待ち遠しかった月
────雨だ、
私はどこかで期待していたのかもしれない。
また、あの綺麗な貴族様に、逢えることを。
いいや、そんな事を考えている暇なんてないの。
雨ならば、水瓶に溜めなくてはならない。
貴重な恵みの雨だ。
けれどあまりにも降りすぎてしまうと、沼が溢れ、臭くて汚い泥が家の床の上まで入ってくる。
それに虫や蛙だって、其処ら中に湧くし、それを食べに蛇だって来る。
雨が上がれば、変な病気も蔓延しやすい。
でも蛇や蛙は貴重な食料だから、取りに行く手間も省ける。
それを思うと、一見悪いように思えることも途端によく見えた。
あぁ、でも、この貴族様の御召し物だけは…、何とかして守らないと…。
こんな心配事、早く返してしまいたいと、そう思うエラ。
だが、あのときの、あの手の温もりを、思い出せる。
そこに置いてあるだけで、何となく幸せな気持ちになった…。
そんな気持ちを汲み取ってか否か、空は、雨を降らせる。
次も、その次の満月も──
泉で水浴びをしていないから、髪の毛はまた汚く絡み合って、指も通らない。
肌は垢でくすみ、若干頬も痩けた。
勿論、臭いも酷いだろう。
御役所の人が鼻を曲げるぐらいに。
───そして、初めてあの御方と出逢って、6回目の満月・・・
ようやく泉に包まれた。
嬉しくて、気持ちよくて、水の中をくるくる魚のように泳いだ。
木葉や、枝、花も採取した。
・・・でも、あの御方は、何処にも居ない。
「上着を、返せないままね…。」
と、どこかそれとは違う残念な気持ちは言葉にしないで、岩にもたれ、満月を眺める。
すると、遠くの方から馬の足音がする。
木々を掻き分け、現れたのは勿論あの貴族様だった。
「は、はぁ、・・・あぁ、良かった、間に合った…」
少し息を切らしている。
急いで来たのだろうか?
何のために?
「どうか…、私と、少し話をしてくれないか。」
「・・・・はい。 あと、以前も申しましたように、私は貴方様にお願いされる身分ではありませんので」
「・・・・・良いんだ、そんな事…。 この時間は、この時間だけは、そんな事気にしないでおくれ」
そう、貴族様が仰るなら、その様に従うのが最善だろう…。
「・・・・はい」
「もっと、近くへ来てくれないか。 君の顔をもっとよく見たいんだ」
泳いで岸まで行く。
貴族様の眉が少しだけピクリと動いた。
あの日より痩せてしまったから、きっとその事について何か思っているのだろう。
「・・・ごほん、まず、私の名前はエリック。 君の名前を教えてくれないか」
「私は、エラと」
「エラ…、綺麗な名前だ…。」
エリック、とても、よくある名前。
だけど何か引っ掛かる。
「前回も、満月の日だった。」
「えぇ、満月の光が泉に当たっていないと、この泉には来れないのです」
「…そうか、だから先月は…」
「はい、その前も雨でした。」
「成る程…」と、ひとり納得しているが、エラの瞳には雲に月が隠れる様子が映っていた。
そうだ上着を返さねばと、岸から上がれば、また貴族様は目を背けてくれる。
目一杯、丁寧に畳んで置いていた上着を手に取り、渡そうと差し出す。
「あ、申し訳ございません…、あの、この、上着、汚してしま────
─────い、ました・・・、」
最後まで言い切る前に、その日の満月の夜は終わった。