第9話 守る力
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地下訓練区画は、いつも通り白かった。
天井の高い空間に、無機質な照明が並んでいる。
壁面のモニターには、機体各部の数値が静かに流れていた。
中央に立つ黄色の機体が、低く唸る。
ヴェスパー。
背部ユニットの装甲がわずかに開き、六つの蜂型ドローンが静かに浮かび上がった。
ブゥン、と細い振動音。
六機が悠真の周囲に展開する。
HUDに表示が浮かぶ。
【Honeycomb Drone ×6】
【FORMATION MODE 待機】
観測席から直哉の声。
「今日はスワームシールドの基礎だ」
悠真は思わず苦笑する。
「基礎、って言いましたけど……」
目の前のドローンを見る。
「これ、どう見ても基礎じゃないですよね」
リゼリアが端末から視線を上げた。
「防御陣は最も高度な魔法陣の一つよ」
淡々とした説明。
「だから、基礎から始めましょう」
結局、難しいらしい。
悠真は息を整える。
「……やりましょう」
SARAの声が静かに響いた。
『スワームシールド初期プロセスを開始します』
HUD表示が切り替わる。
【SWARM SHIELD STEP 1】
【完全静止フォーメーション】
「完全静止?」
直哉が補足する。
「六機を六角形に配置しろ。その後は一ミリも動かすな」
「一ミリ……」
悠真は小さく息を吐く。
「了解です」
意識を広げる。
六機のドローン。
それぞれの高度、位置、速度。
六つの視界が頭の中に広がる。
円ではない。
六角形。
機体を中心に、六つの点を固定する。
ドローンがゆっくり位置を調整する。
左上。
右上。
右。
右下。
左下。
左。
HUDに数値が表示される。
【FORMATION 誤差 ±3.2cm】
【安定率 74%】
「まだズレてる……」
『誤差修正を推奨』
SARAの声。
悠真は微調整する。
一機が数センチ上がる。
別の一機がわずかに下がる。
六角形が、空間に浮かび上がる。
【誤差 ±1.8cm】
【安定率 82%】
「……よし」
直哉が言う。
「そのまま止めろ」
ドローンが空中で静止する。
完全停止。
微振動すら抑える。
だが――
これが難しい。
機体のわずかな姿勢変化。
空調の気流。
自分の意識の揺れ。
それだけでドローンが微妙に動く。
HUDの数値がじわじわ揺れる。
【±2.0cm】
【±2.3cm】
【±1.9cm】
悠真は歯を食いしばる。
「止まれ……」
呼吸を浅くする。
身体を固定。
意識を六機に広げる。
揺れが、少しずつ収まる。
HUDが更新される。
【誤差 ±1.1cm】
【安定率 86%】
『許容範囲に到達』
SARAが告げる。
その瞬間。
HUDの表示が変わる。
【STEP 2 魔法陣描画開始】
空中に、薄い光の線が浮かび上がった。
六機のドローンを結ぶ線。
六角形。
その中心に、幾何学模様がゆっくり描かれていく。
光の線が回転する。
淡い金色。
魔法陣。
悠真は思わず呟く。
「……きれいだな」
だが、すぐに理解する。
美しいほど、繊細だ。
【MAGIC ARRAY 描画 12%】
【安定率 81%】
数値が揺れる。
ほんの少し。
一機が0.5cmずれる。
線が微妙に歪む。
SARAの声。
『幾何学誤差増大』
悠真は慌てて修正する。
ドローンを戻す。
だが、焦ると余計に揺れる。
【安定率 77%】
リゼリアの声。
「呼吸を整えて」
悠真は目を閉じる。
一瞬だけ。
吸う。
吐く。
もう一度、六機を見る。
六つの点。
空間に固定する。
ドローンが、再び静止する。
【安定率 83%】
【描画 21%】
少しずつ、魔法陣が完成に近づく。
だが。
汗はかいていないはずなのに、
妙な疲労が頭に広がっていた。
「……これも、きついな」
直哉が淡々と答える。
「防御は攻撃より難しい」
悠真は苦笑した。
「ほんとですね」
HUDの数字が、またわずかに揺れる。
魔法陣描画。
まだ三割。
先は長い。
悠真は、もう一度意識を広げた。
守るための技術。
空中に浮かぶ六角形の光が、静かに回転する。
その形が、空中でゆっくりと組み上がっていく。
ドローン六機。
完全静止。
その間を結ぶ線が、ゆっくりと魔法陣を描き上げていく。
HUD表示。
【MAGIC ARRAY 描画 32%】
【安定率 82%】
【誤差 ±1.4cm】
数値は悪くない。
だが、悠真の頭の奥には鈍い疲労が溜まり始めていた。
ドローンを止める。
ただそれだけのはずなのに、
六つの意識を同時に固定し続けるのは想像以上に消耗する。
呼吸を整える。
吸う。
吐く。
六機を見る。
点としてではない。
“枠”として。
六角形。
空間に固定された、見えない枠。
ドローンがその頂点に乗る。
HUDが更新される。
【描画 38%】
【安定率 84%】
「……いける」
小さく呟く。
観測席から直哉の声。
「焦るな。そのまま維持」
「了解」
悠真は頷く。
ドローンは静止。
魔法陣の光が、さらに線を増やしていく。
中心部の紋様が浮かび上がる。
だが。
ほんの一瞬。
意識が揺れた。
理由は分からない。
疲労か。
集中の途切れか。
そのわずかな揺れで――
一機のドローンが、ほんの少しだけ下がった。
HUDが跳ねる。
【誤差 ±2.7cm】
「あ」
魔法陣の一辺が歪む。
光の線がわずかに曲がる。
SARAの声が鋭く入る。
『幾何学誤差拡大』
悠真は即座に修正を試みる。
「戻れ!」
ドローンを押し戻す。
だが、遅い。
歪んだ魔法陣はすでに安定を失っていた。
HUDが赤く変わる。
【MAGIC ARRAY 不安定】
リゼリアの声が飛ぶ。
「中断して!」
直後だった。
魔法陣の中心が、急に明るく膨らんだ。
光が収縮する。
次の瞬間。
半球状の衝撃が弾けた。
バンッ――
低い爆発音。
空気が押し出される。
ヴェスパーの機体が数メートル後ろへ滑る。
金属の足が床を削る。
ドローンが散開する。
一機が回転しながら床へ落ちた。
ガン、と硬い音。
壁面に光の焦げ跡が走る。
訓練区画に、短い静寂。
HUDが次々と情報を吐き出す。
【HCD-4 軽微損傷】
【MAGIC ARRAY 強制停止】
悠真は息を吐く。
「……やっちまった」
背部ユニットに、ドローンが自動帰還する。
一機だけ、動きが鈍い。
ふらふらと飛行し、そのまま床に落ちた。
SARAが報告する。
『機体損傷は軽微です』
続けて、淡々と告げた。
『しかし、実戦環境下では致命的隙が発生していました』
その一言が、やけに重かった。
悠真は拳を握る。
もし今が戦場なら。
敵は目の前にいる。
動けない数秒。
それだけで――
終わる。
直哉が観測席から言う。
「今のが魔法陣の難しさだ」
責める声ではない。
事実の確認。
「実践では、これを瞬時に行う必要がある」
悠真はゆっくり頷いた。
「……ですね」
床に落ちたドローンが、整備アームに回収されていく。
焦げ跡の残る壁。
わずかに歪んだ床の線。
小さな事故。
だが。
悠真は理解していた。
守る技術は、想像よりずっと難しい。
ヴェスパーの胸部装甲の奥で、コアが静かに脈動していた。
融合解除の光が、静かに消える。
白い格納区画の中央で、ヴェスパーの装甲がゆっくりと沈黙していく。
機体胸部の光が落ち、低い駆動音も止まった。
悠真は一歩、よろめいた。
「……っと」
すぐ横に置かれた椅子に腰を下ろす。
身体はほとんど動かしていない。
それなのに、頭の奥が重い。
ドローン六機を同時に意識し続けた感覚が、まだ残っている。
目を閉じると、空間に六角形の線が浮かびそうだった。
「大丈夫?」
静かな声。
目を開けると、リゼリアが立っている。
白衣のポケットに手を入れたまま、こちらを見下ろしていた。
「……大丈夫、です」
悠真は苦笑する。
「体は平気なんですけど、頭がちょっと」
リゼリアは小さく頷いた。
「意識帯域の拡張による疲労よ。成長している証」
端末を軽く操作する。
「慣れれば軽減されるわ」
慰めでも、励ましでもない。
ただの事実。
だが、不思議と安心する言い方だった。
観測席の上から、直哉の声が落ちてくる。
「さっきのは悪くない」
悠真は顔を上げた。
「いや、完全に失敗でしたけど」
「失敗できるのは今だけだ」
直哉は腕を組む。
「実戦なら死んでた。だがここは訓練区画だ」
言葉は淡々としている。
だが責めているわけでもない。
「防御は攻撃より難しい。当たり前だ」
直哉は続ける。
「刃は振れば当たる。だが守るにはすべてを見なきゃならない」
「守りたい対象、守るための力、敵の攻撃、それらすべてをだ」
悠真は、さっきの魔法陣を思い出す。
六機のドローン。
六角形。
ほんの数センチの誤差。
それだけで崩れた。
「……ですね」
小さく頷く。
整備アームが、床に落ちたドローンを作業台に運んでいく。
焦げ跡の残る壁。
さっきの衝撃の痕跡。
大きな事故ではない。
だが、もし戦場なら。
悠真は視線を落とす。
拳を軽く握る。
「もう一回やります」
思わず言っていた。
リゼリアが静かに首を振る。
「いいえ、今日はここまでよ」
「え」
「意識疲労が蓄積してる。筋肉痛みたいなものね」
端末に視線を落とす。
「この状態で再試行しても、成功率は上がらないわ」
「だから、休むことに専念して」
直哉も同意するように言う。
「守る技術は焦ると崩れる」
短い沈黙。
悠真は、ゆっくり息を吐いた。
「……了解です」
立ち上がる。
少しふらつく。
だが、歩ける。
格納区画の中央で、ヴェスパーが静かに立っている。
さっきまで自分だった機体。
巨大ではない。
だが、確かに力を持っている。
悠真は、機体を見上げた。
まだ足りない。
守るには。
まだ。
遠い。
家に帰ると、テレビの音が、静かなリビングに流れていた。
壁掛けの時計は、まだ九時を少し回ったところだ。
珍しい時間だった。
父が家にいるのは。
悠真は冷蔵庫の前で立ち止まり、少しだけ首を傾げる。
リビングの明かりがついている。
テレビのニュースの声。
そして、食卓の向こうに座る父の背中。
「……珍しい」
思わず口に出た。
父は振り向かないまま言う。
「そうか?」
短い声。
悠真は冷蔵庫を開け、水のボトルを取り出した。
コップに注ぐ。
氷が触れ合う、小さな音。
「最近忙しいんじゃなかったっけ」
「忙しい」
父はテレビを見たまま答える。
「今日はたまたまだ」
それ以上の説明はない。
ニュースキャスターの声が続く。
画面には、見慣れた場所の映像が映っていた。
豊洲。
まだ一部が立入禁止のままのショッピングモール。
工事車両。
黄色いテープ。
悠真の胸の奥が、わずかにざわつく。
父は腕を組んで、画面を見ていた。
ニュースのテロップが流れる。
「政府は防衛体制の見直しを検討」
「未知の脅威への対応を強化」
悠真はソファの背に寄りかかった。
「……なんか、物騒だよな」
父は少しだけ顎を引く。
「そうだな」
短い肯定。
テレビの中では、専門家が何かを解説している。
難しい言葉が並ぶ。
だが父は、解説より映像を見ていた。
現場。
被害跡。
瓦礫。
悠真は水を一口飲む。
「父さんのとこも、やっぱり関係あるんだよね?」
少しだけ軽い調子で聞く。
父は、数秒黙った。
それから、静かに言う。
「ある」
やはり短い。
それだけ。
それ以上は言わない。
悠真も深く聞かない。
聞けば答える人だ。
だが聞かれなければ話さない。
それが父だった。
ニュースの画面が切り替わる。
スタジオ。
キャスターが言う。
「未知の脅威に対して、どのように備えるべきか――」
父が小さく息を吐いた。
「未知前提だな」
ぽつりと呟く。
悠真が見る。
父は画面を見たまま続けた。
「分からないものが相手なら」
「分からない前提で動くしかない」
難しい言い方でもない。
ただの事実のように言う。
悠真は少し笑った。
「大変そう」
父は肩をすくめた。
「それも仕事だ」
それだけだった。
リビングの空気は静かだ。
テレビの音。
氷の溶ける音。
そして、夏の終わりの夜の空気。
言葉は少ない。
だが、それで十分だった。
風呂上り、自室の窓を開けると、夜の空気がゆっくり流れ込んできた。
昼間の熱はまだ残っているが、どこか柔らかい。
夏の終わりの匂いだった。
遠くで車の音。
どこかの家のテレビ。
そして、かすかな虫の声。
机の上のノートを開く。
大学の講義用ではない。
最近は、ここに訓練のメモを書いている。
悠真はペンを取る。
少しだけ考えてから、書いた。
ドローン静止誤差:±1.4cm
安定率:82〜86%
次の行。
魔法陣描画:3秒 → 崩壊
ペン先が止まる。
あの瞬間を思い出す。
ほんのわずかなズレ。
それだけで魔法陣が歪んだ。
衝撃。
吹き飛ぶ機体。
SARAの声。
『実戦環境下では致命的隙が発生していました』
悠真は、ゆっくり息を吐く。
「……きついな」
小さく呟く。
机の横に置いたスマートウォッチが、目に入る。
黒い画面。
何も表示されていない。
今はただの時計だ。
それでも。
いつ鳴るか分からない。
悠真は椅子にもたれた。
天井を見上げる。
スワームシールド。
守るための技術。
だが、それは想像よりずっと難しい。
刃を振るのは分かる。
敵を斬るのも、たぶんできる。
けれど。
守るには。
全部を見ないといけない。
六機のドローン。
空間の位置。
魔法陣。
そして、周囲。
「……まだ全然だな」
苦笑する。
窓の外を見る。
街灯に照らされた道路。
人はもう少ない。
それでも、街は動いている。
誰かが帰っていく。
誰かが笑う。
誰かが眠る。
普通の夜。
窓から入る風が、ノートのページをわずかに揺らした。
悠真はもう一度ペンを取る。
次の行に書く。
スワームシールド 最低維持:5秒
ペン先が少し止まる。
そして、書き足す。
まだ遠い
ページを閉じる。
外では、虫の声が少しだけ強くなっていた。
夏は、ゆっくり終わろうとしている。
いつもありがとうございます。
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本作は毎日更新中です。
明日もお待ちしています。
現在、別作品として
『不遇スキル【球術】の俺は、均形鍛冶の少女とダンジョンを攻略する』
というダンジョンファンタジーも連載しています。
意味不明と言われたスキル【球術】で戦う主人公と、鍛冶職の少女がダンジョンを攻略していく物語です。
もしよろしければ、そちらも覗いていただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。




