闇 ~ 心旅 その三 ~
私が訪ねようとしている「彼」は突然現れた。いったいどこから来た何者なのか。最初の出会いでは、考え方が対極にあるいけ好かない野郎と言う印象しかなかった。しかし、だからこそ彼がどう考えるかを確かめたくなった。あなたにもそんなときがありませんか?これから先は、わが身にも起こりうることとしてお読みください。そして、私たちはいったいどこにると思われますか?
うす暗い空間は四方に果てしなく伸び、低い周期的な音が小さく唸るように響いている。空気は湿って重く、かすかな黴臭さ、腐敗臭が生温かい風の中に漂う。
ずいぶんと迷った。もちろん、来るべき場所でないことも分っている。しかし徐々に膨らんでいく気がかりに、このままでは押しつぶされてしまいそうだ。誰かに意見を求めたい。そう、自分と対極にいるあの相手に。
彼はある日突然現れた。どこからどうやって来たのかはわからない。もちろん素性など知る由もない。しかし彼の存在は大きい。それまで私は自分の考えに疑問など抱いたことはなかった。主の行動はすべて私の思う方向へ行われた。ところが彼はすべてを否定し、主の価値観を揺るがせた。かく言う私もそうだ。はじめて彼にあった時に浴びせられた言葉で全身が凍り付き、それまでの自分を恥ずかしくさえ思った。自分に全く自信が持てなくなったといっていい。だから今日も…。
薄明かりの中あたりをうかがうが、薄暗がりの中には誰もいないようだ。さては、行っているのか。ならば出直すしかなかろうが、このどうしようもない気持ちにあとどれだけ耐えられるだろうか。
「ほう、これはこれは。ここでまた会うとは…」
不意に、右肩越しに声が聞こえた。いたのか。全身黒づくめで現れたこの人物こそ、不本意ながら話を聞いてもらおうとしている相手だ。まるで獲物を待ち伏せしていた蛇のように、まったく気配を感じなかった。初めてここに来たとき、不意に出現した彼に危うく悲鳴をあげるところだった。
「まあ、掛けたまえ。」
いつの間にか椅子が二脚、向き合う格好で現れた。
「失敬して足を組ませてもらうよ。足を組むクセと言うのは、身体のゆがみが原因らしい。なんとか言うストレッチをやれば改善されるらしいが、どうもあの動きは好きになれん。なにせ、私は鋼の関節を持っているのでね。ところで、かなり思いつめたご様子。一体何があったのだ?」
「いや…ちょっと、その、胸につかえたものがあって、そのことであなたの意見を聞きたくて。」
「ほう、私ごときの意見を聞きたい、と。」
相変わらず嫌味な言い方だ、決して自分を謙遜などしていないくせに。顎を上げ人を見下したような視線、勝ち誇ったような響きのある話し方にはヘドが出る。
ひじ掛けをつかみながら椅子の背にもたれかかると、ひじ掛けに乗せていた両手を口の前で合わせた。しばらくその格好でこちらを見つめていたが、軽く頭を左に傾け、話の先を促した。傲慢だと思っているのが態度に出てはしまいかと、軽く一つ咳払いをして続けた。
「他人を助けようとした行為、つまり‟自分がある人物に対して良かれと思って取った行動”を果たしてその人物が正当に評価してくれているのかが気になっている。ひょっとして見返りを期待しているんじゃないかと変に勘繰られてやしまいか、と。」
「貴様が取った行動が、正当に評価されるのかどうかが不安?相変わらず人目ばかりを気にして、自分の行動ががんじがらめになっておいでのようだ。そもそも、なぜそこまで他人のことを気にかけるのだ?他人を助けるために、自分の時間と労力を使うことは楽しいことか?」
「楽しいとか楽しくないとかではなく、困っている人を見かけたら助けるのは当然のことだろう?黙って見過ごすことはできない。」
「ふん、困っている人を見かけたら助けるのは当然だと‥。だが、たまたま見ず知らずの人間が困っているのを見かけたからと言って、彼のために尽くしてやることは貴様の義務なのか?そうではなかろう。むしろ人生という限られた時間の中、己を高めることを考え己のために生きていく、それこそが我々に与えられた義務であり特権だと思うが。」
静かに椅子から立ち上がると、ゆっくりと後ろを向いた。
「人は自己実現のために行動を起こし、達成感を味わうことによって満足し、また同じ感覚を味わおうと行動を起こす。自分が達成感という喜びを味わいたければ、まず考えなければならないのは今から起こそうとしている行動が、自分にとつてプラスなのかマイナスなのかだ。その判断をしなければならんときに、第三者のためになど…」
「しかし、それはあまりにも自分の事しか…」
右手を肩の高さにあげ私の話を遮った。
「そう利己的だ何だと批判せずに、まあ聞きたまえ。」
軽くうつむいて二、三歩進み、こちらに向き直った。
「貴様の好きなたとえ話をしよう。夏の暑い日に貴様は山道を登っている。朝から歩き尽くめ、疲労はピークに達している。喉はからからで頭はふらつき今にも倒れそうだ。ひょっとしたら熱中症になっているのかも。しかしまもなく行くと水場がありそこで水を飲み、小さいながらも木陰で涼をとり休もうと考えていた。そのとき、足元からうめき声が聞こえる。立ち止まり下を覗くと、たぶん滑り落ちたのであろう、一人のハイカーが怪我をした体を引きずりながら這い登ってくる。さて、どうする?」
「考えるまでもない。走り降りて、連れて上ってくる。」
「だろうな。貴様は躊曙することなく助けに走るだろう。おめでとう、期待通りの模範解答だ。しかし、その行為は貴様にとって、いいや、彼にとってプラスかね?」
「何を言う、傷を負って死にかねないような人間だぞ。命を救うのに、プラスもへったくれもあるか!」
「命は尊い。私は人の生を決して軽んじている訳ではない。もっとも、生きるに値する命であれば、だが。」
そう言うと、左から後ろへとすり抜けた。
「しかし、こうは考えられまいか。彼が困難に遭遇しているのは、自らで問題を解決し今後の幸運をつかむ力と知恵を身につけるため。であるならば、他人が成長するための試練を受けているときに水を差すような行動は慎むべきだ。」
反論しようと私が振り向くと同時に、言葉を続けた。
「ところがこうも考えられる。これはその人間を助ける方法を考え実行することで自分が成長できる機会なのではないか、と。さて、どちらが正しいのか?助けるべきか、そのまま見過ごすのか。」
「人を救うのに良いも悪いもあるか。命を救うのは、人として当然の行動だ。」
「人命救助に是非論はない?本当にそうか?正しい行動だと言い切れるかね?私はどちらの方法をとったにしても、選ばなかったほうの選択肢が本当は正しかったのではないかという疑惑は残ると思うがね。ましてや、後々彼が事件などを起こし犠牲者でも出そうもんなら、救った自分を責めることになりはせんかね?」
確かに。犯罪者の命を助けたとあっては、色々な方面から非難を浴びることになろう。
似たような話を聞いたことがある。ある国で帰宅途中の男が、降りしきる雪の中をずぶ濡れで歩いている男を見かけた。車を止め話を聞こうとしたが、歯の根が合わぬほど震えて言葉にならない。とりあえず車に乗せ自宅に連れて行き、熱いシャワーを浴びさせ適当な服を与えた。食事をしながら事情を訊こうとあれこれ質問したが、彼は一言も答えず礼を述べると雪の中に消えていった。翌朝テレビでは、前日の夜起こった殺人放火事件のニュースが流れていた。しかも犯人のものと思われる足跡が、捜査の結果対岸で見つかったと言う。そこは昨日彼を車に乗せた場所に近かった。驚いて警察に出頭した男は、いたわる気持ちより先に不審に思うべきだった、と事情聴取で話した。しかし果たして何人が、このような状況の男を警察に通報できただろうか?
「いくらお人好しの貴様とて、『凶悪犯を必死の思いで救いました』と言うことはできまい。かと言って、そのような瀕死の人間を見捨てることはできたかね?」
私に向かって突き出された人差し指は、空間を飛び越え私の胸を刺した。
「どちらの問いにも答えは出せない。では、なぜこのように答えの出せない状況に陥ったのか…それは他人のことを考えたからだよ。自分にとっての損得だけを考えていれば、行動の理由付けも単純であるし、その結果にも納得せざるを得まい。今のたとえ話で言えば、ハイカーをどうするかではなく喉が渇いて倒れそうな自分を救うことだけを考えればいいので、それ以外の邪心を持ってはならん。他人のことなど考えている余裕などないのだよ、人生には。自分に関係のない人間のことなど放っておけばいいのだ。」
「そんなことができるか!人は社会の中で生きており、一人では何もできない。お互いが助け助けられ、社会は成り立っている。‟人”と言う漢字が表している通り、人は他人の支えなしには生きてはいけないのだ。お前とて、人に助けられたことはあるだろう?」
「いい質問だ、答えよう。」
右の口元だけで笑うと、こちらを見据えていた視線を一旦外し続けた。
「私は、人に助けられたことなどない。期待した答だったか?確かに人は自分ひとりで生きているわけではないし、相互扶助が必要な場合もあるだろう。だが、『人間は一人では生きていない』ということと『集団で生活している』こととは根本的に違う。集団の構成要素、つまり能力に合った分業を行う自分としての存在があるわけではなく、あくまで社会の最小単位としての『個』として存在している。おわかりか?ああ、それと一つ訂正させてもらうが、‟人”と言う漢字は人同士が支えあっている様を象徴している訳ではなく、地面に両足で立っている姿を表したものだ。」
認識不足であった。まさに人が周りをいたわりながら生きていく生き物であることを見える形として表していると信じていたものが、実はさもありそうな美化されたこじつけであったか。論拠として確固たるものだと思っていた材料で、逆に上げ足を取られる結果となった。それにしてもこいつは、いつもながら難解な言葉を使う。
「〝社会の最小単位〟としての‟個”とは何だ?」
「〝社会の最小単位〟の定義ということだな?それは困難に遭遇したり問題が発生したりしたときに、その解決方法を自分で見つけ出せると言うことだ。考えてみたまえ。場所や言葉の意味が分らない時、貴様はどうしている?知り合いに電話するか?それとも、その辺にいるやつに訊くか?まさかそんなアナログな事はしていまい。指先を少し動かすだけで、答えはネットの中から見つけることができる。正確にインプットしさえすればものの数秒で答えは得られるのだから、相手の機嫌をうかがいながらお願いしたり、結果に対しあれこれ気を使ってお礼を述べたりする必要などない。違うかね?そのように考えている単位が、互いの繋がりを意識しそのために時間と手間を割いて生きているのが社会だと考えているとしたら、相当に甘ちゃんだな貴様は。」
「何度も言うが、人間は一人では何もできない生き物なのだ。その証に、狩猟民族であれ農耕民族であれ、集団を作ることで外敵から身を守り困難を克服してきたじゃないか。その歴史的事実に変わりはない。」
「歴史的事実だと?ふん、くだらん!」
「何がくだらんだ!人類の歩んで来た道を愚弄する気か?」
「いや、決してばかにするつもりで言ったわけじゃない。今私が存在しているのは、人類が生まれここまで歩いてきたおかげだ。感謝こそすれ、愚弄などはしない。だが歴史的事実というのは過去の事象の記録であり、それぞれの事象に対する評価は様々だ。貴様とて『過去正しかったものは今も正しい、模倣すべきである。』などとは考えてはいまい?」
すっ、と前に体を移し、こちらの眼を覗きこんだ。
「確かに狩猟・農耕の民族の違いにかかわらず、人間は群れと…〝集団〟と言ったか?集団となる事で人類は外的や危険から身を守り、困難・不便を克服してきた。いわゆる〝進歩〟を遂げてきたわけだ。しかしそれは、必要性があっての結果に過ぎん。現代のように身の危険をさして感じることもなく、共通の目標など持ち得ない状況では〝個〟としての意識が強くなり、‟結束”だとか‟絆”だとかいう概念的なものにすがっていては生きてはいけんだろう?」
昔と今では状況が違うから、価値基準も違っているということか。納得せざるを得まい。だが、過去の事象は単体として存在している訳ではなく、現在起こっている、またこれから起こるであろう事象に影響を及ぼす要因だ。
「過去に起こったことは、何らかの形で現在に影響を及ぼしている。それを単なる出来事としてとらえていたのでは、現代社会の成り立ちを理解することはできない。人間も同じだ。ある人物の生死は、その後の周りの人間関係のありように必ず影響する。要するに現代社会は過去を継承しており、人と人の関わりがない社会など存在せん!」
「すぐ熱くなるのが貴様の欠点だ。まあ、落ち着いて座りたまえ。では訊くが『現代社会は過去を継承して作られている』と言ったその社会を成しているものは何だ?‟個”以外の何者でもなかろう。であるなら、その〝個〟のアイデンティティーが、集団の中の役割分担という古のものから、自らが最小単位の社会であると言う現代のものに変わったとき、その集合体である社会の意識も必然的に変化するのではないのか?社会意識の変化は、その後の進む方向を決定するわけで、つまり歴史という名の記録を残して行くシナリオとなるのだよ。」
「‟個”をそれほど重要に思うお前には、共通の目的について語り合う友などいないだろう。悲しいことだ。」
「答えに困って話題を変えやがった…ま、良かろう。」
ん?口調が…変わった血の通った話し方というか…。表情も一瞬変わったような気がしたが、すぐにもとの無表情に戻った。
「ふむ、目標について語り合う〝友〟…フッフッ、新鮮だ。〝友〟と言う概念の中に、建設的な意味合いが含まれているとは考えてもみなかったな。いや、良い勉強になった。しかしだ、その〝語り合い〟とやらも、煩わしいことに違いがないだろう?語り合うと言うことはお互いが発言者でまた聞き手なわけだ。つまり相手の話の内容を理解し、自分なりの意見を構築し述べる。そして今度は相手が、こちらの話した内容を吟味して、意見を述べる。延々互いの意見の一致が得られるまでそんな不毛なやり取りを続け、いざ一致点を見出せないと分るや、お互いの主張を抑えた妥協案というものを作って納得した振りをする。結局はだ、相手に気を使い自分の言いたいことを言い尽くせないわけだ。特に彼の論理が稚拙なものだったら、話し合いは相手の最初の発言でジ・エンド、それ以上進める価値などあろうはずもない。」
その論理構成をも含めて話し合うのが友ではないのか?お互いの意見の内容、論拠をぶつけ合い修正しあう。論議とはそういったことであろう。どうやらこの男は、論議を無用の長物としかとらえられないようだ。
「ならば、目的達成のために悩んでいる友から助言を求められた場合はどうだ?結論を出せない相手を非難するか?」
「目的達成のために悩んでいる友から助言を求められたら…。それは貴様がさっき尋ねたことを違う表現・言葉で言っているにすぎん。相手を助けなければ自分も助けてもらえない、という。人間とはおかしなもので、望んでいなくともなぜか相談を持ちかけられることがある。幸いにも私に相談する輩などはいまいが、もし貴様がそんなはめになった時は、自分に損にならない無難な答えを与えて一切かかわらんことだ。その結果彼が不幸に会うことになったとしても、最終判断を下した責任は貴様にはない。傍観者でいる限りにおいては、負い目を感じることも手助けできなかった自分に悔しい思いをすることもない。親身になって考えてやる必要などないのだよ、他人如きには。」
先ほど感じた‟人間臭さ”はすっかりなくなり、元の断定的な言い方だ。
「なんて冷たい人間だ。良くそこまで人に嫌われることばかりできるものだ!」
「冷たい?なぜ人に嫌われるような行動しかとれないのか、だと?勘違いしないでくれたまえ。私は別に人に嫌われるような行動を好き好んでやっているわけではない。矛盾だらけの話を聞かず、他人に同調しないようにしているだけだよ。私は自分に正直に生きるしか能のない、不器用な人間なんでね。」
相変わらず低い音は響いているが、時折きらめきのような高い音が頭上を通り過ぎる。右から左、後ろから前へ、まるでアニメに出てくる流れ星の効果音のようだ。
「お前さんは、自分の感情どころか欲望すら口に出せないんじゃないか?」
ん?またあの口調だ。
「それは…認める。なぜなら断られたら辛いし、こちらが言いだしたことで相手が気分を害したら、自分に対する評価を下げてしまうだろう。」
「聞かされたほうは気分を壊し、自分への評価は下がる…こいつもまた傍目を気にした考えだ。どうして自分の思うところを正直に口に出来ない?嫌なら嫌、好きなら好き、欲しいなら欲しいと。」
「そのように直接的に口に出すのは、日本人本来のやり方ではない。己の感情は押し殺し、他人を立てることこそが美徳だ。本当に互いを思いやる関係であるなら、こちらの言わんとすること、欲しいと思っていることは察してもらえる。」
「感情を押し殺すことは美徳、相手はこちらの心の内を察してくれる?おいおい大丈夫か?いったい何時代の考えだ?今時、そこまで深読みする人間なんているか?いたとしたらまさにぶったまげた奇跡だ。フツーは本音じゃない言葉を額面どおり受け取られ、あっさりした答えに肩透かしを食うのが落ちってもんだろ。」
平易な表現に納得させられる。それにしても、表現だけではなく声の高さまで変わっている。もう一人の誰かが話しているようだ。
「教えてくれ。困難にぶつかった折、ときどき眼を閉じてブツブツ言っているようだが、あれは何をしているのだ?」
聞かれていたとは思わなかった。『何かにすがる思いであった』などと言うと、観念論など理解しないこの男にどういう言葉を浴びせられるやら。さて、何と言ってごまかすか。自分に対する鼓舞、行動の理由づけの確認、いや相手への呪いの言葉…
「無言の答えをありがとよ。察するに、自分の力の無さを‟誰か”に救ってもらおうとしてたわけだろ?だがな、‟神”は死んだ。んじゃあ‟誰か”とは何なんだ?所詮お前さんが作り出した都合のよい偶像だ。それに頼って正解を導き出したいのだろうが、どこかに唯一の答えがあるわけじゃあない。あるのは一人ひとりにとっての正解と、個別の世界だ。」
限定された環境の中でなら正解らしいものはあろうが、それが普遍的に正しいとは限らない。イエスで首を振るインド人の存在など、固定観念の強い人々には想像もできまい。
ふっと無表情に戻り、抑揚のない低い声で言葉を続けた。
「ひとつ提案だが、貴様の思いが正しいと証明したいのなら、いっそのこと自分の行動はすべて悪だ、と考えてみるのはどうだ?逆の立場での分析には、新しい発見があると思うがね。いやはや、貴様と哲学的な話をするとは思いもしなかった。」
低くフッと笑うと、立ち上がった。
「誠に申し訳ないが、私はここで失敬するよ。どうやら主にアドバイスをしなければならないようだ。本当のところは、貴様に感謝している。自分ではアイデンティティーを確立しているつもりだが、その確認は自分一人ではできない。しかし貴様の反面教師として主が私の存在価値を認め、たまには私が耳元で囁く甘い言葉を聴いてくれる。つまり、私の考えが単なる思い込みではなかったことだからな。」
妙に明るい、しかし皮肉のたっぷりこもった表現で、あろうことか尊敬された。
「貴様と話すと楽しい。楽しすぎて、私を作り出したいろいろなキャラが顔を出したがる。しばらくここでゆっくりしていってはどうだ、ん?闇の世界を知ることで光の意義も確認できるというものだ。そうは思わんかね、良心君。いや、そろそろ建前君と呼ぼうか?」
くるりと背を向けると、薄暗がりの中に足早に消えて行った。
「ハッハッ、‟建前君”か!こりゃいい。」
誇らしげな声が、あたりに響きながら昇っていく。
続