第3話 辺境のアイスクリーム革命
連行された辺境伯邸は、想像以上に過酷な職場環境でした。
「はぁ……はぁ……暑い……」
「水……水をくれ……」
廊下ですれ違うメイドさんや兵士の方々は、皆一様に死にそうな顔をしています。
制服は汗で背中に張り付き、足取りは重く、目の下には濃いクマ。
石造りの立派なお屋敷ですが、熱せられた石壁は蓄熱暖房のように熱を放ち続けています。
王都の軟弱な貴族なら、玄関に入った瞬間に気絶しているでしょう。
ですが、私にとっては。
(まあ、なんて素敵な床暖房)
コツコツとヒールを鳴らして歩くたびに、足の裏からポカポカとした熱が伝わってきます。
アダルベルト様に手を引かれていた時の余韻もあり、私の体調はすこぶる良好でした。
「ここが客室だ。……俺は執務に戻る。勝手に出歩くなよ(俺の目の届く範囲にいろ)」
アダルベルト様は、私を一番日当たりの良い(彼らにとっては最悪の、私にとっては最高の)部屋に押し込むと、名残惜しそうに私の手を離し、慌ただしく去っていきました。
さて、一人きりです。
「出歩くな」と言われましたが、お腹が空いてしまいました。
昨晩からお水しか飲んでいないのです。
「少し厨房をお借りしましょうか」
私はこっそりと部屋を抜け出しました。
◆
厨房に足を踏み入れると、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図でした。
「ああもう! 朝に搾ったばかりのミルクが、もう分離してやがる!」
「果物が! 南国産のバナナまで煮えてどうすんだ!」
「氷を持ってこい! 地下の氷室からだ!」
「とっくに溶けてお湯になってますよ!」
恰幅の良い料理長らしき男性が、頭を抱えて叫んでいます。
調理台の上には、暑さで傷みかけた食材たちが並んでいました。
この国では、食品保存の魔道具は高価で、一般には普及していません。
特にこの灼熱の辺境では、魔石の力など焼け石に水なのでしょう。
(……もったいない)
私の胸が痛みました。
食べ物を粗末にするのは、私の美学に反します。
それに、あの少し茶色くなったバナナや、発酵しかけているミルク……。
「あの」
私はおずおずと声をかけました。
「なっ!? お、お前は……今朝連れてこられた罪人の!?」
料理長がギョッとして振り返ります。
他の料理人たちも、包丁を構える勢いで警戒しました。
「氷の魔女」という悪名は、ここにも届いているようです。
私は気にせず、調理台を指差しました。
「その食材、捨ててしまうのですか?」
「あ、あぁ? 食えたもんじゃねぇからな。腐る前に処分しねぇと、腹を壊す」
「でしたら、私にいただけませんか? 美味しくして差し上げますわ」
「はぁ?」
料理長が呆気にとられている間に、私は調理台へと歩み寄りました。
ボウルに入った生温かいミルク。
熟れすぎてグズグズになった果物。
砂糖壺。
完璧な布陣です。
「何をする気だ! 毒でも盛るつもりか!」
若手の料理人が止めようとしましたが、私はニッコリと微笑みました。
「いいえ。ただの『熱抜き』ですわ」
私はボウルにミルクと潰した果物、砂糖を入れ、スプーンで軽く混ぜ合わせました。
そして、ボウルの底に両手を添えます。
すぅ、と息を吸い込みます。
体の中に渦巻く、余りある冷たい魔力。
それを指先から一気に放出します。
パキッ……ピキピキッ……。
微かな音が厨房に響きました。
同時に、私の周囲から白い冷気が立ち上ります。
「なっ……!?」
「おい、涼しいぞ!?」
「霧が出た!?」
料理人たちがざわめき始めました。
私は集中します。
ただ凍らせるだけではいけません。
空気を含ませながら、滑らかに、口溶け良く。
ボウルの中の液体が、魔法のように凝固していきます。
みるみるうちに、鮮やかな色合いのシャーベット状へと変化しました。
「はい、出来上がり」
私は手を離し、スプーンですくって一口味見をします。
シャリッ、と涼やかな音。
口の中に広がる冷たい甘さと、果物の芳醇な香り。
腐りかけ寸前の完熟果実だからこそ出せる、濃厚な味わいです。
「ん……美味しい」
私は満足げに頬を緩めました。
王都のカフェで食べたものより、ずっと上手にできました。
やはり、環境(暑さ)が良いと冷気魔法のノリも良いようです。
厨房は静まり返っていました。
全員が、私の手元のボウルを凝視しています。
彼らの喉が、ゴクリと鳴る音が聞こえました。
「あ、あの……」
料理長が震える声で尋ねてきます。
「それは……湯気が出てねぇが……」
「ええ、冷やしましたから。毒見は私が済ませました。皆様もいかがですか? 暑い時には甘いものが一番ですわ」
私が別のスプーンを差し出すと、料理長は恐る恐るそれを口に運びました。
その瞬間。
カッ!!
料理長の目が、飛び出さんばかりに見開かれました。
「――――ッ!!!」
彼は言葉にならない叫び声を上げ、ガタガタと震え出しました。
「ちょ、長!? 大丈夫ですか!?」
「毒か!? やっぱり毒なのか!?」
「つ、冷たぁぁぁぁぁぁい!!!」
料理長の絶叫が、厨房を揺るがしました。
「なんだこれは!? 口の中が! 食道が! 胃袋が! 冷やされていくぅぅぅ!」
彼は涙を流しながら、夢中でスプーンを動かし始めました。
二口、三口。
食べるたびに、彼の茹でタコのような赤い顔色が、健康的な肌色に戻っていきます。
「うめぇ! なんだこの食いもんは! 果物が腐る寸前の甘みと、氷のような冷たさが……! 生き返る! 魂が生き返るぞぉぉ!」
その反応を見て、他の料理人たちも群がってきました。
「俺にもくれ!」
「ズルいぞ長!」
「うわぁぁぁ! 冷てぇぇぇ! 最高だぁぁ!」
厨房は大パニックになりました。
いえ、大祝賀会と言うべきでしょうか。
彼らは私を拝みながら、次々とアイスを平らげていきます。
そこへ。
「おい! 騒がしいぞ! 何事だ!」
訓練を終えた騎士たちが、騒ぎを聞きつけてドカドカと入ってきました。
彼らもまた、鎧の中まで汗ぐっしょりで、今にも倒れそうです。
「お、騎士団長補佐! これを食ってみてください!」
「ああん? 俺は甘いものは……」
料理長にスプーンを突っ込まれた騎士が、固まりました。
「…………!!」
次の瞬間、彼は私に向かって膝をつき、最敬礼をしていました。
「女神よ……!」
「はい?」
「貴女様は、イグニスに舞い降りた女神であらせられるか! この灼熱地獄で、これほどキンキンに冷えたものを食せるとは……!」
騎士の目には涙が浮かんでいます。
どうやらこの国、特にこの地域では、「冷たい食事」というのは王族ですら滅多にありつけない超高級品らしいのです。
それを、廃棄寸前の材料で無限に作り出す私は、彼らにとって救世主に見えるようでした。
「まだまだありますわよ。材料さえあれば」
私が微笑むと、騎士たちは雄叫びを上げました。
「果物を持ってこい! ミルクもだ!」
「女神様のお通りだ! 場所を空けろ!」
「俺の火照った体も冷やしてくれぇぇ!」
いつの間にか、私は厨房の中心で、即席のアイスクリーム屋さんと化していました。
次々と差し出されるボウルを冷やし、シャーベットを作り、ついでに騎士たちの首元に冷やしたタオルを当ててあげる。
「ああ……極楽だ……」
「生きているって素晴らしい……」
屈強な男たちが、幸せそうな顔で床に転がっていきます。
まるで猫のマタタビパーティーです。
そんな奇妙な光景が繰り広げられている時でした。
「……何をしている」
地底から響くような低い声が、熱狂を切り裂きました。
入り口に、アダルベルト様が立っていました。
背後には、焦げそうなほどの怒りのオーラ(物理的な熱波)を背負っています。
「か、閣下!」
騎士たちが飛び起きます。
アダルベルト様は、私の周りに群がる男たちを睨みつけました。
「俺の客人に、何を使役させている。……全員、丸焼きにされたいようだな?」
室温が急激に上がります。
せっかく冷やした空気が、彼の嫉妬……いえ、怒りの炎で相殺されていきます。
「ち、違います閣下! これはその、女神様のご慈悲で!」
「女神だと?」
アダルベルト様が私を見ました。
私は急いで、作りたての特製ミルクジェラートをスプーンですくい、彼の口元に差し出しました。
「アダルベルト様、お疲れ様です。お口を開けていただけますか?」
「は? 俺は子供じゃ……」
「あーん」
彼は反射的に口を開け、そしてスプーンを咥えました。
「ん……ッ」
彼の眉間の皺が、一瞬で消え去りました。
琥珀色の瞳が大きく見開かれます。
口の中で溶ける冷たい甘露。
体内で暴れる熱を、優しく鎮めてくれる「鎮火剤」。
彼はゆっくりと味わい、ゴクリと飲み込むと、深いため息をつきました。
その吐息すらも、いつもより涼しげです。
「……美味い」
彼はボソリと呟き、私の手についた水滴を、愛おしげに親指で拭いました。
「お前……本当に、何なんだ」
「ただの元悪役令嬢ですわ」
私が答えると、彼はフッと笑いました。
その笑顔は、昨晩の凶暴なものとは違い、とても魅力的で、男の色気に満ちていました。
彼は騎士たちに向き直り、高らかに宣言しました。
「聞け、野郎ども!」
全員が直立不動になります。
「このエルザ嬢は、本日より我がイグニス家の『最重要賓客(VIP)』である! 彼女の言葉は俺の言葉と思え! 彼女の髪一本でも傷つけた奴は、火山の火口に投げ込む!!」
『イエッサー!!』
騎士たちの返事が轟きました。
彼らの目は、忠誠と、そして「もっとアイスを食わせてくれ」という欲望に輝いています。
「それと、エルザ」
アダルベルト様が私に向き直ります。
「はい」
「その……今の、もう一口くれないか?」
真っ赤な顔で(これは体温のせいだけではないでしょう)、おねだりをしてくる最強の騎士様。
私は思わず吹き出してしまいました。
「ふふ、ええ。いくらでも。……ここには、冷やすべき熱いものがたくさんあるようですから」
こうして、私の「囚人生活」は開始数時間で終了しました。
代わりに始まったのは、暑苦しくも愛すべき男たちに餌付けをする、賑やかな「女王様生活」だったのです。
でも、問題は山積みです。
厩舎の方から、ものすごい地響きと熱気が近づいてきているのです。
どうやら、アイスの匂いを嗅ぎつけたのは、人間だけではなかったようで……?




