後添いの問題
「失礼するよ、レディ」
「は、はい……」
その場の視線を全て集めながら、侯爵は孤立する少女を真綿のように軽々と抱きかかえ、壁際の椅子に降ろす。
ソファではないのは、ふかふかと弾力があると、かえって傷に障るからだ。
初老の侍従がひざまずき、礼をして、サティーの小さな足からそっとヒールを脱がせた。
彼女にだけ聴こえる声で、侯爵が沈痛に呟く。
「愚息がすまないことをした。よく耐えたね、サティー」
「お義父さま……っ」
ぶわ、と一気に涙があふれる。
『耐えた』が今日の夜会のことだけではないと、サティーは言われた気がしたからだ。
頭を撫でられた昔を思い出し、胸があたたかくなる。実父からも受けられなかった、大きな掌を。
けれど今は、サティーは一人前のレディで婚約者がいる。これ以上の触れ合いは、ない。
侯爵が一転、少年の悪だくみのような笑みを浮かべた。
「この先は、私に任せてくれるかな?」
「はい。お義父さまのお好きなように」
王家に連なる身分にふさわしくない、今から悪戯する気満々の笑み。
力強い空色の瞳が、サティーにはとても頼もしく映った。
「父上、遅うございましたね。私も招待客も待ちくたびれておりましたよ!」
誰も『くたびれて』などいないのだが。
招待客らはジェームズの言葉選びに、心中で舌打ちをする。軽い冗談のつもりだろうが、主賓より身分の低い招待客らは立つ瀬がない。
父侯爵が到着までのあいだ、自分が場をあたためておいたと社交上手をアピールしたいのだ。
誰もがジェームズの浅ましさに失笑を浮かべた。
アレグリオ侯爵もまた、息子にならう。悪戯っぽい笑みで。
「ああ、私もホールに入るタイミングを待ちくたびれたぞ。何せ、役者たちの台詞が飽きるほど長くてなあ」
ふわあ、と欠伸の真似までする。
父へのへつらいしか頭にない息子も、さすがに馬鹿にされたと勘付く。顔を真っ赤にして口を閉じた。ホールにくすくすと笑いが起こる。
侯爵は欠伸顔のまま、紳士淑女を見回した。
「卿らは、こんなつまらん芝居が好みなのか?」
ホールが凍りついた。
誰ひとりサティーを庇う者がいなかったことはお見通しだと、侯爵は言っているのだ。
拍手に同調したのだからサティーの、アレグリオ侯爵の味方側に立ったと安心した貴族らは焦る。誰か何か言え、と。
「こ、侯爵さま!これは最近流行のシチュエーションコメディなのです!」
口火を切ったのは、白髪外はねカールのカツラを被った紳士、コーニッシュ子爵である。
なるほどその手が! と周囲は希望を持つ。
婚約破棄コメディ、としてしまえば、先ほどの侯爵への息子の不敬も、笑いどころの台詞だと釈明できる。不敬を咎めなかった自分たちの立場も守れるという、一石二鳥の手だ。
アレグリオ侯爵の目が興味深く光る。
「シチュエーションコメディ、とな?」
「ええ。配役は変えつつ、お決まりの設定や台詞で笑いを取る、喜劇です。私がパトロンを務めます劇団でも、一番観客が沸く舞台演目です。たとえば、婚約者である王子が美しい聖女に心変わりし、王子に婚約破棄を告げられた令嬢が、聖女の裏の顔や婚約者の不実を暴き、別の誠実なる紳士と……幸せに、なる……という…………」
言いながら、コーニッシュ子爵は冷や汗があふれてきた。
ついつい調子に乗ってあらすじをペラペラ喋ってしまったが、これ、この場にすっぽり当てはまってしまう。
ふむ、と頷く侯爵。
「それは、愚かな王子と聖女の、化けの皮が剥がれるところで笑いが起こる、ということか」
「さ、左様でございます……」
引きつった笑いしかできないコーニッシュ子爵に、招待客らは「何を言ってくれとんだー!」と内心でつっこむ。
いや、まだだ。愚かな王子ポジションの息子ジェームズの働き次第では、まだ望みはある。
はたしてジェームズは叫んだ。
「コメディとは無礼な! 俺はこのピチカートと真実の愛を貫くのだ!」
「おお、出ました名台詞! 侯爵さま、これが一番の笑いどころ、『真実の愛』です!」
招待客らはガッツポーズをした。
ナイス馬鹿息子。このままフィクションにしてしまえ。ジェームズが騒いでいるが、招待客一同の心は一致していた。
侯爵は落ち着いた声で、背後の老侍従に命じる。
「ロウエ、今すぐコーニッシュ子爵家経営の劇場の団員の聴取を。王都にある全ての劇場の直近20作の台本と、該当演目の脚本家の証言、上演日の売上げを記録した帳簿も提出させよ。それからジェームズ及びピチカート・シャルル伯爵令嬢の交遊の足取りを追え。ふたりは各々別室にて待機」
「え、な、何を、父上っ!?」
「旦那さま、ご招待の皆さまの劇場来場日とその日の演目、街の皆さまの評判も合わせてご報告いたしましょう」
「うむ。気が利くな、ロウエ」
「光栄にございます」
招待客らの戦慄は、ここに極まった。
『婚約破棄コメディが本当に存在するのか』を知るためだけに、製作側の本気度、需要と供給、そして自分たちがそれを観劇していたかまで調べる気だ。
いったいいくら、そして何人が動いているのか。侯爵家の財力、権力、諜報能力に、彼らは恐れおののいた。
わずか小一時間で、情報はホールにもたらされた。
王都の劇団には侯爵家の馬車で乗り付けたため、家紋を見た劇団関係者はすぐに対応した。婚約破棄ものを扱うところも確かにあるが、少数であることが分かった。
帳簿の公開を拒否した劇団には、侯爵権限でパトロンらの融資を打ち切らせると言うと、素直に従った。売上げは低迷、一部の貴族婦人らがたまに足を運ぶだけということが分かった。
脚本家たちには、侯爵家による新作の舞台化と今後3年の執筆活動援助を約束すると、すぐに脚本を差し出し、裏話を吐露した。婚約破棄ものがお気に入りな貴族婦人たちが劇団に命令するので渋々書いていることが分かった。
コーニッシュ子爵がパトロンである劇団員60数名からは、王子や聖女、主人公を虐げる家族など悪役が多すぎて、自身の人気にも響くため誰もやりたがらない演目ということが分かった。
王都のニューイヤーマーケット広場で、人気演目アンケートを取ったところ、むしろ婚約破棄演目を知らない者の方が多かった。庶民にとってはただの浮気の美化であり、金を払って観るものでないと分かった。
「貴族婦人がたは貴賓席でご歓談されており、くだんの笑いどころでは誰も笑わない、とのことでございます」
老侍従が、着座したアレグリオ侯爵の元にうやうやしく報告する。
「ふむ」
「それからジェームズ様、ピチカート様の交遊は、ホテル・ジュテームに月5、6回の来店を確認……」
「で、デタラメだ! 違うんです父上! これは……」
もはやジェームズ以外、誰も口を開かない。流行の演目という嘘もばれ、サティーを嗤った弁解もできなくなった。
社交パーティーのはずが、首を落とされる前の罪人の収容場所を思わせる空気。
その空気を壊してよいのは、獅子王アレグリオ侯爵以外ありえなかった。
侯爵はゆっくりと腰をあげると、隣のソファーで萎縮する息子に、1枚の紙を突きつける。
「おい、『ハックルベリー』」
「は、……っ!?」
どうでもいいもの、価値なし、という意味を持つ果実の名である。サティーをサンベリーナと呼んだことへの意趣返しだと誰もが察した。
激昂しかけた息子を眼力だけで押し戻し、侯爵が説く。
「お前が昔、サティー・オーランド嬢に一目惚れした時に結んだ婚約証書だ。これを破棄するということで間違いないな?」
「ひ、ひとめぼれ……?」
「サティーの婿としてオーランド伯爵を継ぎ、オーランド領の豊かな魔石鉱脈資源を手にする権利も、放棄で良いのだな?」
「ちょ、待っ……!」
伸ばした手の先で、ビリリ、と紙を両断する非情なる音。
ただ格下の伯爵家の娘と婚約してやっていた、と信じ込んでいたジェームズは、金のなる木を手放したことに気づき、顔色をなくす。
「どういうことよ!」とピチカートが息子をどつきまくるのを背に、アレグリオ侯爵は招待客らに悠然と宣言した。
「卿らは、サティー・オーランド伯爵令嬢と我が愚息、ジェームズ・イザークの婚約破棄の証人である。そして新たに、サティー・オーランドを、このアレグリオの妻とする宣言の、証人になって頂きたい」




