満月の夜
私はとても臭くて、とても汚い。
「う"……」
「ん"ん"、ごほんっ……、では、これを」
だから御役所の人も鼻を曲げる。
とある田舎町のそのまた外れに住むひとりの幼い少女。
その幼い少女は大きな町にある役所にて、毎日働けない人達の為に配られる食料を貰っていた。
田舎の外れの家から、御役所のある大きな町まで歩いて行くには、片道二時間は掛かる。
帰りは荷物もあり、行きより時間が掛かる。
でもそうまでしないと生きてはいけない。
実際にはその幼い少女の年齢は14歳になろうとしていた。
しかし、栄養が十分に行き届いていないせいで、見た目は9歳程だ。
産まれる前から貧しく、洗うも直されもしていない服は、もう服とは呼べないほどの布きれ。
私を産んで死んだと言う母と、病気で起き上がれもしない、当然 働けもしない父。
畑をする土地もない。
そもそも土地があったとしても、ここは土壌が悪く何も育たない。
勿論周りの家々も同じく貧しく、自分達を生かすのに必死。
その少女の名は〈エラ〉と言った。
しかしその名をわざわざ呼ぶものは居ない。
呼ぶ必要もない。
エラは、貰った食料を見て思った。
今日は、いつもより少ないな…。
お父さんは病気だから栄養をつけるために、私の分も半分食べてもらってるけど…、今日は、私が持つかな…。
この配給が本当に本当に少なかった日に、そのまま倒れてしまったことがある。
這つくばりながら、草むらまで行き、アリや何か分からない幼虫を食べ、なんとか起き上がった。
本当はもう少しだけ貰える食料があれば良いのだけど…。
ううん、貰えるだけ有難い。
この御国の王族様が民の事をちゃんと考えてくれてる証拠。
私には、到底関わりのない人達だけれど。
毎日、生きることで必死だった。
死ぬ覚悟はいつだってあるし、死んだ方が寧ろ楽だとも分かっている。
でも何故、死なないのか。
それは私でも分からない。
周りの家も、何故、自ら命を絶たないのか。
死んだ方がよっぽど楽なのに。
「死んだ方が楽」 「では何故生まれたのか」
私を産んだら生活がもっと苦しくなるのに、お父さんとお母さんは、私を産んだ。
何でなんだろう。
結局私はその疑問にぶつかって、「生まれたなら生きるしかない」と、茨の道を選択する。
御役所の人の噂で聞くと、破産した貴族は生きていけなくなって家族共々自ら命を絶つと言う。
こんな私たちでも生きているのに?
と、不思議に思うが、私が知らないルールがあるのかもしれない。
そう思うと「いくらお金を持っていたって、貴族も大変なのだなぁ」と感じる。
あぁ、もう……
そんな事をうかうか考えている暇はないんだった。
頭の中の会話をかき消して、月に一度訪れる準備を始める。
今日は満月。
沼地がきれいな泉に変わる日。
そう──、
あれは三年前だったか。
それは偶然で突然だった。
家の裏手にある沼地が、月が満ちる日だけ、きれいな泉に変わる事を知ったのは。
その日は夜だと言うのにやけに外が眩しくて、目も冴えて、割れたまま直せていない窓から夜空を眺めていた。
月の光が差し込んで、「あぁ今日は満月か」と納得するも、それでもやけに眩しい。
今日もよく動いて疲れているし、明日もまた同じく疲れるだろう。
それでも何故こんなにも眩しいのか、知りたい、気になる、そんな衝動に突き動かされ、重く、けれど脂肪なんて無い身体を起こし、ドアを開け、外に出た。
辺り一面、きらきらしていた。
水面が風で揺れる度、月の光が無数のランプのような輝きを放っている。
沼地は、反射なんてしない。
こんなきれいな満月を反射なんてしない。
さらさら、きれいな水。
少し、温かいような。
手を、脚を、全身を……
吸い込まれるように泉に入った。
水浴びをしたのは何時振りか。
「 ? 」
水浴びだけでこんなにきれいになっただろうか?
長年蓄積された汚れが瞬く間に落ちていく。
汚れで指さえも通らない髪は、滑らかな絹の糸のようだ。
自分の髪の毛がこんなに綺麗な金色だなんて知らなかった。
あぁ、お父さんにも水浴びをさせてあげたいけれど…
起き上がることさえ自分で出来ない。
せめて、身体を拭いてあげれるように、この泉の水を、家に溜めておこう。
そうすれば飲み水にも出来るしね。
しかしどうして沼地が泉に変わったのか…、とても不思議で理解も出来ない。
もしかしたら私の頭がおかしくなって、本当は沼地のままなんじゃないか、って、そうも思うけれど。
これが夢でも幻でも、もうどちらでも良い。
どっちにしろ私ではどうにも出来ない事なんだから。
ただ、目の前の事を受け入れるだけ。
今は、この泉に包まれているのが心地良い……。