同姓同名の男
海斗は死んだ。海斗の命はもうここにはない。もう動かない木偶人形だ。
僕が殺したんだ。僕が殺してしまったんだ。
そんな事を考えているうちに、何分が経っただろうか。
ふと、我に帰ったきっかけになったのは、生井家の玄関のドアがあいた瞬間だった。
ガチャ・・・。
一瞬僕はビクっとなる。こんな光景を他人に見られたら大変だ。
どうする?どうすればいい?僕は約3秒間考えた。
だが、どう考えてもこの状況を隠すことはできない。現場は悲惨な状況だし、床や壁は血まみれ。おまけに僕も返り血を浴びて血まみれだ。
腹を括って、訪問者も殺すか?
だが、これ以上罪を重ねたくない。僕は殺すつもりでここに来たわけじゃない。僕は素の殺人犯なんかじゃない。海斗のせいで、そうなってしまった不幸な男だ。
「よぉ、邪魔するぜ」
一人の男がリビングルームに入ってきた。彼が訪問者だ。
彼は現場を見回して、少し笑みを浮かべた後、僕に話しかけた。
「やってくれたな。成間翔。わざわざ殺す必要はなかったはずなのに」
「どうして知ってるんだ?僕が殺したんだって」
僕がそう聞くと、彼は唖然とした表情でこっちを向いて、口を開いた。
「どうしてって・・・外から見てたんだよ。気づかなかったか?そもそも、外の視線を気にする暇もなかったか」
しまった・・・と僕は思った。もしかしたら窓越しに目撃者がさらに居るのかもしれない。だが、それは重要な問題でもなかった。
訪問者の‘彼‘がいる限り、僕の罪は完全に発覚している。何人に見られていようが、結局は一緒だ。
「ああ。その通りだ。僕が海斗・・・彼を殺したんだ」
「そうか、また、めんどくさいことをやってくれたな。成間翔」
そもそもなんでこいつは僕の名前を知っているんだ?
もちろん、こんな奴に覚えはない。あっちが知っているというのなら、話は別だ。だが、どう考えても思い当たる節はない。
「なんで僕の名前を知っているんだ?」
僕は思い切って聞いてみた。
「どうしてか?そんなのは決まってるじゃないか」
そう言うと、ワンテンポ置いて、彼は確かにこう言った。
「俺も成間翔だからだよ。知らなかったのか?」
一瞬聞き返そうと思ったが、めんどくさかったのでやめた。
成間翔だって?成間翔は僕だ。こいつも成間翔なのか?じゃあつまり、どういうことだ。
「なんだよ。あっけにとられた顔しやがって。まぁ当たり前か。お前は俺に会ったの、初めてだもんな」
「じゃあ、アンタは僕に会ったことはあるのかよ」
「直接は無いが、少しくらいは知っているよ。‘俺と同じ名前の奴がいること‘も、‘そいつの顔‘もな」
それぐらい知っていれば十分じゃないのか?
「聞きたいことは山ほどある。でも、今はどうでもいい。アンタの用事を先に言ってくれないか?」と、僕は言った。
別に、彼が僕に用事があるかどうかは知らないのだが、同姓同名が事件現場でバッタリ遭遇、そんなことは偶然ではない。何か意図があったはずだ。もしくは、悪戯か?こいつは俺には全く関係ない、完全な赤の他人。もちろん成間翔ではない。
「まず、俺が成間翔だということを前提にして、話を進めよう。俺は成間翔。職業・・・というより、趣味は幼児の監禁、暴行、調教、他にも色々だな」
あまりにもあっさり言われたので、僕の頭はついて行けなかった。
その瞬間、頭の中で何かが高速で回転するような気がした。
幼児監禁・・・凶悪殺人者成間翔・・・僕以外にも成間翔が居た。ということはどうなる?こいつか。そうか。繋がったぞ。
例の資料に書かれていた成間翔の名は、間違いではない。‘こいつ‘のことだったんだ。この成間翔、本人だ。
「おっ、わかったようだな」そう言って、彼は床に放置され、血が付いた例の凶悪犯の資料を手に取り、パラパラとめくっていた。
「ふぅーん。成間翔、罪状は、幼児監禁、暴行、殺人かぁ・・・大方間違ってねぇ。これは俺だな。迷惑かけたな。成間翔」
そう言って床に資料を放り投げた。
「じゃあお前は、その、凶悪犯だっていうのか?」
血の気がサーっと引いた。俺は今、凶悪犯と同じ屋根の下にいる。
しかもこいつは、許しがたい、幼児監禁をやらかす奴だ。危険だ。危険すぎる。
「ああ。確かに俺は幼児が趣味だ。でも、実行するとき以外はなにもしねぇよ。何だお前?俺に狙われると思ってんのか?俺は10歳以下の幼児しか襲わないようにしているんだ」
「じゃあ、警察に追われたりしないのか?どうしてそうも逃げることができる?成間翔は偽名なのか?ならすぐに改名してくれ。僕にも迷惑がかかるんだ」
「違う違う。今のところの俺の名前は七岡真悟だ。成間翔が本名なんだよ。それがその資料に書いてあったということは、何らかの方法で本名を特定することができたようだな。そりゃあ重要な情報だからな。‘取引‘する必要もあるもんだ」
こいつ、取引のことも知っているのか?一体どうして?
外に聞こえるほど大きな声で会話はしていなかったはずだ、それなのに海斗の会社の取引について知っているということは、海斗の会社と何らかの繋がりがあったということか。
「そして、この顔も整形したんだ。跡形もなく、な」
そう言われてもピンとこなかった。不自然さは特にない顔立ちだったからだ。なかなか高度な整形手術を要したのだろう。
「さて」
七岡真悟はそう言うと、妙なことを口走った。
「お前の道は2つある。1つは、正直に警察に出頭すること、そしてもう1つは、俺と来て、この事件から逃げることだ。まぁいつか見つかるかもしれないが、そこは勘弁して欲しい。俺も出来る限り協力するからさ」
どうしてこの男が俺を助けようとしているのかは、詳しくは分からなかったが、おそらくこいつも危機感を感じているんだろう。同姓同名の男が犯罪を犯してしまったというのだから。
「そうだ、指紋を見せてくれないか?成間翔」
七岡がそう言うと、僕は右手を差し出した。
「やっぱりな・・・思ったとおりだ・・・」
その異変が、僕にも少しわかったような気がした。
僕とこいつの右手の指、一本一本を見ていくと、その様子はわかる。
・・・指紋が一緒だ。目を凝らしても、それがわかる。流石に目を疑った。
「やってくれたなぁ。成間翔」
七岡は怒ったような口調で言ったが、その理由が僕にも明確に分かった。
「そう、この現場には、お前の指紋がベタベタとある。しかし、それはお前の指紋であって俺の指紋でもあるわけだ。これがどういうことか?もし、警察共が犯人を特定するとき、俺に思わぬ矢が行くかもしれないということだ。それは大変危険だ。わかるだろ?」
僕はコクっと頷いた。僕がとっくに危機なことは分かっていたが、他人を巻き込みたくは無かった、でもこれは、予想外だ。どう脳を張り巡らせても、犯罪者の同姓同名、そして指紋も同じ。そんなことを考えることなんて出来るわけない。
現場に緊張が走る。凶悪犯罪者と、たった今、殺人犯になってしまった男二人だ。
「逃げます。僕は成間翔として、成間翔についていきます」
それが僕の答えだった。すると男はこう答えた。
「・・・七岡真悟と呼んでくれ。出来る限りは、な」
男も焦りを感じているところのようだ。