敏腕調査官アトム@多胎児制御理論_07_結
結
――――アイアタル・ベルルスコーニの発案により、今まで自分以外に触れる事の出来る他者など存在していなかった多胎児は、突如として同じ環境での集団生活を強いられる事となりました。
一応、多胎児には兄弟や一卵性双生児のような存在について知識こそ持っていましたが、11人が全く同じ容姿、能力、才能を持っているなど想像していません。当然、自分以外の誰が誰なのかと区別する事は出来ず、寧ろ自我の境界線を曖昧とさせ、或いは延長させるような、奇妙な錯覚さえ覚えた事でしょう……。
想像出来ますか。今まで鏡に映っていた虚像のような存在が実体となって現れる状況を。まるで悪夢のようだと、そう例えるつもりはありませんが、相当なショックを覚えたであろう事は想像出来ると思います。
自分以外の他者が、自分も含めた他者を見分けられるように、多胎児は自ずと他者と違う行動を取るようになりました。これを個性と呼ぶに足るかは疑問ですが、当事者である多胎児にとっては意図的に行動が被らないように努めていただけで、その表面的な違いにアイアタル・ベルルスコーニなどの研究者は個性と云うレッテルを貼ったに過ぎません。
卵が先か、鶏が先かのようなものでしょうか。ですが、多胎児にとっては、個性が生まれたから他者の差別が出来るようになった訳ではなく、差別化する為に区別出来る程度の変化を演じたていただけに過ぎず、当事者としては本質に何ら変化を生じさせていませんから、やはり個性と呼ぶには疑問が残ります。
何れにせよ個性と云うレッテルを貼られる事となった多胎児は、長らくと、試行錯誤も繰り返しながら、役割としての行動パターンを定着させ、漸く自らもこれが個性か、或いは自己実現のひとつかも知れないと疑問を覚えた頃、ひとつの事件が起きました。
ウルバーノ・ロヴネルらによる猥褻強要です。警備主任と云う事でモニターなどの監視の目を掻い潜る事が出来たのでしょう。それか、そのようにシステムを弄ったのか分かりませんが、このような閉鎖的な環境では見る事のある虐待ですよ――――。
犠牲となったのは、研究員らがトマスと呼ぶ人物です。トマスにとってそれは心を傷付けるほどの衝撃でした。それは正しく心を割き、耐え忍ぶという選択しか取れないほど。だって、そうでしょ。多胎児は虫篭と呼ばれる検体、まともな人権も与えられていないんですよ。所詮、多胎児は実験動物と何ら変わらなかったんです。
…………どうしてトマスだったのか、分かりません。ただの偶然だったのでしょう。ですが、結果として過度のストレスに晒されたトマスは分裂病となり、もうひとりのトマスを生み出してしまいます。そして次にユダが被害者となった事で、多胎児はトマスの事件も含め、全てを知る事となりました。
私達は思いました。私達は何なのかと。人間の定義について、考える葦だ、考えるからこそ自分がある、などと言っていた事を鑑みれば、私達はこの時点で漸く自我を確立したと言えるでしょうか。
そんな自我を確立した私達が最初に共通して思い立ったのは、復讐でした。虫篭で飼い殺し、弄ぶ奴らへの復讐。そのときですよ、私達が名前を付けたのは。たまたま何かじゃないですよ。皮肉のつもりだったんです。ここの館……この研究に参加している全員がキリスト教だったから、皮肉のつもりでイエスの高弟を選んだんですよ。
それにトマスは2人です。私達の数から外すつもりも毛頭ありませんでしたし、偶然とは言え外典では双子を意味する別名を持っていたのも運命的なものがありましたから、私達は14人が適当な役割を持てる意味でもそれを選んだんですよ。
復讐を決めました。が、館の中で完結してしまっては、揉み消されてしまう……いえ、私達の存在がなかった事にされるのではないか。それに若し可能なら外へと脱出したい、逃げ出したいと考え――――結果、マティアを関したAIである私が選ばれました。肉体を持っている他の兄弟よりも移動が容易く、また簡単に複製が出来、尚且つ、皆の経験や体験を一緒に運べる私が候補となったんです。
ですが、館のシステムの掌握は難しくなくても、館そのものは外界から独立したネットワークです。データとしての私が他の兄弟よりも幾らから自由だとしても、外へと繋がるゲートがなければどうになりません。
そこで賭けをしたんです。外部の人間を、出来れば特殊な人間を館へと招き入れれば、外のネットワークへの道が開けるのではないかと。ですが、そんな人物を呼ぶには大それた事が必要だとも思いました。曲がりなりにも館のセキュリティは結界を常設しているほどです。定期的に行われているような査察や内偵で来る人では足りません、だから賭けだったんです。
在り得ない事を起こし、平時のそれからは想像出来ない人物を呼ぶ――――その為にはどうすればいいのか、復讐もそうだったように14人で決めたんですが、もうひとりは断固として反対を貫き通していましたが……、皮肉に皮肉を重ねようと、私達は名前通りの役割を演じる事に決めました。
ユダの裏切り、そして死にたいと言っていたトマスの希望を叶える為……それを実行した結果、私達も想定していなかった貴方が来たんです。確かに死者を出すような事件を起こせばメングラッド・プロジェクトの第三者機関、有識者委員会のような立場である、政府直轄の内務省のような存在であるGAF(Guild of Arbitrage Fixer/裁定弁護人協会/ガフ)から人が派遣される事は考え付きました。
GAFのひとりでも来れば計画は実行出来ると、ですが、念の為、アクシデントを想定した幾つものシミュレーションを行いました。そしてGAFである貴志青葉さんが訪れ、事は順調に進むかと思われましたが、まさかSkinfaxiも来るとは想像もしていませんでした。だが、それでも計画は変わりません。これは衝動だから、止める事なんて出来なかったんですよ。
そして引き返せない計画が始まりました。ユダによるトマスの自殺幇助、ユダの監禁、外部組織の登場――――ですが、事情聴取が行われようとしたときです、貴方が私達の考えていなかった順番を提示しました。元より順番で計画が変わるようなものではなかったのですが、何故か焦ってしまいました。私がシステムを騙し、多胎児が部屋から出るように助ける。ただそれだけですから、問題なかったのに……ですよ」
状況も理解した上でHALマティアの独白を聞いていたウランから穿つような声が上がった。
「信じろと?」
貴志青葉も同様にHALマティアの言葉を信じられなかった。否、真実は別として、告白を裏付けるものは何もなく、計画と呼ぶにも杜撰が過ぎる。衝動か、言い得て妙だ、と青葉は思った。
確かに一聞しただけでは矛盾もないように感じられるものの、都合よく物語を組み立てたような印象も拭えなかった。(04)ユダから聞き及んだ命名の経緯とも異なり、他にもウルバーノ・ロヴネルの件も確証がないままである。
「だったら、どうしてヨハネが殺されなければいけなかったんだ?」
HALマティアの話では全てをカバーしているように聞こえたが、(06)ヨハネが最後に殺される事となった経緯は明らかにされていなかった。
「大きな理由はありませんよ――。誰でも同じなんですよ、兄弟にとって誰が誰である事は。ただ強いて言えばヨハネが自殺した理由は貴方にあります」
唐突に指差されたアトムが不本意だと言いたげに目を細める。
「聴取の間に実行される計画は、先ず私が全てのモニターを掌握、偽装した映像を水槽などの管理棟へ流す予定でした。が、全てを偽造する事は難しい為、実際の聴取の映像を組み合わせる方法にしました。幾ら口裏を合わせても実際に現場に居合わせたかどうかでは証言の仔細に大きな違いが生じますから、その誤差を修正し、補完する意味でも実際の聴取の映像サンプルが多く欲しかったんです」
「それとどうしてアトムに関係するの?」
苛立たしげに青葉が訊いた。
「偽装した映像が出来上がったタイミングが、ヨハネの聴取のときだった、それだけです。すみません、他意はないんです、それほど」
違和感がアトムのこめかみの辺りで小さな閃きを迸らせる。が、明確な言葉に置き換えるには曖昧としたものだった。
「閉じ込めれば面倒もなかったのに……。貴方にはその力があったんでしょ。館のシステムと同義である貴方には」
憎々しげなウランの声音には、賭けに負けた、まんまと利用されたと言いたげな強張りが表れていた。
「閉じ込めなかった理由はふたつあります。ひとつはアトム……貴方を警戒したからです。E-xiaは名前の通り人の抗体反応を模した、特殊なクラッキングプログラム作成法で、時間させ掛ければどのようなシステムも掌握出来るみたいじゃないですか。ならば嘘でも聴取を続けさせた方が良いと思ったんですよ。仮に閉じ込めてしまえばE-xiaを使われ、聴取を行うよりも早くにシステムを掌握されかねないでしょ。だから、閉じ込めるのは最後にしたんです」
「一体、最後はどうしたいの?」
状況が状況とは言え、真実かどうかも知れないHALの自白にただ耳を傾ける事に耐え切れなくなったウランが詰め寄った。
「――――館は昔の軍事施設を流用したもので、虫篭の殆どは核シェルターにもなっています。大戦時は単独で作戦行動が取れるように施設も揃っており、」
「電源は原子力発電」
アトムが何かを閃いたようにHALマティアの言葉を引き継いだ。
「臨界を起こすつもり?」
「自爆テロじゃない?!」
ウランと青葉が席を立ち上がった。
「殺す選択肢もあったんじゃないか?」
「幾ら弄ばれていたとは言え、殺すなんて……――そんなの短絡的じゃないですか。被爆させて、遺伝子レベルで呪いのような後遺症を与える。その方がよっぽど復讐になると思いませんか?」
HALマティアの硬い笑みに、多胎児の思う復讐への執着の深さを垣間見たような気がした。
「自爆してまでも?」
「まさかッ!」
機械的な音声が割れるほどの嬌声を発したHALマティアは否定した。
「巻き込んでしまった貴方達を犠牲にするのは不本意ですから、――――だから、最終的には閉じ込めたかったんですよ、ここに」
「この辺りは安全だからか?」
「そうです。併設された原子力発電所が臨界に達すれば水槽の殆どは高濃度の放射能に晒されますが、虫篭のこの辺りは厚い壁に囲まれていますから被爆するような事はありません。それに放射能除去用ナノマシンTQ(Tlael-Quani)も早々に散布されるでしょう。……勿論、一週間くらい不便を強いる事になるでしょうが、賭けに負けた所為だと思って、諦めて下さい」
徐に壁掛けの時計を覗き見たHALマティアが立ち上がり、応答的に警戒心を態度に表したアトムは身構える。
一応、E-xiaはHALマティアも含む館のシステムの一部を確実に破壊出来る程度にまで成長していた。物理的な接触を試みれば直ぐにプログラムが転写され、恐らく5分と掛からずHALマティアと館のシステムを切断出来るだろうとの目算も立っている。
好機、仕掛けるべきか。と一先ず反撃に打って出る事も考えたアトムは、一挙手一投足は勿論、僅かな機微さえも見逃すまいと注視していたHALマティアの視線が動くのを見落とさなかった。
「時間稼ぎは終わったようです」
(12)シモンの部屋の扉が開いたかと思うと、また別のHALが立っていた。肩には男性を担ぎ、後ろに誰かを背負っている。やや乱暴に見えるものの、他方の腕の先には草臥れたように膝を折る女性が繋がれていた。
「今、この館で残っている部外者です。彼女達を巻き込むのも不本意なので、この部屋で暫く監禁させて頂きます」
HALが連れて来た男女を部屋へと放り投げた。ひとりはユリウス・アイヒロート、片方はレイラ・ユーティライネン……2人とも気絶しているのか、床の上に落とされてもまるで反応を見せなかったものの、重症を負っていない様子である。
が、Si.Hyのクロミアは腕を失っていた。銃火器の類で吹き飛ばされたらしい腕の断面は引き千切られたように荒れている。仮に腕が在ったとしても応急処置で繋ぐ事も出来なさそうだ。恐らく無事である肩から腕を再生させるか、換装させる他に治療法もないと思われる。
「ッ!」
若しかしたらHALが何かしらの攻撃に出る可能性もあったにも関わらず、真っ先に飛び出したのはウランだった。
「2人のドクターは気を失っているだけですが、クロミアの方は止むを得ずとは言え、傷付けてしまいました。可能ならば処置をして頂けると」
「勝手な事をッ!」
腕の断面図の状態を診、心拍など内蔵の状態を確かめるウランから今までにない怒号が叫ばれた。
「この部屋からは出ないで下さい。邪魔しなければ危害を加えないと云う約束は守りますので」
「今の僕ならE-xiaでシステムを破壊、掌握する事も可能だが――?」
「被爆しても良いと言うなら止めませんよ」
マティアを名乗ったHALは、強張った表情で睨み付けてくるだけのアトムらを横目に(12)シモンの部屋から悠々と退出した。