敏腕調査官アトム@多胎児制御理論_09_完
完
「計画なんてなかったんですよ。杜撰でもないし、ただの行き当たりばったりの計画。ただ、複数の要因が重なり、好機だと思わせる何か、その衝動に従った結果の事だったんです、あれは」
アンドレ・ボノムは事情の全てに精通しているのか、或いは(12)シモンやHALマティアと同様に謀っているのか、起きた現象だけは共通した、一見すると矛盾のない……恐らくアンドレにとって真実であろうストーリィをユダに代わって語り始める。
「ウルバーノ・ロヴネルらの多胎児へのレイプがありました。最初の被害者は、後のトマスと呼ばれる少年でした。私がその事実を知ったのは、次にユダが被害に遭ったときです。
当時、まだお互いに名前も付けれないほど未成熟な自我しか持ち合わせていなかった多胎児は、確かに復讐も考えていたようですが、あまりにも杜撰で稚拙、ただストレスを発散させる為の妄想に過ぎなかったそうです。
そもそもトマスも人格を分裂させていましたから、未成熟な精神であった事を含め、被害の程度を正確に把握していない所もありました。が、新たな被害者になったユダはそうではなかった。実情を知って欲しいと、情操教育の面でプロジェクトに加わっていた私に密告してきたんです。
そこでトマスも犠牲となっている事を知った私は、プロジェクトの責任者らに事実関係を確かめて貰い、またウルバーノらの処罰を求めました。
ですが、このときには既にプロジェクトの続行が危ぶまれていた時期だった事もあり――――多胎児制御理論は一応の成果を収めていた事もあり、またスポンサーでもある軍需産業の組む予算の縮小など色々とあり、噂で計画の中止が聞こえていからでしょうか。プロジェクトの中止に都合の良い不祥事は揉み消そうとする動きがあり、私の訴えは何一つ結実しませんでした。
ウルバーノがセキュリティを掌握していた所為か、証拠となるような映像などが入手出来ない事を理由に挙げていましたが、プロジェクトの中止を恐れていたのだと思います。あれだけ大規模で、人体実験の出来る研究所なんて、そうありませんから。
それでも一応事実が露見したらしいと耳したのか、新たに事件が起きなかった事が唯一の救いでしたが、私に出来る事と言えば、被害者になったトマスやユダのカウンセリングやケアをするのが精一杯でした。
漸く心の傷が癒えた……とは言えなくても、折り合いを付ける事が出来そうかと思えたときです、館のシステムAIに知性が生まれました。彼は多胎児の脳の構造と思考を模倣したAIだったのですが、システムの中に破棄され、また隠蔽されていたレイプ事件の記録を見付け、断片から映像を復元したんです。
にも関わらず、揉み消そうとしたんです。幾ら戸籍もない、実験の結果に生まれた私生児とは言え、あまりにも酷いではないですか。私も、多胎児もそう思い、何時の間にか復讐と報復と云う言葉がお互いの口を衝くようになっていましたよ」
蜂起に至るまでの経過、及び確定的な動機となった証拠の復元などの経緯は、HALマティアの語った内容よりも客観的に納得出来るものとして青葉の耳に馴染んだ。確かに感情的な動機に基づき、ただ行動を起こしてしまったような口振りだったHALマティアの告白よりもアンドレの淡々とした事実を語る内容の方が理解出来、また共感し易いようにも感じられる。
「気付けば稚拙な計画を実行しようとする意思だけが確固たるものになっていました。そんなときですか、使徒の名前を付けてアピール、いや、宣戦布告でしょうか、それとも皮肉の両方になるのでしょうか――――名前を付けて、いざ、覚悟を決めたときですよ。ユダがトマスの自殺を助けたんです」
助けた……とは、救ったと云う意味なのか、幇助したと云う意味なのか、どっちなのかと確認しようとする青葉にアンドレからの答えが向けられる。
「事件の証拠が復元された事を知ったトマスにとって、フラッシュバックする事件当時の記憶は耐え難いものでもあったようです。見た目にはあまり変わらなくても、死にたい、と口にする事が増えていました。
事故ではあったんです。意図したものではなく、本当に、偶然、ユダのラケットがトマスに当ったんです。そのとき、ユダはトマスの死にたいと云う意思を汲んだんです。だから、殺してあげたんです」
青葉はユダの表情を覗き見ると、やや俯いた顔に乗る仄暗い陰以外に見えるものは何もなかった。
「事件の加害者としてユダが監禁され、他の多胎児は報復、復讐の実行を決意しました。システムであるマティアの先導の下、始めた復讐は、しかしながらユダを逃がすと云う目的で行われました。
先ほど自爆が不自然だと仰っていましたが、その通りです。自爆し、肉塊となる事で、また高濃度の放射能を浴びる事で数を突き止める事も、特定する事も不可能とさせたんです。そうすればユダも自爆したものだと思い込ます事が出来る。
彼らは言わば真社会的動物です。出生や成長が独特であった事も理由のひとつですが、個人の存命より集団の継続を優先する、特徴的な規範、死生観でしょうか……それを持つに至った多胎児は、ひとりでも生き残る事が出来れば、自らの存在が証明され、且つ自己実現が果たせると思う所がありました。
宗教と言っても構わないと、個人的には思っています。元々が特殊な環境の中で、曖昧で未成熟な自我を持つしかなかった多胎児は、他者との境界線が地続きで連続していたんでしょうね。或いは同じだからこその同一視し、他者と自分を同じと見、区別出来なかったのかも知れません」
理路整然としていたアンドレの語りはやはりHALマティアよりも真実を衝いているように聞こえる。
「事件を起こす前、私に相談がありました。ユダだけは助け出して欲しいと。もう、止まらないと感じました。だから、ユダだけは助け出し、私の養子として手続きし、この家で匿っていました」
今更、隠し立てるようなつもりもない内容とは言え、アンドレの告白は淡々とし過ぎていた。HALマティアが突然に現れ、降って湧いたような真相への案内を勝手に突きつけてきたときの事が脈絡と思い出される。
本当に真実なのだろうか。青葉にふと疑問が起き上がる。思い返せば、ユダの自供も何処かしら嘘を孕んでいた。HALマティアの語った真相とアンドレの知る客観的経過も現象こそ一致させているものの、内容を違えているように評価出来る。
「私達はどうなるのでしょうか?」
アンドレがアトムに質問した。
「我々は既に対外的に耳障りの良い公式の記録を決定しています。真実や真相が如何様なものであろうと、公式の見解が覆る事はありません。従って実験的に生み出された多胎児なんていなかった、リョルの館なんて実験施設もない、その中で非人道的な実験も行われていなかった、況してや原子炉をメルトダウンさせるような蜂起がある筈もない、況してやメングラット・プロジェクトを騙してまで逃げ出した関係者もいない――――と云う事になってますから、公式に何らかの処罰が下される事はありません」
だが、アトムの物言いには脅迫に似た圧があった。
「ですが、公式に何もないだけに過ぎません。貴方達は感知や認知さえも出来ない所から監視され続ける事になるでしょう。僕がここを訪れたのは、ユダの生存の確認と、将来的な展望ですか……を聞いて置こうと思ったからです」
「本当に、それだけですか?」
穿ってみせるアンドレに、アトムが言った。
「考えてみても下さい。多胎児制御理論も含め、リョルの館で行われていたような実験が公され、信じる人がどれほど居ますか。それに信じられれば、逆に政府や民間の大企業への影響は大きく、市政や経済は不安定になるでしょう――。我々は常にベターな決着を創り出すだけです」
言い終わると、用件は全て済ませたらしいアトムが大きな一息を吐いた。
「それで?」
アトムがユダに向き直った。
「今の君の名前は何ですか?」
「え……っと、僕は」
困惑した様子でアンドレに視線を流し、どう云う意味で訊いているのかと告げようとしたユダに、アトムが繰り返した。
「教えて下さい。君の名前です」
けじめを見せて欲しいと言っているようなアトムの言葉は、まるでユダへ向けた餞にも聞こえる。が、やはり青葉は真実を特定出来ずにいた。結果としてひとりの少年の自立に、大きく、過ぎた事件が付き纏い、関係者の誰しもが都合良く物語を騙っていただけのような気もする。
とは言え、GAFは既に決定していたリョルの館からの撤退や、その為に都合の良い事実を突き止める事など、目的とした成果を収めていた手前、またskinfaxiが耳障りの良い事実をでっち上げた以上、青葉の思う所とは無関係に事件は完結した事になる。
「僕は……僕の名前は、ジューダス・J・ボノムです」
新たに人生を踏み出そうとするジューダスの力強い名乗りに、青葉は取り敢えず全ての蟠りを呑み込むと、素直に祝福の言葉を呟いた。