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君色

 一度は諦めた。あの人は友達の、彰のお姉さんで、三つ年上で。だから諦めた。自分の気持ちに気付いてない振りをした。

 彰のお姉さんだから、なんだか彰に申し訳なくて。三つ年上だから手が届かない気がして。彰にもこの気持ちを知られてはいけないって思った。

 試しに他の人と付き合ってもみた。でもあの人ほど大切には出来なくて、告白してくれたのにその子を好きにはなれなくて。結局その子は俺から離れて他の人のところに行ってしまった。

 告白された子に振られたことより、別れてほっとしている自分が悲しくて。その子に対する申し訳なさに公園で泣いたのを覚えてる。そんな俺の傍にいてくれたのはあの人だった。

『今度は本当にお前の好きになった奴と付き合ったらどう、泣き虫くん?』

 あの人は泣いてる俺にそう言った。以来あの人に「泣き虫くん」ってあだ名で呼ばれるようになったけど、不思議と嫌な気分にはならなくて。でも問題が一つだけあった。

 俺が本当に好きになれる人なんてあの人しかいないんだろう。他の人と付き合ってみてわかった。俺はどんな女の人でもあの人と比べてしまう。

 あの人だったらこう笑う。あの人だったらこう言う。あの人だったらこんなことをしない。そんなことばかり考えるから、他の女と付き合うのは辛い。

 何してもあの人に結びつけるから。それくらいあの人のことが離れないから。「好き」がどんな気持ちかはわからないけど、本当に好きになれる人なんてあの人しかいないんだと思う。

 だからこれは賭けだった。今思えばかなり大胆な事をしたと思う。でも俺のしたことに後悔なんてない。

 大学の入学式の日、偶然にもあの人と会った。あの人はサークルの勧誘をしていたけどそれを中断して俺に話しかけてくれて。気がつけば勧誘しに戻ろうとしたあの人の腕を掴んで言葉を発していた。

「今度、一緒に食事でもしません?」

「それ、デートの誘い?」

 あの人の眼差しは真剣だった。答えに詰まり、思わず視線を逸らす。沈黙がなんとなく苦しくて、必死に動かない頭を働かせた。

 あの人に視線を戻すとあの人が首を傾げる。その綺麗な姿に思わず触れたくなって。自分にその権利がないことに気付いて慌ててその衝動を抑える。

「多分……」

 間違ってはいない。世間一般では男女が日時を決めて会うことをデートと呼ぶわけで。嫌だと言われるだろうか。そう思いながらあの人の返事を待った。

 あの人は顎に手を当てて俺の言葉の意味を考える。その顔は今まで見たことがないくらい真剣だった。そして満面の笑みを浮かべて言ったんだ。

「いつがいいの?」

「へ?」

 あの人の返事に何とも間抜けな声が出た。思わず自分の耳を疑ったのは今でも覚えてる。まさかあの人が肯定するなんて夢にも思ってなかったから、驚きを隠せない。

「デート、楽しみにしてる」

 俺の動揺を知ってだろう。あの人がもう一度肯定の意を示してくれる。にっこりと笑うあの人がやけに輝いて見えた。


 今日が、そのデートの日だ。今日が楽しみ過ぎて昨日はほとんど寝ていない。まさかあの人とのデートに隈を作っていくことになるとは思わなかった。

 あの人を待たせたくなくて、待ち合わせ時間の三十分前に待ち合わせ場所に来た。服装も俺なりに気にしたつもりだ。待ってる間に、やっぱりあの人のことを考えてしまう。

 あの人は俺のことをどう思っているんだろう。デートに応じてくれたからきっと嫌いではないんだろう。にしても、他にも人がいる前であの人をデートに誘うなんて自分でもびっくりだ。

 このことを言ったら彰と晴人にめちゃくちゃ笑われたっけ。三人で遊んだ時にあいつらにこの話をしたらなぜか面白がられて。挙句彰に「楽しんでこいよ」と言われる始末。

 というか彰の奴、友達が自分の姉とデートしようとしてるの気にしないのな。よく考えたらあの人と一緒に暮らしてるわけだし、あの人が俺をどう思ってるのかも知ってるはずだ。あの人は俺のこと何とも思ってないって知ってるから気にしてないのかもな。

 そんなことを考えているうちにあの人が近付いてくるのが見えた。あの人は普段は綺麗めのパンツスタイルを好む。でも今日はデートだからなのかワンピースを着ていて、眼鏡も外していた。

「待った?」

 モノトーンのシンプルなワンピースを着こなすあの人。綺麗めな格好って点では普段と同じだけど、どこか可愛くも見える。

「今来たばかりっスよ」

「ならいいんだけど」

 どこか素っ気ない言い方なのはいつものこと。本当は「ゆかりさん」って名前を呼びたかったけど呼べなくて、気まずさを誤魔化すために軽く咳払いをする。そして俺はゆかりさんと一緒にゆっくりと街を歩き始めた。

 手は繋がずに、互いの間には拳二つ分の距離が空いている。その距離を詰めたいけど詰められなくて。間の距離を思うとぎゅっと胸が締めつけられるようで、息をするのも苦しくなる。

「眠れなかったの? 隈、結構ひどいよ?」

 立ち寄った喫茶店で、ゆかりさんが俺を心配そうに見つめて言った。素っ気ない言い方だけどその声はとても優しく響く。俺はどう返せばいいのかわからなくて、その場で俯いてしまう。

「私のこと考えて眠れなかったとか?」

 ゆかりさんが冗談っぽく言った言葉にさらに返事を詰まらせる。そうだよ、そのとおりだよ。今日どうしたらあんたの笑顔が見れるかってずっと考えてたんだ。

「あ、その……ごめん。まさか本当にそうだったとは思ってなくて」

 俺が黙って俯いたままなのを見て言いたいことに気付いたんだろう。謝罪の言葉を口にした。それが申し訳なくて、慌てて顔を上げる。

 ゆかりさんは顔を真っ赤にして俺を見ていた。目が合うと慌てて視線を横に逸らす。俺の顔に、特に頬の辺りに熱が集まるのを感じた。

 この違和感を口に出せたらどんなに楽なんだろう。あんたの笑顔を見るためならどんなことも苦じゃないって、ずっとあんたの隣にいたいって、言えたらいいのに。

「大丈夫? 珍しくずっと黙ったままだけど」

 ゆかりさんの心配そうな顔を見るのが辛い。頼むからそんな目で俺を見るなよ。胸が詰まるような変な感覚に襲われるんだ。

 ゆかりさんはそんな俺の顔を真剣に見ている。そして何が面白いのかクスッと笑った。花が咲いたように笑うゆかりさんの顔に見とれていたら、今度はデコピンをされてしまった。


 いつからだろう。もっとこの人の傍にいたいって思ったのは。もっとこの人の声を聞きたい、あわよくば隣を歩きたい。それさえ出来ればもうそれ以上は望まないから。

 彰、ごめん。俺、この人の隣にいたい。お前のお姉さんだって知ってるけど、もう少しでいいからこの人の隣を歩いてもいいかな。

 喫茶店を出た俺はゆかりさんの手を取って自分の手を絡めた。そしてさっきまでより拳一つ分距離を詰める。ゆかりさんの手が俺の手を握り返してくれる。

「俺、あんたが欲しい。あんたがいねーと駄目になっちまうんスよ、俺は」

 その言葉は意外とすんなり口から出た。でもタイミングとか気にしないで衝動的に発したもんだから、ゆかりさんはかなり驚いていた。

 頬を少し赤くそめて、目を少し潤ませて。驚いたからか口元に手を当てて俺から顔を背ける。俺は、この人が欲しい。そう強く思った。

「お前、それも無意識? そもそも――」

「俺は、これからもあんたの、ゆかりさんの隣にいたいんスよ」

「だから……」

「付き合ってねーから駄目っスか?」

「やっとデートしただけ、でしょ」

「やっと?」

 ゆかりさんの言葉に間の抜けた声でそう尋ねる。いや、気が付けば尋ねていた。状況が見えないのは俺だけじゃない、はずだ。

「一人で色々背負って、めんどくさがることでしか息抜きもカッコつけることも出来なくて。私に『もっと人を頼れ』なんて説教までして。頼りにされたい、頼りたい、もっと隣にいたいって思った。そんな女にそんなこと、言っちゃいけないよ、翔」

 ゆかりさんは俺の方に向き直るとそう言い切って見せた。一瞬言ってる意味が信じられなくて。少し間が空いてからその意味に気付いて、顔に熱が集まるのを感じた。

 ゆかりさんは俺のことを弟として見てると思ってた。それ以上でもそれ以下でもないって。そう思うといつも胸が苦しくなったのを覚えてる。

 そうか、俺がこの人に抱いてる気持ちが「好き」なんだ。ずっとこの人の事が好きだったんだ。だから、他の人となんか付き合えるはずなくて、この人の事を忘れる事なんて出来なかったんだ。

「じゃあ、俺と付き合ってくれません?」

 気持ちを自覚してから発したその言葉は思ったよりすんなりと言えた。そうだよ、俺はずっとこうしたかったんだ。彰には悪いけど、この人だけはやっぱり諦めたくない。

「俺、あんたのことが好きみたいっス。多分ずっと前から」

 驚いた表情のゆかりさんにそう言葉を続ける。ゆかりさんの表情が泣きそうな笑顔に変わった。やっぱり嫌、だよな。

「その、俺、ガキだけど。あんたより三つ年下だけど。でも――」

「ありがとう」

 俺の言葉を遮って告げられたゆかりさんの返事が嬉しくて、周りに人がいるにも関わらずゆかりさんを抱きしめる。もう迷わない。自分の抱いていた気持ちを知った今ならわかる。俺はずいぶん前からこの人に惚れてたんだって。

 ゆかりさんの手が俺の背中に回る。抱きしめ返してくれたんだ。耳まで赤く染めたその顔がどうにも愛しくて、そっと口付けをした。

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