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氷の令嬢と灼熱の辺境伯だけが知る、誰も触れない愛の適温  作者: 九葉(くずは)


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第3話 辺境のアイスクリーム革命

連行エスコートされた辺境伯邸は、想像以上に過酷な職場環境でした。


「はぁ……はぁ……暑い……」

「水……水をくれ……」


廊下ですれ違うメイドさんや兵士の方々は、皆一様に死にそうな顔をしています。

制服は汗で背中に張り付き、足取りは重く、目の下には濃いクマ。


石造りの立派なお屋敷ですが、熱せられた石壁は蓄熱暖房のように熱を放ち続けています。

王都の軟弱な貴族なら、玄関に入った瞬間に気絶しているでしょう。


ですが、私にとっては。


(まあ、なんて素敵な床暖房)


コツコツとヒールを鳴らして歩くたびに、足の裏からポカポカとした熱が伝わってきます。

アダルベルト様に手を引かれていた時の余韻もあり、私の体調はすこぶる良好でした。


「ここが客室だ。……俺は執務に戻る。勝手に出歩くなよ(俺の目の届く範囲にいろ)」


アダルベルト様は、私を一番日当たりの良い(彼らにとっては最悪の、私にとっては最高の)部屋に押し込むと、名残惜しそうに私の手を離し、慌ただしく去っていきました。


さて、一人きりです。

「出歩くな」と言われましたが、お腹が空いてしまいました。

昨晩からお水しか飲んでいないのです。


「少し厨房をお借りしましょうか」


私はこっそりと部屋を抜け出しました。



厨房に足を踏み入れると、そこは阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図でした。


「ああもう! 朝に搾ったばかりのミルクが、もう分離してやがる!」

「果物が! 南国産のバナナまで煮えてどうすんだ!」

「氷を持ってこい! 地下の氷室ひむろからだ!」

「とっくに溶けてお湯になってますよ!」


恰幅かっぷくの良い料理長らしき男性が、頭を抱えて叫んでいます。

調理台の上には、暑さで傷みかけた食材たちが並んでいました。


この国では、食品保存の魔道具は高価で、一般には普及していません。

特にこの灼熱の辺境では、魔石の力など焼け石に水なのでしょう。


(……もったいない)


私の胸が痛みました。

食べ物を粗末にするのは、私の美学に反します。

それに、あの少し茶色くなったバナナや、発酵しかけているミルク……。


「あの」


私はおずおずと声をかけました。


「なっ!? お、お前は……今朝連れてこられた罪人の!?」


料理長がギョッとして振り返ります。

他の料理人たちも、包丁を構える勢いで警戒しました。

「氷の魔女」という悪名は、ここにも届いているようです。


私は気にせず、調理台を指差しました。


「その食材、捨ててしまうのですか?」


「あ、あぁ? 食えたもんじゃねぇからな。腐る前に処分しねぇと、腹を壊す」


「でしたら、私にいただけませんか? 美味しくして差し上げますわ」


「はぁ?」


料理長が呆気にとられている間に、私は調理台へと歩み寄りました。


ボウルに入った生温かいミルク。

熟れすぎてグズグズになった果物。

砂糖壺。


完璧な布陣です。


「何をする気だ! 毒でも盛るつもりか!」


若手の料理人が止めようとしましたが、私はニッコリと微笑みました。


「いいえ。ただの『熱抜き』ですわ」


私はボウルにミルクと潰した果物、砂糖を入れ、スプーンで軽く混ぜ合わせました。

そして、ボウルの底に両手を添えます。


すぅ、と息を吸い込みます。

体の中に渦巻く、余りある冷たい魔力。

それを指先から一気に放出します。


パキッ……ピキピキッ……。


微かな音が厨房に響きました。

同時に、私の周囲から白い冷気が立ち上ります。


「なっ……!?」

「おい、涼しいぞ!?」

「霧が出た!?」


料理人たちがざわめき始めました。

私は集中します。

ただ凍らせるだけではいけません。

空気を含ませながら、滑らかに、口溶け良く。


ボウルの中の液体が、魔法のように凝固していきます。

みるみるうちに、鮮やかな色合いのシャーベット状へと変化しました。


「はい、出来上がり」


私は手を離し、スプーンですくって一口味見をします。


シャリッ、と涼やかな音。

口の中に広がる冷たい甘さと、果物の芳醇な香り。

腐りかけ寸前の完熟果実だからこそ出せる、濃厚な味わいです。


「ん……美味しい」


私は満足げに頬を緩めました。

王都のカフェで食べたものより、ずっと上手にできました。

やはり、環境(暑さ)が良いと冷気魔法のノリも良いようです。


厨房は静まり返っていました。

全員が、私の手元のボウルを凝視しています。

彼らの喉が、ゴクリと鳴る音が聞こえました。


「あ、あの……」


料理長が震える声で尋ねてきます。


「それは……湯気が出てねぇが……」


「ええ、冷やしましたから。毒見は私が済ませました。皆様もいかがですか? 暑い時には甘いものが一番ですわ」


私が別のスプーンを差し出すと、料理長は恐る恐るそれを口に運びました。


その瞬間。


カッ!!


料理長の目が、飛び出さんばかりに見開かれました。


「――――ッ!!!」


彼は言葉にならない叫び声を上げ、ガタガタと震え出しました。


「ちょ、おさ!? 大丈夫ですか!?」

「毒か!? やっぱり毒なのか!?」


「つ、ちべたぁぁぁぁぁぁい!!!」


料理長の絶叫が、厨房を揺るがしました。


「なんだこれは!? 口の中が! 食道が! 胃袋が! 冷やされていくぅぅぅ!」


彼は涙を流しながら、夢中でスプーンを動かし始めました。

二口、三口。

食べるたびに、彼の茹でタコのような赤い顔色が、健康的な肌色に戻っていきます。


「うめぇ! なんだこの食いもんは! 果物が腐る寸前の甘みと、氷のような冷たさが……! 生き返る! 魂が生き返るぞぉぉ!」


その反応を見て、他の料理人たちも群がってきました。


「俺にもくれ!」

「ズルいぞ長!」

「うわぁぁぁ! 冷てぇぇぇ! 最高だぁぁ!」


厨房は大パニックになりました。

いえ、大祝賀会と言うべきでしょうか。

彼らは私を拝みながら、次々とアイスを平らげていきます。


そこへ。


「おい! 騒がしいぞ! 何事だ!」


訓練を終えた騎士たちが、騒ぎを聞きつけてドカドカと入ってきました。

彼らもまた、鎧の中まで汗ぐっしょりで、今にも倒れそうです。


「お、騎士団長補佐! これを食ってみてください!」

「ああん? 俺は甘いものは……」


料理長にスプーンを突っ込まれた騎士が、固まりました。


「…………!!」


次の瞬間、彼は私に向かって膝をつき、最敬礼をしていました。


「女神よ……!」


「はい?」


「貴女様は、イグニスに舞い降りた女神であらせられるか! この灼熱地獄で、これほどキンキンに冷えたものを食せるとは……!」


騎士の目には涙が浮かんでいます。


どうやらこの国、特にこの地域では、「冷たい食事」というのは王族ですら滅多にありつけない超高級品らしいのです。

それを、廃棄寸前の材料で無限に作り出す私は、彼らにとって救世主に見えるようでした。


「まだまだありますわよ。材料さえあれば」


私が微笑むと、騎士たちは雄叫びを上げました。


「果物を持ってこい! ミルクもだ!」

「女神様のお通りだ! 場所を空けろ!」

「俺の火照った体も冷やしてくれぇぇ!」


いつの間にか、私は厨房の中心で、即席のアイスクリーム屋さんと化していました。

次々と差し出されるボウルを冷やし、シャーベットを作り、ついでに騎士たちの首元に冷やしたタオルを当ててあげる。


「ああ……極楽だ……」

「生きているって素晴らしい……」


屈強な男たちが、幸せそうな顔で床に転がっていきます。

まるで猫のマタタビパーティーです。


そんな奇妙な光景が繰り広げられている時でした。


「……何をしている」


地底から響くような低い声が、熱狂を切り裂きました。


入り口に、アダルベルト様が立っていました。

背後には、焦げそうなほどの怒りのオーラ(物理的な熱波)を背負っています。


「か、閣下!」


騎士たちが飛び起きます。


アダルベルト様は、私の周りに群がる男たちを睨みつけました。


「俺の客人に、何を使役させている。……全員、丸焼きにされたいようだな?」


室温が急激に上がります。

せっかく冷やした空気が、彼の嫉妬……いえ、怒りの炎で相殺されていきます。


「ち、違います閣下! これはその、女神様のご慈悲で!」

「女神だと?」


アダルベルト様が私を見ました。

私は急いで、作りたての特製ミルクジェラートをスプーンですくい、彼の口元に差し出しました。


「アダルベルト様、お疲れ様です。お口を開けていただけますか?」


「は? 俺は子供じゃ……」


「あーん」


彼は反射的に口を開け、そしてスプーンを咥えました。


「ん……ッ」


彼の眉間の皺が、一瞬で消え去りました。

琥珀色の瞳が大きく見開かれます。


口の中で溶ける冷たい甘露。

体内で暴れる熱を、優しく鎮めてくれる「鎮火剤」。


彼はゆっくりと味わい、ゴクリと飲み込むと、深いため息をつきました。

その吐息すらも、いつもより涼しげです。


「……美味い」


彼はボソリと呟き、私の手についた水滴を、愛おしげに親指で拭いました。


「お前……本当に、何なんだ」


「ただの元悪役令嬢ですわ」


私が答えると、彼はフッと笑いました。

その笑顔は、昨晩の凶暴なものとは違い、とても魅力的で、男の色気に満ちていました。


彼は騎士たちに向き直り、高らかに宣言しました。


「聞け、野郎ども!」


全員が直立不動になります。


「このエルザ嬢は、本日より我がイグニス家の『最重要賓客(VIP)』である! 彼女の言葉は俺の言葉と思え! 彼女の髪一本でも傷つけた奴は、火山の火口に投げ込む!!」


『イエッサー!!』


騎士たちの返事が轟きました。

彼らの目は、忠誠と、そして「もっとアイスを食わせてくれ」という欲望に輝いています。


「それと、エルザ」


アダルベルト様が私に向き直ります。


「はい」


「その……今の、もう一口くれないか?」


真っ赤な顔で(これは体温のせいだけではないでしょう)、おねだりをしてくる最強の騎士様。

私は思わず吹き出してしまいました。


「ふふ、ええ。いくらでも。……ここには、冷やすべき熱いものがたくさんあるようですから」


こうして、私の「囚人生活」は開始数時間で終了しました。

代わりに始まったのは、暑苦しくも愛すべき男たちに餌付けをする、賑やかな「女王様生活」だったのです。


でも、問題は山積みです。

厩舎きゅうしゃの方から、ものすごい地響きと熱気が近づいてきているのです。

どうやら、アイスの匂いを嗅ぎつけたのは、人間だけではなかったようで……?

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