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氷の令嬢と灼熱の辺境伯だけが知る、誰も触れない愛の適温  作者: 九葉(くずは)


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第1話 氷の令嬢は灼熱を愛す

「……おい、生きてるか? 魔女」


鉄格子の隙間から、しわがれた男の声が投げかけられました。


私はゆっくりと顔を上げます。

ガタゴトと揺れる馬車の中は薄暗く、木の板の隙間から差し込む日差しだけが光源です。


「ええ、生きておりますわ。ご心配なく」


私の答えを聞くと、護送兵の男性は「ヒッ」と短く息を呑み、慌てて視線を逸らしました。

まるで、見てはいけないものを見たかのように。


無理もありません。

ここは王国の最南端。

窓の外には、ゆらゆらと景色が歪むほどの陽炎が立ち上っています。


護送兵の顔は茹で上がったタコのように赤く、額からは滝のような汗が流れ落ちていました。

着ている鎧の隙間から、蒸気が上がりそうなほどです。


それなのに。


「……信じられねぇ。この暑さで、汗ひとつかいてねぇなんて」


彼の呟きが聞こえました。


そうです。

私は、汗をかいていません。

それどころか、王都を出発してからというもの、体の調子が驚くほど良いのです。


いつもなら手足の先が氷のように冷たくて、動かすのも億劫おっくうなのに。

今は指先まで血が通っている感覚があります。


(ここは……なんて過ごしやすいのかしら)


私は手錠をかけられた両手を膝の上に置き、小さく息を吐きました。

吐いた息が白くならなかったのは、いつぶりでしょうか。



思い出すのは、数週間前の夜会のことです。


煌びやかなシャンデリアの下。

王太子ジュリアン様は、私を見下ろして言い放ちました。


『エルザ・フォン・ローゼンハイム! 貴様との婚約を破棄する!』


周囲の貴族たちがざわめく中、彼は軽蔑の眼差しを私に向けました。

隣には、可愛らしいピンクブロンドの男爵令嬢が寄り添っています。


『貴様のその冷たさには、もう我慢がならん! 傍にいるだけで寒気がするのだ! 私の愛しいミラが風邪を引いたらどうする!』


寒気がする。

その言葉は、鋭い氷柱つららのように私の胸に突き刺さりました。


私はただ、生まれつき体温が低いだけ。

触れるものの熱を奪ってしまう「冷却体質」であるだけです。


夏場は「歩く冷房」として、ジュリアン様の執務室にはべらされました。

冬場は「暖炉の薪の無駄だ」と、暖房のない北向きの部屋に追いやられました。


『貴様のような氷の女は、灼熱の辺境がお似合いだ! イグニス辺境伯領へ行き、その身を焦がして罪を償え!』


そうして私は、罪人としてこの馬車に乗せられたのです。


家族は誰一人、かばってはくれませんでした。

父は「厄介払いができた」と安堵し、義母と義妹は「せいぜい干からびてきなさい」と笑いました。


(……でも)


私は馬車の壁にもたれかかります。

ひんやりとした感覚はありません。

外から伝わる熱気が、私の冷たい肌をじんわりと温めてくれます。


王都では、厚着をしてカイロを貼っても、常に骨の髄まで凍えていました。

誰かに触れれば、相手を凍傷にさせてしまう恐怖に怯えていました。


けれど、ここでは違います。

この熱気の中なら、私は「普通」でいられるのかもしれません。


「おい、着いたぞ。降りろ!」


乱暴な声と共に、馬車の扉が開かれました。


強烈な熱波が、どっと中に流れ込んできます。

護送兵が顔をしかめ、手で顔を扇ぎながら後ずさりしました。


私はスカートの裾を払い、ゆっくりと地面に降り立ちます。


「…………」


目の前に広がっていたのは、赤茶けた大地と、荒々しい岩肌が剥き出しになった山々でした。

遠くに見える火山からは、黒い噴煙が上がっています。

空は暴力的なまでに青く、太陽がギラギラと照りつけていました。


暑い。

確かに、一般的には「地獄のような暑さ」なのでしょう。


近くにいた馬が、荒い息を吐いて泡を吹いています。

出迎えの兵士たちも皆、薄着で肌を露出し、それでも暑さに喘いでいました。


けれど、私にとっては。


(ああ……ちょうどいい温度ですわ)


思わず、口元が緩んでしまいそうになります。

それを必死に噛み殺し、私は澄ました顔で兵士に向き直りました。


「ここが、私の新しい住まいですか?」


私が指差したのは、城壁から遠く離れた荒れ地にポツンと建つ、小さな石造りの小屋でした。

屋根は一部が崩れかけ、壁にはつたが絡まり、廃屋にしか見えません。


護送兵は意地悪く笑いました。


「そうだ。お前のような冷血女にはお似合いのゴミ溜めだ。精々、熱中症で野垂れ死ぬんだな。水はやらんぞ」


彼はそう言い捨てると、逃げるように馬車に乗り込みました。

これ以上、一秒たりともこの場所にいたくないのでしょう。


馬車が土煙を上げて去っていきます。

私は一人、灼熱の荒野に取り残されました。


取り残されたのですが……。


「ふふっ」


我慢できずに、笑いが溢れてしまいました。


野垂れ死ぬ?

とんでもない。


私は旅行鞄を拾い上げ、軽やかな足取りで小屋へと向かいます。

足元の地面は焼けた鉄板のようですが、私の靴底を通せば、程よい床暖房に早変わりです。


ギイィ、と錆びた音を立ててドアを開けます。


中は酷い有様でした。

床には砂埃が積もり、隅には蜘蛛の巣。

窓ガラスは割れ、熱気が籠もってサウナ状態です。

おそらく室温は四十度を超えているでしょう。


普通の人間なら、五分といられずに脱水症状を起こすはずです。


「まずは、お掃除からですね」


私は鞄を置くと、懐から一枚のハンカチを取り出しました。

そして、そっと壁に手を触れます。


「ふぅ……」


体の中に溜まっていた「冷たい魔力」を、指先から流し込みます。


王都では、これを抑えるのに必死でした。

抑えなければ、部屋中の水差しが凍りつき、窓ガラスに霜が降りてしまうからです。


でも、今は遠慮はいりません。

誰も見ていないのですから。


パキッ、パキパキッ……。


微かな音と共に、石壁の温度が急激に下がっていきます。

壁に染み付いていた熱が私の体へと吸い込まれ、代わりに私の冷気が部屋全体に行き渡ります。


灼熱のサウナが、瞬く間に高原の避暑地のような涼しさへと変わりました。


「……んっ、ふぅ」


気持ちいい。

魔力を放出する開放感と、外から入ってくる熱の供給。

そのバランスが完璧です。


私は次に、ボロボロのベッドに近寄りました。

シーツは埃まみれで使い物になりませんが、マットレスの中身はわらです。


「少し、冷やしますね」


マットレスを撫でると、冷気が繊維の奥まで浸透し、ダニや虫が一瞬で活動を停止するのが分かりました。

実質的な殺菌(冷凍)消毒です。

ついでに、冷たくてひんやりとした「冷感マットレス」の完成です。


持参したシーツを敷けば、そこは王族ですら味わえない極上の寝床。


私は埃を風魔法で外へ追い出し、窓枠には氷の薄い膜を張りました。

これで外の熱気を遮断しつつ、光だけを取り込めます。


作業を終える頃には、夕日が沈みかけていました。

空が紫色に染まり、遠くの火山が赤く輝いています。


私は持ってきた水筒の水を一口飲みました。

ぬるくなっていた水も、口に含んだ瞬間にキリッと冷たいミネラルウォーターに変わります。


「……幸せ」


私はそのまま、ひんやりとしたベッドに身を投げ出しました。


誰にも罵られない。

「寒い」と嫌な顔をされない。

凍えて震えることもない。


ここは地獄などではありません。

私にとって、生まれて初めての「天国」でした。


「おやすみなさいませ、皆様」


私は王都の方角に、心の中で別れを告げました。

今頃、私のいなくなった王城がどうなっているかなど、知る由もありません。


心地よい冷気と、外から伝わる大地の熱に包まれて。

私は生まれて初めて、朝まで一度も目を覚ますことなく、泥のように眠りに落ちたのです。


翌朝、この小屋の扉を叩く「招かれざる客」が現れることなど、露知らずに。

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