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悲色

 春は出会いの季節、別れの季節。誰かが言ったけど本当にその通りだと思う。そんなことを柄にも無くしみじみと思ったのは、卒業式前にと大学を訪れた時のこと。

 桜の花がちらほらと咲き始めた三月。卒業式前に思い出を振り返りたくて、春休み中の大学を訪れた。春休みと言っても活動してるサークルとかがあるから無人ではないけれど。

「ご機嫌っスね」

 隣にいる翔が少し不満そうに告げる。不機嫌になると口をすぼめる所は小学生の頃と変わらない。変わったのは背丈と関係。いつの間に背丈は翔に抜かれ、弟の友達だった翔は今では私の恋人になった。

 卒業式前にもう一度一緒に校内を見たい。そう告げた私に「めんどくせー」って言いながら笑顔で承諾したこいつ。きっとこいつには私の考えていることがわかっているはずだ。

 翔と付き合ったのは翔が入学してすぐのこと。この大学は、翔との思い出に溢れてるから。卒業する前にもう一度翔と校内を見て回りながら思い出を振り返りたい。

 校門を過ぎれば広がるいちょう並木。この並木道は入学したての翔と出会った場所で、何度も翔と共に通った道。再会したきっかけはサークルの勧誘だった。

「たしかここで、帰ろうとした俺を引き止めたんだよな」

 翔が入学式の後のサークル勧誘にて、私が話しかけた場所に立つ。話しかけたのは私から。別れ際にデートに誘ったのは翔から。でも翔はあの時私が話しかけた時の真相を知らない。

「よく見つけられたよな。新入生勧誘であちこち回ってたんだろ?」

「ああ、勧誘は嘘。あれは勧誘って名前の待ち伏せ。ここでお前を待ってたんだよ。偶然を装ってお前に話しかけるために、ね」

 当時を思い出して懐かしそうに目を細める翔。でも私が当時の真相をバラすと細めていた目を大きく見開いてこっちを見る。「嘘だろ?」って翔の目が訴えていた。

 仕方ない、あの時には私は翔を好きになっていたから。同じ大学の同じ学部に入学してきたから。どうせなら何らかの形でいいから関わりたいって思った。私なりの悪あがきでもある。

「結局私のいるサークルに入ったけど、あれは偶然?」

「あー、あんたがいたから入った。それだけ。いや、元々空とか見るの好きってのもあるけど」

 入学した翔は結局私の入っていたサークル全てに入った。全てと言っても写真サークルと天文サークルの二つだけど。挙句私と同じように天文サークルの部長になったんだから面白い。

 いちょう並木を通り過ぎて校舎の中へ。校舎に入って真っ先に訪れたのはよく待ち合わせた食堂の席だ。翔とはほとんど接点が無かったから、朝一緒に登校するとか、一緒に帰るのが精一杯だった。

 私は卒論のために研究室配属になっていて、翔は一年生だから座学ばかりで。実験が延びて帰りが遅くなる私を、翔はいつもこの席で待っていてくれた。待ってる間に授業の復習を済ませていたせいか、成績は良い方だったのを覚えてる。

「よくここで勉強してあんたを待ってたな」

 翔がぽつりと呟く。どうやら同じことを思い出していたらしい。そんな些細なことが嬉しくて、翔の手を握る力を少し強くする。それに気付いた翔が幸せそうに微笑んだ。

「先に帰ればよかったのに」

「俺、家だと勉強しねーからちょうどよかったんだよ」

「私を待ってるせいで留年したらってずっと心配だったんだ」

「それは悪かったな」

 思わず口から出たのは当時は言えなかった本音。それに言葉を返す翔は耳まで赤く染めていて、なんでかいとおしい。もう大学でこうやってこいつと話すことも出来なくなるなんて、悲しい。

 そういえばあれは翔が一年の夏だったか。放課後に食堂の席で旅行の打ち合わせして、一緒に星空が綺麗に見える所まで行ったな。昼休み、たまにここであったらたわいない会話をして。そんな些細な思い出全てが大好きだった。


 校舎を出て向かったのは校舎とは別の建物。そこにはいくつかの教室と自由に使えるテーブルや椅子の置いてある広い部屋があって。朝早くに一緒に登校したらその広い部屋で翔と一緒に話したり勉強したりしてた。

 でも今日はその広い部屋は清掃中で入れない。仕方なしに外にあるベンチに座って二人してぼーっと空を見上げる。雲と青空が綺麗だった。

「秋のイベントの時だっけ。ここで屋台の食べ物を一緒に食べたの」

「イベントじゃない、文化祭だよ。と言っても食販が多かったし、私は研究室の方を担当してたけど」

 私の大学は秋、十月になると文化祭のようなものを行う。その時は実習が被らなかったから、結果として三年連続で翔と回った。ベンチで買ったものを食べて、天文サークルの出し物を見たりして、翔が私の研究室を見に来て。

 黄色く色付いた葉が舞う頃のことだ。いちょう並木の銀杏の匂いも、文化祭の中夜祭での生徒の馬鹿騒ぎも、当時は嫌だったけど今となっては少し恋しい。

 私達はベンチに座るのをやめて再び校舎に戻る。行くのは校舎の地下一階にある図書室だ。調べ物や宿題、テスト勉強をするためによく来た。

 でも私が来たかったのは図書室じゃなくてその近くにあるリフレッシュルームと言う名の空きスペース。自動販売機と椅子とカウンターテーブルがあるだけのそこは、会話の出来る貴重なスペースだった。

「ここでお守りを貰ったよね」

「それくらいしか出来ねーだろ」

 お守りのことを指摘した翔が私から顔を逸らして首の後ろを掻く。照れた時によくやる翔の癖。翔なりに気にしてくれていたんだって思うと自然と暖かい気持ちになる。

 国家試験が近くなった今年の二月のこと。図書室で勉強をしていた私の元を訪れた翔は、私をリフレッシュルームに呼び出した。そして私にお守りと暖かい缶コーヒーをくれたのだ。

 自分だって寒いはずなのに私に寒くないか聞いて。私がマフラーと手袋を持ってきていないと知ると自分のマフラーと手袋を差し出した。「あんた、今風邪引いたら駄目だろ?」と顔を赤くして言ったのが可愛かったのを覚えてる。

「国試、多分通ってる。自己採点の結果が正しければ合格してるよ」

「それはよかった」

 まだ国試の結果は出てない。でも自己採点の結果はかなり良くて。解答欄のミスや解答のチェックミスなどの凡ミスが無ければ合格してるって先生に言われた。

 翔に差し入れを貰った日にやった内容がかなり出て。だから、国試に合格してるとしたらそれは翔のおかげになる。でもそれは今は言ってやらない。翔が国試に合格してから、教えてやろう。


 行きたい所を全て回り、校門の所に戻ってくる。もう思い残すことはない。大丈夫、私ならやっていける。心残りがあるとすればそれは、翔より先に卒業してしまうこと。

 ふと翔に目を遣ると、大学に来たばかりの時と同じようにどこか不機嫌だ。時折見せる悲しそうな表情が胸を苦しめる。でも「そんな顔するな」なんて言えない私がそこにいた。

「あんたは、寂しくねーの?」

 ああ、お前はそんなことで不機嫌だったのか。私が翔と別れるのを悲しんでいるように見てないから不安だと。逆だよ、寂しくないわけないだろう。

 翔、頼むからそんなことを聞かないでくれ。今翔と校内を回って気持ちに蓋をしたばかりなんだ。卒業式の日に泣かないで済むようにって。

 一つ、二つ、頬を伝う何か。それが涙であると気付くまでにしばしの時間を要する。ああ、やっぱり無理だ。最後まで泣かないつもりでいたのに。翔が変なことを聞くから涙が止まらないじゃないか。

「馬鹿。お前の、せいだ」

 泣いてる顔を見られたくなくて翔の胸に顔を埋める。暖かい体温に包まれてると少しだけ安心する自分がいた。背中に翔の手が回り、翔に抱きしめられる形になる。

「あと三年、待っててくれ。速攻で就職決めて、国試も合格して、あんたを迎えに行くから」

 翔の低い声が耳に心地いい。迎えに来るのを待ってる。そう言ってやりたかったけど涙が止まらなくて、話す余裕なんてなくて。だから、言葉の代わりに翔の腰に両手を回すことで意思を伝える。

 もう今までみたいに頻繁に会うことはなくなる。いや、頻繁に会えたのは最初の一年だけでそれ以降は頻繁でもないか。でも今までより会う頻度が減るのは確実で。

「俺の前でなら泣いていいから。俺にあんたを、ゆかりを、支えさせて。ガキだけど、それくらい出来るから」

 何かが私の背中を濡らす。何事かと顔を上げればそこには涙を流す翔の顔がある。馬鹿、支えさせてってわりには自分が泣いてるじゃないか。

「泣き虫くんに、言われ、たく、ない」

「卒業式は笑って見送るから。だから今日だけは、泣き虫でいさせて」

「泣き虫なのはお互い様、だね」

 互いに強く抱きしめる。声も顔も体温も、何もかもを忘れないように。どんなに近所でも今までみたいに会うことは出来ないから。心の隙間を埋めるように私達は互いに泣き合った。

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