04 まだ新芽もでてない銀杏並木で
バイトと授業に明け暮れる普通の大学生活を送っていた僕が二年生に進級した春、遥香は東京から逃げるように、札幌に帰ってきた。
僕は札幌中心街から少し外れた南郷通り沿いにアパートを借りて住んでいた。そこは、イギリスに出発する数日前まで住んでいて、正確にいえば、まだその部屋を解約していない。
遥香と再会したのは、まだあちこちに茶色い根雪の塊が転がっている四月だった。
その日、まだ新芽も出てない銀杏並木のキャンパスは新入生と、彼らをハントするために集まった部活やサークルの学生で溢れ返っていた。
馬の被り物をした生徒や、「急募!」という看板を掲げたサンドイッチマンなど、大勢の学生がチラシを撒きながら新入生を勧誘する光景を横目に、一緒に歩いていた同じゼミの友人が言った。
「あーあ、また強引に口説いてるよ。あいつら、よくない噂もあるし、大丈夫かな、あの子たち」
友人の視線を追うと、チャラい格好をしているが確かに整っているな、と思わせる顔立ちの男子学生三人が、女の子二人を囲っていた。
間もなく一人の男が、髪の長い女の子の肩を抱いて、歩き出した。きっと部室へ連れていくのだろう。その後ろに仕方がなく付いていくショートカットの女の子が目に入った。
一瞬で、それが誰なのか不思議とすぐに分かった。八年ぶりに見た横顔。
「遥香!」
僕は駆け寄って声を掛けた。
振り向いた遥香は、僕を見て驚愕の表情に変わった。
笑顔には変わらなかった。
何だお前、とか何とか言ってくる男たちを無視して、「久しぶり」や「ウチに入ったんだ」など声をかける。しかし、遥香は悲壮感漂う表情で僕を凝視するだけで、何も答えない。
「いいから行こうぜ」とイラついた表情の男が僕を押しのけ、遥香の肩に手を回した。その瞬間、遥香はその男の胸を突いて、逃げるように駆け出した。
彼女はそのまま、一度も振り向くことなく視界から消えた。
それが、僕と遥香の再会だった。
翌日、学食で、一人で昼食をとる遥香を見かけ、声をかけずに彼女の対面にそっと座った。すぐに遥香は僕に気づいたが、さすがに今度は逃げなかった。
「あのサークルには入ってないよね?」
彼女はこくりと頷いた。そして、ふと瞳に翳を落として言った。
「淳一君、久しぶりだね。会いたくなかったな」
「え?」
どう答えていいか分からずに固まった僕を見て、遥香は小さく笑んだ。
「嘘。本当、久しぶり。会えて嬉しいよ。淳一君、今、どこに住んでいるの?」
突然、活発な女の子に豹変したように、歯切れのいい言葉使いになる。
「私は西一八丁目の方。東西線だよ」
もう、彼女から翳りのような雰囲気は消えていた。
何だったのだろう、と思ったが、それよりも懐かしい想いが先行し、僕らは昔話に花を咲かせた。
遥香の家は母子家庭で、よく彼女を僕の両親が預かっていた。彼女が引っ越すまでは本当の兄妹のようにいつも一緒だった。
釣りに行き、岬から湾に向けて一緒に糸を垂らしたこと、イソメを触れなくていつも僕がつけてあげていたこと、二人とも下手くそでカレイすらも釣れず、二日間連続ボウズだったこと、それを僕の母親に笑われたこと。遥香の母親が忙しい日は、僕の家に泊まりに来て、星を見ながら星座早見表を作ったり、夜中まで一緒に自作したラジオを聴いたりしたこと、彼女の母親を含め二家族でピクニックに行き、広大なひまわり畑で鬼ごっこをして汗だくになったことなど、たくさん。
ただ、東京に引っ越してからの中学時代、高校時代はあまり語りたがらなかった。ビルばっかりで、暑くて、ご飯が美味しくなかった、くらいしか話さなかった。
この日を境に、僕らの距離は瞬く間に縮まった。
初めて一人暮らしをする遥香にアドバイスをしたり、買い物に付き合ったり、ラインでくだらないやりとりを寝落ちするまで続けたりした。
僕が二十歳、彼女が十八歳の春はそんな風に過ぎた。
まだ遥香を幼馴染としか認識していなかった僕に対し、同じゼミの連中は、二人の仲を散々冷やかして盛り上がっていた。最初はいちいち否定していたが、それでも夏を過ぎたあたりから、本格的に遥香と一緒にいることが当たり前になっていき、冷やかされることもなくなっていった。
いつも明るく躍動的で、僕にも友人たちにも小気味いい気遣いを見せる優等生な遥香。ただ、時折、翳りのようなものが見え隠れし、それがとても気になっていた。
親からも、色々な約束をさせられているらしかった。どこに遊びに行っても、必ず夜の十時には家に帰らなければならない、と言っていた。それも親との約束の1つだと思っていた。女の子の一人暮らしということもあって、全く不思議には思ってはいなかった。
なぜ僕は気づけなかったのだろう。
幼馴染との再会が嬉しくて、また幼馴染という枠を越えて、男女として意識し始めた感情に昂揚し、大切なことを感じ取る感覚が鈍っていたのだ。
遥香が苦しんでいたなんて、気づいてもいなかった。
「Hey, Junichi. Are you listening?」
突然、呼ばれて、ハッとする。
目の前で、ニックがスコッチの入ったグラスを揺らしながら「聞いてる?」と不満げに言う。僕は、ごめんごめん、と言い、話を続けるように促す。
またやってしまった。
気を抜くとすぐにあの頃の記憶が現実を侵食してくる。
自分の脳をコントロールできないので、家ではいつもニックとシャロットと一緒にいる。あの頃の記憶に飲まれないように頭の中を空っぽにして。英会話の勉強に熱心な青年を演じて。
今はただ、学校が始まるのをすがる思いで心待ちにしている。




