十二話 冷酷公爵
「んー! 流石はノーズレッド! 内陸のウェルグとは違って海の幸が豊富!」
「美味いだろ。クラウスの奴が隠れた名店とかいっていつだったか教えてくれたんだ」
「へええ」
「サボり魔だからこそ、か。そういった事にはあいつ、人一倍詳しいからな」
海魚のソテーを味わいながら、私は目の前に運ばれてきた料理を頬張る。
祖国であるウェルグ王国は内陸である為、鮮度の問題からあまり海の幸を食べる機会がなかった。だから、私は真っ先に海の幸を堪能する事にしていた。
味の方は問題なく、満足の一言。
ただ、一点思うところがあった。
「ねえ、ヨシュア」
「ん?」
「答えたくないなら、無理に答える必要はないんだけど……誤解を解くつもりはないの?」
私のその問いかけに、スプーンを用いてスープを掬っていたヨシュアの手が止まる。
「……誤解?」
「うん。実は、冷酷なんて嘘っぱちで、ヨシュアは底抜けに優しいって事」
きっと、そうしてるって事はヨシュアなりに何か理由があっての事だってのは分かる。
だからもし、そうする理由に私が助けになれる部分があるのであれば。
そう思って尋ねてみた。
「私も結構、城では猫被ってたけど、自分を偽るのって割としんどいから、どうしてなのかなって」
「遠慮なくズバズバ聞いてくるところは、相変わらずだな」
「だって、ヨシュアにはもう、私の性格とか色々知られちゃってるから。それに、ヨシュア相手になら、あまり遠慮はしない方がいいかなって」
経緯はどうあれ、私達は結婚相手。
腹に一物抱えるくらいなら、さっさと打ち明けちゃった方がいい。
今更、お互いの顔色を窺うような仲でもあるまいし、私が猫を被る必要も特になかった。
「……まぁ一言で言うと、その方が何かと都合が良かったから、だな」
苦笑いを浮かべながら、答えてくれる。
程なく別に隠すほどの事でもなかったのか。
ヨシュアは目を細めて、どこか昔の出来事を懐かしむように、口の端をゆるく持ち上げていた。
「それで、色々と苦労した事もあったんだ。メルトも王女だったから分かるだろうが、舐められると色々と面倒でな」
貴族の狸爺共が、絡んできて俺を利用しようとしてきたり。
厄介ごとを全て押し付けようとしてきたり。
若輩であるという事実はどうしようもない手前、『冷酷公爵』という悪評は何かと都合が良かったんだと、せいせいとした口調で告げられた。
「あー……確かに面倒臭かったね」
私も一応、王族であった身。
貴族のごたごたについては色々と理解をしているつもりだ。
だから、ヨシュアのその言い分はよく分かるところでもあった。
「でも、それなら良かった」
「良かった?」
「うん。だって、もし、ヨシュアの意思関係なしに『冷酷公爵』なんて呼び名が広まってるのなら、どうにか出来ればなって思って聞いただけだったから」
でも、それがヨシュアの意思であるならば、その心配は杞憂でしかなかったという事。
だから、良かった、だった。
「……だけど、この肩書きはもういらなくなったかもな」
なのに、何気なしに付け足されたその言葉の意図が分からなくて疑問符を浮かべてしまう。
そんな私の反応が、面白かったのか。
微笑を唇のふちに浮かべながら、ヨシュアは言葉を続ける。
「『冷酷公爵』と呼ばれると、縁談の話も少なくてな。正直、その話が煩わしかったから受け入れていた節もあるんだ」
だから、私と結婚してしまった今、別に『冷酷公爵』と呼ばれ続ける意味もないかもしれないとヨシュアは私の疑問に答えてくれた。
私の姉達はヨシュアが『冷酷公爵』であるからこそ、こうして押し付けてきたのだし、事実、ヨシュアのその考え方は正しかった。
「だったら、今からは『優しい公爵』を目指してみる?」
本当は優しい幼馴染が、冷酷公爵なんて呼ばれている事には思うところがある。
だから、拘る理由がないならその悪名を払拭してみては? と言ってみるけど、対する返事は苦笑いだった。
「いや、それはやめとく。今はもう『冷酷公爵』って立場に慣れてしまったしな。今は寧ろ、『冷酷公爵』呼ばわりで丁度よく思えてる。それに、誤解されたくない人間に誤解されてない以上、あえて払拭する理由は何処にもないな」
海のような碧色の瞳が、私をじっと射抜く。
口にされたヨシュアのその言葉には、嘘なんてものは一欠片も存在していなかった。
それどころか、向けられる優しげな笑みからは、お前が分かってくれてるならそれで十分。
そう言われてるような気がして、思わず気恥ずかしくなってしまう。
だから視線を逸らしながら「そっか」としか私には言いようがなかった。
何より、その気持ちは私にも分かるところであったので、これ以上無理に私の意見を押し付けるわけにもいかなかった。
「……ま、貴族との関わりは面倒臭いもんね」
「そういう事だな」
そう言って、私達は食事の手を再開する。
扱い易い人間と思われれば、とことん良いように使われるのが偏見に満ち満ちてるけど貴族社会。
私達みたいにちょっと境遇がアレな人間からすれば、出来る限り彼らとは関わりたくないというのが嘘偽りのない本音でもあった。
「メルトも知ってるだろうが、元々俺は当主になる筈の人間じゃなかった。兄達からは嫌われてたし、義母上にも目の敵にされてた。だから、周りもその機嫌を取る為に、俺の扱いはあえて散々なものにしてた」
それは知ってる。
八年前に王宮の嫌われコンビと私達自身で呼んでいたように、間違っても実家の居心地は良いとは言えないものと打ち明けていたから。
「それで、次期公爵家当主の機嫌が取れるのなら、安いものと思ってたんだろうな。だが、色々とあって俺が当主に据えられた途端、他の連中は見事に手のひら返しだ」
あの時はあの時。
今は今。
その変わり身の早さには脱帽であるけど、実際に害を被っていた人間からすれば、そう簡単に割り切れるものでもない。
「それもあって、『冷酷公爵』という呼び名は都合が良くもある。色々と便利だろ、これ」
噂が噂を呼び、ある事無い事吹聴されてしまっている今、ヨシュアに対して気軽に接しようとする人間は……多分、クラウスさんくらいなのではないだろうか。
「本当は、他の貴族の顔なんて見たくもないが、これでも陛下にだけは恩があるからな。登城やら、そこだけはちゃんとしているのはそれが理由だな」
クラウスが国王陛下になろうものなら、二回に一回はすっぽかすかもしれないな。
そう言って、ヨシュアは笑い混じりに言葉を締め括った。
「ヨシュアの恩人、かあ。そういう事なら、明日が楽しみかも」
隣国の王女という立場であったので、容姿は知ってるし、名前も知っている。
ただ、話す機会はこれまで一度もなかったので、ヨシュアの恩人という事を耳にして、少しだけ好奇心のような感情が私の中で膨れ上がっていた。