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君に捧ぐ

作者: 神崎 月桂

 いつからだろう。

 自分がこんなにも無力だと感じ始めたのは。




 俺が彼女に出会ったのは……、さて、いつ頃だったろうか。


 たぶん、小学校低学年。いや、それより前、幼稚園のころだろうか。

 その頃のことは、あんまり覚えていないし、ついでに言えば、覚えていたとしても、彼女について、特にこれと言った思い出などなかった。




 さて、時は進んで小学生。この頃の思い出は……。うん。あんまりいい思い出なんてなかった。

 俺自身、運動神経が悪かったし、どちらかというと、グラウンドで遊ぶより、教室で本を読む方が好きだった。姉が一度見せてくれた少女向けの小説に、姉以上にはまったこともあった。あとは、同級生に勧められた本にも。


 それから、今となっては何故そんなことをしていたのかは分からないけど、昼休みに、何故か一人で掃除をやっていた時期もあった。暇だったのだろう。きっと。

 この頃は、確か好きな子がいたはずだ。今となっては、何故そいつのことを好きになったのかは、分からない。ちなみにここまでで出てきた彼女のことではない。


 上にある通り、運動は苦手。むしろ嫌い。だが、少なくとも、頭の方はバカではなかったと思う。小学生の頃は勉強しなくても満点くらい余裕でとれていた。まあ、他の人でもそんな人はたくさんいたが。


 まあ、たくさんいるからといって、それが全体集合に対して言えるわけもなく、やはり部分集合に留まる。そして、それ以外の集合に属する人からは、そういう人は嫌われるわけで。

 しかしまあ、その全てが嫌われるわけではなく、嫌われるのは、そうだな。例えるならば、クラス全体の集合を全体集合として、成績がいい人を集合A、運動ができない人を集合BとしたときのAとBの共通集合A∩Bだろうか。集合が理解できない人は、とりあえず、成績が良く、運動ができない人たちと思って貰えれば、それで正解だ。


 まあ、さらに言ってしまえば、その上で他の人間とあまり積極的に関わろうとしない人物。と言う条件も重なる。お気づきだろうか。見事に当て嵌まる。

 まあ、そんなわけで、小学校では、見事に虐められた。いろいろな虐められ方はした。記憶に根強く残っているのは、放課後に帰ろうとしたときに、二、三人で急にグラウンドに押しつけられて、口の中に砂を詰め込まれた。あとは、ランドセルが潰れたこともあったっけ。


 まあ、教師陣もそういう面倒ごとは嫌いなのか、言ってもほとんど何もしてくれないし、やったとしても中途半端にしかして貰えず、逆に激化することが多かったので、途中から教師を頼るのを辞めたこともあった。


 そんな教師たちの中で最も嫌いだったのは、小学四年生の時の担任。上に示したような面倒ごとが大嫌いな教師の典型例。虐められていると言う児童がいても、とりあえず返事だけして、無視。その癖、なんでもないような小さいことでは、親の(かたき)かというような勢いで怒る。俺が嫌いな教師の第二位だ。ちなみに一位は中学生の教師。


 さて、そんな中で出会ったのが彼女。明るく、天真爛漫で、無邪気。運動は得意で、それでいて頭が良い。まあ、彼女のことはもとから知っていたが、俺の性格上、彼女とは住む世界や環境が違う。故に関わることがないような人物だと思っていた。


 ちなみに、話は脱線……。まあ、あとで繋がるのだが、いいや。脱線するが、俺の家にはピアノがある。ちなみに最近では姉が占領していることが多い。アップライトピアノだ。アップライトピアノって何?と思われる人は、音楽室にあるようなグランドピアノではなく、どちらかというと、直方体に鍵盤が生えたようなピアノを想像して貰う方がわかりやすい……。いや、分かりにくいか。


 そういえば、集合やら、直方体やら、気付いた人もいるかもしれないが、俺は完全な理系である。国語も英語も、文系科目は壊滅的だが、理系科目は得意科目として自信を持てる。


 おっと、本当に脱線してしまっていた。で、話は戻るが……、どこまで言っただろうか。

 そうだ。家にピアノがあるというところまでだ。それで、毎週金曜日、姉とともにレッスンを受けていた。まあ、諸事情。簡単に説明すると、姉の勉強環境などの変化で途中で辞めるのだが、まあ、そんなことは今はどうでも良い。


 とにかく、ピアノを習っていたと言うことが今は大切なのだ。

 さて、これでやっと本筋に戻れる。長い脱線だった。


 えっと、そうだ。俺と彼女は関わることはないと思っていたのだが、ここに来て大きく関わることになる。ピアノの話でもうわかっている人もいると思うが、無論、時間は音楽の時間のあと、休み時間だ。

 偶然にも、彼女がピアノを弾いているのを見かけた。住む世界が違う?環境が違う?知ったものか。音楽は正義だ。

 と言うわけで、ピアノの音に吸い寄せられて、俺は彼女と接点を作ることになる。平行線だった線同士で交点を作る。非ユークリッド幾何学的な表現。俺個人としては好きな表現だ。


 まあ、そんなこんなで俺と彼女は仲良くなったわけである。そして、ここに来て、今までやって来たことのうち、あることが意外な形で結果を生み出した。

 俺が姉から紹介された少女向けの小説。それに彼女がハマったのである。まさかこんなところに来て、こんなことが力を発揮するなど、この二年ほど前の俺は知りもしなかったろう。


 まあ、悪い思い出ばかりではなかったが、全体としては悪い六年間だったとは思う。

 そんな理由で、当時の俺は中学生の生活に憧れを持っていた。今の生活がどれだけ変わるのだろう。期待を胸に馳せていたが、まあ、その期待には大きく裏切られる。

 ちなみに、卒業文集で書いた作文の題はたしか、夢だったかな?まあ、平凡な題名だが、内容はかなり特殊なものだった。おかげさまで当時の担任に、本当にこれでいいのかと聞かれた。いいから出しているのだろうが。




 さて、時間は進みまして中学生。一年の時の担任は俺が最も嫌いな教師。担当教科は家庭科。一週間に一回だし、許してやろう。

 ちなみに、中学校では、テストで満点こそ取れなかったものの、それなりに良い点数はとり続けた。数学では学年一位も取った。


 ちなみに、皆さんは数検なるものをご存じだろうか。正しい名前は実用数学検定。略して数検。英検の数学版である。数学好きが高じて、中学生の段階で準二級を取った。全て独学。本からの知識のみで。自分でも、これはやってやったと思った。ちなみに準二級がどの程度のものかというと、数学Ⅰや数学A。一般的な高校一年生レベルである。

 まあ、世間にはもっと凄い人がいるので自慢できるほどではないのだけれども。


 またもや脱線していた。さて、小学生時代、酷かった虐めはかなり収まった。まあ、なくなったわけではなかったけど、かなり……、いや、ものすごくマシになった。天と地ほどの差がある。


 そんなこんなで、始まった中学生時代。入った部活は吹奏楽部。もともと入る気はあったし、決め手はやはり、彼女からのお願いがあったからだろう。一緒に入ってくれない?と聞かれ、まあ、断る理由も無く、承諾した。

 ちなみに、ここで俺の中学生時代の努力内訳を考えてみた。六割、吹奏楽、二割が数学、一割九分程度がゲームで、残りの零割一分が勉強だったろう。とにかく勉強したくなかった。


 というのも、教師が大嫌いだった。さすがにそのほとんどは小学四年生、当時の担任に勝る者がいなかったが、ほとんどの教師がクズだった。ちなみに唯一、小学四年生のときの担任を上回ったのが、先ほど書いた通り、一年生の時の担任。そして、三年生の担任にもなる教師だけだ。おかげさまで授業はほとんど聞かない。ノートは真っ白。まあ、これでよく成績が下がらなかったものである。


 さて、一年生、そして三年生の担任の奇行をいくつか紹介しよう。まあ、記憶に新しいものは三年生のときのものなので、ほとんどそれになる。


 まず、真っ先に記憶に浮かんだのは、印象に深かった、もはや事件。両親がガチギレしていたから良く覚えている。

 冬休みのある日、家の前、正確には玄関と門の間に、一脚、イスがある。そして、その上に、個人情報と言っても過言ではないような書類を放置されていた。

 そして親が奇妙に思い、学校に電話をかけてみると、なんと、その書類が発見されたのは放置されてから数日後だった。俺の家では玄関からではなく、勝手口から出入りすることがほとんどなので、余計に発見が遅れた。しかしどうだろう。

 ここでよく考えてほしい。確かにその教師が書類を置いた日というのは家族全員外出していた日である。しかし、その教師は俺の家のすぐ隣に祖母の家があることを知っている。

 もっと言ってしまえば、そのイスのすぐ隣に新聞受けがある。書類はいくらファイルに入っていたとは言え、紙。強風でも吹いて来よう者なら、飛ばされていたことだろう。運良く姉が玄関から出たから発見されたものの、さらに遅れていれば、大惨事どころではないだろう。

 母親が、せめてイスの上に置いたという旨の電話を入れようとは思わなかったのか?と怒っていた。もっともである。それさえあれば、発見は早まったろうに。


 しばらくして、校長、教頭、そしてその教師が家に来た。親に会うかどうかと効かれたが、俺は顔を合わせたくなかったので会わないと言った。それが正しい判断だったのかどうかはわからない。

 ただ、あとで親から聞いた話によると、校長と教頭が頭を下げてもその教師はほとんど頭を下げなかったり、放置していたことや電話を入れなかったことに対して、支離滅裂、意味不明な言い訳をしていたり、とにかくおかしなことしか言っていなかったと言う。ちなみに、この教師。五十代で、新任というわけでもなく、また、耄碌(もうろく)しているわけでもない……。いや、ここまで来ると、耄碌はしているか。


 一つ目の奇行を長く語りすぎた。二つ目は簡潔に、そして、二つで括ろうと思う。まあ、他にもたくさんあるのだが。

 やはり三年生。初めての進路懇談の時、俺と母親は耳を疑った。

 公立高校の併願校、つまり滑り止めとして選択できるのは私立高校である。さてはて、この教師、併願校の候補として公立高校の名前を出してきた。

 あまりそのようなことに興味がなかったとは言え、志望校の前後だったため、そこが私立高校ではないことは知っていた。

 母親がそのことについて指摘すると、反省する様子などほとんど無く、ああ、そうですねと、笑って誤魔化していた。ちなみに、このとき俺は進路懇談で言われたことは一切無視しようと思った。


 とりあえず、この教師の奇行は置いておいて、ここで別の話をしよう。そうだな、同じクラブ。要するに吹奏楽部の同級生の男子。そのうちの一人の色沙汰なんてどうだろうか。


 さて、ここでその男子のことを彼と称すことにする。この彼、俺の知る限り、中学生時代に彼女が三、四人いて、彼女になった人物も含め、彼のことを好きになった人物が七、八人存在する。吹奏楽部の中で最もモテていた人物である。


 ちなみに俺が性的な知識を持つきっかけになったのは、この彼が原因である。この彼の中学生時代最後の彼女。そして今現在も彼女である女性と、中学三年生の夏。遂に、その……。なんていうか……。

 一線を越えた……。らしい。


 当時、この手の情報に疎く、単語を聞いても、何それ? となっていたが、この彼によって、いろいろと教えられた。

 とはいえ、未だに知らないことも多く、高校生になった今でも、友人の会話についていけないこともしばしばである。

 まあ、そんなこんなで、モテていた彼がいた。ちなみに彼とは学校は違うが、連絡は取っている。


 吹奏楽部で言い忘れていたが、先に言ったとおり、彼女もまた、吹奏楽部に入っている。ピアノをやっていた彼女は、フルートを担当していた。彼女は、良い意味でも悪い意味でも……。いや、ほとんど悪い意味で時間にルーズで、顧問の先生にこの時間に自主練を終わって学校から出るように。と言われた時刻になってフルートの片付けを始めるほどだった。

 そんな意味合いもあって、彼女は顧問の先生に、女王という異名をつけられていた。まあ、同級生の男子に恐れられていると言う点では合点がいくのだが。え? 俺? 別に彼女のことを怖いと思ったことはないけど、他のやつは思うらしい。


 ちなみにそんな彼女に俺は一度だけものすごく腹を立てた事があった。二年生の冬。あともう少しでアンサンブルのコンテストという時期。彼女はフルート四重奏(カルテット)に出る予定だった。そんな時期に、俺は彼女とすれ違いざまにある呟きを聞いた。聞き間違いだったかもしれないが、しんどい。という四文字が脳裏にこびりついた。

 俺は違和感を感じ、彼女に大丈夫か?と聞いた。すると彼女は何故そんなことを聞くのかというような表情で、大丈夫大丈夫。と言った。大丈夫が二回、素数。いやいやいや、そんなことは今は関係ない。とにかく俺はそう思った経緯について説明すると、彼女は、大丈夫。そんなことは言っていない。と。


 どうしてもその違和感はつきまとうが、彼女の言葉を信じて、次の日。耳を疑った。

 彼女は、インフルエンザで休んだ。もう、腹が立って腹が立って仕方がなかった。ちゃんと言ってくれなかった彼女にも。気付ききってやれなかった自分にも。


 彼女はアンサンブルのコンテストには間に合った。本当に安心した。

 とまあ、こんな感じの思い出だった。

 ちなみに二年生のときにはスキー合宿が。三年生では修学旅行があったが、その中でクラスミーティングなるものがあった。しかし、やはり両者ともまともなものは書いていなかった。もちろん、卒業前に書いた、卒業宣言という作文でも。

 中学校での三年間は、想像以上に悪かった。主に教師が。




 そして、高校生である今に至る。高校に入ってから早半年。様々なことがあった。彼女とは別の学校に進学した。そんなこともあって、とりあえず、特筆して書くこともない。まだ半年だし。




 長々と、これまでのことを書いてきてみた。至る所で出てきた彼女。この彼女は実際に、俺の元、彼女である。どこからどこまでがその期間であったかは、想像に任せようと思う。決して面倒だからではない。

 そして、俺はこの彼女に幾度となく助けられ、導かれ、いろいろな大切なことを教えて貰い、受け取った。ここには書ききれないほどのことを、ものを。

 そして、俺はそれに対して、一厘すらも返せていない。返せていないはずなんだ。

 俺が虐められていたせいで、仲良くしていた彼女にまで被害が飛んだこともあった。何度も、何度も。

 それなのに、優しく、仲良くしてくれた。何でだよ。離れれば楽になれるはずなのに。

 時というのは残酷で、そんな彼女に恩返しが、謝罪が、未だ済んでいないまま、流れ進んで、もう、(あがな)うことが困難になっている。言葉一つ伝えることが困難になっている。

 それなのに……。


 部屋の片付けをしていて、見つけたのは、一通の手紙。正確には今年届いた年賀状。まだ、中学三年生の頃に貰ったもの。手書きだろうか。それとも、途中まで書いて、それを印刷したものにメッセージを書き入れているのだろうか。まあ、どちらでも良い。

 デフォルメされた干支に、HAPPY NEW YEARの文字。郵便番号、住所に氏名。そして、メッセージ。

 四角く縁取られたメッセージ欄に書かれたその言葉に、俺はどんな感情を持ったのだろうか。


 色々あったけど、

 感謝してるところ

 〈助けられたこと〉もあります。

 ありがとう。


 他にも受験のことも書かれていたが、そんな文章、今はどうでも良い。

 この言葉が、胸に、心に突き刺さって、何かを抉り取ろうとする。

 涙が、こぼれそうになる。

 無力だったはずの俺に、どうしてそんな言葉をかけてくれる?

 分からない。

 この感情を、どう表現すればいい。

 この思いを。どうすればいい。

 感謝しているのは俺の方だと言いたい。

 助けられたのは俺の方だと言いたい。

 どうか、どうか。伝えられない。伝えることの叶わない、この言葉を、この思いを、この気持ちを。

 届くはずのない、君に、


 捧げます。

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