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箱庭の螺旋  作者: 河野 る宇
◆いつかの想い
18/20

*オー・ド・ヴィの向こう

「いや、そんなはずはない」

 想像していた姿とあまりにも違いすぎて、マークは頭が混乱した。

「生きていれば四十五歳のはず」

 目の前にいる青年は二十代半ばほどで、とても四十を超えているようには見えない。落ち着き払った様子に目を見張るものはあるものの、整った顔つきに四十代と見受けられるものはどこにもない。

 考えられることと言えば──

「息子?」

 問いかけたが直ぐに「いや、違う」と小声で否定した。彼は子供は作れない。

「クローンか?」

 いや待て、クローンも不可能だったはず。もしや、成功したのか?

「私ですよ、マーク」

 この口調は確かにベリルだ。

 自分に向ける眼差しもあの頃のまま──しかし、

「成長速度は常人と同じだというデータは違ったのか?」

 青年は、いつまでも落ち着かず口の中でつぶやきを繰り返すマークを見つめて小さく笑みをこぼす。

 そんな、どこか切なげで優しい眼差しにマークの記憶が一気に呼び覚まされた。

「ベリル!」

 感極まり、気がつけば青年を抱きしめていた。間近で見る顔立ちと表情はまさしくベリルだ。何十年経っていても、その瞳は変わることなく深い何かを湛えていた。

「一体、どうして」

「話せば長くなります」

 驚くのも無理はないと苦笑いを浮かべ、感情の昂ぶりで震えるマークを丁寧にソファに促した。

 マークは腰を落としてからも、早く説明してくれと言わんばかりに輝く目をベリルに向ける。

「ちょっとした事から不死になってね」

「なんだって?」

 予想もしていなかった言葉に、彼が何を言っているのか理解出来なかった。

「なんて言ったんだい?」

「二十五のときに」

「冗談もほどほどに──」

 いやしかし、現に僕の前には青年のベリルがいるじゃないか。彼がそんな馬鹿げた嘘を吐くとは思えない。

 ましてや、直ぐに解るようなつまらないジョークを言うほどのユニークな人柄ではなかった。昔の記憶のままなら、だが。

 見たところ多少やさぐれた印象はあれど、あれから身長は伸びなかったのか記憶にある姿とそれほど変わっているようには感じられない。

 見下ろすのは昔と同じだけれど歳を食ったぶん、こちらの体が縮んでいるのかベリルとの目線が近くなっていた気がした。

「じゃあ、本当に?」

 まだ完全には信じられないが、その瞳に嘘はなかった。

 ベリルは、とりあえず落ち着いたマークを確認し、持っていた木箱をテーブルに乗せる。

 ひのきで作られた箱には、大層なエンブレムの焼き印がつけられていた。

「ブランデーだな。こいつは高級品だ」

 今まで手にすらしたことのない品に、箱をまじまじと眺める。

「お世話になりましたから」

 言って、箱からボトルを取り出した。

 その多くは琥珀色の液体を楽しむためなのか透明のボトルなのだが、これはまるで何かを通して見えるものを感じろとでも言うように、深い緑が中の色を隠していた。

「僕は何もしていないよ」

 照れたようなマークの言葉に、ベリルはゆっくりと首を振る。

「施設ではよくしてくれました」

 私の名も報告しなかった。だから私は、今まで自由でいられた。

「そんなことか。友達なんだから当り前だろう」

 立ち上がったマークは食器棚からグラスを取り出し、コルク抜きをベリルに手渡す。

 グラスに琥珀色の液体が注がれると、独特の薫りがマークの鼻を刺激した。手にしたグラスを眺めて、ツンとした揺れる琥珀を少し口に含む。

 熟成された高い薫りと味わい、ほのかな甘みにマークの頬は緩み、本当に高級品だと目を丸くする。

 二人は言葉を交わすこともなく、上品な樽の風味をしばらく楽しんだ。

 心の奥まで染みこむような、まさに eau-de-vie(オー・ド・ヴィ)(命の水)だとベリルを見つめる。

「話してくれるかい」

「何から話せばいいのか」

 ベリルは、おもむろに問いかけたマークを一瞥し記憶を辿るように視線を宙に向ける。

 田舎町には相応しく、時折車のエンジン音が聞こえる程度で外は至って穏やかだ。

 これなら邪魔は入らないだろう。マークは彼の口から語られる話に驚きつつも、少しも聞き漏らさぬようにと耳を傾けた。

 最もマークの関心事だった不死の経緯には、思わず深い溜息が漏れる。

「不死を与える力を持った少女ね。さすがに君にも予想出来なかったか」

 ベリルはそれに眉を寄せ、私をなんだと思っているのかと不満げな顔をした。マークは、ベリルが見せた表情に喉を詰まらせる。

 あの頃とは違い、なんて人間くさいんだ。僕が知っていたベリルとは丸きり違っている。それだけの経験をしてきたのだろうか。

「それで、その少女は?」

「さあ、今は故郷にいるかもしれない」

 彼女の一族に受け継がれていた、不死を与える力はベリルに使ったことで消え去り、彼女はもう身を隠す必要がなくなった。

 しばらくはベリルが居を構えるオーストラリアにいたようだが、今はどこにいるのか解らない。

 自身の正体と身を置く世界、そして不死──それらを考えれば、向けられる恋心には応えられなかった。

 彼女はただ、捨てられない力を継いでしまっただけの人間なのだから。その力も無くしたいま、きな臭い世界に巻き込むことはしたくなかった。

 少女との出会いは偶然だったのか、それとも必然だったのか──マークには必然だと思えてならなかった。

「まさか、傭兵をしているとは思わなかったよ」

「私にはそれが適正だったようでね」

 彼がそれを選んだ理由が幾つかあることは言わなくても解っていた。彼にとっては、早々にこの世から引退出来そうな職種だったろう。

 精一杯に生き、満足のいく死を望んでいたに違いない。皮肉な話だが、不死になっても続けられる仕事としてはまさにうってつけだ。

 あの頃よりも人間くさく、勇ましく感じるのは、育ててくれた人間の影響なのだろうか。

 逃げたあと、初めに出会った相手がフリーの傭兵だなんて、生まれ持った強運としか言いようがない。

 その傭兵に出会ったことも、少女に出会ったことも、不死を得たことも、全てはベリルという存在なればこそではないだろうか。

 そんなことを考えながら、ブランデーを傾けるベリルを見つめていた。成長した彼を見られるなんて、神様がいるなら感謝したい気分だ。

 歳を取った姿を見られないことは残念だが、今はこうして共に酒を酌み交わす時間を与えられた喜びに浸っていたい。

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