十九世紀の片隅で、メイドはアイスクリームを食べに行く
短いです。
「ジェレミー、今度の休みの日にアイスクリームを食べに行かない!?」
アイリスは箒を片手に持ったまま、銀食器を磨いていたジェレミーの元へとやってきて言った。
「アイスクリーム?」
ジェレミーは顔が映るくらい綺麗に磨いたナイフを確認しながら、息せき切っているアイリスに尋ね返す。
「そう、アイスクリームよ! 私、食べたことないの」
「けどこんな田舎に、アイスクリームを出す店なんかないだろう?」
ここ子爵家別邸がある場所は、丘陵地だけがどこまでも続くのどかな田舎だ。
美しい湖畔はあっても、しゃれたアイスクリーム店なんてものはない。
ジェレミーは以前に都会のお屋敷で働いていたので、そのときに当時の使用人仲間とアイスクリームを食べに行ったことがあるし、移動販売なら大きな街中ではよく見かけて珍しいものではない。
しかしここと同じくらい田舎で生まれ育ったアイリスは、アイスクリームを食べる機会がなかった。
そんなアイリスは、箒を持ったまま満面の笑みで言った。
「隣の隣の隣村の中央広場に、アイスクリームの移動販売が来るんだって!」
「隣の隣の隣村って……」
アイリスの言葉に、ジェレミーは呆れ顔を返した。
わざわざアイスクリームを食べるためだけに行くような距離ではない。
しかしアイリスは箒を持っていない方の手を腰に当てて、声高らかに続けた。
「自転車に乗って行こうよ!」
しかしジェレミーの呆れ顔がさらに深まる。
「自転車でも遠いだろう……」
ジェレミーは思わず呟いた。
少し前に、このお屋敷の主である前子爵夫人がどこからか自転車を譲り受けたらしく、それを貰ったアイリスは自転車に夢中だ。
それまではジェレミーの自転車を交互に乗って近所を走るくらいしかできなかったが、自転車が二台になったので一緒に遠出もできるようになった。
最近では休みのたびにアイリスがお弁当を用意して、二人で朝から自転車に乗って遠出をするのが恒例になっている。
しかし、隣の隣の隣村まで行くのは自転車といえども遠いし、アイスクリームを食べるためだけに行くのは面倒だとジェレミーは思った。
そんなジェレミーの耳に、アイリスの喜々とした声が続く。
「ジェレミーと一緒に自転車に乗ってアイスクリームを食べに行くなんて、きっと楽しいに決まってるもの!」
すでにアイスクリームを食べることまで想像しているのか、アイリスのそばかすが浮かぶ頬は期待に満ちて紅潮していた。
それを聞いた瞬間、ジェレミーのナイフを持つ手が止まる。
「……俺と一緒に?」
「うん!」
「……楽しい?」
「楽しみ!」
ジェレミーがアイリスの言葉の端を拾って聞き返すたびに、アイリスの明るい声が返ってくる。
「……まあ、そこまで言うんなら、行っても良いけどな」
「本当!? じゃあ、今度の休みの日に絶対よ! 忘れないでね!」
「おう」
アイリスは嬉しそうに声を上げると、箒を振り回して仕事に戻っていった。
部屋の中は騒がしさから一転して静かになる。
少しして、その部屋の側をたまたま通りかかった執事のチャールズは、中で鼻歌を口ずさみながらナイフを磨いているジェレミーを見かけたが、何も言わずにそっと通り過ぎていった。
***
「美味しい……!」
口の中に広がる冷たさに、アイリスは嬉しい悲鳴を上げた。
「すごく美味しいわね、ジェレミー!」
「これだけ自転車を走らせてはるばる来たんだから、そりゃ美味いだろ」
アイリスの隣に座るジェレミーは、少し疲れた顔でそっけない返事をしながらも、アイスクリームを口に入れた瞬間には口端が自然と上がっていた。
子爵家別邸から隣の隣の隣村の中央広場までは、自転車で行くには結構な距離だった。
アイリスもジェレミーも自転車で行くのは初めての道のりだったので、地図を見ながらときどき「あっちだ」とか「こっちよ」と言い合いながら進んだくらいだ。
しかしそんな苦労があった分、アイスクリームの冷たさは体中に染み渡るようだった。
アイスクリームは大人気で、移動販売の台車の周囲には人だかりができて賑わっている。
早く出発して良かったとアイリスは思った。
こんな距離を自転車で走ってきたのに売り切れになっていたら、きっと悲しすぎて帰りの自転車を漕げる自信がない。
無事に念願だったアイスクリームを食べることができた。
持参した敷布を木陰に敷き、二人で並んで座りながら冷たい味を堪能する。
「はぁ、冷たい……」
ミルクの優しい甘さ。
そして食べた瞬間、口の中はまるで冬が訪れたかのようにひんやりする。
ずっと味わっていたいくらいだ。
けれど早く食べなければ、カップの中のアイスクリームはどんどん解けていってしまう。
アイリスは急いでアイスクリームをすくうと口に含んだ。
少し行儀は良くないけれど、敷布の上で足を伸ばしながら冷たいアイスを頬張るのは本当に幸せだった。
隣に座るジェレミーも同じように足を伸ばし、帽子も脱いで寛いでいる。
「お屋敷にもアイスクリームを作る機械があったら良いのに……でも、大奥様は冷たいものは体が冷えるからお好きじゃないしなぁ……」
子爵家別邸は主の前子爵夫人をはじめ、使用人も高齢のため冷たいものより温かいものが好まれやすかった。
家庭でアイスクリームを作るためのアイスクリームメーカーという物もあるが、子爵家別邸は孫娘たちが年に数度訪れる以外はパーティーを開くこともなく静かなので、きっと出番はないだろう。
食べ終わり、空になってしまったガラス製の入れ物をしょんぼりと見つめるアイリスに、側からジェレミーが声をかけた。
「……また食べに来ようぜ。自転車に乗って……」
その言葉にアイリスが顔を上げれば、ジェレミーは脱いでいた帽子を被り直し、つばを引っ張って顔を隠していた。
そんなジェレミーを、アイリスは笑顔でまっすぐに見る。
「本当!? 絶対よ!」
「お、おう……」
嬉しそうにはしゃぐアイリスに、ジェレミーはさらに帽子のつばを引っ張った。
食べ終わって空になった入れ物を二人で返しに行き、また自転車に乗って帰路につく。
自転車という乗り物は、色んな場所へ行ける。
こうしてアイスクリームを食べに行くことだってできた。
それに、ジェレミーと並んで自転車を走らせているときは、とても気持ち良いとアイリスは思った。
夏の風を浴びながら、どこまだって行けそうな、そんな気分になれる。
今度はどこへ行こう――。
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