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箱庭の螺旋  作者: 河野 る宇
◆踊る螺旋
2/20

*その才能

 赤子の世話をするのは必然的に女性の科学者になっていた。もちろん、他の科学者も手伝ってくれてはいる。

 独身である彼女にとって、この子の手間がどれほどなのか解らない。母乳で育てる事は適わないため、免疫力を考慮された人工ミルクを与えていた。

 育児書を片手に日々、奮闘していたが泣く事はおろか、ぐずる事もほとんどない。夜泣きすら聞いた事が無い。

 研究に人生を費やしてきた彼女にとっては、遅い子供という事になる。血のつながりはまるで無いものの、表情のあまり見られない赤子に自然と笑みを浮かべていた。

「ベルハース、ベルハース!」

 五十歳を越えた女性の科学者、ランファシアは育児書から赤子に視線を移すと目を丸くして慌てたようにベルハースを呼んだ。

「どうしたね」

 ガラス越しに見える育児室を臨む部屋で書類を眺めていたベルハースが彼女に顔を向けると、抱いていたはずの赤子が床に立っていた。

「……まさか、もう?」

 あり得ないと小さくつぶやいた。言ってみれば母親の胎内から出て一ヶ月も経たない状態だ。

 初めての成功例である赤子は毎日のように色々な検査が行われている、確かに筋力は一般的な基準値を上回っていた。

 まだ赤子の状態のため、検査で出る結果は多くはない。



 ──ベルハースが報告書を提出した一週間後、施設は一変していく。

 それまでは研究室がいくつかと小さな食堂に寝泊まりする宿舎だけといった、こぢんまりしたものが大量の資材が運ばれ人員も増加した。

 そして何より、

「彼らは?」

 ベルハースは軍用ヘリから降りてくる数人に怪訝な表情を向ける。

「専門家だそうですよ」

 そこにいた警備の者が説明した。

「専門家?」

 ヘリから出てきた暗いスーツを着た男は、当惑しているベルハースに近寄り手を差し出す。

「こんにちは」

 見た所、国の上層部の人間のようだ。ベルハースはいぶかしげに見やって握手を返した。

「これは一体どういう事だね?」

 眉を寄せて専門家と呼ばれる者たちを指差し質問を投げかける。

「キメラの教育ですよ」

 男は薄い頭髪を気にするようにこめかみ辺りをなでて鼻で笑う。

 自分が勝ち取った功績でもないだろうにとベルハースは呆れて小さく溜息を漏らした。

 今まで研究所には一度も訪れた事のない担当者にとっては、手柄にしか興味がないのだろう。

 失敗続きだった研究に成功が見えて慌てて色々と画策しているようだ。

「今はまだキメラが幼いため、栄養学と教育学に健康学の権威だけだが。今後は徐々に増やしていく」

 今後の世話は全て彼らが行う。これでランファシアの役目も終わりという事だ。

「キメラをどうするつもりなのだ」

 険しい表情を浮かべるベルハースに、その男はまた鼻を鳴らした。

「決まっている。最高の教育を施し、どこまで成長するのかを実験するのだ。ああ、ベルハース教授」

 眉間にしわを寄せるベルハースに関心も無く、男は問いかけた。

「あなたのご友人の中に言語学に優れた専門家はいませんか?」

「いるにはいるが」

「ではご紹介いただきたい。こちらで審査して選出しますので」

 居丈高に言い放つと男は再びヘリに乗り込んだ。

 ベルハースは小さくなっていくヘリをじっと見つめながら、研究が一人歩きを始めたのだと感じていた。

 その後、数々の施設が建てられ専門家や警備員が増員された。



 赤子は数ヶ月後に言葉らしき声を発する。

 ほとんど泣きも怒りもしない赤子に、授乳役の女性は言いしれぬ恐怖を感じていた。

 彼女の名はマーリン──国は産まれてすぐの子供を亡くした単身の女性を探していた。身よりもなく、子供を亡くした悲しみに未だ癒されない女性──それが彼女だった。

 人工ミルクだけでは不十分だという報告に急遽、彼女は選ばれた。

 彼女は「特別な子ども」と聞かされていたためある程度の納得はしているものの、異様な感覚にさいなまれる事があった。

 研究施設から離れた建物に半ば軟禁状態にされ、授乳時のみ赤子を手渡された。授乳期間が終ったと同時に施設から追い出されるように元の家に送られる。

 この時点では、キメラに関係していてもまだ施設の外に出される事は許されていた。



 それから数週間後、

「ベルハース!」

「ハロルドか」

 ベルハースの前に現れたのは三十代の男性。馴染みの間柄らしく、懐かしさに抱き合う。

 彼はハロルド・キーロス、栗毛と青緑の瞳が印象的な言語学者だ。少々、偏屈な所はあるが言語に対する研究には人一倍熱心な学者である。

 二人は十ほども歳が離れているが同じ大学にいた事もあり十年以上前の学会で意気投合して以来、今も仲の良い友人関係だ。

「そうか、お前が選ばれたのか」

 何かを含んだ物言いにハロルドは口の端を吊り上げる。

「なんだ? 私では不服か」

 二人は笑い合いながら廊下を歩いた。歩いている間に視界に入ってくる施設や部屋に、自分のいた大学とは雲泥の差だなとハロルドは薄く笑う。

「それで、その子どもはどこだ?」

 ふいにハロルドは険しい面持ちで問いかけた。

「まあ焦るな」

「まだ二歳だと聞いたが、すでに喋っているのか?」

 ハロルドは身を乗り出すようにベルハースの顔をのぞき込んだ。

「喋ろうとはしているよ。だが、どう話していいのかを悩んでいる感じだな」

 彼の言葉にハロルドは目を見開いた。

「は、早く会わせてくれ!」

「そう急ぐなよ。ほら、そこの部屋に──」

 ハロルドは指し示された部屋に足早に向かった。一枚扉が音もなくスライドし、白い床にペタンと座り込んでいる子どもの姿が視界に入る。

「この子が」

 鮮やかな緑の瞳に誘われるように、ハロルドは無言で近づいた。目線を合わせるために片膝を突くと口を見るよう示しゆっくりと、

「ハロルドだ。解るね?」

「ハロ、ルド」

 無表情に見上げて応えた子供にハロルドは口角を吊り上げた。

「ふ、ふふ。素晴らしい……。天才か」

 ベルハースは友人の瞳に異様な輝きを感じたが、彼が優秀な人間を探していた事を思うと、この反応は当然なのかもしれない。

 国は、キメラを「天才少年」だとして専門家たちを呼び寄せた。キメラが歳を追うごとに専門家を増やしていく計画だ。

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