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箱庭の螺旋  作者: 河野 る宇
◆いつかの想い
16/20

*伝えられたもの

「ベリル!」

 救援に向かう軍のヘリに同行したマークは、施設に到着してすぐ、誰よりも先に駆け出した。

 兵士はそれを止めることもせず、遠ざかる後ろ姿を見送る。彼らがやる事といえば、建物の破損状況の確認と生存者がいるかどうかなのだろう。

 襲撃から二日を経過して敵がいるとは思えないためか、どこかのんびりとしていた。

「どこだ!?  返事をしてくれ!」

 足を踏み入れてすぐ、目の前に転がる死体に立ち止まり息を呑む。

 辺りを見回すと、壁には赤黒い染みに数え切れないほどの小さな穴──死体は一つだけじゃない。まるで、ビスケットの欠片の道しるべのように点々と転がっていた。

 ふと気がついた生臭さはこれかと口を覆う。こんなものは戦場とは言えない。ただの虐殺場だ。

「うわっ」

「なんだこりゃ」

 さすがの光景に、兵士たちの眉間にも深いしわが刻まれた。

 これではベリルが巻き込まれても不思議じゃない。マークは吐き気をこらえて再び重たくなった足を動かした。

 よほどでなければ入れ替わりのないこの場所において、倒れている顔のほとんどをマークは見知っている。

 転がる遺体を見る度に、会話を交わした記憶が脳裏を過ぎり何度もくじけそうになりながらベリルを探し回った。

 随分と走ったが、人の気配はまるで感じられない。死体の間を走り抜けていたせいか、この状況に慣れてしまっている自分に半ば呆れと悔しさが込み上がる。

 本当に誰も生き残っていない。ただ一人を探して回るマークに焦りが募っていく。

「ベリル──嘘だろう!?」

 こんな終わり方はあんまりだ。彼はもっと色んなことを知りたがっていたのに、こんな終わり方でいいはずがない。

 連れ去られたとしても、こんなやり方で連れ去った連中の元で現状よりいい環境に置かれるとは思えない。

 実験棟にたどり着き、全ての部屋が黒く燃え尽きていることに眉を寄せる。焦げ臭い室内に踏み入ると、かなりの熱だったのか原形を留めている電子機器は一つもなく、見事なほど隅々まで燃えていた。

「これは……」

 データはまとめてあるとベルハースは言っていた。ベリルのノートも実験室の一つに置いて講義の都度、チームの誰かがそのノートを運んできた。

 筆跡からのデータを取っているのだとも思っていたが、徹底したやり方に多少の疑問があった。

 彼らはこのために、細かなものまでまとめていたのだろうか。

「ベルハース教授!?」

 倒れている白衣の人物に駆け寄る。ぴくりとも動かず、その様子から死んでいるのは明らかだ。

 奮い立たせていた気持ちが一気に失せて、また吐き気が込み上がる。ベルハースは、ここで敵に立ちはだかったのだろう。

 無惨な姿にもどこか満足そうな口の端に、やり遂げたものが彼にはあったのだと思いを巡らせる。

 彼は無骨な人だった。愛情表現が下手で、自分の感情を伝えることに不器用だった。そして芯は硬く、決して曲げることはない。

「そうだ」

 彼はきっと、ベリルが逃げ延びることを信じていたんだ。

「そうさ。ベリルなら」

 マークはふと、ベルハースの遺体にぽつりと白いものがあることに気付いた。

「花?」

 しおれた小さな花が、遺体の側に無造作に落ちている。敵の服にでもついていたのだろうか。

 いぶかしげに思いつつ、そっと手にとって四方を眺める。息が詰まるような光景に、微かな白い光が灯されていた。

 遺体の側に落ちている白い花が、殺伐とした世界に癒しを与えているようだった。

「まさか!?」

 つかの間、いぶかしげに表情を硬くしていたマークは目を見開き再び走り出した。

 さしたる運動をしていない体はすぐに限界を感じ、切れる息をなんとか整えながら建物の南に向かうと、現れた大きなくぼみが彼の足を止めた。

 明らかに爆発の跡だ。そこには、いくつもの白い花が乱雑に散らばっていた。

「……ここには、これだけの人がいたんだね。ベリル」

 えぐれた地面の中心に降り立ち、ゆっくりとしゃがみ込む。微かに滲む赤い染みは、ベリルの流した涙のようにも思えた。

 ぼんやりとした視界の先に、きらりと光るものを捉えて手を伸ばす。掴み取ると、五センチほどの楕円形をしたプレートだった。

 ボールチェーンにつながれたそれは乾いた血と土で汚れ、ここに誰がいたのかを明確に示していた。マークは、刻まれている名前に体を震わせてドッグタグを握りしめる。

「ブルー。君は──っ」

 兵士時代の習慣とでも言うのか、彼は常に認識票を身につけていた。よもや、それが役に立つなんて皮肉な話じゃないかと、笑う頬に涙がつたう。

「君たちは、師匠と弟子の関係だったんだ。そうだろう?」

 ベルハースたちには子供だったのかもしれない。それぞれの立場は違えど、その立場の愛情は確かにあった。それが、こんな形で砕け散るなんて。

 それでも、ベリルが逃げおおせたのだと考えたなら、まだ一縷いちるの望みがある。

 いや、ベリルが自由になることは、彼らが最も望んだものだったはずだ。どんな形にせよ、これは彼が自由になる運命の一つだったに違いない。

 マークは何かに導かれるように、おぼつかない足取りで歩き始めた。

「全ては、同時に起こっている」

 ここで命を落としていた未来があったのかもしれない。連れ去られていた未来があったのかもしれない。

 少なくとも、僕たちの世界では、君が逃げ延びた未来が起こった。

 政府は平静を装っているが、根底では君を恐れている。それだけの知識を身につけさせたのだと解っているからだ。

 でも、僕は信じているよ。君ならばきっと、その知識を正しいことに使ってくれると──

 ベルハース教授、あなたたちはここまで予測して彼の名を伏せていたのだろうか。それとも、考え得るだけの可能性の中の一つだったのだろうか。

 真意はもうわからないけれど、あなたたちの犠牲を僕が無駄にしてはいけない。

「僕たちは、ずっと友達だ」

 君は自由になったんだ。その足で歩き、生まれたこの世界をその目で見て、肌で感じてくれ。君の存在が善か悪かなんて、僕たちが決めることじゃあない。

 君が見たいと言った世界は、君の目にどう映るのだろうか。ここにいては活かせない知識は、君のためになるだろうか。

 君が自由を手に出来たと、僕は信じている。

「君には、ここは狭すぎる」

 咲き乱れていたはずの花があった中庭で、踏み荒らされて白い花だけが摘み取られた花壇を前にマークは晴れ渡る青い空を仰いだ。

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