第3話 HIVE
毎日20時投稿
「……ただの、大学生です」
自分でも情けないほど、頼りない声だった。
銀髪の女性は、ほんのわずかに目を細めた。
碧い瞳が、静かに揺れる。
「大学生……」
確かめるように繰り返す。
視線が、俺の肩から腕、足元へと落ちていく。瓦礫と埃で汚れた服。擦り切れたスニーカー。どこにでもいる若者の格好だ。
「兵士でも、訓練を受けた操縦士でもないのね」
独り言のように呟く。
背後で、金属がわずかに軋んだ。
振り返ると、さっきまで俺だった黄色い機体が、完全に動力を落として立っている。二メートルの細身の体躯。肩には焦げ跡、膝部には微細な亀裂。
あれが、俺を守った。
そして、俺があれになった。
思考が追いつかない。
「……あなたが、適合者」
女性はそう言って、一歩だけ距離を詰めた。
かすかに、清潔な香りがする。
「適合、って」
「魔導コアと精神波形が同期した者を、そう呼ぶわ」
さらりと告げられる。
魔導コア。
精神波形。
意味不明な現実味のない単語が、当然のように並ぶ。
「魔導って……魔法の?」
「ええ」
迷いのない肯定。
「この機体は、あなたの世界の科学だけで動いているわけではないの。魔法理論を応用した、魔導機兵よ」
静かに爆弾を落とす。
思わず笑いそうになる。
だが笑えない。
「……ちょっと待てよ。魔法ってなんなんだよ」
問いは半ばやけだった。
女性はわずかに思考の間を置き、答える。
「世界の法則を書き換える技術」
冗談ではない。
誇張でもない。
ただの事実として告げられる。
「あなたは、恐怖よりも先に“守る”という衝動を選んだ」
胸が、わずかに熱を帯びる。
拳が振り下ろされる直前。
逃げたいと思った。
本気で。
でも、それよりも――逃げ遅れた人影が、脳裏に浮かんだ。
「その瞬間、コアが応答しました」
「偶然だろ……」
反射的に返す。
「俺、ロボットなんて触ったこともない」
「操縦ではないわ」
穏やかに、しかしはっきりと遮る。
「あなたは“共鳴”したの」
その言葉が、静かに胸へ落ちる。
共鳴。
鼓動と、機体の何かが重なったあの瞬間。
背後で、停止していた機体の胸部が一瞬だけ淡く光る。
気のせいのような、微かな発光。
女性の瞳が、わずかに柔らいだ。
「私は、リゼリア」
名乗る。
「この機体の設計者の一人よ」
一人。
その言い方に引っかかりを覚えるが、今はそれどころではない。
「ここ、どこなんだ」
白い空間。高い天井。幾何学的に走る配線。研究施設のようでいて、どこか現実感が薄い。
「高次元調査および異界探査機関よ」
「High-dimensional Investigation & Void Explorationで、通称HIVE」
「つまり、この機体の巣ってこと」
巣。
蜂のような背部の針状ユニットが、脳裏に重なる。
「……名前、あるのか」
リゼリアは、わずかに頷いた。
「当然あるわ」
ほんの一瞬、言葉を選ぶ間。
「けれど、それをあなたに伝えるのは、もう少し後ね」
視線が、真っ直ぐに俺を射抜く。
「まずは、確認させて」
その瞳の奥に、研究者の冷静さとは別の色が混じる。
「あなたは――逃げる?」
静かな問い。
だが、重い。
大学生。
バイト。
夏休み。
普通の生活。
全部、まだ手の届く場所にある。
喉が乾く。
今さら、震えが来る。
怖い。
それでも。
瓦礫の下で、差し伸べられた金属の手を思い出す。
守るために、そこに立っていた機体。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「……分からない」
正直に言う。
「でも」
視線を逸らさない。
「さっきみたいなのが、また出るなら……放ってはおけない」
ヒーローになりたいわけじゃない。
使命感も、まだない。
ただ、見過ごせないだけだ。
数秒の沈黙。
やがて、リゼリアの唇の端が、ほんのわずかに緩む。
「それで、十分よ」
「……やってくれたな」
低い男の声が、上方から落ちた。
振り向く。
階段状のオペレーションエリアの上段に、一人の男が立っている。
三十代前半。眼鏡越しの視線は、俺ではなく機体の損傷を見ていた。
「左腕装甲、負荷限界の八七%超過。膝部アクチュエータ歪み」
「……初陣でこれは上出来だが、整備班は泣くぞ」
怒っているわけではない。
事実を述べているだけだ。
やがて、視線がこちらへ向く。
「ようこそ、HIVEへ」
わずかに安堵を含んだ声。
「如月直哉だ。ここを預かっている」
差し出された手を、反射的に握る。
温かい。
現実だ。
そのとき、背後で誰かの足音が小さく響いた。格納スペースの端で、作業着姿の整備員が機体の損傷を確認している。こちらを一瞬だけ見るが、すぐに端末へ視線を落とした。
直哉は手を離すと、そのまま観測席の端に軽く腰を預けた。
「落ち着いたか?」
「……落ち着いては、ないです」
正直に言うと、直哉は小さく頷いた。
「だろうな。いきなり二十メートル級と殴り合いだ。普通は気絶してる」
軽い口調だが、視線は鋭い。
「まず場所の説明からしよう。ここはハイブ。東京湾岸地下、旧実験施設を改修した研究拠点だ」
「リゼリアから、もう説明は受けたか?」
「リゼリア?」
「あの銀髪の彼女だよ」
リゼリアと呼ばれた女性は、ひらひらと手を振っている。
空調の低い唸りが、天井裏から絶えず響いていた。
わずかに金属とオイルの匂いが混じった、乾いた空気。地上とは切り離された温度だった。
「ここは地下……?」
「正確な座標は非公開だ。さっき君がいた場所からは、魔法陣による転移で戻ってきた」
魔法陣による転移。
当たり前のように言う。
直哉は壁面モニターを操作する。湾岸エリアの地図が映し出され、地下構造の断面図が重なる。
「表向きは、如月インダストリアルの研究設備の一部になっている」
「如月って、あの大企業グループの……」
「で。俺はその子会社の代表ってわけだ」
さらりと返す。
「元々はヒューマノイドロボットの研究企業だった」
「人型機械の骨格制御、疑似筋肉、姿勢制御アルゴリズム……その延長線上に、あれがある」
視線が、格納スペースに立つ黄色い機体へ向く。
「あの機体は、純粋な工学の産物じゃない」
横に立つリゼリアが静かに補足する。
「一年前、私はこの世界に転移した」
言葉が自然すぎて、一瞬遅れて理解する。
「転移って……」
「異世界から」
直哉が続ける。
「最初は俺も信じなかったさ。」
「だが、彼女は理論を持っていた。地球には存在しないエネルギー理論――魔法理論だ」
モニターに、見慣れない波形グラフが映る。
「大気中には、人類がまだ観測できていないエネルギー帯域がある。彼女はそれを“マナ”と呼んだ」
「……マナ」
「そのマナを収集し、圧縮し、動力へ変換する」
「それが魔法陣であり、魔導コアだ」
直哉の視線が、機体の胸部へ向く。
「あの機体の心臓部にある炉のことだよ」
鼓動のような感覚を、思い出す。
「じゃあ、あれは……原子炉とかじゃなくて」
「違う。核でも電気でもない。地球科学では未定義のエネルギーだ」
リゼリアが静かに言う。
「コアは、私の師が設計したものを基に、私が再構築した」
「師?」
一瞬、彼女の瞳に影が落ちる。
「賢者サラ。……現在、生死は不明」
それ以上は語らない。
直哉が引き取る。
「コアの素材は、この世界では再現不可能だ。つまり、あの機体は唯一機だ。量産はできない」
「唯一……」
重みが、じわりと来る。
上階のオペレーションブースで、数人のスタッフがモニター越しにこちらを見ている。祝福でも、警戒でもない。ただ、“新しい要素”を評価する研究者の目だった。
「完成は三か月前。だが適合者がいなかった。だから、SARAによる自律制御で運用していた」
「SARA……あの声?」
「そうだ」
直哉は端末を叩く。空間に、女性音声が流れる。
『戦術適応反応補助機構、S.A.R.A.。待機状態です』
冷静で、丁寧な声。
「彼女の魔法理論断片を基幹アルゴリズムに組み込んでいる。魔力制御AIだ」
「AIと魔法が、混ざってるってことか……」
頭が追いつかない。
「正確には、魔法理論を情報処理系へ翻訳している」
難しいことを、当たり前のように言う。
直哉がモニターを操作する。
日本地図が浮かび上がり、赤い点がひとつ灯る。
「侵略が確認されたのは、知っての通り三か月前だ」
東京湾沖。
最初の歪曲球体。
テレビで見た、あの夜。
「最初の出現は完全な不意打ちだった。この国では珍しいことに自衛隊が即応したが、被害は大きい」
画面に、破壊された市街地の航空写真が映る。
胸の奥が重くなる。
「ヴェスパーは、その時点では未完成だった」
静かな声。
「無理やり自律制御で出すには、リスクが高すぎた。戦闘用出力の安定検証が終わっていなかったからな」
リゼリアが補足する。
「救助支援用の限定稼働までは可能だったけど、対二十メートル級への本格戦闘にはリスクが大きすぎたの」
直哉が続ける。
「結果として、間に合わなかった」
その一言が重い。
「自衛隊は単独で撃破した。だが、被害は抑えきれなかった」
モニターに表示される被害数値。
負傷者。
倒壊棟数。
経済損失。
「だから、急いだ」
直哉の視線が機体へ向く。
「今回、適合者を探すために、SARAの自律救助運用を開始した」
「……で、俺が、引っかかったってことか」
「少し違う」
リゼリアが即座に否定する。
「あなたは、選ばれたわけではないわ」
碧い瞳が、真っ直ぐに向けられる。
「あなたが応えたのよ」
静かな言葉。
直哉が腕を組む。
「今日が初の投入で、初の戦闘介入成功例だ」
視線が、俺へ向く。
「三か月遅れの、反撃だ」
地下空間が、ひどく広く感じる。
三か月前。
テレビ越しに見ていたあの光景。
あのときは、遠かった。
だが今は違う。
あの黒鉄は、目の前で拳を振り下ろした。
「次も来る」
直哉が淡々と告げる。
「間隔は読めないが、三か月で二度目だ。偶然ではない」
赤い点が、ゆっくりと明滅する。
三か月前は、間に合わなかった。
今回は――間に合った。
「奴らを、彼女は“開拓獣”と呼ぶ」
リゼリアが頷く。
「私の世界を滅ぼした存在よ」
空気が一段冷える。
「地球側はまだ正体を掴めていない。自衛隊は奮闘しているが、被害は拡大傾向だ」
「だから……あれを?」
「そうだ」
直哉は迷いなく言う。
「ヴェスパーは、防衛のための切り札だ」
名前が、初めてはっきりと出る。
「ヴェスパー……」
「蜂を意味する名だ。守るために群れ、止めるために刺す」
リゼリアの瞳が、わずかに揺れる。
「だが、切り札には操縦者が必要だった」
直哉の視線が、俺に向く。
「今日まではな」
沈黙。
巨大な地下空間で、機体が静かに佇んでいる。
「HIVEは政府組織ではない」
直哉が続ける。
「国家にも、まだ全面的には開示していない。俺たちは独立運用だ」
「秘密組織ってことか……?」
「好きに呼べ」
肩をすくめる。
「だが一つだけ言える」
直哉の声が、少しだけ低くなる。
「奴らはまた来る。必ずだ」
背筋が、ひやりとする。
「君に強制はしない」
はっきりと言う。
「だが、君がいれば被害は確実に減る」
事実だけを置く。
選択は、俺に渡されている。
巨大な格納庫の奥で、冷却装置が規則正しく脈動している。
白い光に照らされた機体は、まるで次の出撃を待つ生き物のようだった。
守る側に立つか。
立たないか。
まだ答えは、まだ出せない。
だが――
もう、何も知らなかった昨日の自分には戻れない。
いつもありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、
★★★★★評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです。
本作は毎日更新中です。
明日もお待ちしています。
現在、別作品として
『不遇スキル【球術】の俺は、均形鍛冶の少女とダンジョンを攻略する』
というダンジョンファンタジーも連載しています。
意味不明と言われたスキル【球術】で戦う主人公と、鍛冶職の少女がダンジョンを攻略していく物語です。
もしよろしければ、そちらも覗いていただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。




