十話 撃沈のクラウス
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「メルトさんどうしたの? めちゃくちゃ疲れてるみたいだけど」
「……そう思うんだったら、どうして助けてくれなかったんですか……」
抜け抜けとそんな事を言ってくるクラウスさんに、「どの口が言ってるんだ」とジト目で言葉を返すけど、のらりくらりと躱される。
それどころか、疲れたのなら今からでも遅くない。アルフェリア公爵領に戻ろう!
などと、未だに王都に戻らないようにする事を諦めていないらしい。
いい加減に諦めたらいいのに。
「しかし、随分と慕われてるんだな」
「社交辞令だよ。社交辞令……たぶん」
「にしては、色々と惜しまれてたような気がするが」
「……お、押し付けられた政務だったとはいえ、ちゃんとやってたからじゃないかなあ」
ヨシュアがそう言う理由は、ドルクさんが割と本気で政務の担当が私から代わる事に対して憂鬱そうにしていたからだろう。
私の前任者でもあった姉Aは自分の懐にお金を入れる為に結構強引な値引きを迫っていた事もあるみたいだし、私にはどうしようも出来ない事だけど、また姉Aが商人に対しての政務を担当すると考えれば、ドルクさんが憂鬱になるのも分からないでもなかった。
「『この子、根が真面目だからねえ。碌でもない人間で慣れてたところに根が真面目な奴が据えられると、そりゃこうなるって』」
橋の補修が終わり、再び馬車に揺られていた私の膝の上で寛ぐ白猫が、くぁっ、と欠伸を漏らしながら会話に混ざってくる。
この白猫、つい先程までとは姿形が異なっているが、私が呼び出した森の精霊、〝シルフ〟その人であった。
「というか、〝シルフ〟はいつまでいるの? いや、別に帰れって言ってるわけじゃないんだけどさ」
森の精霊である〝シルフ〟は、己の姿形を動物に変える事も出来る精霊だ。
だから、こうして猫といった動物に姿形を変える事は特別珍しい事でもなかった。
「『補修で疲れたから休んでるってのもあるんだけど……やっぱり一番は、ちょーっとアレがおいらも気掛かりでねえ』」
「アレ?」
「『橋だよ。橋。アレが、喉に刺さった小骨みたいに煩わしくてね』」
……あぁ、と納得する。
魔法を使用した痕跡もなく、壊れていた橋。
補修を行ったが、それでも根本的な問題が解決したというわけではない。
肝心の、誰が橋を、何の為に壊したのか。
この部分は謎めいたまま。
それ故に、はいさようならと姿を消す事は釈然としないからこうして留まっているのだと告げられた。
「『恐らく、魔物で可能性を絞るなら、〝戦鬼〟や〝一つ目大鬼〟あたりが怪しいけど……』」
「けど?」
「『あの連中は、この付近には生息してない筈の魔物達なんだよねえ』」
だから、可能性としては挙げたが、それは有り得ない選択肢でもあると言う。
「だが、人の膂力であれが出来るとは考え難い。確かに、不可解極まりないな」
普段は飄々とした態度で自由気ままを貫く〝シルフ〟が、こうして側に留まろうとする理由も分からなくもなかった。
そして、何とも言えない沈黙が場に降りる。
ただ。
「……そこにいないから、いるところから持って来ちゃった、とかあり得ないかな」
何となく、思ってみた事を言ってみる。
「『……魔物を使役するテイムの事を言ってるのなら、それは無理だねえ。テイム出来るのは、ある程度の知能を持つ魔物のみ。〝戦鬼〟や〝一つ目大鬼〟はテイム出来ない』」
「ううん。テイムじゃなくて。それこそ、何か新しい手段で連れてきたとか。……でも結局、何の為に? って問題は分からず終いなんだけども」
「……そういえば、クラウスが黒い鉱石がどうとか言っていたな」
「『……黒い鉱石?』」
新しい手段。
私のその言葉に反応したヨシュアが、ポツリと言葉をこぼす。
直後、白猫姿の〝シルフ〟の視線が、クラウスさんに向いた。
そう言えば、黒く大きな化物がいた場所には、炭のような鉱石が散らばってたんだっけ。
「……本当かどうかは分からないけど、最近、ノーズレッド王国の中で黒く大きな身体を持った化物を見た。なんて話も出ててね。しかも、その付近には決まって黒い炭のような鉱石が散らばっているらしいよ」
クラウスさんの説明に〝シルフ〟が黙り込む。その様子はまるで、必死に記憶を掘り起こしているようでもあった。
「でも、仮にメルトさんの考えが正しかったとして。どうしてそんな魔物を使役してるんだろう……ね?」
クラウスさんは抱いた疑問をそのまま言葉にしただけだったんだろうけど、言葉が進むにつれ、私とヨシュアからの視線が厳しいものに変化した事に気付いてか。
言い終わる頃には、語尾に疑問符が付いていた。
「それを調べる為にも、クラウスさんにはちゃんと王都に戻って責務を果たして貰わなくちゃいけませんね」
「…………。ま、まった! 今のなし! 今のはなし!!」
サボってる場合じゃないよねと言外に告げると、クラウスさんも己の失言に気付いてか。
しまった。みたいな表情で声をあげた。
「陛下も、首を長くして待ってるだろうから、さっさとクラウスを届けに行くか」
程なく見えて来た王都の景色。
中心部に位置する王城まではもう目と鼻の先だった。
「……こ、こうなったら最終手段を使うしか」
逼迫した表情で、もう時間はないと悟ったのだろう。何を思ってか、クラウスさんは側にあった毛布に包まって丸まった。
「……な、何してるんですか」
「荷物のフリだな」
唐突に布団に包まるものだから、何をしているのかと尋ねるとクラウスさんではなく、ヨシュアから返事がやってくる。
「前回、王都に戻る事になった際にその隠れ方で成功したらしいが、」
そこで、ヨシュアの言葉が止まる。
「いや、これ以上はやめておこう」
大きめの毛布だった事もあってか。
一見すると、綺麗に隠れられているようにも見える。
だが、その作戦には致命的な欠陥があった。
ヨシュアもそれを理解しているのか。
これ以上は言うまいと口を真一文字に閉口している。
どうやら、指摘はしないらしい。
やがて、それから数分後。
私達が乗る馬車は、門へと辿り着き、門番さんからの検問を受ける最中、いとも容易くクラウスさんの存在が露見していた。
「……前回は商人の馬車に乗り込んでいたから荷物のフリが成功していたんだろうが、今回はアルフェリア公爵家の家紋が入った馬車だ。荷物でもあれば、何だこれとなるに決まってるだろうに」
呆れ混じりのヨシュアの一言と、見なかった事にしてくれ! 王子命令だ! と言いながら職権濫用するクラウスさんの声が混ざり合う。
しかし、門番さんへの説得は、陛下から殿下の姿がお見えになり次第、城へご案内するように仰せつかっておりまして……。
という国王陛下からのお言葉により、ものの見事に撃沈していた。








