03 初めての友人・不細工ニック
シャロット家のもう一人の留学生、ニックと出逢った。
僕は一つ、イギリスに来てから、ひたすらに感心することがあった。それは、街ですれ違う若者たち全て、男の子は格好よく、女の子は可愛いのだ。明らかにアジア人とは一線を画していた。
しかし、ニックはそんなコンプレックスに似たアジア人の想いを、大きく裏切ってくれた。
それほどまでに、不細工だった。
ぽっちゃりの体型、ウェーブかかった金髪は外巻きのカール、鼻が微妙に上を向いており、薄い色の入った眼鏡をかけて、紺の派手なシャツにチノパンを穿いているその青年は、帰ってくるなり、握手を求めてきた。
「ワオ! 初めまして、ジュンイチ。僕はニック。よろしく」
握手をほどくと、ニックはポケットから何かを取り出し僕の手に握らせてきた。
スコットランド土産のキーホルダーだ。しかし、これまたセンスの欠片もない。
「僕の部屋に行こう。いいものがあるんだ」
ニックに連れられて彼の部屋に移動する。
一階の奥にある彼の部屋は、家具の配置など殆ど同じだったが僕の部屋より幾分小さかった。
ニックは机の引き出しからスコッチウイスキーのボトルとショットグラスを二つ取り出し、慣れた手つきで琥珀色の液体を注いで一つを僕に手渡した。
にまっと頬を緩ませて、ニックは大げさに言う。
「Welcome to Cambridge! Junichi」
乾杯し、暫く互いの身の上を語りあったあと、突然ニックが訊いてきた。
「そういえばジュンイチさ、彼女とかいるの?」
返答に窮して、言葉をにごす。
「……あぁ。まあ、いるような、いないような」
「なんだよ、はっきりしないな。どれくらいこの国にいるつもり?」
「分からないけど一年くらい? かな」
用意してきた資金を考えるとそれくらいが限界だった。
「一年もほったらかしにしたら、もう駄目だね」
ニックはしたり顔で分かったようなことを言う。
僕はまじまじとニックの素敵な容姿を眺め、意地の悪い気持ちで聞き返す。
「ニックこそ彼女はいるの? もう二年もここに住んでいるみたいだけど」
「え、あ、いや、まぁ、いないよ」
「やっぱり、長い期間留学すると駄目になってしまうのかな」
ニックは苦笑いしながら答える。
「いや、今までも女の子と付き合ったことがないんだな、これが」
同じ歳のニックは突然、前のめりになった。
「ねぇ、女の子と付き合うにはどうしたらいいんだい? ジュンイチと彼女の出逢いから聞かせてよ。参考にさせてほしいんだ。僕、好きになった女の子とは口もきけなくなっちゃうんだ。どうしたらいい? どうしたら普通に話したり、誘ったりできるの?」
ニックの目が真剣味を帯び始めた。あまり口にしたくない話にそれていきそうだったので、僕は英語が分からなかったふりをした。再び、丁寧に話そうとするニックを遮って、話題を変える。
「そういえば、ニック、パブって行ったことある?」
急に話が飛んだことにニックは気にする様子もなく答える。
「え? あ、ああ、勿論。時々、一人でも行くよ。ジュンイチはユーロスクールだよね。あそこの生徒もよく見かけるから、ジュンイチも多分誘われるよ。ってか、今から行こうか。この家の近くにも一軒あるからさ」
僕との出会いが嬉しくてしかたがない、との空気をニックから感じ、断り切れないまま彼に連れられて家を出た。
パブは家から歩いて五分ほどのチェリーヒントンロード沿いにあった。
外観は古木で組まれたログハウス風で、アメリカの西部劇に出てきそうな店だ。店内は薄暗く、奥にカウンターがあり、テーブルセットが適度に配されていた。
僕たちは七、八人いる客を割ってカウンターまで歩み寄った。
「ジュンイチはなんにする? イギリスはサイダーが有名なんだけど」
ニックはメニューを僕に見せながら訊く。
「サイダーって?」
真っ先に浮かんだのは三ツ矢サイダーだったが、まず違うだろうと思い口には出さないでおく。
「アップルを発酵させたアルコールさ。ワインは葡萄だろ? ビールは麦芽だろ? サイダーは林檎さ」
ニックは得意顔で説明する。
「それじゃ、それをいってみようかな」
流暢な英語で店員にサイダーを二つ注文し、ニックは思い出したように「ところで」とカウンターに肘をついてぐっと顔を近づけてきた。
「ジュンイチ。今の彼女とはどれくらい付き合っているの?」
今度はゆっくりと丁寧に訊いてきた。確実に聞き取れるほどゆっくりと。
「あー、まぁ、二年ほどかな」
「いいなあ。二年も自分の好きな人がそばにいてくれる、って状況、どんな感じなんだろう。羨ましいなあ」
「ニックもまだ二十三だろ? まだまだ、これからじゃん。この国にいるウチに出会いがあるかも、だし」
適当に教科書通りのような返事を返すと、ニックは首を振った。
「いや、イギリスにいるのもあと二ヵ月なんだよね。スイスに帰ったら兵役に就かなきゃいけない。それこそ、男の園だよ。最悪だ」
ニックからは教科書に載っていない答えが返ってきた。
困惑顔の僕に、ニックはペンを取り出し、紙ナプキンにヨーロッパの地図を書いて説明し始める。
ヨーロッパでのスイスの位置は周り全て別の国と隣接しており、永世中立国を掲げる代わりに、自国軍への兵役は男性国民の義務とのことだった。
また、スイスにはスイス語は存在せず、国を三つに割って、ドイツ語エリア、フランス語エリア、イタリア語エリアに分かれている、と。
ニックは一番大きなドイツエリアらしい。
「だから兵役で集まったスイス人は、それぞれ公用語が違うんだ。もちろん僕もその他のイタリア語、フランス語の片言はしゃべれるんだけどね。普段はいいんだけどさ、喧嘩になった時が大変。一方がフランス語で捲くし立て、もう一方がドイツ語で応戦するなんてことになるんだ。互いに意味は分からなくても、罵られていることだけは分かるから、お互いの汚い言葉だけはやたら詳しくなっていく、っていうね」
ニックは、面白いでしょ、という顔をしたのち、僕に訊いてきた。
「そういえば、日本では言葉は一つなの? 地方とかで言葉が違うとかない?」
「殆ど一緒だよ。ただ……」
僕はそこで考え込み、間を置いて口を開いた。
「アクセントの違いはあるけどね」
本当は方言があると言いたかったが、ボキャブラリーの壁が僕をはじき返した。
それから、取り留めのない話しをした。壁にあるアンティーク時計は午後十一時を指していた。
「それじゃ、ジュンイチの留学の成功と英会話の上達を祈って」
ニックはもうあまり中身の残っていないグラスを掲げ、僕もそれに倣った。
「残り二ヵ月のニックに出逢いを」
グラスが合わさり、小さな澄んだ音が二人の間に響いた。




