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魂融合機兵ヴェスパー《HIVE-01》  作者: 昼ライス
Season 1 ~ヒーロー誕生~

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第5話 決意

毎日20時投稿

豊洲の空は、あまりに普通だった。


数日前、あの巨大な歪曲球体が現れたとは思えないほど、青く澄んでいる。


駅前には規制線がまだ張られていた。


黄色と黒のテープが、風に揺れる。


警備員が立ち、通行人に迂回を促している。


ショッピングモールの外壁は、一部がむき出しのままだった。


割れたガラスは撤去されているが、窓枠だけが空洞を晒している。

焦げ跡が黒く残り、コンクリートには拳の衝撃で生じた亀裂が蜘蛛の巣のように走っていた。


重機のエンジン音が低く響く。


クレーン車が、崩れた外壁の一部を慎重に吊り上げている。


作業員たちはヘルメット姿で、無言のまま動いている。


あの日の混乱とは違う。


だが、静かな緊張が、まだそこにあった。


悠真は規制線の手前で足を止める。


ここだ。


子どもが転んだ場所。


瓦礫が崩れ落ちた場所。


自分が挟まれた場所。


立入禁止の向こう側、床のタイルが大きく剥がれている。

コンクリートが露出し、まだ補修も始まっていない。


商業施設の入口は閉鎖されていた。


ガラス扉は取り外され、ベニヤ板で塞がれている。

貼り紙が一枚。


《当面の間、休館とさせていただきます》


その文字が、やけに重い。


数日前まで、ここは笑い声で満ちていた。


フードコートの匂い。


子どもの笑い声。


ポップコーンの甘い香り。


今は、粉塵と油と、焦げた匂いの残り香が混じっている。


救急車のサイレンは、もう鳴っていない。


だが、あの日の音はまだ耳の奥に残っている。


――オォォン……


低い唸りを思い出し、無意識に拳を握る。


足元を見る。


ひび割れたアスファルト。


新しく敷き直された部分と、まだ手付かずの部分が混在している。


壊れた。


完全に。


そして、まだ戻っていない。


悠真は、ゆっくりと息を吸う。


もし、あのとき立ち止まらなかったら。


逃げていたら。


あの親子は。


あの高齢の男性は。


ここに戻る未来すら、なかったかもしれない。


想像してしまう。


“選ばなかった側”の光景を。


青い空が、やけに遠い。


夏の陽射しが、ひび割れた地面を照らしている。


違うのは、街じゃない。


その下に立っている、自分の方だ。


規制線の外から、モールを眺めていたときだった。


「……あの」


小さな声が、背後から聞こえた。


振り返る。


数歩先に、若い母親と、小さな男の子が立っている。


帽子をかぶった男の子が、こちらをじっと見上げていた。


見覚えのある顔。


胸の奥が、ひとつ鳴る。


母親が、はっとしたように目を見開く。


「やっぱり……あの時の」


悠真は、うまく言葉が出ないまま、軽く会釈した。


「あの……本当に、ありがとうございました」


母親は、深く頭を下げる。


あの日、フードコートで転んでいた子どもだ。


人波に押し流されかけていた、あの親子。


「いえ、俺は……」


何と言えばいいのか分からない。


助けた、という実感よりも、あの混乱の中で必死に動いていただけの記憶の方が強い。


男の子が、母親の後ろから一歩前に出る。


「おにいちゃん」


あの時より、少し落ち着いた声。


「けが、だいじょうぶ?」


思わず、笑ってしまう。


「大丈夫。君は?」


「うん!だいじょうぶ!」


元気よく頷く。


膝には、まだ小さな絆創膏が貼られている。


それだけだ。


それだけで、胸の奥が熱くなる。


母親が、もう一度頭を下げる。


「本当に、あの時……動いてくださって。あのままだったらって思うと……」


言葉が詰まり、視線がわずかに震える。


悠真は、ゆっくり首を振る。


「間に合って、よかったです」


それは本心だった。


自分がすごいわけじゃない。


ただ、間に合った。


それだけだ。


男の子が、ふとモールの方を見てから、また悠真を見る。


「また、くる?」


何気ない問い。


営業再開のことを言っているのか、ただの挨拶なのか。


分からない。


だが、その言葉はやけに重く響いた。


また来る。


また、ここで笑う。


その未来が、続く前提の言葉。


悠真は、少しだけ間を置いて、頷いた。


「うん。来られるといいな」


男の子は満足そうに笑い、母親に手を引かれて歩き出す。


去り際、母親が振り返る。


もう一度、小さく頭を下げる。


人混みに紛れて、二人の姿は見えなくなる。


悠真は、その場に立ったまま、モールを見上げた。


もし、あの時。


立ち止まらなかったら。


逃げていたら。


あの笑顔は、なかった。


“間に合った”未来と、


“間に合わなかった”未来。


その差が、今、目の前にある。


喉の奥が、わずかに熱くなる。


守れた。


だが、それは一度きりではない。


次も、ある。


青い空の下で、悠真は静かに息を吐いた。


親子の背中が、人混みの向こうに消えていく。


帽子が揺れて、やがて見えなくなる。


悠真は、その場に立ったまま動かなかった。


風が、規制線のテープを揺らす。

工事車両のエンジン音が、遠くで低く唸る。


もし、あのとき。


ほんの一歩、違う方向に足を出していたら。


転んだ子どもに気づかなかったら。


気づいても、「誰かが助けるだろ」と思っていたら。


人波に押されるまま、出口へ向かっていたら。


想像してしまう。


泣き声が、人の足音にかき消される光景。


振り返れない母親の背中。


振り下ろされる黒鉄の拳。


衝撃。


沈黙。


そこから先の未来が、白く途切れる。


今、笑っていたあの子の顔が、そこにはない。


母親が頭を下げる場面も、ない。


「また来る?」という声も、存在しない。


選ばなかった未来。


存在しなかったはずの分岐が、はっきりと輪郭を持って胸に浮かぶ。


悠真は、ゆっくりと息を吸う。


怖いのは、拳そのものじゃない。


怖いのは、自分が動かなかった場合の未来だ。


あの時、体は勝手に動いた。


考えるより先に、足が出た。


守らなきゃ、と思った。


もし、次があって。


そのとき、自分が「普通」を選んだら。


逃げる側を選んだら。


また、同じ分岐が生まれる。


そして――


“間に合わなかった側”が、現実になる。


青空の下、モールの壁に残る焦げ跡を見つめる。


胸の奥が、じわりと熱を帯びる。


悠真は、ポケットの中の感触に気づく。


スマートウォッチの、冷たい金属。


まだ黒いままの画面。


アラートは鳴っていない。


それでも。


このまま黙って、呼ばれるのを待つのか。


それとも。


守れた日常を、守り続ける側に立つのか。


風が吹き抜ける。


規制線が、ぱた、と鳴る。


悠真は、ゆっくりと顔を上げた。


規制線のテープが、もう一度、ぱた、と鳴る。


工事の音が遠ざかり、潮の匂いがかすかに混じった風が頬を撫でた。


悠真は、ポケットからスマートウォッチを取り出す。


黒い画面。


何も映っていない。


数日前、ハイブで渡されたときの言葉を思い出す。


――まだ決めなくていい。だが、先にこれを渡しておく。


あのときは、現実感がなかった。


自分がまたあの機体になるかもしれない、という事実も。


だが今は違う。


焦げ跡の残る壁。


立入禁止のテープ。


さっきの親子の笑顔。


それらが、全部つながっている。


もし、次が来て。


自分が何もしなかったら。


また、あの分岐が生まれる。


守れた未来と、守れなかった未来。


その差を知ってしまった。


知ってしまった以上、見ないふりはできない。


悠真は、ゆっくりと深呼吸する。


大げさな宣言は、いらない。


覚悟も、まだ言葉にできない。


ただ。


画面をタップする。


淡い光が、静かに点灯する。


認証待機。


喉が、わずかに乾く。


それでも、声は震えなかった。


「……HIVEへ。神谷です。神谷悠真です」


数秒の沈黙。


やがて、耳元に、あの落ち着いた女性の声が届く。


『通信を確認』


リゼリアだ。


『出現予兆は現在、観測されていないわよ』


分かっている。


今日は戦いに呼ばれたわけじゃない。


悠真は、空を見上げる。


青い。


何も起きていない空。


それでも、言う。


「分かってます」


胸の奥で、何かが静かに定まる。


三か月前は、間に合わなかった。


今回は、間に合った。


その差は、たった数分かもしれない。


だが、その数分が、笑顔と沈黙を分ける。


ヒーローになりたいわけじゃない。


称賛もいらない。


ただ――いなかった自分の未来を、増やしたくない。


「……俺、やります」


風が止む。


遠くで、工事のハンマー音が響く。


数秒の無音のあと、返ってきた声は、ほんのわずかに柔らいでいた。


『承認する』


それだけ。


大きな音も、光もない。


世界は、何も変わらない。


だが――


守る側に立つと、自分で決めた。


悠真は、ゆっくりとスマートウォッチの画面を消す。


焦げ跡の残る壁を、もう一度だけ見る。


「また来る、か」


小さく呟く。


それは誰かへの約束ではない。


自分への確認だ。


そして悠真は、日常へと続く道を歩き出した。


今度は、守るために。


いつもありがとうございます。


面白いと思っていただけたら、

★★★★★評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです。


本作は毎日更新中です。

明日もお待ちしています。


現在、別作品として

『不遇スキル【球術】の俺は、均形鍛冶の少女とダンジョンを攻略する』

というダンジョンファンタジーも連載しています。


意味不明と言われたスキル【球術】で戦う主人公と、鍛冶職の少女がダンジョンを攻略していく物語です。


もしよろしければ、そちらも覗いていただけると嬉しいです。

今後ともよろしくお願いします。

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