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箱庭の螺旋  作者: 河野 る宇
◆ターニングポイント
7/20

*遠き眼差し

「どうしてそれを知りたい」

 少年の真意が知りたくて問いかけた。

「色んな街を見てきました。平和な街も、戦争で滅びた都市も──その破壊力に感嘆するばかりです」

 施設から出る事の適わない少年は、学びのために一日一時間はディスプレイに映し出される外の映像を眺めていた。

 それが人工生命体の精神を計測するものなのか、単に知識の一環としてのものなのかは本人には知り得ない領域だ。

「過去の戦争も学びました。それにより、人や武器を憎む事も出来たと思います。しかし今、笑顔で生きている人々がいます」

 その人々は戦いを求めている訳じゃない、誰かが傷つく事を望んでいる訳じゃない。

「過去の出来事を憎むなら、それらを正しく使用する事こそが重要ではないでしょうか」

 人を憎む事は容易い。だが、同じ種を愛せないものがどうして平和を望めるだろうか。

 ブルーは静かに語った少年から視線を外した。まだ幼く、その意思は若い。しかし、この先ベリルはさらにその意志を成長させるだろう。

 これが幼さの感情であるとは思えない。自分たちでは感じ得ない何かを感じ、深く悟って強くあろうとしている。

「解った。明日からは体術も加えていく」

「はい」

 ぎこちなく笑った顔に、ブルーも笑顔を返す。

 この子に俺の全てを教えよう──ブルーは決意した。少年の瞳の奥底に垣間見えた光は、決して濁る事は無いだろうと感じたからだ。

 まだ十歳の子どもが、なんと遠くを見ているのだろうか。少年の瞳は自分など軽く飛び越えて遙か彼方を見据えているように思えた。

 次の日から、ブルーは本格的な戦術を少年に叩き込んだ。現在使用されているあらゆる武器の扱い、格闘や兵法に至るまで己の持てる限りの知識をベリルに詰め込んでいく。

 少年もそれに音を上げる事なくしっかりとついて行く。何を言ってもベリルは大切に育てられている、軍隊まがいの教育などついて来られるのかと考えていたブルーは自分の意識が浅はかだったと苦笑いを浮かべた。

 もちろん、そんなやり方はいつかベルハースの方から注意勧告が来ると思っていた。しかしそれもなく、顔を合わせれば「ベリルをよろしく」と念を押すような挨拶代わりの言葉を残す。

 自分に何かを求めているのか、それすらも計りかねる。

 一年も経つと武器のほとんどを覚えてしまい、改良まで出来るようになっていた。



 ──少年は十一歳になり、マークが視察に訪れた。初めての時よりもいくらかは笑ってくれるようになったベリルに嬉しく思い、青年は一年間にあった事を少年に話していく。

 ベリルはそれを楽しそうに聞き入っていた。あまり感情を顔に表さないが、マークには何故だかそれが解った。

 いま少年は青年の言葉に、自分では直に触れる事も見る事も、感じる事すら出来ない外の世界に想像を膨らませている事だろう。

 しばらくベリルの担当を任せると言われたとき、どれほど嬉しかっただろう。もちろん、初めは好奇心からだった。しかし今は、友達になるという約束を守れた事が嬉しかった。

「次の視察は来年だけど、何か欲しいものはあるかい?」

 数日の滞在のあと、マークは帰り際に尋ねた。

「え?」

 思ってもみなかった言葉なのか、少年はしばらく考え込んだ。その様子に、「僕は馬鹿な質問をしたかもしれない……」とはたと気がつく。

 彼が希望すれば大抵の物は手に入るじゃないか。

「あの」

「なんだい?」

 見上げる瞳に笑みを返す。

「あなたの写真はありますか」

「僕のアルバム? そんなものでいいのかい?」

「お願いします」

 マークはそれに親指を立てウインクをしてみせた。

「OK! 今度持ってくるよ」

 アルバム? 何故なんだろうと不思議に思いながらもヘリに乗り込み、施設をあとにした。

 マークは家に戻ると、さっそくアルバムを探し始める。会うのは一年後だというのに、すぐにでも見せたい気分だ。

「あなた、どうしたの?」

 本棚を探っている夫に妻のローラが首をかしげて問いかけた。緩くカールした背中までのブロンドを後ろで束ね、青い瞳は優しくマークを見つめる。二つ年下の自慢の妻だ。

「僕のアルバムってどこだったかな」

「アルバムならここよ」

 夕飯の準備をしていたローラはエプロンで手を拭い夫を案内した。

「ああ、あった。良かった」

「急にどうしたの?」

 滅多にアルバムなど見ない夫にローラは怪訝な表情を浮かべる。

「アルバムを見たいっていう友達がいてさ」

「まあ、そうなの」

「そうだ、君のアルバムも見せていいかい?」

「え、私の? 恥ずかしいわ」

 はにかむ妻を抱き寄せ額をすりあわせる。

「きっと友達も喜ぶよ。君を自慢したい」

 照れて下を向く妻の額にキスをした。



 ──そうしてあっという間に一年が過ぎ、

「はい」

 昼食のとき、持ってきたアルバムを少年に差し出す。

「これが?」

「そうだよ」

 十二歳になったベリルは、見ない間に少し大人びていた。まだ幼さはぬぐえない顔立ちだが、エメラルドの瞳には鋭さが増しているようにマークは思えた。

 食事中はマナーを厳しくチェックされているため、アルバムを気にしながら食べ進める。ベリルは食事が終わるとすぐ、冊子を手にしてテーブルから離れしゃがみ込む。そうしてアルバムを開き、食い入るように見つめた。

「楽しいかい?」

 じっくりと眺める少年になんだか恥ずかしい気分になりながらも、隣に腰を落とす。

「ええ、とても」

 その目は今までで一番、輝いて見えた。施設に入るとき、チェックで止められるかもしれないと思ったが意外とあっさり許しが出た事にマークは驚いた。

 少年の正体を知る由のない警備員でも、外に出られないこの子に何かしらの感情を抱いているのだろうか。そうでなければ、アルバムを目にした時に警備員の瞳に宿った光が僕を捉えるなんて無いはずだ。

 今まで一度も揉め事は起きていないとベルハース教授は言っていた。この閉鎖的な場所でそれは驚きだ。相手が子供であるという点においても、揉め事が起きていないというのはほぼあり得ない。

 それだけこの場が特殊なのか、ベリルという存在がそうさせるのか。とにかく、ここにいる全ての人間は少年に対して良からぬ感情を持っているようには見えない。

 マークはそんな事を考えながら、アルバムから目を離さない少年を見下ろす。

 こんな風に、他人の写真を見る人なんていただろうか。どうしてベリルはこんなにも興味深く見入っているのだろう。

「あっ」

 そうか、この子には家族がいない──自分の思考に思わず口の中で声を上げた。

 それどころか普通に生まれてすらない。照れた顔の自分を映してくれる相手などいないのだ。

「これはどういった時の写真ですか」

「ああ、これはね──」

 この子にとっては、どんな写真も代え難いものなんだろう。僕にとっては嫌な場面の写真であっても、この子にとってはその時の時間を共有してもらえる人がいるということなんだ。

 写真の向こうには誰かがいる。当たり前のように思っていたけれど、この子には違うんだ。

 マークは胸の痛みに、自分の服の胸ぐらを握りしめた。興味本位でここに来た当初の自分を恥じるように強く歯を噛みしめる。

 少年はすぐ、次の講義のため残念に思いながらその部屋に向かった。休憩時間にはアルバムを開き、気になる所は同行してるマークに尋ねるを繰り返す。

「マークの奥様はとても綺麗な方ですね」

 夕食になり、相変わらず上品に食べながら少年は発する。

「だろ? 僕のひと目惚れさ」

「だと思った」

 少年は、いつもは食事のマナーを教える教師と二人で食事をする。マークが加われば三人だ。しかし、今回は特別にマークと二人だけでの食事となった。

 いつもは丁寧で上品に食事をする少年も、この時はやや砕けた印象を受ける。

「もういいのかい?」

 ふいにフォークを置いた少年にいぶかしげな表情を浮かべる。少年は目を伏せて頭を横に振った。

「思い出というのは、良いですね」

「え?」

 小さく聞こえた声に顔を上げた。

「それが、良くも悪くも記憶に残る。私にも、もちろんあります」

「ベリル──」

「今までの記録を見せて欲しいと言えば見せてはくれます。しかし、それは思い出とは言い難い」

 マークは喉を詰まらせ少年を見下ろした。どんな言葉も目の前の少年には軽すぎる、僕が言っていいものなど何もない。

「思い出は、いつも同じ背景です」

 困ったような笑顔を向ける。それは、自分の運命を受け入れている笑みだ。自分の境遇に悲観してるでもない、ただ自分なりに受け入れたというだけなんだ。

 この子はこの子なりに自分の出来る範囲の中で人生を楽しもうとしている。

 遺伝子を学んだ者として、好奇心が先走っていたマークは現実に直面し、いかに己の考えが愚かで浅はかだったのかを身をもって知った。

 人道的なんてレベルじゃない──マークは視察を終えて帰りのヘリの中、ただ黙ってそれらを考えていた。

「普通の遺伝子研究してた学生時代の方がはるかに楽だったよ」

 本物の人間の遺伝子を使った実験が成功した結果がこれだ。

「そりゃあ考えたことはあったさ。でも、想像と現実は全然違う」

 ベリルはもう成功例なんかじゃない。

「僕の──友達だ」

 口の中でつぶやき、鋭く宙を見やった。

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