妻の暴行問題
王家の遠縁アレグリオ侯爵、電撃の結婚発表。
サティーは壁際で、ひとりたじろぐ。
(……え、えーと……これは、お義父さまの作戦。本意ではない、はず……)
侯爵の悪戯を「お好きなように」と送り出したのは自分だ。ならば。
(この舞台を壊さないよう、『侯爵に選ばれた女』の役割を演じなければ……!)
サティーは大きな戸惑いと胸のドキドキを少しも表に出すことなく、口の端を少しだけ上げて、優雅な微笑を保った。
保っていられなかったのは、招待された貴族の未婚女性たちである。
「お待ち下さいませ! 侯爵さまの後添いに相応しいのは、わたくしですわ!」×20人。
アレグリオ・イザーク侯爵は、妻をひとりしか置かなかった。
貴族の当主ともなれば第2、第3夫人もいて然るべき。子供が多ければ多いほど、政争に利用できるからである。
アレグリオ侯爵の子供は男児ふたりのみ。貴族がそれを見逃すはずがない。
我が娘を側室にと推してくる貴族らを「私はそこまで器用でないのだ……」と、困った顔であしらっていた侯爵の普段とのギャップに、居合わせた婦人らは心臓をわしづかみされた。
5年前、彼が妻を病で亡くしたときから、絶対に負けられない戦いは始まっている。
父親が狙うのはもちろん侯爵家の莫大な財産と影響力だが、母親と娘はプラス『見映えする男』を望んだ。
金があっても太鼓腹では、目の栄養にはならないのだ。
年齢差など障害にあらず。侯爵の妻というただひとつの冠を戴くため、彼女らはこの夜会に賭けていた。
令嬢らはビシリと侯爵の前に横一列に並び最上級の礼をする。当然並びは家格順、年齢順、背丈の順である。
「侯爵さま、わたくし今夜はサ・ネルのドレスをあつらえましたの。侯爵さまにお目にかかるのに、ノーブランドのドレスを着るなんてありえませんもの」
「わたくしのアクセサリーも5番街のお店で揃えましたわ。美しく飾るのは淑女の常識ですわよね」
「ご覧下さい侯爵さま、うちの娘はこのように、淑女教育も完璧でしてよ!」
外野から母親たちも猛プッシュする。
「ご令嬢がた。我が息子ジェームズも伴侶を探しているのだが」
「素晴らしいご子息でございます、わたくしにはもったいのうございますわ!」×20。
一切ジェームズには目を向けず、令嬢たちは言い切った。褒めて遠ざける。社交界マニュアル【拒絶対応】の1ページ目である。
言葉だけは綺麗な令嬢たちはひとしきりアピールが終わると、扇を開き壁際へと視線を走らせる。ここからが本題だ。
「そういえば、ピチカートさまへの狼藉の件、サティーさまはまだ謝罪されてませんわよね?」
「可愛らしいお方ですけれど……まさか、裏の顔がおありだったなんて」
「そんな醜聞のある令嬢がお側にいらっしゃったら、侯爵さまのご威光に傷がつきますわ……」
アレグリオ侯爵によって尻切れトンボで終わっていたパーティー冒頭の話題を、令嬢たちは再燃させた。
サティー断罪は侯爵が場を収めたが、ピチカートを怪我させたことはうやむやのままだった。いや、サティーが黒であった方が、都合が良い。
こうなったら事件の真偽などどうでもいい。これ幸いと、令嬢たちは『婚約破棄コメディ』を利用することにした。
「ねえっ、ピチカートさま! お怪我は大丈夫?」
「階段から突き落されるなんて……貴女がそんなに酷い目に遭っていたなんて、私たち知らなくて! ごめんなさい!」
「ジェームズさまに本当に相応しいのは貴女よ、ピチカートさまっ!」
降ってわいた同情票に、ジェームズをどついていたピチカートは慌てて「あ、いたた……、大丈夫よ!」と肩を押さえる。どさくさに紛れて馬鹿息子を押しつけられたが。
「なるほど、ピチカート嬢の包帯は階段から落ちた際のものなのだな。痛かろう」
アレグリオ侯爵はホールのどよめきを背に膝を折り、包帯の巻かれたピチカートの足をそっと撫でると、沈痛気味に眉を寄せた。
優しげに細められた空色の瞳に、ピチカートはドキュンと胸を貫かれる。
「えっ、やだ、侯爵さまったらそんな、そんな愛しげに見つめられたら私っ、私にはジェームズという人がぁっ」
「ああ、傷が残ってはいけない。我が家のお抱えの医師を呼ぼう。ロウエ」
「かしこまりました」
「えっ、医者!? そんなのいりませんっ!!」
侯爵が侍従に指示を出すのを、ピチカートはぎょっとしてさえぎる。
「何を言う。妻のあやまちは夫となった私のあやまち。充分な補償と、詳細な調査をしよう」
「……調査?」
ピチカートを尻目に侯爵は立ち上がり、二度、呼び鈴を鳴らす。
ほどなく、侍従とも貴族とも見えない男が到着した。
「侯爵さま、そちらは?」
「紹介しよう。侯爵家所属、王都警邏隊のブレイドだ」
「お初にお目にかかります。ブレイド・マーラーと申します」
ホールに現れた黒づくめの制服の男が、招待客らに敬礼し、直角に頭を下げる。平民の挨拶だ。
貴族に紹介するほどの男なのか。招待客らの疑問符に、侯爵が笑顔で応じた。
「彼には、王都の防犯を目的に侯爵家で開発、設置した、アンバー記憶鉱石の管理責任者を任せている」
「記憶鉱石……?」
「オーランド伯爵領で採れる魔石には珍しいものがあってな。自らの中に周囲の風景を記憶する。私がそれを記憶鉱石と名付けた。王家の許可を得て、今は運用実験中なのだ」
風景を記憶する石。新たな投資先かと、それは貴族らの興味を大いに引いた。が。
「ちょっと、それって……」
ピチカートだけ、顔色が悪い。
アレグリオ侯爵に促され、ブレイドは夕日が透けたような魔石の並ぶトランクを披露する。
「これらは現在、王都貴族子女学園内とその周辺道路に150箇所、設置してございます。私はそれらの記憶風景を公開する権利を一任されております」
「つまり、学園内の風景の中から、ピチカート嬢が被害に遭った風景を被害証拠として知らしめることが可能ということだ。ブレイド」
「はい。どうぞご覧下さいませ」
「やめてえええええ!!!!」
ピチカートの悲鳴虚しく。
馬車から降りたピチカートが通りすがりの猫を蹴りとばす風景、路地裏で煙草を吸う風景、中庭の死角で下級生の令嬢を虐める風景、ありんこにツバを吐きかける風景、階段の下に寝転がって通りすがりの男子生徒にすり寄る風景、そして、誰もいない教室で自らを包帯でぐるぐる巻きにする風景が、ホールの白壁に映し出された。
サティーと共に映っているものも、怪我をする決定的瞬間も、どこにもなかった。




