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一話 ノートと新たな日々

 手にしたノートに書かれていた文章に、俺は絶句していた。


 『……諦念に端を発する人生を歩む愚か者が、「生きる意味」を考えようなど烏滸がましいと気づくまでに約十四年弱かかってしまった。


 命を命として扱えず、挙げ句の果てには自分の手で自分自身を傷つけるこの空け者が、幸福を享受できる未来などありはしないのである。


 〜中略〜


 冷めた目で世界を見て初めて、人は現実的な道を歩む資格を得る。東大生になれるような知能もなければ、それを手に入れられる努力もできない。アスリートになれるような身体を持っていなければ……これは努力でも限界がある。


 まあとにもかくにも、諦めることは人生において正しい道なのだ……』


 自室を掃除していたら出てきたノート。今より卑屈を極めていた、十三歳のときに殴り書いた衝動は破壊力がありすぎた。何だこれは。あまりに、その、黒歴史なんていうもんじゃないだろこれ。あまりのおぞましさに手が震え始めた。右手が疼くぜ。


 人に知られていないだけマシという見方もできるにはできるが痛すぎる。『まあとにもかくにも』ってなんだよ。そこに至るまでの道程をもう少し語れよ。いや語らんでいいわ。これ以上傷を抉るな。あと賢しらぶってる割に字が下手すぎる。醜くてたまったもんじゃない。ああもう破いてしまおうか!


 ———そう思ってページを一センチほど破って、そこでようやく俺は落ち着きを取り戻した。衝動のままに行動すると碌なことにならないのは、眼前の文章が証明してくれているではないか。


 表紙は少し埃を被っていてざらざらしていたが、拭けば使える。ページは余ってるし、明日から有効活用していこう。さしずめ開くことの少ない苦手教科のノートとしてでも。



×



 俺即ち日暮狼夜の人生は変化に乏しい。朝起きて、高校に行って、帰って、寝る。友達と遊ぶなんて選択肢はあろうはずもない。そもそもそんな存在居ないし。


 高校生はよく青春群像劇の舞台として描かれることの多い存在だが、俺から言わせれば青春なんてのは偶像、ともすれば虚像と言った方が適当かもしれないくらいには縁がない。友達の作り方すら、俺にはわからないのだ。


 そんなわけで今日も一日を終え、野球部の練習の声がうっすらと聞こえてくる廊下を歩いていた。帰宅部の俺からすると、部活に居場所があるやつが少し羨ましく感じられる。


「……」


 一人分の足音が一定のリズムで刻まれ続ける。一人分だ。


 ため息になり損ねた呼吸の狭間に俺は思ってしまった。


 ……きっと、ずっとこうやって一人で生きていくのだろう。


 『冷めた目で世界を見て初めて、人は現実的な道を歩む資格を得る』


 昨日見つけた黒歴史の一節を思い出す。かつては描いていたはずの理想像は半壊してしまった。冷めた目。現実的な道。図らずも今の俺はその通りだ。無気力と諦念に満ちた愚者。過去の自分に刺されるなんて思いもしなかった。


 ……そういえば、帰りに買い物を頼まれていたんだった。スマホを取り出そうと、俺はカバンを開け、中を探る。ごちゃごちゃとしている鞄内は、さながら俺の脳内のようだ。


 ——そうして、探し物に夢中になっていたせいか、足音がいつからか二人分になっていることに気が付かなかった。足音は大きくなり、やがて、


 曲がり角から、それは飛び出してきた。


「……!」


 視認する頃には遅かった。二人分の人間の衝突。少しの衝撃と、鞄から荷物が飛び出て、バサバサと散らかる音が廊下に響く。


「……いてて……大丈夫ですか?」


「……てめえ、どこ見て歩いてんだよボケ」


 柄の悪い言葉が耳に届く。聞き間違いかと思って見れば、そこに座り込んでいたのは——校則違反のオンパレード女子だった。


 入学から一ヶ月半ほど、学年の末端で細々と暮らす俺の耳にも悪名が届くほど、悪い噂しか聞かない存在、犬島藁姫だった。うーわ、やばい奴にぶつかっちゃったな。


「ごめんなさい、僕の不注意で」


 あまり関わり合いになりたくない人種なので、最低限の事後対応をして荷物を拾い、そそくさと帰ろうと思ったのだが。


「あ、それ……」


「……?」


 彼女が手にしている物を見て血の気が引いた。


 あのおぞましい殴り書きが刻まれている禁書。彼女が拾ってくれたからか、その手中にある。まずいまずいまずい。あのページだけは見られてはいけない。


 しかし、彼女は俺の反応を見てから、手中のノートに視線を落とし、何事かを独り言のように呟き始めた。顎に左手の親指を当て、カリカリと掻きながら。


「通常はあまり見られない反応……不自然に分厚いノート……破れている? ……ノート自体は割と古そうなのに『生物基礎』の文字と、訂正した後がやけに真新しい……ノート……」


 一頻り言い終えると、彼女は合点がいったように鼻を鳴らし、視線を再度僕へ戻した。晴天の日の空のように澄んだ青色の瞳が、俺を捕まえた。


「……そういうことか。これは一見普通のノートだが、お前の反応含め、不自然な点が多い。人に見られると都合が悪い物が書かれてるとみた。どれどれ、春画か? 想い人の名前か? はたまた……」


「あ、ちょっと!」


 俺の制止虚しく、妙に頭の回転の速い彼女は一瞬で俺の懸念を見抜き、そのままノートをパラパラとめくり、そして引き攣ったように片頬を吊り上げて。


「……なにこれ、痛すぎだろ」


「終わった……」


 よりにもよって、一番見つかってはいけない存在に、例のページを見られてしまったのだった。

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