敏腕調査官アトム@多胎児制御理論_02_承
承
当初、多胎児制御理論は不妊治療に於いて憂慮されていた幾つかの副作用やリスク……例えば排卵誘発剤の使用に伴う胎児の複数化、或いは胎児の先天的な疾患や後天的な発達障害、過度な生理的中毒症などのリスクの低減を目的に研究が続けられていた。
しかしながら世界的な少子化により労働人口の減少が危ぶまれる中、寧ろリスクのない多胎児の発生の方こそ重視すべきとの意見もあった。そこで多胎児制御理論のスポンサーでもあるメングラット・プロジェクトは、最大の出資者のひとつに数えられる軍需産業の提案を受ける形で方針も新たに別の研究に着手し始める。
社会的な有用性を鑑みた初期の動機から大きく離れる事となった新たな研究は、言わば天然のクローン製造技術の確立――――具体的には胎児の発生と成長のコントロール、及びミラーニューロンの働きから人格の形成と高効率の教育法の一般化に伴う、肉体的なハードの均質化と精神的なソフトの均一化……端的に表せば兵士に足りる肉体の量産と天才にも通じる才能の転写だった。
多胎児制御理論が方向転換したのは凡そ30年以上前、当時、アフリカと中東では宗教と民族を原因とする紛争が絶えなかったものの、合衆国や中国を挟み、また国連の介入もあり、徐々に膠着状態へ移行しつつあった。暫定政府の設立に始まり、原理派や過激派、軍部などの停戦交渉の動きが確実に戦争市場を縮小させていたのである。
メングラッド・プロジェクトのスポンサーには軍需産業が多かった。勿論、重工業や化学、医療など多岐に渡る民間企業が政府の要請と管理によってひとつの財団法人と云う形を成しているとは言え、合衆国に於ける軍需産業の発言力は冷戦以降も相変わらず強い傾向が見受けられ、恐らく多胎児制御理論の非社会的な転用についても反論こそあれど、反対はなかった事が想像される。
何よりも単純な利益で言えば、やはり戦争市場が魅力的だったからこそ、当時最大規模の市場だった中東やアフリカの紛争地域で再び利益を上げるは新たなカンフル剤が必要と考え、多胎児制御理論の転用を決めたのかも知れなかった。また兵士と云う戦争の最小単位のコントロールが、引いては戦争市場そのもののコントロールにも通じると盲目的に信じていた為、同業界は多胎児制御理論の将来性に投資する決断をしたものと推測される。
何れにせよ20年余りの研究を重ね、12人の多胎児を生み出す事に成功した多胎児制御理論は、肉体的なハードの均質化と精神的なソフトの均一化を目指し、次に段階に移行した。
実験としては単純な方法が採用された第二段階の検証は、12人の多胎児を外界と人々から隔離した上、同じスケジュール、同じカリキュラムを与え、正確、且つ限定的な環境下で同じライフスタイルに従わせると云う方法で育てられた。現在、十年ほど続いた生活により、一定の成長に達した多胎児は、肉体も知能もほぼ同じ数値を記録している。
だが、ひとつだけ問題が確認されてしまった。人格の乏しさ……所謂、無気力、無感動、無感情な精神的な欠陥が見受けられたのである。確かにミラーニューロンの働きを最大限に発揮させるならば、コミュニティに所属させる事は重要だった。そこで研究員のアイアタル・ベルルスコーニは、多胎児を同じひとつの生活環境に置き、人間の本来的な社会性を呼び覚ますべきと提案する。
結果、集団と云う単位を得、所属する事となった多胎児は目覚ましい成長を見せ始めた。創発と云う言葉が最適な表現であったように、多胎児は個体差と呼ぶには些か大きすぎる誤差……個性を発現、埋め込まれたインプラントのシグナルでなければ見分けさえ付かない自らを差別化し、剰え名前で呼び合うほどになる。
12人の多胎児は、イエスの高弟――――12人の使徒から名前を拝借し、ナタナエル、アルファイ、アンデレ、ユダ、ペテロ、ヨハネ、トマス、ゼベダイ、フィリポ、マタイ、タダイ、シモンと名乗った。インプラントの番号も上述の順番に従っており、(01)ナタナエル、(02)アルファイ、(03)アンデレ、(04)ユダ、(05)ペテロ、(06)ヨハネ、(07)トマス、(08)ゼベダイ、(09)フィリポ、(10)マタイ、(11)タダイ、(12)シモンと云う形で番号付けが施されている。
施設内は死角がないように無数のカメラで監視されているばかりか、インプラントのシグナルなどの客観的なデータと常に照合が行われている都合、秒単位での行動と、脳電位の変化が記録れていた。つまり、リョルの館で起きた多胎児の事件の詳細は調べるまでもなく既に明らなのである。
「トマスがユダに殺された」
アトムが研究員らの証言を促す手前、事件の焦点を敢えて口にした。
「そうです。間違いありません」
エドガー・ハウスフィールドがただ頷いた通り、アトムやウランが確認したデータと証言に矛盾はなかった。矛盾もなく、議論すべき点もない事件は、レクリエーションの時間、スカッシュをプレイしていた(04)ユダのラケットが、相手であった(07)トマスの顎を砕き、昏睡させてしまった事に始まる。
当時、現場のプレイルーム内には(03)アンデレ、(05)ペテロ、(08)ゼベダイが同席しており、外から窓越しに(06)ヨハネと(09)フィリポがプレイを見学しており、事件を目の当たりにしている。
事故直後、(04)ユダが介抱するかと思った矢先、地面に突っ伏した(07)トマスの頭に何故かラケットが振り下ろされた。脊椎を砕くようなほぼ致命傷となる追撃、そして再び振り下ろされそうになるラケットを見、漸く事態の異変を察した(03)アンデレ、(05)ペテロ、(08)ゼベダイの3人が(04)ユダを拘束、同時に(06)ヨハネと(09)フィリポがプレイルームに入室するも、既に死亡していたらしい(07)トマスに施せるような処置はなかった模様である。
現場に居合わせた訳ではないものの、付近にいた(12)シモンは、プレイルーム内から聞こえる怒号と、施設内を埋め尽くす警報に責っ付かれる形ながら、同じく側にいた(01)ナタエルと共に他の兄弟を招集し、駆け付けた研究員らと共に(04)ユダの下へ集まった。
「応急処置をしてますね」
資料を見ると、(09)フィリポが(07)トマスに対して心臓マッサージを試みている。打撲などの重症を負い、どうやら頭蓋骨も陥没させているらしい上、地面に突っ伏している(07)トマスを仰向けにさせてまで応急処置しているのが、アトムには奇妙に映った。
「混乱していたと思います。ほら、映像を見ても、現場に直接居合わせた子達はひどく混乱してるでしょ?」
映像では、プレイルームに雪崩れ込む03)アンデレ、(05)ペテロ、(08)ゼベダイが(04)ユダを拘束するに伴い、暴力に訴えている様子と、次いで入室した(06)ヨハネと(09)フィリポが数秒ながら右往左往している様子が映し出されている。
「確かに」
疑う余地はないのだろうか。事件について疑問を呈しているのではなく、アトムは動機に関して理解し難いものを感じていた。上に挙げるべき報告書の内容がSkinfaxiの2人と貴志青葉では異なる都合、青葉の方は動機に興味がないのかも知れない……飽くまでも既に決定しているらしい多胎児制御理論の実験中止の為の建前が欲しいメングラッド・プロジェクトの意向を充たすように努めているようだ。
Skinfaxiも同じである。ただ、人工的に生み出した存在には尊厳を認めない――と、ラバロンの件と同様の判断を下す為の、手前勝手の良い事実を報告書に認めるだけである。
しかしながら状況に些か皮肉めいたものが見て取れた。例えば裏切りの代名詞の(04)ユダが加害者である事、(07)トマスが外典に於いてユダ・ディディモと呼ばれている事、まるで名が体を表すような(04)ユダの蛮行は、寧ろ役割を演じただけなのではないかとも思える。
「そうですね」
全ての聴取を終えてから思慮に耽れば良いと改めたアトムは、ウランと貴志青葉に了解を得た後、多胎児の証言を聞きたいと岡田林に申し出た。当然、断る理由もない岡田は、所詮、形式的なものだろうと高を括っている節が見え隠れしていたので、恐らく多胎児制御理論を含むリョルの館の解体が決まっている事については知らされていないのだと推測される。
「加害者のユダだけは特別な部屋で隔離しています。他の子達は隔離こそしていませんが、自室を含むパーソナルエリアから移動しないよう言いつけてあります」
「軟禁ですか。トマスの遺体は?」
「水槽の方ですね。上の階です」
「上の研究室から下の施設までどのくらい掛かるんですか?」
「急いでも5分は掛かりますね」
意外なほど時間が掛かる事にウランは驚いた。
「そんなにですか?」
「はい。虫篭と呼ばれるエリアの殆どは実験室なんです。だから、隔離や閉鎖の機能は充分でも移動までの経路に関しては、中のものを外に出ないようにする為の構造になってまして……」
言い訳を適当な正論で誤魔化そうとするように岡田は防災などの設備は整っている、しかもOSに使用しているのは多胎児のミラーニューロンの働きを解析し、創り上げたボトムアップ式の人工知能を使っており、単純な命令を熟すだけのOSながら知能テストも誤魔化せるほどに優秀だと要らぬ説明が終わらぬ内、更に地下へと下りるエレベーターの前に一行は到着した。
「どの順番で証言を取りますか。区画の構造上、インプラントの番号順で部屋割りしてますから、その順番で移動するのが楽だと思いますが」
頭の中のSAMMに虫篭の見取り図――――エレベータから伸びる通路の左右に多胎児の部屋は設置されている。エレベーターから降りると、手前から左手にインプラントの番号が奇数、右手に偶数の多胎児が向かい合わせ並んでいた……を浮かべたアトムは、そうですね、と悩んだ様子を見せると希望する順番について進言した。
「ユダを最初に、ナタナエル、ゼベダイ、アンデレ、ペテロ、ヨハネ、フィリポ、マタイ、タダイ、シモンですかね」
「どうして?」
青葉が意見した。先頭を歩いていたHALも気持ち振り返ると、順番が決まらなければ案内も警護も出来ないと言いたげな視線を向ける。
「どうせなら、現場に居合わせたアンデレ、ペテロ、ゼベダイの3人と、ヨハネ、フィリポの2人、とそれ以外――――事件当時の状況で分けた方が良くない?」
「いや、何となく。この順番にした理由はあるけど、意味はないから。別にそっちでも良いけど」
「良いよ、アトムに任せる」
全幅の信頼を寄せていると云うよりは任せるに限ると言いたげな、やや投げ遣りにも見える青葉の無責任な返事にウラン苦言を呈した。
「意味はなくても理由はあるんですから、勝手に信じちゃダメですよ」
「じゃぁ、何よぉ?」
エレベーターに乗っても2人の会話は続いた。
「若しユダも入るなら、アンデレの次、ペテロの前になる」
「何の順番?」
「最後の晩餐を左から見るとその順番なんですよ」
「……意味があるの?」
ウランの答えを聞いた青葉が、アトムへと視線を送る。
「それだけですよ。ユダの犯行と云う事で連想しただけですから」
人伝に聞いたようにアトムが言った。
「それだけ?」
「それだけですよ」
青葉が半ば呆れかけた溜息を吐くと、まるで落語のオチを報せるようにエレベーターが目的地である虫篭の一画へと到着した。