第1話 歪曲球体
新連載です。
初めてのロボットヒーローものです。
楽しんでいだたければ幸いです。
毎日20時投稿
※初回のみ5話一挙掲載
二十メートルの黒鉄の拳が、空気を裂いた。
黄色い二メートルの機体が、それを両腕で受け止める。
アスファルトが砕け、衝撃波がガラスを震わせた。
『退避を推奨します』
「無理だ!」
背後には、まだ逃げきれていない人々がいる。
赤い単眼が、ゆっくりとこちらを捉えた。
それが、悠真が“守る側”に立った瞬間だ。
だがその三か月前、神谷悠真はただの大学一年生だった。
店の換気扇は、その日も低く唸っていた。
油の匂いと、焼き鳥の煙。古びた木のカウンターには、染み込んだ酒の匂いが残っている。悠真は、空になったジョッキを流しに下げながら、背中越しにテレビの音を聞いていた。
この店は、駅から少し外れた路地裏にある小さな居酒屋だ。常連の声が、狭い店内で跳ね返る。厨房とホールを回すのは、店主と悠真の二人だけ。五月の夜風はまだ冷たく、引き戸の隙間から入り込んでくる。
「おい、なんだそれ」
常連の男が、箸を止めてテレビを指差した。
壁の上、年季の入った液晶画面に赤い速報テロップが流れている。
《東京湾上空にて未確認の球体状空間歪曲を観測》
映像が切り替わる。
夜空に、透明な“何か”が浮かんでいた。
丸い。
完璧な球体。
街の灯りが、その縁でわずかに屈折している。空間そのものが押し曲げられているようだった。
「映画か?」
別の客が笑う。
「CGだろ、どうせ」
だが、店主は笑わなかった。
焼き台の前で無言のまま、じっと画面を見ている。
次の瞬間、球体の内部が黒く濁った。
影が落ちる。
黒い巨体が、空から叩きつけられた。
画面が激しく揺れ、火花が散る。アスファルトが砕け、煙が立ち上る。レポーターの叫び声が途切れ、映像はノイズ混じりに切り替わった。
自衛隊出動の速報が重なる。
「……本物かよ」
常連の声が、さっきより少し低い。
悠真は、手を止めていたことに気づいた。
画面の中で、黒鉄の巨体が立ち上がる。二本の太い腕。前傾した背中。顔らしき場所の中央には、赤く光る単眼。
音声は乱れているのに、なぜかその“唸り”だけは聞こえる気がした。
――オォン……
錯覚だ。テレビ越しに、そんな音が届くはずはない。
だが、胸の奥がざわついた。
ポケットのスマートフォンが震える。
画面を見る。
父からのメッセージだった。
《現場入る》
それだけ。
句読点もない、いつもの短い文。
悠真は、無意識に画面を握りしめていた。
店の中では、まだ半分冗談めいた会話が続いている。
「どうせすぐ終わるだろ」
「自衛隊が出てるんだろ?」
自衛隊。
画面の下に映る迷彩の車両。
その中に、父がいるかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥に、言葉にできない感情が広がった。
怖い、とは違う。
誇らしい、だけでもない。
遠い。
どこか、遠くへ行ってしまう感じ。
「悠真」
店主の声で我に返る。
「焼き、焦げるぞ」
「あ、はい」
慌ててトングを持ち直す。炭火の熱が指先を刺す。
テレビでは、砲撃の映像に切り替わっていた。閃光が夜を裂く。黒鉄の巨体は、煙の中でなお立っている。
店主は、焼き台の火加減を調整しながら、ぽつりと呟いた。
「守る仕事は、大変だな」
誰に向けた言葉でもない。
悠真は返事をしなかった。
ただ、もう一度だけテレビを見上げる。
画面の向こうの戦場は、遠い。
ここは、油と酒の匂いがする小さな店。
自分は、ただの大学一年生だ。
胸の奥で、何かが小さく鳴っていた。
まだ名前もない、衝動のようなものが。
テレビの中で、赤い光がまた瞬いた。
悠真は視線を逸らせなかった。
あの夜の翌日。
球体の映像は繰り返しテレビで流れ、専門家と呼ばれる人間が、分かったような顔で分からないことを説明している。
悠真は一人暮らしの部屋で、レポート用紙を広げたまま、窓の外を見ていた。
夜だ。
スマートフォンが震える。
着信表示に、父の名前。
「もしもし」
数秒の無音。向こう側で、風の音と遠くのエンジン音が混ざっている。
『ああ』
短い声だった。
『大丈夫か』
「こっちは何も。そっちは?」
『問題ない』
いつもの調子だ。
淡々としている。感情の起伏はあまり見せない人だ。
だが、ほんのわずかに、声が掠れている気がした。
「テレビで見た。あれ、やばいな」
『ああ』
短い肯定。
少しだけ間が空く。
『守るってのはな』
不意に、父が言った。
悠真は無意識に姿勢を正す。
『怖いって分かってから立つことだ』
窓の外で、風が鳴る。
「……急に何」
『別に』
父は咳払いをひとつした。
『逃げるのは悪いことじゃない。だが、立つと決めたら最後まで立て』
それだけ言って、沈黙が落ちる。
悠真は、返事を探す。
「……まあ、俺には関係ないけどな」
軽く笑ってみせる。
電話の向こうで、小さく息を吐く音がした。
『ああ。お前は学生だ』
それは肯定でも否定でもない、ただの事実。
『だが、何かあったとき、無茶だけはするな』
「しないよ」
短い沈黙。
『じゃあな』
通話が切れる。
部屋に静寂が戻る。
スマートフォンの画面には、通話時間の数字だけが残っている。
悠真は、ゆっくりとベッドに倒れ込んだ。
学生だ。
守る側ではない。
そのはずだ。
しかし、胸の奥に残った言葉が、じわりと沈んでいく。
怖いって分かってから立つこと。
天井を見つめながら、悠真は目を閉じた。
自分には関係ない。
そう思おうとして、うまくいかなかった。
あれから三か月後。
八月の陽射しは、容赦がなかった。
豊洲のショッピングモールは、夏休みの家族連れで溢れている。ガラス張りの天井から落ちる光が床に反射し、冷房の効いた空気の中でも、どこか外の熱気を感じさせた。
「やっぱ映画は吹き替えだろ」
向かいに座る友人の佐伯が、トレーのポテトをつまみながら言う。
「字幕だろ。雰囲気が違う」
悠真はストローで氷を回しながら、適当に返す。
フードコートは騒がしい。子どもが走り、母親が呼び止め、電子音があちこちで鳴る。遠くでは期間限定ショップの呼び込みがマイク越しに響いている。
平和だ。
少なくとも、画面の向こうで黒鉄の巨体が暴れていた世界とは、別の場所のように思えた。
「なあ、また出たらどうする?」
友人が軽い調子で言う。
「なにが?」
「例の、球体。こことかさ」
悠真は肩をすくめる。
「さすがに二回目はないだ……」
キャーーーーー!!!!
言い終わる直前だった。
どこかで、誰かが悲鳴を上げた。
最初は小さかった。
それが、波のように広がる。
「……え?」
ガラス張りの天井の向こう、空の一部が歪んでいる。
丸い。
完璧な円。
光が、その縁でわずかに曲がっている。
テレビで見た形。
心臓が、ひとつ遅れて跳ねた。
「冗談だろ……」
友人の声が掠れる。
歪みが濃くなる。
内部が暗く沈む。
空気が、重くなる。
次の瞬間。
それは落ちた。
轟音。
衝撃波がガラスを震わせ、店内の照明が一斉に明滅する。遠くで何かが崩れる音。子どもの泣き声が、悲鳴に変わる。
モールのアナウンスが割り込む。
《お客様は落ち着いて避難を――》
最後まで聞こえない。
床が揺れる。
天井の向こう、煙が上がる。
黒鉄の巨体が、立ち上がるのが見えた。
二十メートルはある。
前傾した体躯。極太の両腕。中央で赤く光る単眼。
そして。
低く、腹の奥に響くような音。
――オォン……
あり得ない。
ガラス越しに、そんな音が届くはずがない。
だが、耳鳴りの奥で確かに聞こえた気がした。
人々が一斉に立ち上がる。
椅子が倒れる。
トレーが床に散らばる。
「逃げろ!」
誰かが叫ぶ。
悠真も立ち上がる。
足が勝手に動く。
出口へ向かう人波に押される。
そのとき、視界の端で、小さな身体が転んだ。
子供の泣き声。
母親が振り返る。
人の流れが、その親子を飲み込もうとしている。
悠真は、足を止めた。
一瞬。
逃げれば助かる。
振り返れば、巻き込まれる。
背後で、ガラスが割れる音がした。
赤い光が、煙の中で脈打っている。
しかし、体はすでに動いていた。
「こっち!」
叫びながら、人波をかき分ける。
まだ、自分が何を選んだのかも分からないまま。
「こっちだ!!」
叫んだ瞬間、自分の声がやけに小さく感じた。
人波は止まらない。出口へ殺到する群れの圧力が、横から容赦なく押し寄せる。肩がぶつかり、肘が鳴る。誰かのバッグが顔に当たり、視界が一瞬白く弾けた。
転んだ子どもは、床に手をついたまま泣き叫んでいる。
母親が振り返ろうとするが、人の流れに押されて前へ進まされる。
「待って、待って!」
悲鳴に近い声。
悠真は人の流れに逆らって踏み込んだ。肩を強引に押し返す。誰かが舌打ちをした。だが構っていられない。
子どもの腕を掴み、引き上げる。
軽い。
だが震えている。
「大丈夫、大丈夫だ。立てるか?」
泣きながら首を縦に振る子供。
床が揺れた。
天井の照明が弾ける。破片が雨のように降る。耳を刺す破砕音。
遠くで爆音。
――オォォン……
低い唸りが、今度ははっきりと腹の奥に響いた。
違う。テレビじゃない。
ここだ。ここに出た。
母親が人波をかき分けて戻ってくる。
「すみません、すみません!」
謝るように言いながら、子どもを抱き寄せる。
「出口はあっち!人の少ない通路使って!」
自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。
母親が何度も頭を下げる。
だが次の瞬間、爆風がモールの一角を吹き抜けた。
外壁が抉られ、ガラスが内側へ降り注ぐ。
衝撃波が胸を叩く。
子どもが再び転びそうになる。
悠真は咄嗟に覆いかぶさった。
背中に、細かな破片が当たる。
痛みはない。ただ、硬い衝撃だけが伝わる。
立ち上がる。
「今だ! 行って!」
母子は振り返らずに走り去っていく。
悠真は周囲を見渡す。
床に倒れた高齢の男性。足を押さえて動けない女性。通路の奥で立ち尽くす店員。
誰もが、自分の命で精一杯だ。
それは当然だ。
しかし、視線が外せなかった。
遠くで、緊急車両のサイレンが混じる。
砲撃音。
煙。
黒鉄の巨体が、モールの外縁を踏み砕いているのが見える。
拳が振り下ろされるたび、地面が沈む。
逃げなきゃいけない。
分かっている。
「立てるか?」
倒れた男性に手を伸ばす。
「足が……」
靴の上からでも分かる、異様な角度。
「肩、貸す」
持ち上げる。重い。
人波がぶつかる。
誰かが叫ぶ。
天井の一部が崩れ落ちる。
粉塵が視界を奪う。
呼吸が苦しい。
喉に砂が入る。
それでも、足は止まらない。
なぜか。
理由は分からない。
ただ――
置いていかれる側になるのが、嫌だった。
もう一度、あの側に立つのが。
爆音。
床が沈む。
次の瞬間、視界が反転した。
衝撃。
瓦礫が崩れ落ちる。
脚に、鋭い圧迫。
息が詰まる。
視界が白くなる。
気づけば、床に仰向けに倒れていた。
動けない。
脚が、重い。
瓦礫に挟まれている。
遠くで、赤い光が脈打つ。
煙の向こうから、黒鉄の巨体がゆっくりとこちらへ向きを変える。
モノアイが、収縮する。
――オォン……
今度ははっきりと、聞こえた。
恐怖が、ようやく追いついてくる。
心臓が暴れる。
逃げたい。
本気で。
だが、視界の端に、さっきの子どもの姿が見えた。
まだ、完全には離れきれていない。
赤い光が、こちらを向く。
拳が、持ち上がる。
息が詰まる。
怖い。
「……まだ、いるんだぞ」
誰に向けた言葉でもない。
自分に向けた、確認だった。
赤い光が、瓦礫の隙間から差し込む。
拳が振り下ろされる軌道。
逃げ場はない。
肺が動かない。
その瞬間。
空気が震えた。
蜂の羽音に似た低い振動が、上空から降りてくる。
次の瞬間、空気が切り裂かれる。
上空から、黄色い影が落ちてきた。
爆音ではない。
制御された降下。
瓦礫の山の上に、細身の人型機体が着地した。
逆脚構造の脚部が衝撃を吸収し、床を踏み締める。
コンクリートが軋んだ。
白と黄色の装甲。
背部に折り畳まれた針状ユニット。
蜂を思わせる、流線型のフォルム。
その視覚センサーが、一瞬で状況を走査する。
『生体反応、複数。重傷者三。軽傷者七』
『最優先救助対象、下敷き一名』
悠真の視界と、機体の視線が合う。
無機質なレンズ。
振り下ろされる黒鉄の拳。
空気が潰れる。
黄色い機体が、一歩前へ出た。
脚部アクチュエータが高出力で唸る。
両腕を上げる。
拳が落ちる。
衝撃。
凄まじい圧力が周囲を揺らす。
床が割れ、瓦礫が跳ねる。
だが。
止まっている。
黒鉄の二十メートル級の拳を、黄色い二メートルの機体が受け止めていた。
装甲が軋む。
膝が沈む。
けれども、崩れない。
『荷重分散、完了』
『救助動線、確保』
背部ユニットが微かに展開する。
同時に、蜂型ドローンが数機、機体周囲へ散開。
六角形の光が、悠真の頭上に展開する。
その光が落下する破片を弾いた。
黒鉄が、低く唸る。
オォォン――
黄色い機体は、押し返す。
半歩。
さらに半歩。
拳を逸らす。
拳が床へ叩きつけられ、衝撃が横へ逃げる。
視界が揺れる。
だが、直撃は避けられた。
無機質なレンズが、再び悠真を捉える。
『対象、保護可能』
黄色い機体が、片腕で瓦礫を掴む。
軽々と持ち上げる。
もう一方の腕が、悠真へ伸びる。
助けるために。
守るために、そこに立っている。
その瞬間。
胸の奥が、熱を帯びた。
視界の端で、六角形の光が浮かび上がる。
『異常波形検出』
『適合因子、反応』
悠真の鼓動と、機体の内部信号が、重なり始める。
伸びてきた黄色い機体の手が、悠真の目前で止まる。
触れていない。
だが、距離はほとんどない。
金属の指先から、淡い光が滲み出す。
六角形。
幾何学的な光が、空中に静かに描かれていく。
瓦礫の落ちる音が、遠くなる。
黒鉄の唸りも、くぐもる。
世界が、水の中に沈んだように鈍くなる。
その瞬間。
『生体信号、同期率上昇』
女性の声が響いた。
澄んだ音声。
感情はない。
だが、不思議と冷たくはなかった。
『適合因子、閾値突破』
胸の奥が、熱い。
心臓が強く打つ。
どくん。
胸の前で広がる六角形の光が、同じ周期で脈打つ。
どくん。
光が一段、広がった。
どくん。
瓦礫の重みが、急に遠のく。
どくん。
痛みが消える。
どくん。
浮いている。
身体が、ではない。
――“自分”が、前へ出ている。
視界の端に、自分の身体が見えた。
瓦礫に挟まれている。
汗と土にまみれた、ただの大学生。
それを、もう一つの視点が見ている。
黄色い機体の視界。
センサーが街を立体的に捉える。
熱源。
振動。
質量。
情報が流れ込んでくる。
だが、溺れない。
情報は整理され、整えられ、頭の中に並べられていく。
補助されている。
『戦術適応反応補助機構』
女性の声が続く。
『通称、S.A.R.A.』
『あなたを支援します』
拒絶感はない。
恐怖もない。
ただ――
守らなきゃ、という感情だけが、はっきりと残っている。
六角形の光が、静かに閉じた。
時間が一拍、空白を作る。
その静寂の中で。
悠真は目を開いた。
「……守る」
誰に言ったのか分からない。
自分か。
父か。
それとも、この機体か。
恐怖はある。
だが、それ以上に強い感情がある。
助けたい。
機体の制御系が、静かに解放される。
『操縦権限、移譲』
『支援モードに移行します』
女性の声は変わらず静かだった。
金属の感覚。
足裏に伝わる質量。
空気の流れ。
遠くで、黒鉄が再び唸る。
視界は澄み切っている。
煙の粒子が、ひとつひとつ数えられそうなほど鮮明だ。
熱源が、輪郭を持って浮かび上がる。
巨大な影。
黒鉄の怪物。
開拓獣。
逃げ惑う人々。
そのすべてが、はっきりと見える。
悠真は、ゆっくりと足を踏み出した。
逆脚構造の脚部が、瓦礫を踏み砕く。
機体が、静かに立ち上がる。
その瞬間。
空気が震えた。
低い振動音。
蜂の羽音に似た駆動音が、瓦礫の空間に広がる。
黄金の複眼が光る。
白と黄色の装甲が、ゆっくりと動いた。
そして――
魔導機兵ヴェスパーが、初めてこの世界で立ち上がった。
いつもありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、
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本作は毎日更新中です。
明日もお待ちしています。
現在、別作品として
『不遇スキル【球術】の俺は、均形鍛冶の少女とダンジョンを攻略する』
というダンジョンファンタジーも連載しています。
意味不明と言われたスキル【球術】で戦う主人公と、鍛冶職の少女がダンジョンを攻略していく物語です。
もしよろしければ、そちらも覗いていただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。




