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氷の令嬢と灼熱の辺境伯だけが知る、誰も触れない愛の適温  作者: 九葉(くずは)


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第4話 竜騎士団の熱すぎる日常

ズズズン、と重たい地響きが厨房の床を揺らしました。


スプーンを咥えて幸せそうにしていた騎士たちが、一斉に色めき立ちます。


「いかん! 飛竜房ハンガーだ!」

「暑さでまた『あいつら』がイラついてやがる!」


アダルベルト様の表情が、瞬時に領主のそれへと切り替わりました。

彼は私に向けていた甘い視線を断ち切り、騎士たちに命じます。


氷嚢ひょうのうを持て! 水もだ! ……チッ、また暴走か」


彼は舌打ちをし、マントを翻して走り出しました。


取り残された私は、少し迷いました。

「部屋に戻れ」とは言われていません。

それに、あんなに美味しそうにアイスを食べていた彼らが、あんなに悲壮な顔をするなんて。


「……行ってみましょう」


私はこっそりと後を追いました。



屋敷の裏手にある巨大な石造りの厩舎。

そこは、まさに灼熱の闘技場でした。


「ギャオオオオオオオッ!!」


耳をつんざくような咆哮。

体長五メートルはあろうかという巨大な翼竜たちが、鎖を引きちぎらんばかりに暴れています。


赤いうろこ。鋭い牙。

吐き出される息は炎のように熱く、周囲の空気を歪ませています。


「鎮まれ! ヴォルカ!」


アダルベルト様が、一際大きな黒い飛竜の前に立ちはだかりました。

彼の愛竜なのでしょう。

しかし、竜は主人の声を聞こうともせず、真っ赤に充血した目で暴れ回っています。


「グルルルッ!」


竜が威嚇し、鼻先から高熱の蒸気を噴き出しました。


「くっ……!」


アダルベルト様が手をかざします。

しかし、それが悪手でした。


彼の手から放たれる熱気が、ただでさえオーバーヒートしている竜を刺激してしまったのです。

「暑いのに近寄るな!」と言わんばかりに、竜はさらに激しく尾を振り回しました。


バゴォッ!

石壁の一部が砕け散ります。


「駄目です閣下! 閣下の熱では、奴らを余計に興奮させてしまいます!」

「分かっている! だが、このままでは脱水症状で死んでしまう!」


アダルベルト様の声には、悲痛な響きがありました。

最強の竜騎士と呼ばれながら、自分の愛する相棒を撫でてやることも、冷やしてやることもできない。

その焦燥感が、痛いほど伝わってきます。


騎士たちが水をかけますが、瞬時に蒸発してサウナ状態になるだけです。


(……あの子たち、苦しいのね)


私には分かります。

彼らは怒っているのではありません。

ただ、どうしようもなく暑くて、体の中に熱が籠もって、助けを求めて暴れているのです。


私は一歩、前に踏み出しました。


「エルザ嬢!? 下がってください! 危険です!」


騎士の一人が叫びました。

アダルベルト様も振り返り、目を剥きます。


「馬鹿野郎! 来んな! 喰われるぞ!」


恐怖がないと言えば嘘になります。

私の脳裏に、幼い頃の記憶が過ぎります。

私の手の中で、カチカチに凍ってしまった小さな青い鳥。


『私が触れると、命を奪ってしまう』


そのトラウマが足をすくませようとします。

でも。


「ギャッ……ハァ……ハァ……」


目の前の竜が、苦しそうに舌を出して喘いでいます。

その姿は、怪物というより、熱中症で弱った大型犬のように見えました。


(このままでは、あの子たちも死んでしまう)

(熱を奪うこと。それなら、私にもできる)


私はスカートの裾を握りしめ、覚悟を決めました。

冷たい魔力を全身に巡らせます。


「大丈夫。……涼しくしてあげますから」


私は暴れる竜の前に、静かに歩み寄りました。


不思議なことに、私が近づくにつれて、竜の動きがピタリと止まりました。

私の周囲には、冷たい空気のドームが形成されています。

灼熱の厩舎に、涼やかな風が吹き始めました。


「……?」


竜が、大きな目を瞬かせました。

充血していた瞳が、私を捉えます。

敵意ではありません。

「なんだ、この涼しい物体は?」という好奇心です。


私は震える手を伸ばしました。

アダルベルト様が何か叫ぼうとして、息を呑んだのが分かります。


「暑かったわね。……いい子ね」


そっと。

私は竜の、ゴツゴツとした鼻先に触れました。


ジュッ……。


微かな音がしました。

火傷をするような熱さが、私の手のひらを伝って流れ込んできます。

でも、私の氷の魔力はそれに負けません。

溢れ出る冷気が、竜の頭部を包み込み、籠もった熱を急速に吸い上げていきます。


「クルル……?」


竜の喉が鳴りました。

それは威嚇ではなく、安堵の声でした。


「気持ちいいですか?」


私が微笑むと、竜は目を細め、自分から私の手に顔を擦り付けてきました。

まるで、冷たい枕に顔を埋める猫のように。


「キュー……ン」


甘えた声を出して、その巨体を地面に横たえます。

「もっと撫でて」「もっと冷やして」と、お腹を見せる勢いです。


その変化を見て、他の竜たちも騒ぎ始めました。


「グルッ(俺も!)」

「ギャウッ(そこどけ! 俺が先だ!)」


我先にと、私の方へ首を伸ばしてきます。

先ほどまでの殺気はどこへやら。

完全に「冷房の風が当たる特等席」の奪い合いです。


「まあまあ、順番ですよ。喧嘩しないで」


私は両手を広げ、魔力を放出しました。

厩舎全体を一気に冷却します。


白い冷気が床を這い、天井の熱気を追い出します。

四十度を超えていた室温が、一気に快適な二十五度へ。


竜たちは一斉に動きを止め、その場でダラリと脱力しました。

床に顎を乗せ、幸せそうに目を閉じています。

あちこちから、ゴロゴロという寝息が聞こえ始めました。


「…………」


静まり返った厩舎に、私の足音だけが響きます。


「信じられん……」


背後で、アダルベルト様が呆然と立ち尽くしていました。

騎士たちも、口をあんぐりと開けています。


「あのヴォルカが……誰にも懐かない暴れん坊が、腹を見せただと?」


アダルベルト様が、千鳥足で近づいてきました。

そして、気持ちよさそうに寝ている自分の愛竜を見下ろします。


彼が手を伸ばしかけ、また引っ込めようとしました。

自分の熱で、また起こしてしまうかもしれないと思ったのでしょう。


私は、彼のその手を掴みました。


「っ!?」


「大丈夫ですわ、アダルベルト様。今のこの子たちの表面温度なら、貴方の熱でも『温かい毛布』くらいにしかなりません」


私は彼の手を導き、竜の首筋へと触れさせました。


「……っ」


アダルベルト様の指が、固い鱗に触れます。

竜は嫌がるどころか、親愛を示すように鼻先を主人の胸に押し付けました。


「熱く……ないのか?」

「ええ。私が冷やしていますから」


アダルベルト様は、震える手で竜の首を抱きしめました。

強く、何度も撫で回します。


「すまねぇ……ヴォルカ。辛かったな……すまねぇ」


竜は慰めるように、主人の頬を舐めました。

その舌の熱さでさえ、今は微笑ましく感じられます。


アダルベルト様はしばらくそうしていましたが、やがてゆっくりと顔を上げ、私を見つめました。


その瞳には、先ほどまでの怒りも、焦りもありません。

あるのは、深く、重いほどの……情熱。


「エルザ」


彼は私の名前を呼び、一歩踏み出してきました。

私の目の前で止まり、大きな手で私の肩を掴みます。


「お前は、俺より強いかもしれん」


「まさか。私はただの令嬢です」


「いいや。俺は力でねじ伏せることしかできなかった。……だがお前は、ただそこにいるだけで、俺が守りたかったものを救ってくれた」


彼の顔が近づきます。

熱い吐息が私の額にかかりました。


「……礼を言う。俺の大事な家族を救ってくれて」


その言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも、私の胸を温めました。

私は役に立てたのです。

この「呪われた体質」で、誰かを、何かを救えたのです。


「どういたしまして。……でも」


私は少し悪戯っぽく微笑みました。


「この子たちの『冷房代』は高くつきますわよ? 毎日、美味しいアイスクリームを要求されると思いますから」


アダルベルト様は一瞬きょとんとし、それから豪快に笑いました。


「ハハッ! いいだろう! イグニス家の財産を傾けても構わん。好きなだけ食わせてやれ!」


騎士たちが歓声を上げ、竜たちがそれに合わせて吠えました。

灼熱の厩舎は今、世界で一番涼しくて、温かい場所に変わったのでした。



その夜のことです。


私は極上の客室(もちろん自力で冷房完備にしました)で、一日の疲れを癒やしていました。

ふかふかのベッド。静かな夜。

もう、地下牢の湿った床を思い出すこともありません。


コン、コン。


控えめなノックの音がしました。


「はい?」


ドアを開けると、そこにはアダルベルト様が立っていました。


彼は昼間の覇気とは打って変わり、どこか疲れたような、すがるような目をしていました。

そして何より目立つのは、目の下に刻まれた濃いくまです。


「……アダルベルト様? どうなさいました?」


彼は気まずそうに視線を泳がせ、それからボソリと言いました。


「……眠れん」


「え?」


「竜たちは全員、お前の魔力の残滓ざんしで爆睡してやがる。騎士たちもだ。……俺だけが、暑くて目が冴えて仕方ねぇんだ」


彼は大きな体を小さく丸めるようにして、私を見つめました。


「……その、なんだ。俺も……冷やしてくれねぇか?」


最強の竜騎士団長様が、夜泣きする子供のように私の部屋の前に立っている。

その事実に、私は驚きつつも、胸の奥がくすぐったくなるのを感じました。


これは、長い夜になりそうです。

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