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或る脇役の独白

作者: 淡島かりす

 高校三年生の一学期の中間試験が終わったばかりの日だった。既に蒸し暑さすら伴う空気は、窓から天井から床から遠慮無く侵略していた。冷房は私立かあるいは都内の学校にだけ許された権利で、築数十年建つ校舎にそんな恩恵は望めない。

 その気怠い空気の中で、中間試験の結果を待つだけのはずだったその日は、教師の一言で終わりを告げた。


「X君が昨日亡くなりました。今から全員体育館に集合してください」


 違うクラスの生徒だということは、全員揃ったクラスを見回すまでもなくわかった。

 ぼんやりとした記憶しかないその名前は、自分にとってただの同級生だという認識しかないことを表していた。体育館に向かう行列はいつもより静かで、いつもより重い。


 X君が死んだって。

 どうして?

 事故で。


 違う、自殺らしい。


 そんな言葉が周りから聞こえてくる中で、私は二週間後の体育祭のことを考えていた。もうそれどころではないと知っているのに、他に考えることがなかった。

 体育館に並ぶ列は、とても華やかに見えた。

 金髪、茶髪、黒髪、銀髪。赤青黄色白白オレンジ。

 私服校で校則らしい校則もない高校に相応しい彩りは、一律に戸惑いを帯びている。

 私は静かに列に加わった。


 壇上で校長先生が話し始める。ジトリとした空気も忘れるほどに乾ききった声だった。いつも不調気味なマイクが今日だけ空気を読んでいる。

 X君はマンションから飛び降りたらしい。中間試験の最中にカンニングを見咎められて、試験を中断のうえで指導室へ連行された。そこで教師五人に話を聞かれたそうだ。

 一時間以上も教師に囲まれ、しかも高校三年生の中間試験の最終日にだ。想像しただけで寒気がする。

X君は試験科目と関係のない教科のテキストを見ていたらしい。受験勉強だろうか、それとも単なる暇つぶしだろうか。


 ただそれに正当性があるかどうかは子供でもわかる。

 わかるけどそれを全て飲み込めるほど、高校生という年齢は穏やかでも激しくもない。校長が壇上から下がるときに、同級生の男子数人が声を張り上げた。確かサッカー部のレギュラーだっただろうか。どこでも話題になる学年内の有名人ばかりだった。


「指導に問題はなかったんですか!」

「X君に何を言ったんですか!」


 そういう言葉を飲み込めるほど、皆冷静でもないし、冷静になってもいけないと思っているのだろう。男子生徒達の言葉は、体育教師の「調査中だから!」という言葉に押し込まれた。

 全校生徒の中に広がったざわめきの中で、ふと友人が思い出したように口を開く。


「ねぇ、X君ってさ。去年同じクラスだったんじゃないの?」


 私は、突然パーソナルスペースに入り込んできたそれに言葉を失った。






 同じクラスだったらしい。

 らしいというのは関わりがなかったからだ。二年生の時に作ったクラス文集を見たら、彼の名前が確かにあった。けれど私は彼と話したこともない。あるとしてもそれは事務的なことに違いなかった。顔も覚えていなかった。

 文集に皆が思い出や将来の夢を書く中で、彼は好きな曲の歌詞を書いていた。綺麗とは言わないまでも丁寧な文字で歌詞を書いていた。歌詞以外に何も書かれていないのが、なんだか物悲しかった。

 私は文集を閉じて、そのままため息も感慨もなく元の場所に戻した。呆れるほどに彼と私には何の接点もなかった。


 翌日に登校すると、いつもは化粧のノリだの、前日の野球の試合の結果だのに一喜一憂するクラスのリーダー格が揃って陰鬱な表情を浮かべていた。

 いつもの日常の中に非日常をパッチワークのように縫い止められた違和感がそこで動いていた。朝の会と私達が呼んでいる時間、いつも行われている出欠もままならずに、担任は全ての授業の中止を告げて、その代わりにある議題を与えた。


 体育祭を行うか否か。


 二択しかないそれは、極普通の日常を送る高校生には重苦しくて冷たいものだった。「自主自立」を重んじる学校の理念をこの時ほど恨んだことはなかった。

 生徒全員の相違をただ数値として認識するべく、議題が私達の頭上に横たわる。だが私は知っていた。その意見の方向性は、クラスのリーダー格達の総意に委ねられることを。弱体の名を冠する私達には、どんな意見も残されてはいない。


 陸上部、チアガール部、生徒会、サッカー部、吹奏楽部。

 クラスで大きな声を持つものの右に左に揃う意見しか残されてはいないのだ。反対であろうと賛成であろうとも。


 机と椅子が教室の四方に押し寄せられて、上座にリーダー格の男女が並ぶ。世界の基準がどうあるかは知らないが、時計回りにリーダー格に近い者が並ぶのは必須の理だった。円形に並ぶクラスの面々の中、私の左側の近い箇所にチアガール部の部長がいた。


「体育祭をやるかどうか一人ずつ意見を言おう」


 静かな議論が始まる。時計回りに意見が述べられていく。あの緊急集会から一日しか経っていないのに、誰が彼と同じ部活だったとか、同じ中学だったとか、全部伝播していた。このクラスの私を含めた数人が、去年彼と同じクラスだっとことも当然知られていた。


「俺はやりたくない」


 サッカー部のレギュラーである男子生徒がそう言った。去年同じクラスだった一人だが、やはり私は覚えていなかった。それまで私の世界は数少ない友人と部活の同級生で占められていて、それ以外の人間はカウントされていなかった。

 でもきっとそれは、彼ではなくて私が死んだ場合でも誰かが思うであろうことだった。同じ高校の同じ学年という括りで強引に存在してはいるけれども、一人一人の領域はあまりに狭い。


「私はやるべきだと思う」


 泣きそうな声で言ったのは、吹奏楽部の女子生徒だった。彼女が毎日遅くまで、体育祭で行う演奏のためにトロンボーンの練習をしていたことを私は知っていた。だが彼女の表情はそんな打算は少しも感じ取れない。

 それとも私がただ、人の感情を読み取るのが下手なのだろうか。

 その答えは誰も与えてくれそうにないし、求めてもいなかった。頭の中で、文集に書いた歌詞が回っている。


この世界が例え いくつもの星を滅ぼそうとも

僕はただ僕として ため息の数でその星を壊すのだろう


 自己中心的な歌詞が好きなのは今に始まったことでなく、そもそも歌詞なんて大抵が自己の欲求や哲学を表現したにすぎないだろうけど、私はその独りよがりな歌詞が心地よかった。

 その歌詞をなぞって現実逃避を図るが、30人程度のクラスでは、すぐに順番なんて回ってくる。

 名前を呼ばれて顔を上げる。口を開くと、思ったより声が乾いていた。


「私は」


 好都合だったかもしれない。その声のおかげで、何人かが悲痛な顔をするのが見えた。私がX君のことを知らないことなんて、誰も想像だにしていないようだった。


「X君のためにも、するべきなんじゃないかと思う」


 去年同じクラスだった女子が嗚咽を飲み込む音だけ、遠くで聞こえた。

 私の意見は大して力もなく、多数決の一つとなってそのまま流れていった。






 体育祭が開催されることに決まってから数日後、X君の告別式が行われた。

 私服校ゆえの問題として、万能の礼服たる制服は持っておらず、私は母親のスーツを借りた。母親は喪服もあることを伝えてきたが、私はそれを拒否した。喪に服せるほど、彼のことを知らないのだからそれは失礼な気がした。


 去年同じクラスだった友人と、電車に乗って初めて行く駅へ向かった。

 乗り換えの時に少し悩んだ他は、碌に言葉も交わさなかった。ただ一人で行くわけではないという安心感だけ感じていた。

 よくある片田舎の駅で降りて、告別式の案内看板に従って道を進む。

 途中で、部活の同級生達に擦れ違った。部長である女子生徒が私を見て、真っ赤な目のまま一つ頷いた。その意味がわからないまま、私も黙って頷いた。

 意図も何もなく、意思疎通だけ完了してくれたようで、彼女達はそのまま駅へと向かっていった。


 やがて二階建ての葬儀セレモニーにたどり着くと、微かに線香の香りがして、それと同時に何かの旋律が聞こえてきた。私は彼の文集に書かれた歌詞を思い出した。

 きっとこれは彼が好きだったアーティストの曲なのだろう。会場の前で男子生徒が何人か集まって泣いていた。そこにいる殆どが、当然ながら同世代の男女ばかりで、いずれも着慣れない喪服やスーツに身を包んでいた。


 会場に入って、案内されるまま彼の前に立つ。誰かの葬儀に出るのはこれが初めてだった。真っ白な花に埋め尽くされた部屋はすすり泣きで満たされていて、その中を物悲しく彼が好きだった曲が流れている。

 白い花を手渡されて、棺の前に進む。そこには平たい台が用意されていて、既にたくさんの花が備えられていた。

 棺の上の写真、微笑んでいる少年は見覚えがあったけれど、やはり何も思い出せなかった。


 私は花を添えると手を合わせて黙祷した。

 覚えてなくてごめんね。と謝罪する。体育祭の存続可否のあの会議のように、私の花は沢山の花の中に埋もれてしまった。


 帰り道に友人が、ご飯を食べようと言った。地元駅近くのマクドナルドに入って、一番安いセットを購入した。

 カウンター席に並んで腰を下ろして、ハンバーガーを口にする。そしてお互いにとりとめもない話題を交わした。

 体育祭のこと、試験のこと、去年のこと。

 いずれも彼の話題には触れないように絶妙なバランスで。話題の中に携帯電話のことが出た時に、ふと私は長いこと携帯の電源を切っていたことを思い出した。

 スーツのポケットから取り出した携帯電話の電源を入れて、メールが来ていないか確認する。すると一通だけ受信されたのは、去年卒業した先輩からだった。


「生きているなら連絡しろ」


 たった一文のそれに首を傾げつつも返信する。


「どうしたんですか」


 数分するとまたメールが来た。


「誰が亡くなったとかわからないんだ。お前かもしれないって思った。心配しただろうが」


 ぶっきらぼうな、女の言葉とは思えないそれについ苦笑する。

 なんだかそれに酷く救われた。先輩に取っては、私も彼もきっと同じなのだと思えたからだった。


「生きていますよ」


 誰が亡くなったとか、どうしてだとか、きっと先輩には必要ないだろうから、私はそう返した。なんだか心にあった靄が晴れた気がした。

 長いポテトを口に咥えて、傍らの友人に目を向ける。


「体育祭、がんばろうねぇ」

「そうだね」


 全てが終わったような感覚に、暫く私は酔いしれていた。


End.


自殺した人でもなく、その友達でも関係者でもなく、本当にただの同級生の感情を書いてみました。

10年前に書いたものがなくなってしまったので、書きなおしてみたのですが、上手くいかないものですね。

前のほうが導入部がスムーズだった気がします。気のせいかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 純文のような雰囲気でいて、するすると読んでいくことの出来る文章でした。流石。 「きっと私自身も学校の誰かが亡くなったらこういう感情になるのだろう」と思わせる、心を動かす部分があるように感じ…
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