妻の実家の事件
子供を望まず、互いに尊重しあい添い遂げたい意思を持つ場合に限り、マレット王国の貴族には『白い結婚』が認められている。
王家への報告義務はなく、当人同士の同意で結ばれる契約婚であり、子宝に恵まれない貴族が他家から養子を迎えることもできる制度である。
その昔、戦場から帰還した貴族の当主が、怪我によって既に余命いくばくもなかったとき、戦場救護士として献身的に支えた下級貴族の娘を妻としたことが始まりとされる。
時が経ち、今ではその美談は別の名で呼ばれることもある。『愛のない結婚』と。
「お、おはようございます、旦那さま」
ダイニングにそろりと姿を見せたサティーに、アレグリオ侯爵は読んでいた新聞を畳んで微笑む。
まだ頰の薬布が痛々しい。傷を気遣ってゆったりとしたチュニックワンピース、レースを何枚も重ねたペチコートが、冬の朝の寒さから彼女を守っていた。
足元はヒールのない、刺繍の入ったシルクのパンプスが彩る。
「おはよう、サティー。よく眠れたかな?」
「はい、お部屋がとても暖かくて……ベッドもふかふかで、寝過ごしてしまいました」
申し訳ございません、と恥ずかしそうに頭を下げるサティーに、侍従ロウエが笑って椅子を引き、テーブルへ促す。
侯爵の席のすぐ隣に座ったサティーは、「あ」と小さく声を上げた。新聞の絵が目に入ったからだ。
侯爵はその絵を指でつつきながら、何でもないことのように言う。
「おそらく今日、これの関連の取材申し込みが100人ほど来るかと思うが、君が対応する必要はない。部屋から出ない方がいいな」
「ひゃく!?」
サティーは驚くが、ハーブ茶をサティーの隣で注ぐロウエは事もなげにうなずく。
「年末ですし、民間の出版社はもう冬期休業に入っておりますからね。それくらいの人数でしょう」
冬期でなければ何人集まったのだろうか。サティーは考えないことにした。差し出されたハーブ茶にお礼を言い、緊張しながら口に運ぶ。
シナモンと生姜、蜂蜜の味がした。
ダイニングの大きな石造りの暖炉で、パチ、と薪が弾ける。暖炉の前では毛足の長い老犬が、のったりとくつろいでいた。
ちなみに昨夜も同じ場所にいた。「ここが特等席のオーディンだ」と紹介されたが、よそから来たサティーがいても、主人である侯爵が呼んでも顔すら上げない。名前の通り超然とした犬だ。
ハーブ茶を飲み終えた侯爵がカップを置く。
「では、朝食にしようか。苦手なものはあるかな」
「あ、いえ、ありません」
「いや、間違えた。私の前ではあるとは言えないな。苦手なものがあったら、残してくれて構わないよ」
「……はい。……でも、ご家族のかたが、まだ……」
朝食は家族が揃って食べるものだ。侯爵の息子ふたりの姿がまだ見えない。
侯爵は、おどけたように目を見開く。
「まさかジェームズと食卓を囲みたいのかい?」
「え、あ、あの」
「旦那さま、サティーさまに意地悪はおやめなさいませ」
ワゴンで朝食を運びながら、ロウエが主に釘を刺す。
サティーにはこのふたりの、主従らしからぬ長年の友人のようなやり取りが新鮮だった。仲の良い家族の雰囲気がとてもあたたかくて、羨ましいとさえ思えた。
『白い結婚を約束する』と言われたときは、目の前が真っ暗になった。結婚宣言がその場限りの方便だったとしても、サティーには喜びしかなかったからだ。
けれど、自分が侯爵に釣り合うかと言われれば、全くそうは思わなかった。
かたや『獅子王』の異名を持つ、清濁あわせ呑む王国の重鎮。かたや自分は、存在としては小さすぎる『親指姫』なのだから。
(今は、ジェームズさまの醜聞を拡めないために侯爵家に置いて頂いているだけ。そうよ。白い結婚って……そういう意味だもの)
愛されるなんて、望むべくもない。
サティーは、自分の気持ちに蓋をした。
侍従にたしなめられた侯爵が、拗ねたように反論する。
「だって私よりジェームズを気にしているのだぞ?」
「えっ!? い、いえ、気になんかしてませんっ、だ、旦那さまの方がいいですっ!」
機嫌を損ねたかと必死になって弁解するサティーに、拗ねていたはずの侯爵が破顔する。
「冗談だよ。なに、ワルターは留学中、ジェームズは別邸にいるだけだ」
「ええ、別邸にいらっしゃるので、お顔を合わせることはございませんよ」
「そうなんですね」
ふたりがにっこり笑って口にしたので、サティーはほっと息をつく。
テーブルに、細かく切ったベーコンとカブのポタージュ、パンのお粥、黄金色に輝くオムレツが、ロウエによって並べられた。
(あ、これは……)
口を大きく開けず、噛まずに食べられるメニューである。侯爵家のシェフたちの心遣いに、サティーは胸がいっぱいになった。
ハーブ茶に代わってたっぷりミルクの入ったコーヒーも注がれる。
スプーンで、パンのお粥を一匙すくう。チーズとパセリの薄い塩味が、優しくおなかに染みてゆく。
「温かい……。とても美味しいです」
寒い朝には嬉しい湯気の立つ朝食メニューに、サティーは顔をほころばせる。侯爵も微笑みでそれを受け取った。
「あら?」
ふと、足にふわりとした感触があった。
テーブルの下を覗いてみると、暖炉の前から動かなかった老犬オーディンが、いつの間にかテーブルの下に移動していた。暖炉の熱が届かない足を温めるように。
ふわふわの毛並みがくすぐったくて、ふふ、とサティーが笑う。
「あの……このあと、オーディンと遊ばせて頂いてもよろしいですか?」
「もちろんだとも。私に代わって、彼を君のナイトに任命しよう」
アレグリオ侯爵の執務室は、侯爵邸に入ってくる者を見渡せる2階の中央付近にある。
サティーには詳しく語らなかったが、ジェームズがいる別邸とは、侯爵邸から10キロ離れた、先々々代が鷹狩り用に使っていた築150余年、『透明な使用人13人』つきの別邸のことだった。
少々おくゆかしい建物だが、監視を兼ねた使用人も数人つけたし、謹慎するのに不自由はない。
透明な方の使用人もきちんと挨拶はしてくれる。主寝室にだけ。
ゴシップ大好きな民間出版社にも場所を伝えたので、今日の取材攻勢はさらに分散されることだろう。
遠く、霞んで見えもしない別邸を窓越しに、侯爵は侍従からの報告を受けていた。
「こちらが、オーランド伯爵邸の警備日誌でございます」
「出してよこしたのか?」
「特に渋ることなく、とのことです」
サティーの怪我の原因となった爆発騒ぎを解決すべく、アレグリオ侯爵はまず当時の様子を見た者の証言を求めた。
警備兵、邸内の使用人、伯爵その人、である。
貴族の屋敷の警備情報など、本来は部外者に見せていいものではない。いくら侯爵の要請といえど拒否するか、少しは渋るべきなのだが。
「たかが知れているな」
眉を寄せながら、侯爵はページをめくる。
12月3日。雪がわずかに降り積もっていた。
深夜1時50分。オルフ・オーランド伯爵邸に爆発音が響いた。
警備兵が伯爵邸に到着したのが深夜2時頃。
侵入者の有無を確認したところ、屋敷から外へ向かう複数の足跡を発見。
深夜2時10分頃。警備兵が伯爵の所在を確認する。
「伯爵、ご無事ですか!!」
「やかましい、寝かせてもくれんのか!!」
オーランド伯爵は警備兵に怒鳴った。
「お屋敷の東側で爆発がありました。お屋敷から外へ出たらしき足跡があり、お屋敷内に犯人が潜んでいる可能性は低いと思われます。まずは御身の無事の確認に参りました」
「東だと! サティーのやつは無事かっ!?」
「今、他の者がお嬢さまのお部屋に向かっております」
「なぜ貴様が向かわん! 私の娘がどうなってもよいのかあっ!!」
警備兵が目視で、オーランド伯爵の部屋内部を精査。
伯爵は娘を案じているが、ベッドから降りて様子を見に行く気配はない。
伯爵は裸であった。
ベッドにはもうひとつの膨らみがあり、白い脚がのぞいている。喧騒の中でも起き上がる様子はない。(伯爵が夜に度々、若いメイドを部屋に呼び寄せていることを、のちに別のメイドが証言)
「ただいま、お嬢さまのお部屋を確認して参ります」
「早く行けっ!」
警備兵が屋敷の東側の3階、娘の部屋に向かう。
途中、花瓶は倒れ、割れた窓ガラスが散乱していた。他の怪我人はいないようである。
「なんてこと、なんてこと!」
「おい、お嬢さまはっ!?」
「ああ、どうしましょうっ!」
メイドは混乱しており、警備兵は娘の部屋に踏み込んだ。
「お嬢さま!!」
天蓋と思われるものが崩れ、絨毯がめくれている。
鉄片や釘が身体に突き刺さり、天蓋の残骸の下で息も幽かな娘が、サティー・オーランドであった。
アレグリオ侯爵は、怒りも露わに日誌を閉じる。侍従は主のただならぬ気配に、表情を硬くした。
「旦那さま……?」
「ロウエ、馬車、いや、馬を出せ」
言うやいなや侯爵はコートを羽織り、扉へ向かう。金のたてがみは覇気で逆立って見える。
侯爵は、低く唸った。
「足りないにも程がある……!」




