでも笑わずには─────。
「『ああ、それと。オレらの仕事はここで終わり。その考えは間違っちゃいねえぜ。なにせ、〝シルフ〟に頼まれたのはこれだけだからな』」
脈絡もなく、〝サラマンダー〟が告げる。
しかし、他にも対処に動いている者がいると受け取れる物言いに、呪術師は身体を硬直させた。
「『後は、〝シルフ〟達がどうにかするらしいぜ? 折角だから、いいように使わせて貰うとも言ってたなあ?』」
「……あれを、防げるとでも?」
初めて、言葉らしい言葉を発した。
「いいように使う」。
その言葉には、然程の障害足り得ないという意味が含まれていると否応なしに理解させられたが故に、反射的に出てきた言葉であった。
「『戦術的には悪くなかったと思うぜ。あのクゼドって奴を城に向かわせる事で、多くの人間の注意を引きつける。加えて、そいつにはそいつで、メルトを殺せと命じておく。確たる証拠もなしには動けねえし、そうする事で、ヨシュアって奴も動けねえ。その間に、王都の中心部である広場にて、自爆の魔法陣を組み込んだ〝闇瘴石〟をあるだけ爆発させて、〝呪い〟を撒き散らす。ついでに、郊外から魔物を解き放って、出来る限り広場に人を集めた上で、とはな。まぁ、限りなくベストに近え作戦だったんじゃねえか?』」
自衛目的で彼らはほんの少しだけ携帯していたが、その数は一、二個。
もう既に使用した後である事は容易に窺える。
クゼドの胸中を考えれば、ヨシュア憎しで動く事は間違いないし、その憎悪がメルトに向かう事もすぐに分かる。
だから、〝呪い〟の対処が出来る人間を消した上で、咄嗟の爆発に対応出来る人間さえも城に縛り付ける。
呪術師達は、その間にノーズレッドが混乱に陥ったと本国に伝達を行い────宣戦布告の準備を整える、と。
限りなく完璧な作戦だった筈だ。
そこに、〝シルフ〟を含む精霊がいなければ。
「『ただ、全部露見した上でいいように利用されるんだけどな?』」
刃を向けてはいけない人間にコイツらは刃を向けた。あろう事か、殺そうとすらした。
それは許せない。
だから、一番彼らを踏み躙る選択を取る事にした。
幸い、ヨシュア・アルフェリアの事を〝シルフ〟はそれなりに気に入っていた。
彼自身が義理堅い人間であり、精霊自身も、義理でウェルグ王家に力を貸していた立場。
意外と波長が合ったし、メルトを大事に想っている点も好感が持てる。
ああ、そうだ。
彼が『冷酷公爵』と呼ばれていた事をメルトはひどく気にしていたし、彼自身が『冷酷公爵』であり続ける理由も既に殆ど失われている。
だったら────良い機会だ。
こいつらを使って、その風評を少しばかり払拭してやるのもいいかもしれない。
きっと、それがどうしようもなく良い仕返しになってくれるだろうから。
「『まぁ、そこで見てりゃいいさ。どうせ、てめえらにはここで傍観する以外に選択肢はねえんだからよ』」








