十九話 ホンネ
「……殿下が責任をお取りになるというのであれば、此方から申す事はもうありませぬ。お好きになさって下さい。ですが、もしもの時は」
「あーあー。もう、分かってるって。そんな再三確認を取らなくても分かってるって」
貴族の方からの言葉に対して、鬱陶しそうに顔を背けながらクラウスさんは両手で両耳を塞ぐ。
その投げやりでしかない態度に、一国の王子がそんなんで本当に大丈夫なのだろうか。
なんて思ってしまうけど、直後。
クラウスさん以上に好き放題振る舞っていた己の姉達の姿がふと思い起こされ、口を噤む。
…………。
そう言えば、ウェルグ王国も似たり寄ったりだった。
全然人のこと言える立場じゃないじゃん、これ。
「……急に、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべてどうした?」
「う、ううん。なんでもないの。ただ、思い出さなくてもいい事を思い出しちゃっただけで」
顔を手で覆い隠したい気持ちを必死で堪えていると、私の感情の変化を目敏く気付いたヨシュアからそんな指摘を受けていた。
でも、なんでもないと答えると「そうか」と答えてすんなり引き下がってくれた。
「よし、これで当面の問題はなくなった」
程なく、貴族の方を強引に説得?をしたクラウスさんが仕事をやり切った感を出しながら私達の下に歩み寄らんと貴族の方に背を向ける。
同時、またしても声がやって来た。
「……最後に一つだけ。本当にあなた方はアレを治せると? 王城にいる治癒師の殆どを集めて尚、命を繋ぐ事が精一杯であったアレを」
その言葉は、クラウスさんにではなく私とヨシュアに向けられたものであった。
訝しむような視線。
「あなた方の事は信用しておらぬ」と言わんばかりのこれっぽっちも隠す気のない厳しい視線であったが、私達の置かれた立場を考えればその態度こそが正常であると理解している。
だから責める気にはなれなかった。
「どう、なんでしょう」
無責任に「出来る」と口にする気はない。
あえて、彼が王城にいる治癒師の殆どを集めても。と口にしてくれたお陰で、それがただの傷でない事は最早明白となっているから。
直後、あからさまな溜息が貴族の方の口から聞こえて来る。そして言葉が続いた。
「……やはり認められませんな。そんな状態の人間を通す訳には、」
「です、が。何が何でも治してみせます」
たった二度の発言。
それでありながら、そこに矛盾がある。
我ながら、なんて説得力のない発言なんだと思わずにはいられないけど、それでもこれが私なりに誠意をもって会話と向き合った結果だ。
確証もないのに出来ると言い切ればそれは単なる法螺吹きだし、治す気もない人間が怪我人を治せる訳もないのもまた事実。
だから、私はこう言うしかなかった。
「私は治癒師ではありませんが、それでも向けられた信頼に応えない訳にはいきませんから」
何が何でも治すと言い切った理由はそれ故。
勿論、ヨシュアやクラウスさんに恥をかかせる訳にはいかないという理由も多分にある。
ただそれでも、今回ばかりは何よりも向けられた信頼に応えたくあったんだ。
「押し付けられる」事はあっても、「信頼」をされて物事を頼まれる機会は一切なかった私だからこそ、特に。
やがて、数秒ほどの気不味い沈黙を挟んだのち
「……ウェルグの王女殿下にしては、随分と貴女は実直な方のようですな」
「……は、はい?」
身構えていた事もあってか。
渋々納得するだとか。
やっぱり拒絶を叩きつけられるだとか。
そんな返事を想像していたからこそ、私は彼の返答に素っ頓きょうな声をあげてしまう。
「こちらには、あなた方の〝精霊術〟についての知識はありませぬ。適当に取り繕ってしまえばいいものをそれを貴女は一切しようとすらしなかった」
だから実直と告げたのだと説明される。
「私の知っているウェルグの王女像と貴女は少し違うようだ」
ああ、そっか。
姉達は私とは違って政界の場にそれなりに顔を出していたから認知されてるんだ。
でも、だったら納得だ。
私としても、姉達の性格を考えれば信頼出来るはずがないし、こうして拒絶をしようとする理由もよく分かる。
命に関わる治癒を任せる事は確かにしたくはない。
「それに、あの気難しいアルフェリア卿から随分と信用されているようだ」
「……そうなんですかね?」
どういう基準でそんな考えに至ったのか。
それが気になって問い返してみる。
「そうでなければ、アルフェリア卿の隣に並んで歩ける筈もありませぬ」
少なくとも、クラウス殿下を除いて誰一人として隣を歩く人間を私は見た事がありません。
そう言葉が締め括られ、ヨシュアの人嫌い具合が改めて浮き彫りとなった。
「ですが、そんな変わり種の人間であればもしくは────」
何かを願うような。
祈るような感情が細められた彼の瞳に湛えられているような気がした。
初めはこの貴族さんにとって、ヨシュアや私の事があまり好ましくない存在だからこそ。
そんな感情があるから拒絶しているという感想を少なからず抱いていた。
でも、話してみるとなんか違う気がした。
たぶん、これは件のミネルバ卿の事を大事に思っているからであったのだろう。
だから、
「分かりました。であれば、私がミネルバ卿の下まで案内させていただきましょう。私が同行すれば、治癒師の者達との衝突もさけられるでしょうからな」
だから、こうして案内役を買って出てくれたのかもしれない。
「……あの偏屈爺で知られるゴルネアが、初対面の人間に心を開くとはね」
「開いておりませぬ。ただ、誠意には誠意を返す人間性を持ち合わせているというだけです。斯様な相手に意地悪をする程腐っておりませぬ故」
クラウスさんにゴルネアと呼ばれた彼は、そう言って私達に背を向け歩き始める。
ついてこい、という事なのだろう。
「珍しい事もあったもんだ」
面白おかしそうに笑うクラウスさんの言葉を聞きながら、私はゴルネアさんの背中を追う事にした。
「『────呪いだね』」
開口一番。
ミネルバさんの下へゴルネアさんに案内された私の視界に映り込んだ光景を前に、どこからともなく現れた〝シルフ〟が異様に澄んだ声音でそう答えていた。
今回は白猫のような動物の姿をしておらず、本来の少年の姿で出てきた事もあり、周囲から驚愕の声が上がる。
けれど、それらを一顧だにする事なく〝シルフ〟は神妙な面持ちのまま言葉を続けた。
「『〝闇魔法〟とは一応魔法の括りではあるけど、言ってしまえばあれは呪いだ。で、〝闇魔法〟によって操られたナニカからその呪いを貰う事もある。例えばそれは、傷付けられるなどして。だから治癒魔法が効かないなんて状況に陥っちゃうんだよねえ』」
故に治癒魔法師がどれだけ束になろうと、呪いを先に解かない限りどうしようもない。
〝シルフ〟のその言い分は、理に適ったものであった。
「『加えて、その呪いを解く方法をおいらは〝精霊術〟を除いて知らない』」
「……じゃあ、私次第って事?」
「『そういう事だねえ』」
ヨシュアや、他の人達に助力を受ける事は不可能であると告げられる。
ただ元々一人でどうにかするつもりであったから、そこまでその事実に落胆の感情は湧き上がってこなかった。
寧ろ〝精霊術〟なら治せると聞けて安堵したくらい。
「なら、大丈夫。じゃあ早速やろう。その呪いの解き方を教えて〝シルフ〟」
「『よしきた』」
直後、案内された部屋の床一面、四方の壁、天井に淡い緑色の魔法陣が浮かび上がる。
「『集中力を全部持ってくから、もしもの事を考えて防御系の〝精霊術〟展開しとくよ』」
「うん、ありがと」
本気でどうにかするとなれば、たぶん集中しすぎて周りが見えなくなるどころか聴こえすらしなくなる。
それ故の〝シルフ〟の気遣いであった。
「……〝精霊術〟はこれを一瞬で展開出来るのか」
何処からともなく驚愕の声が聞こえてくる。
聞き覚えのない声音だったから、たぶん元々部屋にいた治癒師の方のうちの一人だろう。
そりゃあ、〝シルフ〟は精霊だし私達の常識で測れるわけないよと心の中で私は答えておいた。
ヨシュアは全然、〝精霊術〟を使えとも言ってこなかったし、橋の時は〝シルフ〟の力に頼り切りだった。
だから、ウェルグを出てから実質、これが初めてのちゃんとした〝精霊術〟行使の機会かもしれない。
「よし、やろっか〝シルフ〟」
一ヶ月程度で身に染みた〝精霊術〟にブランクが生まれるとは思いたくないけど、「よし」と声掛けして己を奮起させながらベッドの上に横たわるミネルバさんと向き合った。
†
「メルトさんを巻き込んじゃってごめんね、ヨシュア」
メルトと〝シルフ〟が治療を開始して程なく、居ても邪魔になるだけ。
そう考えて部屋の外で待機していたヨシュアに向かって、クラウスは言葉を投げ掛けた。
「メルトを巻き込んで?」
「そ。だってヨシュア、メルトさんに〝精霊術〟を使わせないようにしてたじゃん」
メルト自身は、使わなくていいよ。
という扱いであると思い込んでいるがそれは違った。
使わなくていいではなく、ヨシュアが意図的に使わせないようにしていた。
それを知っていたからこそ、クラウスはこうして謝罪をしていた。
勿論、クラウス自身はその理由を聞いていない。だが、あえて聞かずともこのヨシュアの考える事などクラウスからすればお見通しであった。
「理由は分かる。彼女の〝精霊術〟を目立たせたくなかったから。それの有用性を知れば、利用しようとする輩が出てくるかもしれないから」
「…………」
図星だったのか。
ヨシュアは「それは違う」と反論の言葉を口にする様子はない。
「僕やヨシュアって障害があろうと、利用しようと思う奴が出てくる可能性は十分にある。だけど、」
ただ、弁明を重ねようとするクラウスを前にヨシュアは小さく溜息を吐いた。
「勘違いも甚だしいな」
そう言って、クラウスの発言をヨシュアは遮った。
「確かに、俺の用事で〝精霊術〟を使わせる気はこれっぽっちもなかった。理由はお前の言う通りだ。〝精霊術〟が凄いものだと知ってるから、それを不用意に目立たせる気はなかった」
「じゃあ、何が勘違いなんだよ」
「ただ、俺はメルトの行動を制限する気は一切ないんだ。これでも、権力の柵もない場所で自由に生きてみたい、なんて話をした人間同士だぞ。制限を設けた覚えは一度もないし、する予定もない。だからそれは単にお前の勘違いだ」
ヨシュアとメルトは基本的に境遇が酷似していた事もあり、お互いの苦悩は知っている。
クラウスがヨシュアを〝心配性〟と捉えているその考えも間違っていない。
それでも、窮屈な思いをしてきた人間に制限をかける気はないのだと言葉がやってきていた。
「それと、お前の懸念についてだが……もしもの時は俺が守れば良いだけの話だろう」
「……確かに、僕が見てきた魔法師の中で一番の腕を持つヨシュアが守るなら大抵の事はどうにかなるだろうけど」
その場合はヨシュアにいらぬ手間を要する事となる。だから、やっぱり申し訳ないと謝罪の言葉を再度、クラウスが口にしようとする。
「だが、これがミネルバ卿でなければ俺は止めていただろうがな」
「……義に厚いミネルバ卿じゃなかったら、そもそもこんな話をヨシュア達に教えてすらないから。正直、彼じゃなかったら見殺しにしてたかもしれないくらいだから」
笑い混じりにそう答えたヨシュアによって、またしても発言を遮られていた。
穏健派だからこそ、か。
ミネルバ侯爵家の現当主は、ノーズレッド王国内でも特に有名な義に厚い貴族であった。
命を助けられたともあれば、アルフェリア公爵家という後ろ盾が既にある状態で尚、間違いなくメルトの後ろ盾になると言い出すだろう。
もしくは、何らかの方法でその恩を返そうと試みるだろう。
そういう人間である共通認識が二人の中であったからこそ、表立っての反論がなかったのだ。








