第82話 元・王子、流され方をようやく知る
「ごぼぼぁっ……! ヴぇっ!」
毎度毎度この川で溺れて学がない!
クソ焦りながら必死にもがけど、僕はそういう運命というべきか。たっぷりと水を吸い込んでますます呼吸は危うくなり、視界もほとんど飛沫と自分の腕。たまに見える水面以上の景色では……ベルと牧師さんが必死の形相、そしてハアトが妙な表情で駆けてきていました。
前回流された時はベルが助けてくれましたが――
「ちょっとルアン様、なんでそんな速く……っ!」
「ルアンさまほんと、ながれるのじょうずだね~!」
……どうやら前回と違って川の流れが速いのか、そして僕が変にもがいているせいなのか――何度もベルは救助を試みますが、手は僕に届きません。くそったれ。ちなみに隣のハアトが川の流れを操作して楽しんでるんじゃないかと一瞬頭をよぎりましたが、考えないこととします。
「ルアン様! もっともがいてください!」
「そんあっ……こど! いっでも……ォぼッ」
喉奥を水流にぶん殴られ、足を絡めとられて虚無を必死に手繰り寄せながらできることは悪態をつくことくらい。畜生め。
「ぐ……ぎぃ……っ!」
頑張って手を伸ばした拍子に。ズキリと鋭い痛みが背から腹まで突き刺して。再び視界いっぱいの生活用水。獣人並の運動能力もない僕な上、ここ数日の『攻撃を受け止める特訓』もあって僕の体はバキバキなわけで。そんな状態でもがくも何も。
「ルアン様! 手ェ伸ばして!」
「のばしてー!」
「ぼばしでぐってがッ!」
口を開けばごくごく川の水。その勢いで更に押し流され。あーもう、流され体質とかいう意味不明な星の下に生まれたせいです。牧師さんの言う通り毎度毎度これの繰り返し。これから結婚するというのに、格好もつかず嫌になります。政治とか話とかに流されるのは身を任せるだけで良いのに。
――身を任せるだけでいいのに?
「ごぼっ……んぐぇ!」
もう鼻水も涙も涎も川に撒き散らしながら、不意に一つの思いつき。あー、しかも『避けるんじゃなくて受ける』と同じ理論じゃないかこれ。くそ、案の定僕が得意っぽいやつです。
別に思い付きを実行に移す必要はないんじゃないか、とも過りましたが、毎度毎度流されてばかりで足を引っ張り続けることから変われるなら或いは――とも、思ってしまいます。
イルエルに来て変わりつつあるらしいので、僕は。それなら、この意味の分からない体質だって……或いは。
喋ろうとしたら口に水が入って余計苦しいのと同じかもしれないと考えれば……一か八かです。
「……ッ!」
僕は流されながら覚悟を決めると――一切の行動をやめます。
「…………」
もがかず。しゃべらず。ただ流されるままになってみる。
水飛沫をあげまくり溺れていた僕は、途端にぷかりと背中だけを水面に出して静まり返ります。……当然、水上の反応は。
「……ルアンさん?」
「……しんだか、これは」
「滅多なこと言わないでよ……!」
急に静かになった僕を心配する声×3。そして懸命に僕を追いかけているベルが声を張り上げます。
「ルアン様! 返事を!」
聞こえていました。なにせ、まだ死んでないので。
「……ッぷっは!」
僕は首だけ上げて、ちょっとだけ水を飲み込みながら、しかし目論見が上手くいきつつある喜びの声を上げました。
「みて! ッ……ほら、うまくいった!」
「何がですか!」
「みてわから……ないかなっ!? 流されてる!」
「それは見てわかります」
「そう、じゃなく、って!」
うっぷ、と時折顔に襲来する波に文字通り閉口しつつも、僕は川のそばの路地を走るベルたちに必死でアピールしました。
「溺れないで! 流れてる! 進歩じゃない!?」
そう。そうなのです。
ルアン・シクサ・ナシオン、ロイアウム王国第六王子として生まれて早十六年……苦節、ここまで流されれば溺れる日々。ある時は幼い頃五兄さん(第五王子)と城内のカエルを探していたら水路に落ちて城下町まで溺れ、二兄さん(第二王子)と行楽に出れば馬ごと落ちて溺れ、流刑にされたら船ごと転覆し溺れて気絶、ハアトの宝物に近付いても溺れて――水落ち流れ溺れの確定コンボに悩まされてきましたが!
今僕は、相変わらずイルエルの村のど真ん中を通る川で流されてはいるものの、しかし溺れず、こうして! 岸と! 会話できてる!
「流れに、身を……任せれば、うぷっ、おぼォッ!」
「ルアン様!?」
思い昂り喋ろうとして、波が荒れて再び僕は絡めとられ、ひっくり返って水の中。しかし一度掴んだコツ。受け止める特訓の『無駄に色々動かない』みたいなニュアンスも組み合わせれば。
「…………」
「……ルアン様?」
「ぷは! ……よかったんだ!」
まだ不慣れではありますが、もう一度僕は静止すると、僕は再浮上。いける、いけそうです! しかし僕の感動がベルには伝わってないのか、彼女は並行して走りながら首を傾げています。
「……ルアン様、水飲み過ぎて壊れました?」
「そうじゃなくて! 特訓と同じだよベル!」
「あっ、ルアンさまうしろ」
「ッぷ! 『泳げないなら泳がない』でいいん――ダェ!?」
革命的名言を僕が高らかに……発しようとした、のですが。
水面から首だけ上げて、後ろから追いすがっている三人と会話していた僕ですので――川にかかる橋に気付かず。
べらべらと喋っていたこともあって。
思いっっきり後頭部を強打したのでした。
「ルアン様っ!」
最後に聞こえたのはベルのその声だけで……僕は橋に意識を奪われたのでした。
「――――げっほ! ォべえっ!」
何かの衝撃で、大量の水と空気を吐き出しながら、僕は気付けば陸で息を吹き返していました。いや、死んではないので正しい表現ではないのですが、ともかくそんな感じです。
僕を囲んで見下ろしていたベル、ハアト、そして牧師さんもそんな涙と涎と川水と鼻水塗れの僕の姿を見て安心してくれたようで。
「ああ、良かったルアンさん」
「おっ、おはよー」
牧師さんは立ったまま胸を撫でおろし、ハアトはベルの膝の上で横たわる僕の額をつんつん突きます。こいつめ。
「あー……ご迷惑をおかけしました」
「今更です」
僕を膝枕してくれているベルを見上げて呟けば、彼女は冷静な視線のまま頷きます。少し咳き込んで、軽く体を起こせばどうやら先程の橋の辺りのすぐ傍のようでした。イルエルの村としては結構下部、浜との境目くらいの場所です。
「あの直後、ルアン様がぶつかった橋にちょうど引っ掛かりまして。そこから私が引き上げたのがつい先程」
「後はいつも通り僕を起こしてくれたってわけね」
「その通りでございます」
僕が訊くまでもなく、僕が知りたい情報をベルが出してくれました。なるほど、と一人で納得しながらも、色々なことが積み重なって痛む全身を感じながら、先程のことを思い出します。
「……で、どうだった?」
「どう、と言うのは」
「いや、僕が溺れないで流される方法閃いたこと」
個人的には先程も感じたように大変画期的だったのですが、どうやらベルとしてはあまり感動してくれていないらしく。
「いえ、溺れずに済んでらっしゃるのは結構なのですが」
「でしょー?」
「ですが流されていることには変わりなく」
「それはそう」
「つまり今回のようにどこかへ引っ掛からなければ、どこまでも流されるという訳ですよね?」
「……そうなるね」
その言い方だと全く進歩がないように聞こえます。心外なのですが、事実としか言いようがありません。僕は苦笑いしつつ「でもね」と続けるほかありません。
「ほら、ハアトとベルにばっかり変わることを要求してるから僕も変わらなきゃなあって……成長要素、みたいな。僕も出来ること増やしてみようかなーと」
「まぁ、泳ぎの基本は浮かぶことと言いますし」
「……気概は認めることとしましょう」
「助かるよ」
牧師さんのフォローもあって、ベルは一応僕の努力は認めてくれるようでした。彼女は立ち上がり膝を払って、僕に手を貸して立ち上がらせてくれます。
僕も取り敢えず全身の色々を払って、ついでに上着を軽く絞ると牧師さんに大の字で向き直ります。
「……結婚の挨拶回り、続けても大丈夫ですかね?」
「今日がハレの日という訳ではないですから……ルアンさんさえ良ければ」
「……夏だし服も渇くでしょう。きっと」
「迅速な立ち上がりですね」
「悲しいことに復活だけは早いもので」
慣れとは恐ろしいものです。僕にとって流されたりぶん殴られたりが日常と化しつつあることに悲哀すら覚えます。ですがまぁ、嫁がドラゴンなのでそういうものなのかもしれません。
気を取り直して僕らは浜のカルロスさんちを再び目指します。そしてそう言えば、と僕は先程の醜態(個人的には進歩)について思い出したことを軽薄に口にします。
「あぁ、それと……これは後付けなんだけど」
「後付けと言ってしまうんですね」
「うん」
事実そうなのですが、ふと閃いたので。
「ハアトの手前、カッコいいところ見せられたらなぁって思った……なんて」
「……ぷかぷか流されるのが?」
「ぐうの音も出ないね」
可愛いならまだしもカッコよさは字面からも音からも全く感じられません。うーむ、思い付きで口にするものではないのかも。ただハアトの感性は人間のそれとズレているので、一縷の望みを託して訊いてみます。
「ハアト、惚れ直した?」
「うーん……いいや!」
「そっかぁ」
いいや! と言い切られてしましました。しかし彼女は僕が流されたのが楽しかったのか、くるりと振り返って笑います。
「でも、ハアトのためになにかするぞー! ってのはくるしゅうないよ」
「そう言って頂けて何よりだよ」
ベルと言いハアトと言い、取り敢えず気持ちは感じて貰えたようで何よりです。ちなみに隣でベルは不快そうな顔をしていますが、僕があしらわれているのを見るとついでと言わんばかりに釘を刺してきます。
「それにルアン様。あの状態で流れられると引っ張り上げる腕が沈まれて困るのですが」
「……つまり助けづらいってこと?」
「そうなります。私まで川に落ちたくないので、正直溺れられていた方がまだ……」
「そんなこと言う?」
うーん、せっかく見出した新展開なのに僕を助け出すベルとしては困るようです。どうにか新しい浮かび方を考えねば、これは進歩とも成長とも言えないかもしれない……。
そんなことを話していれば、僕らはもうカルロスさん家の目の前まで来ていました。せっかくなら漁師のカルロスさんに上手いこと浮かぶ方法を聞こう――なんて思いながら戸を叩こうとすると。
「……あァ?」
「おっと……カルロスさん?」
「おう、坊主じゃァねェか」
目の前に小麦色に焼けた筋肉の壁。見上げると、カルロスさん……だったのですが、なんというか、覇気がありませんでした。目付きが悪く、どこか気だるげというか。
カルロスさんは僕を認めるとちょっとだけいつもの調子に戻って、僕の肩をポンと叩きました。
「ちょうど良いところに来たなァ。よし、行くぞ」
ぐぐい、と不調そうながらも僕よりも確実に力強い体躯で僕を浜辺の方へ連れて行こうとするので、慌てて聞き返します。
「行くってどこへ?」
「漁だ。見ての通りオレが出れなくてなァ……船に乗ってもらうぜェ、坊主」
……船?
僕は思わずベルとハアトの方を真顔で見返すしかありませんでした。
……ようやく溺れなく、浮かんで流れるようになった僕が、大海原で……漁……?