「貧乏くさい」と婚約破棄された五メートル先で、公爵に奪われました。~一年以上執着されていたなんて聞いていません。今さら元婚約者が泣いて縋っても、もう手遅れです~
「お前のような貧乏くさい女との婚約は破棄する」
夜会の人の多い場所で婚約者に言われた。
婚約者は子爵家の嫡男のルカス・ヴァン・ディードリヒ21歳。
一年前に私が二回目に参加した夜会で一目惚れしたと言ってきた男だった。
私は熱烈に求められて婚約した。
私は伯爵家令嬢のリリアーヌ・フォン・グラナード20歳。
貴族社会では『行き遅れ』と言われる年齢になろうとしている。
一年前の時点ですでに私は出遅れていて、求婚してくれる人はルカスしかいなかったのだ。
だから、一年間婚約者としてルカスには尽くしたつもりだったのに……。
(……これから新しい相手なんてすぐに見つかるわけないから、『行き遅れ』は確定ね……)
あまりそう言うものに興味がなかったから、気にしてなかったけど……。
ルカスに愛されていると思ってホッとしていたところから、『行き遅れ』なんてよばれるのは悲しい気がする。
ヒソヒソと一部の人が気づいて話しているだけだけど、いずれは夜会会場中に広まって、社交界全体が私を笑い者にする。
私を残して去るルカスは、まだ5メートルも離れていない。
すがって、「気に入らない所があるならなんでも直す」って言おうか……。
一時的には笑い者になっても、夫が見つからず『行き遅れ』と言われ続けるより、きっとマシ。
私が手を伸ばし一歩踏み出そうとすると、伸ばした手が吸い込まれるように別の大きな手に包まれた。
大きな手の主は背の高い男性で、ルカスとは比べ物にならないくらい大人の匂いがした。
手を取られて見つめられてるだけなのに、顔がほってっていくのを感じた。
私を見下ろして男性が優しく微笑む。
「公爵家当主、アルフレート・フォン・ゼーレです。この時を待っていました。リリアーヌ、結婚してください」
「え!? わ、私と!?」
大人の男性がうなづく。
公爵家当主って……こんな人に会った事がない。
「誰かとお間違いです、私は貴方の事を見たこともないんです。公爵様となんて、恐れ多くて……!」
「俺は君をずっと見ていましたよ。一年とニヶ月前に建国記念の祝賀晩餐会にいらっしゃいましたね。あの時にあなたに一目惚れしたのです」
会場のヒソヒソ声が一瞬で感嘆に変わる。
婚約破棄された私への侮蔑が一転して、好奇心と好意に変わっている。
「……初めて参加した夜会ですけど……。お声をかけていただいた人が何人かいました……その時の方ですか……? 公爵様だったの? 初めてで、気後れしてしまって覚えていないんです……」
(あの時は、何も分からず失敗してしまったような気がしたけど……)
「俺とは話していませんよ、リリアーヌ。君は、疲れていらっしゃるようだったので、次の夜会まで待ったんです……」
二回目の夜会は、会場に着くなりルカスが一目惚れしたと言ってずっと一緒だった。
前回は上手く話せずに、つまらない女だと思われていたから、ずっと一緒にいてくれるルカスが頼もしかった。
それで、夜会の後も誘ってくれたルカスと早々に婚約したんだった。
でも、ルカスは両親に挨拶に来て、両親と幼い兄妹たちの姿に失望したんだと思う。
ちょうど領地が2、3年ほど大変な時で、みんな服もまともに買えていなかった。
領地が落ち着いて、真っ先に両親が私にドレスを用意してくれて、夜会に送り出してくれたから、家族の服はまだ手に入っていなかったの。
もちろんすぐにみんなの服を買って、手が回らなかった場所の手入れも急いでしたけど……。
子爵家のルカスが格上と思っていた伯爵家の我が家を見下すには、最初の印象だけで十分だった。
一時的に領地の問題があったけど、それが片付けば収入自体は安定しているのだけど、ルカスには分からなかったのよね?
婚約してる一年間の夜会に行くための服や費用は私の個人の収入から払っていたのに、気づきもしなかった。
それなのに、貧乏くさい女と言われて婚約を破棄されたんだわ。
公爵様に掴まれている右手が恥ずかしくなった。
そんな元婚約者に私は、すがろうとしていたんだ。
私は自分の右手を引き寄せると、胸の前で左手で強く握った。
公爵様の手はすんなりと外れる。
「あんな男と結婚するなら、『行き遅れ』と言われるほうがマシでした……」
そんな事を呟いてしまう。
「……俺のプロポーズを断るつもりですか?」
公爵様が言う
私はハッと思い出した。
目の前の公爵家当主、アルフレート・フォン・ゼーレ様……彼に結婚を申し込まれたんだった!
「え……?」
あまりの出来事に頭が働かない。
婚約破棄されたばかりだと言うのに、プロポーズされた?
相手は公爵家の御当主……アルフレート様?
あ、あり得ない……!
婚約破棄した元婚約が私の元を去ってまだ5メートルしか進まない内に、公爵様にプロポーズされるなんて!?
見ると元婚約者は、まだ8メートルくらい先にいた。
あっちも驚愕して私とアルフレート様を見ている。
「リリアーヌ、結婚してくださいますね?」
アルフレート様にもう一度、問われる。
私はもちろん……
「待て、その女は俺の婚約者だ!」
ルカスが8メートル先から戻ってきた。
私の腰を抱いて自分の身体に引き寄せる。
身体を密着させると腰に回していた手を上に移動させて、私の顔を自分の方に向けさせる。
ルカスの顔が近付いて唇を吸い取る。
いつものなれた動作に身体が反応して、キスしやすいように動いてしまう。
私は、自分の動きにショックを受けた。
唇が震える。
私の反応に満足して笑みを浮かべるルカスへの怒りで胸が熱くなる。
アルフレート様も怒りに満ちた表情をルカスに向ける。
私はルカスの腕を振り解こうとするけど、ますます腕が強く巻き付いて、二度目のキスをされそうになる。
アルフレート様がルカスの唇の前に手を置いて止めてくれる。
「あなたには関係ないだろう。リリア、今朝も何度もしただろう。とろけるような目で俺を見ていたんだ、またずっと可愛がってやるよ」
カッと身体が熱くなる。
婚約者だった時は受け入れても、今は嫌悪感しかないのに!
ジワッと熱くなった目頭のままに、アルフレート様を見上げてしまう。
アルフレート様と目が合うと、私の気持ちを包み込んでくれるように深い瞳が見えた。
けれど、すぐに獲物を狙うように鋭くなって、ルカスを見た。
ルカスの手とは違う暖かい手が肩に置かれた。
優しさを感じた次の瞬間に、荒々しい流れに身を任せたと思うと、ルカスが倒れて、私はアルフレート様の腕の中にいた。
「これ以上リリアーヌを貶めるな! 今、みんなの前で婚約破棄を宣言しただろう。証人がこれだけいるんだ、見苦しいぞ、ルカス・ヴァン・ディードリヒ!」
アルフレート様が会場中に響く大声でルカスを一喝する。
皆の非難の目が一斉にルカスへ向かう。
「正式な婚約破棄の手続きはしていない……!」
ルカスが顔を起こして言う。
立ち上がると顔を伏せて唇が噛み締めると、両脇に下げられた拳がきつく握られて、血管が浮き上がっている。
「リリアが明日一番に手続きする。私が証人として一緒に行こう」
アルフレート様が私を愛称で呼ぶ。
ルカスの顔が真っ赤になって頭に血が昇っている。
「お前のような節操がない浮気女はいない!」
ルカスがアルフレート様の胸の中に収まった私に言うけど……。
「あなたが捨てたからでしょう? 浮気なんてする暇もなく捨てられたのに」
ルカスは顔を歪めて、私を見下すように睨むと夜会会場を去っていく。
貴族たちがルカスから距離を取って人垣が割れる。
ルカスが一瞬止まり、拳に力を入れて意を決しって間を歩く。
肩が震えていた。
「ヴァン・ディードリヒ子爵家……近づかない方がいいですわね」
「なんであんな奴が夜会に紛れ込めた」
周囲の人たちが、無礼な男の醜態をヒソヒソと話し続ける。
貴族社会中に明日には広まっているだろう。
私はルカスの婚約破棄から戻ってきてのキス、そして見下して去って行く様子を思い出すと震えていた。
消える前にルカスの震える肩が私を振り返ろうと動いて、すぐに戻った。
ルカスが私の所に戻ってくるかもしれない……。
まるでモノみたいな扱いで、オモチャのように扱われた。
私はルカスの消えた方をじっと見つめていて、自分の震える手が公爵様の胸元に置かれている事にしばらく気づかなかった。
「リリアーヌ、もうアイツは行ったよ」
アルフレート様の声に我に帰る。
「す、みません……助けていただいてありがとうございます……」
慌ててアルフレート様から離れる。
手のひらに感じていた温もりの余韻もついてくる。
急に不安が増してくる。
この後でルカスと帰るつもりだったのに、どうやって帰ろう?
ルカスが待ち伏せしていたら……家に帰るのも不安になってくる……。
「リリアーヌ、今日はもう帰ろう、俺の馬車で送って行くよ」
アルフレート様が申し出てくれた。
よほど心細そうに見えたのね。
「ありがとうございます。でも、アルフレート様も夜会に着いたばかりでしょう……」
「俺はいつも君を一目見るために夜会に来ていたんだ。今ほど楽しい夜会の過ごし方はないよ」
私は赤くなった。
本当に私を見ていてくれたの?
「……でも、ルカスと婚約解消するつもりなんて、さっきまで全然なかったのに……」
「君たちは能力が違いすぎる。必ずルカスが君への劣等感を爆発させると思っていたよ」
アルフレート様は確信していたような言い方だ。
「プロポーズの返事を聞かせてくれないか?」
私は迷った。
断るなんて考えられないほどにいい条件だ。
でも、
「私は急いで婚約を決めて、失敗したばかりです…… 。アルフレート様に不満があるわけではないけど、時間をかけたいのです……」
アルフレート様はがっかりしたようだけど、微笑んでくれる。
「一年待ったのだから、もう少し待ちます。ただ、早くいい返事を聞かせてください」
優しい言葉に胸が締め付けられた。
私は深くうなづいた。
もう、アルフレート様のこと以外は考えられなくなっている。
◆◇◆
私はアルフレート様の馬車に乗り込むために外へ出る。
ルカスがいた。
私はアルフレート様に肩を抱かれて守られていた。
「リリア!」
ルカスが跪く。
「許してくれ、お前が俺をずっと支えてくれていた事を忘れて、俺が悪かった。一生かけてお前を溺愛し続けると誓う。だから戻って来てくれ」
真剣な後悔の響きがある声。
「もう二度と間違えない……!」
真っ直ぐにルカスの瞳が私を見る。
思った通りに戻ってきたルカスは、思ったよりも後悔して私に許しを乞うている。
「……ルカス……もう無理よ……」
私はルカスから顔をそらして言う。
私の瞳は揺れてる。
「今さらもう遅い、リリアーヌは俺と婚約したんだ」
え?
アルフレート様が冷たくルカスに言うと、私を抱き寄せて、見せつけるようにキスする。
そのまま私たちはアルフレート様の馬車に乗り込む。
置き去りにされたルカスは、跪いたまま、肩を落とした。
俯いた顔に暗い夜の照明が一瞬煌めいて、
こぼれ落ちる雫を反射させた。
照明が泣いているのを教えてくれる。
「リリア、愛してる……」
馬車の車輪の音に消されるはずの音が聞こえた気がした。
私は、馬車の窓のカーテンの隙間を完全に閉めた。
後ろから大きな手に抱きすくめられる。
「待つと言ったけど無理だ。一年前に、待ったからあなたを目の前で攫われて、さっきはキスを見せつけられて……。俺の我慢はもう限界だ……」
アルフレート様の熱い吐息がかかる。
「待つ」と言ってくれた優しい公爵様だったのに……。
私は、アルフレート様の手の力強さにさっきのルカスを思い出してしまう。
私の意思を無視して夜会会場でキスして、私をモノみたいに扱ったルカス……。
アルフレート様は私の揺れる瞳に気づく。
「……すまない。君に声をかけるのに一年二ヶ月も待った日々を二度と繰り返したくなくて、自分を抑えられなくなっていた……。君の意思が大事なのに……」
でも、私は……、
「アルフレート様……私、ルカスの元に行きそうになりました……」
私の告白に、アルフレート様の目が鋭く光る。
「リリア、それは、君の意思じゃないだろう……!」
怒りに燃えた目で私を睨むアルフレート様……。
私はうなずいて、アルフレート様の首に腕を回して引き寄せる。
「ルカスなんてどうでもいいのに、同情はしてしまうの。だから……私に優しくなくていいの。私にもう間違いをさせないでください、アルフレート様……」
アルフレート様が一瞬だけ驚いたように躊躇う。
でも、
「わかった、もう二度と手加減しない、君はもう俺のものだ」
私はその夜から、アルフレート様のものになった。
あなたの元で、もう二人が二度と間違うことがないように……。
◆◇◆
アルフレート様の屋敷に泊まって、翌朝すぐに、婚約破棄の書類上の手続きを二人で済ませに出かける。
晴れて、私はアルフレート様の正式な婚約者になった。
ルカスは昨夜の夜会での出来事もあって、社交界での評判は地に落ちている。
もう、まともな縁談はないだろう。
それでも私は婚約を破棄する。
ルカスの間違いを許すつもりも、一緒に落ちていくつもりも、私にはないから。
私が微笑んでアルフレート様をみると、アルフレート様も微笑んで私を見てる……。
私はアルフレート様の事は好きだけど、軽い気持ちで微笑んだのに、重い愛を向けられている事に気づいた。
アルフレート様は私から視線を外さない。
きっと私のどんな間違いも許して、一緒に落ちてくれる……。
私もそれくらいあなたを愛したい。
アルフレート様の手を前より強く握って屋敷に戻る。
「そこは段差になってるから気をつけて」
アルフレート様に足元をずっと心配されながらで、やっぱりずっと優しい。
屋敷の前に二人の男がいた。
伯爵と侯爵、アルフレート様の友人のようだ。
顔を見ると、ふと記憶が蘇った。
昨夜の夜会で、私たちの前にいた二人の男性。
私を見て「貧乏くさい女だ」と言って、二人で笑った。
ルカスの顔色が変わったのを覚えている。
「……」
私は青ざめた。
アルフレート様も友人に言われたら私の本当の価値を知るだろう……。
私の顔色を見て友人たちは困ったように顔を見合わせた。
「あれは……あなたを解放するためアルフレートから頼まれた芝居だったんです……」
「え……?」
私はアルフレート様を見た。
「アイツが、君を守る男なら身を引こうと思っていた。俺も26歳で君を思い続けて、『行き遅れ』と呼ばれて公爵家を傾けるわけにはいかないからな」
……公爵様も後がなかったの……?
「ただ、今となっては身を引けるはずがなかったと思う。君と離れている俺などもう考えられない。絶対に奪いに行った」
友人の伯爵と侯爵が含みがありそうに顔を見合わせて笑う。
二人の様子に、身を引くは嘘で最初から婚約破棄させるつもりだった気がする。
アルフレート様が私に手を取って身体を寄せて私の顔を覗き込む。
「重い男は嫌いか?」
私を奪ってくれた、重い男は大好きよ。
アルフレート様の重い愛に包まれて、逃げられない場所にいる。
「私は、誰よりもアルフレート様を選びます」
私がこの手を伸ばすのは、あなただけにもう決めている。




